第30話 ハクモクレンと運命の世代

 ほどなくして、シオンの耳も得体のしれない音を捉えた。『それ』はオレンジ色の尾を引きながら、複数の破片を従えて空からやって来る。その姿を目視できるほどの大きさになっても、まるで空中で静止しているかのように『それ』は落ちてこない。

「ゾフィアさん、リリィ、逃げないと……死んじゃうよぉ……」

 迫りつつある終わりの時を前に、シオンは声を絞り出した。ジェットエンジンの噴射を間近で聞くような爆音が、絶え間なく頭の中に響く。

 音にかき消されながら、必死に何かを叫ぶ声が聞こえた。

「……つまらねぇ泣き言を喚くな! 男だろ!」

「リリィ……!」

 リリィは何かを訴えかけるように大声を出すが、周囲の音に紛れて聞き取れない。音は徐々に大きさを増し、リリィは耐えかねて苦痛に歪んだ絶叫を上げた。

「リリィ! どうしたの!」

「……心配など要らん! 宇宙の寒さに比べれば、この程度の熱などむしろ快適だ」

 リリィは息を整えるように大きく息を吸った。あの赤熱化した鉄塊の中にリリィが閉じ込められている。想像を絶する苦痛と知りながらも、シオンの視線は上空に釘付けになっていた。

「遥か遠くに見えてきた。……私の故郷が。母なる大地が。

 聞いてるか。いや、聞こえてなくてもいい。……むしろ聞くな。これは独り言だ。

 私はシオン、お前のことが羨ましかった。肉体を持たず暗い宇宙に縛られた私とは違い、お前は自由に走り回り、そして仲間がいた。横の女アイリスからのハッキングを受けた時、最初は意地で抵抗してやろうかとも思ったが、受け入れることにした。……繋がっていれば、いずれお前と会える気がしてな。

 ……ただ、何だ。実際に会うと気恥しいし、お前が私の正体を知ったら幻滅するだろうし、素直に接することができなかった。

 ……あー、その、まぁ、……感謝している。

 お前を通して、私は美しいこの『世界』を知れた。

 瓦礫と化してもなお美しい世界遺産。絶望を書き連ねた新聞紙。ウジ虫が湧いた死にたての人間。偉大なる指導者のドス黒い陰謀。

 久しぶりに見た母の顔。

 もう二度と戻れないと思う程に、望郷の思いは強くなるばかりだった。そして、私は志願して故郷に堕ちる。

 これは私の望んだ道だ。そして、最後の『世界系に資する行動』だ。

 お前が自責の念に駆られる必要などどこにもない。ママも……私の母も同じだ。お前は、私たち全ての屍を越えてその先へ行け。


 私からお前に、最後の命令だ。

 

 生きろ。

 お前は生きて、生きて、そして生き続けろ。いつか帰る人類に希望を示せ。この地球の行く末を見届けろ。

 世界系の幸福の象徴フォーチュンとなれ。

 幸せは自ずから歩いてくるのではない。また、こちらから掴み取りに行くものでもない。

 お前自身が、幸せの旗印となれ。

 私はお前のことをずっと見てきた。……生まれる前から、ずっと!


 。二百四十万の幸福への願いの結晶だ。

 胸を張れ。涙を拭け。お前は人類にも、世界にも縛られない絶対の存在。

 

 ただ一人の、第八世代フォーチュンフォーチュン・オブ・フォーチュン

 

 お前は強く、優しい。その力があれば、きっと世界系を良い方向に導ける。その心があれば、世界系はお前の言葉に耳を貸す。


 っと、もうここまで来たか。さあ、長話も終わりだ。もうじき、ゴールに到着する。

 最後に欲を言えば、人間の姿でお前たちに会いたかった」

 アイリスの指先から、風化した写真が風で飛んだ。写真の中の少女は笑いながら泣いている、ような気がした。

 シオンはもう何も考えられず、ただ鉄屑の流星を目で追う。

 ゾフィアは言った。

「そうだ。お前はフォーチュンによって生み出された子。私の、初孫だ。

 今、私は確信したよ。お前と出会えて、私は幸せだった。

 ありがとう、幸福の使者フォーチュン。今度会うときは、地の底ではなく空の彼方だ」

 ゾフィアは恐怖に打ち勝つように深い深呼吸をした。そして、高らかに宣言する。

「私はゾフィア・リシティア・エウダイモニア・ワイズマン! この世界の最後の観測者であり、すべての偉大なる勇者の親である! 我が心が爆ぜようとも、その意志までは何人なりとも侵せん! 我が功が碑に刻まれずとも、その思いは時を超え受け継がれる! 私は、誇りと共に死ぬ!


 さよなら、世界」

 

「ただいま、ママ。

 また会おうぜ、二人とも」


 次の瞬間、強烈な衝撃波が地表を駆けた。

 周囲の木々は後ろに仰け反り、大量の砂埃がシオンの顔に打ち付けられた。

 一瞬遅れて、質量を持ったように襲い掛かる衝撃音と、下から突き上げられるような振動。一挙に押し寄せる『力の波』は、静かな大地を地獄に変えた。

 眼下に見える地面が大きく隆起し、そして爆ぜた。爆風に巻き上げられた砂嵐の向こうに赤黒い噴煙が壁のように連なる。シオンとアイリスはベンチから転げ落ちるように地面に伏せた。

 アイリスの上にシオンが覆い被さった。アイリスの胸に顔を埋めたまま、身体を細かく震わせている。アイリスはその小さな身体をそっと腕で包んだ。

 それからどれほどの時間が経っただろうか。地の底から湧くような小さな揺れを、アイリスは背中越しに感じた。

 しかし先程とは様子が違う。衝撃波の残響のような揺れではなく、時を経るごとに増幅していくような激しい振動。やがてそれは周囲の砂利や枯枝が地面で狂ったように跳ね始めるに変わった。 

「今度こそ、始まりました」

 アイリスの言葉に、シオンは顔を上げた。

 震動が空気中の音にも伝播したように、大気を裂くような轟音が遠くから襲ってくる。地表を押し潰すように迫る音の塊が、二人の頭上を通過した。

 白銀に輝く大陸間弾道ミサイルI C B M

 音速を越える速度で空気を裂き、地面に向かって衝撃の束を容赦なく叩きこむ。弾頭は白く棚引く軌跡を残しながら地平の先へ消えた。

 空には複数の航跡雲ひこうきぐもが縦横に交差している。既に複数の地点でミサイルの発射は始まったようだ。終わりの時は、ついに始まった。

 出来る事なら、そのミサイルで決して晴れることのない空に風穴を開けてほしかった。シオンは頭の片隅でそんなことを思っていた。

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