第28話 ネメシアと僕たちの『幸せ』
音を失くした無彩色の街を、赤いコンテナのトレーラーが爆走する。
路面の瓦礫に後輪が乗り上げ、頻繁にコンテナが大きな音を立てる。明らかに法定速度と交通法を無視した走りを見せる巨体の後ろには、塵とガラス片が渦を巻いていた。
「……シオン、本当に大丈夫ですか? 何なら私が……」
「だ、大丈夫だって! アイリスは休んでて!」
ハンドルを握るのはシオン。助手席ではアイリスが不安そうな表情で前方とシオンを交互に見ていた。
「シオン、アクセルとブレーキに足は届いていますか? マニュアル車の運転はしたことがありますか? 右折する際に巻き込みの確認はしましたか?」
横であれこれ口を出すアイリスを黙らせるように、シオンはアクセルを目いっぱい踏み込もうとした。
「……どうかされたのですか?」
シートから半分ずり落ちるようにして足を伸ばすシオンに、アイリスは不思議そうな顔をした。
足は、あまり届いていなかった。
「着いた、ここだよ」
駐車場の敷地に、乱雑にトレーラーを停車させた。目の前にある四階建ての廃墟には不釣り合いに大きな敷地だ。埃を厚く被った黒塗りの高級車が数台、丁寧に打ち捨てられている。
「思ったより小さい所なんですね」
アイリスはコンクリート製の建物を見上げて言った。
「じゃあ準備するから、アイリスは中に入ってて! 大丈夫、僕一人で出来るから」
シオンはアイリスを先に建物の方へ押しやり、自分はトレーラーの方へ向かった。アイリスは心配そうにその後ろ姿を目で追う。
一人に爆弾の管理を任せることに一抹の不安を抱えながら、両手で戸を押して中に入った。入り口の重いガラス戸は鍵がかかっていないようだ。
黴臭さと鼻をくすぐる埃で充満するエントランスは、戸を開け放しにしていないと何も見えないほどに暗い。アイリスは感覚があまり機能しない手先で前方を探りながら、慎重に奥へ進んだ。
エントランスの突き当りには小さなカウンターがある。アイリスはコの字で囲まれた裏の丸椅子に腰掛け、建物の中を見渡した。
一階は黒いカーテンで全ての窓が覆われ、一筋の光も入らないようになっている。軍事施設にしてはセキュリティのシステムらしきものは見当たらず、郊外の小さな社屋といった印象を受ける。
「……逆にこういう場所の方が、良いカモフラージュになるのでしょうか?」
入り口の外では、シオンが背伸びをしてコンテナのロックを外し、プラスチックの箱に積まれた爆薬を降ろしていた。用意された箱は四十個余り、シオンは両腕で一つずつ抱えてフラフラと入ってきた。
「これ……どこに置こう?」
「そうですね……。この建物の倒壊を狙うなら、一階の柱を中心に設置した方がいいでしょう。片側の支柱を集中的に破壊できれば、あとは自重で崩れ始めるはずです」
アイリスはカウンター越しに指示を出し、シオンはそれに従って箱の設置、配線の接続を始めた。
コンテナと建物を何度も往復し、すべて搬入し終えた頃にはすでに日は完全に落ちていた
「もう暗いし、夜が明けたら安全な場所に移動しよう」
シオンはすべての信管と繋がったリモコンを手にしている。爆破までのタイマーは一時間。
「ええ、今日は終わりにしましょう」
アイリスは椅子から降り、カウンターを支えにシオンの元へ寄った。二人は地べたに座り、台に背中を預けた。
「ただ、お休みになる間に一つ。
カンナさんに、報告を」
アイリスが腕を差し出し、暗闇の中にメッセージボックスを開いた。
しかしその光は弱く、壊れたようなブロックノイズで画面がチラついていた。
「せっかく『親』から頂いた私だけの機能なんですから、有効活用しない手はありませんよ」
「……そうだね」
シオンは神妙な面持ちで、指を動かし始めた。顔も知らぬ『友人』へ、親愛なる人類へ、世界との戦いに勝利した宣言を、百五十文字のメッセージに載せた。
そして何度も読み返して文面の推敲を重ねた上で、シオンは送信ボタンを押した。
「メッセージの往復にかかる時間はおよそ二時間半……、アマノトリがさらに遠ざかっていることを考慮すると、明日の朝には返事が来るといいですね」
「愛想を尽かされていなければいいけど……」
ホログラムの揺らめく光に照らされたシオンは、沈んだ表情をしていた。
「そんなことはないと思いますよ。ほら」
そう言ってアイリスが見せたのは、カンナから届いていた四通のメッセージ。一週間前の作戦に失敗してから四日後に届いたものだった。
『シオンさんへ
心配になったので、連絡しちゃいました。心配っていうのは、ヌバタマの事や、私たちの未来の事ではありません。あなたの事です。
私は、あなたにあまりにも大きなお願いをしてしまったのかもしれない。一人ではどうすることもできない問題を抱えて、途方に暮れているかもしれない。アマノトリが崩壊する未来を変えられなくて、罪悪感で潰されそうになっているかもしれない。
フォーチュンってね、そういう子が多いんです。人間社会に奉仕して、人間の幸せのために身を粉にする。それが自分たちの義務であり、それができない者はフォーチュンではないと思い込む。そうして、理想と現実のギャップに耐えきれなくなって心を壊してしまう。
勘違いしないで。フォーチュンは幸せの使者なんかじゃない。ましてや、人類の幸福に資するための存在でもない。あなたたちは
私こそ、無理なお願いをしてごめんなさい。たとえ宇宙の彼方で散り散りになったとしても、私はあなたを恨んだりしません。たとえ人類があなたを憎みながら死に絶えたとしても、私だけはあなたを愛し続ける。
だからお願い。せめてあなたは幸せに生きて。幸せになれなかった仲間の分まで』
アイリスは画面を消灯した。途端に暗闇が押し寄せる。
「ねえ、アイリス」
シオンが小さく呼んだ。
「僕たちにとっての幸せって、なに?」
アイリスは黙ったままだ。
「カンナさんの言うように、人から愛されること? それとも、人間の幸せに尽くすことが僕たちにとっての幸せ?」
「……それは、死ぬ間際に分かるんだと思います」
アイリスはゆっくりと目を閉じた。
「幸せに感じたことでも、後になって不幸だったと思い直すかもしれない。不幸のどん底にいる時でも、その経験が人生で必要な時間だったと言える日が来るかもしれない。自分の人生についての幸せなど、死んだ後に評価を下すことでしか分からないんでしょうね。
つまるところ、『生き続ける』ことが幸せなんだと、私はそう思います。
……私は、幸せな人生でした」
「……アイリス?」
「……大丈夫です。少し休むだけですよ。
明日が楽しみですね」
翌朝、シオンは頭の中で響く声で気が付いた。
「
シオンはリモコンをズボンのベルトに挟むと、アイリスを揺り起こした。反応はとても鈍い。意識が混濁したままのアイリスを引きずるようにして、シオンはトレーラーに乗り込んだ。
次の目的地はゾフィアから聞いていた。付近一帯の街を見下ろせる山の中腹の展望台。そこならば建物の崩壊を見届けることができる。
カンナからの返信を確認したかったが、これ以上アイリスに無理をさせるわけにはいかない。
「待ってて、カンナさん」
シオンはリモコンを握りしめ、すべてのタイマーを起動させた。
あと一時間で、すべてが決する。
シオンはエンジンキーを回した。
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