第19話 ソメイヨシノと歪曲し始める未来
少し間を開けて、アイリスが返答した。
「カンナさんは、
「それはおそらく
「なぜ人間はそんなことをするのです? 彼らは人類全てを救うためにあんなに大きなモノを作ってこの地球を脱出したんでしょう? 今になって半分の人類を殺す必要などありますか?」
「そこだ。お前は本当に、人類が『新天地』を目指して航行していると思うか?」
ゾフィアの眼光はいつになく鋭く、そしてどこか悲しそうだった。
「……まさか」
「最初からそんな物は無いんだよ。人類は宇宙に脱出し、その後地球に帰還するつもりだ」
「……なぜ、そんなことが分かるのですか?」
「スイングバイによるアマノトリの軌道歪曲を計算しなおしてみた。アマノトリはあと十日ほどで、土星の重力圏に最接近する」
「それは以前、カンナさんもそうおっしゃっていましたが……」
「大事なのはその次だ。これを見ろ」
『リリィ』が体内からタブレット端末を取り出し、天井からゾフィアに手渡した。その画面をアイリスに向ける。太陽系惑星を示す赤い点と、その間を縫うように伸びる白い線が表示されていた。
「土星の重力の影響を受けてアマノトリの軌道、この白い線が大きくカーブしている。向かう先は太陽系外だ。そして、アマノトリの行く末は」
アマノトリの現在位置を越え、予想進路を辿ってゆく。その先は、
「天王星……!」
土星の重力による軌道変更を抜けた直後、アマノトリはその外側、天王星に最接近をする。
「天王星の重力場と『アマノトリ2』の予想される質量、速度を計算すると、進路はこうなる」
ゾフィアが画面を切り替えると、天王星を取り囲み、百八十度Uターンをして進む線が現れた。
「ヌバタマを失った『アマノトリ1』は土星を越えられずにここで散る。そして、軌道を変えて進んだ『アマノトリ2』だけが天王星で再び軌道を大きく変え、地球に戻るルートを辿る。
帰還する頃には地球上の汚染はある程度浄化され、人間が住める環境になる。お前たちのお陰でな。わざわざフォーチュンを廃棄処分せずに生きたまま放置した理由も分かった」
「『世界系に資する行動』……、ですか」
ゾフィアはアイリスの言葉を無視して話し続けた。
「この計画は、最初から地球に帰ることを前提として、さらにその過程で人類の半分を事故に見せかけて殺すことを目的にした計画だ。」
「……殺す理由は?」
「選別だ」ゾフィアは即答した。
「選別?」
「人間は地球で選ばれていたのだ。どちらの船に乗るかによって。
いや、選ばれた人間が『アマノトリ2』に乗り、選ばれなかった人間が『アマノトリ1』に集められた、と言った方が正しいだろう」
「選ばれた人間、ですか?」
「各国で政治的発言権を持つ者、有力財閥の家系、貴族階級、金持ち、高名な文化人。選ばれる理由はいくらでも考えられる。選ばれるべくして選ばれた人間たちは、秘密裏に『別』の船へ乗ったんだ。生きて帰って来られる方の船に」
「……ノアの箱舟は全ての生物を救ったのではない。生物の代表種のみを載せて未来へ賭けた」
「そうだ。支配者層のみで構成された世界。下剋上も無ければ、革命も無い。素晴らしい世界じゃないか」
「そんな世界は不可能です。この世に不必要な人間など存在しない。たとえどんな役割であっても」
「お前も大概『人外』だよな」ゾフィアが渇いた笑いを漏らした。しかしその目はまるで笑っていない。
「いいや、不要になるさ。これも、お前たちのお陰でな」
「どういうことです?」
「この世界が支配者と被支配者の構造で成り立っているのは人類史で不変の真理だ。どちらかが欠けることはあり得ない。だが、代用品を置くことはできる」
「代用品って……」
「お前たちだ。労働力であり、搾取対象であり、『選ばれなかった者』をフォーチュンで代替とする。お前たちを地球に残した理由の二つ目だ」
「本当にそんなことが可能だと?」
「出来るさ。お前たちの存在意義は労働力の代替。ストライキも
アイリスの心に、何かどす黒いものが広がり始めた。恐怖と形容するにはあまりにも全体像が遠大で、憎悪と称するには対象が曖昧過ぎた。
「その計画を止める方法は無いのですか?」
「無いな」ゾフィアは即答した。
「ヌバタマの機能を復旧させ、すべての人類を地球に送り届けることができれば、彼らだってその上で大量虐殺などしないはずだ。しかしその可能性もさっき潰えた。もうこちらからアマノトリへ介入する手段は無い。……それに」
ゾフィアは後ろを向いて一つのモニターを点灯させた。
それは施設内のコンピュータの状況をモニタリングする親機。表示されている五十一個の端末のアイコンは、ほとんどが赤く染まっていた。
「彼らから逆探知された。いくつかの端末は切り離して難を逃れたが、ほとんどはやられたようだ。これではサイバー攻撃どころか、ネット検索すら難しくなるぞ」
二人の間に重い沈黙が流れた。ゾフィアはアイリスに背を向けたまま、アイリスはその背中を見つめる事しかできなかった。
沈黙を破ったのは、上からの少女の声だった。
「彼が目覚めました。ここまで運びましょうか?」
「いや、いい。私が行く。リリィ、お前は……」
ゾフィアは言いかけて、口をつぐんだ。
「何でしょう、ご主人様?」
「お前は先に行って、これまでの私の話を全て伝えろ。事実を知れば、あいつの精神がどうなるか想像もつかん。こういう話をするのはお前の方が適任だ」
「仰せのままに、ご主人様」
『リリィ』はレール伝いに部屋の外へと、滑らかに消えていった。
「さて」ゾフィアはアイリスに向き直った。
「話は以上だ。お前たちがここにいる必要も理由も、もう無いだろう。二人で穏やかな余生を過ごせ。
まあ、お前の
「そうですね」アイリスは短く答えた。「でもその前に、あなたにいくつか質問があります」
「質問?」
ゾフィアは骨ばった手を膝の上で組んだ。
「ええ、色々とお訊きしたいことが」
「これ以上聞いても事態は好転しないぞ。それとも、余計な絶望を抱えながら死んでゆくのがお好みのマゾヒストか?」
「まさか、そんなわけないでしょう」
どうせ死ぬのなら、絶望でも希望でも、私は『真実』を手にして死んでやる。
「誰だって、ミステリー小説の半ばまで読んで死ぬのは嫌だと思います。
勘違いしないでいただきたい。私が訊きたいのは、あなたの事ですよ」
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