第29話 ノウゼンカズラと誇り高き死

 ろくに舗装もされていない山道をトレーラーで走破し、これ以上進めなくなった場所から二人は山登りを始めた。

 アイリスの意識は回復しつつあり、シオンの介助で不安定な登山道を歩けるようになっていた。

 立ち枯れた樹木や、風化してもろくなった岩場を迂回しながら安全な道を辿り、目当ての展望台に到着した頃にはタイマーの残り時間は二十分を切っていた。

 アイリスをベンチに横たわらせ、自分の腿の上に頭を乗せた。薄紫色に艶めく美しかった髪は今や痩せ細り、乾いてしまったように感じる。

 標高のある展望台からは、爆薬を仕掛けた建物が良く見える。空気が良ければゾフィアの居る場所も小さく見えるはずだが、汚い色のもやがかかっているせいでよく見えない。


「……シオン、時間はあとどれくらいですか?」

 薄く目を開けたアイリスが訊ねた。

「あと、十五分だ」

「そうですか……」

 アイリスは何か言いたそうに口を開いたが、言葉を発することはなかった。

 いつになく歯切れが悪いアイリスの返答が、シオンの心に引っ掛かった。

「どうかしたの? アイリス」

「いえ、その……」

 アイリスはシオンから目線を逸らし、数秒黙り込んだ。

 そして、不思議そうに見つめるシオンに、アイリスは重苦しそうに言葉を紡いだ。

「……どうか、落ち着いて聞いてください」

「だから、一体どうしたんだよ」


「……最初に気が付いたのは昨日でした。あの建物に到着した時から、何か違和感があったんです。そして、その違和感は昨夜、確信に変わりました。


 ……シオン、私たちは騙されています。あの場所に、自動報復装置のセンサーなど無い」


「なっ……何言ってんだよ! だ、騙されてるって……」

 シオンは驚きで、上手く言葉を結べなかった。アイリスに真意を問いただそうとしたところ、脳内で声が聞こえた。


「……やめろ」

 ゾフィアだった。

「……昨日、建物の中でこんなものを拾いました」

 アイリスが指に挟んでいたのは、埃にまみれた紙片。

「これは、写真?」

 表面は色褪せて明瞭ではないが、三つの人影が並んで写っている。

「右側の人物を、よく見てください」

 指で埃を拭い、顔を近づけて凝視した。

「これ……、もしかしてゾフィアさん!?」

 現在のやつれた表情とは似つかないが、そこには確かに若いゾフィアの姿が映っていた。横に立つ長身の男性との間には、ショートカットの女の子がボールを抱えて快活な笑いを浮かべていた。

「何でこんな写真があの建物に……。ゾフィアさん、これどういう事なの!?」

 ゾフィアは小さく舌打ちをした。長い溜め息の後、低く脅すような声で問いかけた。

「お前は、どこまで気付いている?」

 それがシオンではなくアイリスに向けられた言葉だという事は容易に理解できた。しかし、この声はシオン以外には聞こえていない。

「あの、ゾフィアさんが『どこまで気が付いている?』だって……」

 アイリスは落ち着いた声で答えた。

「……今となっては、恐らくすべて。

 自動報復装置のセンサーは、ゾフィアさんの元にある。違いますか?」


 ゾフィアの荒い息遣いがかすかに聞こえる。そして一息つくと、諦めたように口を開いた。

「そうだ。お前たちに寄越した場所はセンサーとは全く無関係の場所。

 もちろん、破壊したって何の意味も無い」

 シオンは震える声でゾフィアの言葉を復唱し、アイリスに言って聞かせた。

「だが、どうしてもそこに行ってもらう必要があった。絶対に衝撃の影響が及ばない場所に」

 アイリスは、話を噛み含めるように頷き、そして言葉を放った。


「あなた……そこで自爆する気ですね?」

 シオンは脳天を貫かれたような衝撃を受けた。

 自爆だって? どうしてそんなことを……。


 ゾフィアに「馬鹿野郎」と言ってほしかった。笑い飛ばしてほしかった。

「ああ。ここを爆破すれば本当のセンサーが発動するからな。人類を救って死ねるなど、最高のシチュエーションだろ?」

 シオンの頭には、聞きたくもない事実が嫌でも流れ込む。

「やっぱりですか……」

「自爆って、人類を救って死ぬって……」

 呆然自失とするシオン。周囲の音が遠のき、虚空に一人放り投げられた感覚を覚えた。

「……今からゾフィアさんを助けに行こう。まだ間に合うよ」

 シオンは泣きそうな声で言う。立ち上がろうとするのを引き留めたのは、ゾフィアの咎める声だった。

「来るな! 私の死に際に水を差す気か」

「なんでだよ! そんなの勝手すぎるよ! 今度は僕らが助けに行く」

「私を助けてどうする!」

 ゾフィアの怒鳴り声が頭の中で反響した。

「……私はここでしか生きていけないし、ここでの生活も限界を迎えつつある。

 どう転ぼうが、私はもう長くないんだ」

 シオンの視界が滲んだ。タイマーの残り時間も読めない。

「私はお前たちを打ち上げる推進剤ブースターとして役目を終えた。私を切り離して未来へ進め!」

「いやだ! そうだ……リリィ、リリィも何か言ってよ! 君の母親なんだろ!」

 一瞬の空白の後、頭の中でノイズが聞こえた。

「リリィ!」

「っせーな……。もう少し静かに喋りやがれ」

 唸るような声で応答する少女の声。懐かしい響きだった。

「助けるだと? ヒーローぶってんじゃねえよ愚か者が。私たちは囚われの姫様じゃねえんだぞ」

「で、でもこのままだとゾフィアさんが死んじゃう!」

「ギャーギャー喚くな。

 知ってるよ、私が殺すんだから」

「……は?」

 シオンの思考が停止した。頭の中では二人の会話が淡々と行われていた。

「状況は?」

「現在高度四百四十キロ。モジュール毎に八つに分割して投下します。姿勢制御スラスターに

問題なし。予定通り、

「ああ、頼む」

「もうやめてよ! 何をしてるんだ……二人共!」

 耳を塞いでも聞こえて来るやり取りに、シオンは絶叫した。

「シオン、恐らくあの二人は、宇宙ステーションを地球に落とす気です。……接続されているリリィさんと一緒に」

 アイリスの端的な言葉は、残酷なほどにシオンの心を削いだ。手で目元を押さえても、溢れ出るものは止まらない。

「これだから、無駄に頭がいい奴は……」

 ゾフィアは一旦言葉を切り、小さく呟いた。

「……国際宇宙ステーションの質量はおよそ五百トン。計算通りに全部落下させれば『蜻蛉の天矛』以上の破壊力を生み出せる。

 ただの爆薬程度では、自動報復装置は何も感知せんからな」

 ゾフィアは、死を間近にした状況でも冷静さを崩さなかった。不敵な笑みを浮かべる顔が、脳裏に浮かぶ。

「……これで、やっと娘の所へ逝ける。今までこんな世界で生き続けてきた自分を誇らしいとすら思うよ。

 なぁ。私は世界系に資することが出来たのだろうか。私の人生は、幸せだったんだろうか」

 その言葉を聞く唯一の存在には、もはや声は届いていない。声にならない嗚咽だけが静寂の中に浮かんでは消えてゆく。

「ゼロ」 

 アイリスが小さく口にした。

 

 周囲の灰色の樹木が微かに揺れた。それに続いて、遠くの方で爆発音が聞こえた。見下ろす限り更地が続く街並みに、一本の黒煙が柱のように立ち上った。

 しかし、いくら待てどもそれ以外は何の変化も起こらない。

 これで証明された。ゾフィアは本気だ。

 シオンの頭の中では、未だに二人が状況を報告し合っている。まるで事務連絡を行うような口調に、シオンは目眩を覚えた。

 これから自ら死ぬというのに、なんでこんなに冷静でいられるんだ?

「スラスター噴射開始。全モジュール切り離し完了。投下角度を修正。これより、地球大気圏への再突入を開始します」

 リリィの声のすぐ後に、空気を裂くような轟音が響いた。

「……始まったか」ゾフィアが小さく漏らした。

 続いて、くぐもった爆発音が立て続けに起こる。

「あ、あ……あの、始まったって、何が……」

 シオンが嗚咽交じりに言う。涙はもう体内から生成されず、ともなって感情の嵐も収まりつつあった。

「落下だ。あと八分」

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