第20話 タチアオイとつながった希望
どこまでも曇天が続く空の下。
広い川を見渡せる河川敷からは、虹色に鈍く光る水面が嫌でも目に入る。
土壌は汚染され尽くされ、ただっ広い土手の坂は動植物の見る影もない。
そんな死んだ地に座り込む、二つの人影があった。
アイリスはシオンの肩に身体を預けて目を閉じ、シオンはただぼんやりと流れゆく水を眺めていた。生ぬるい風が頬を舐め、腐臭にシオンは顔をしかめた。
「ねぇ、シオン」アイリスが消え入りそうな声で言った。「カンナさんには、連絡を……?」
「出来る訳ないだろ。……僕らは、失敗したんだ」
アイリスの右腕に赤く輝く『
「メッセージが届いています。……一週間で四通も」
アイリスはシオンの眼前にホログラムを表示した。投影された像は、端が消えかかって細かく明滅していた。
シオンは、差し出されたホログラムを押しのけるように手を伸ばした。
「……何て返すんだよ。『あと一週間であなたたちは全員死にます。』とでも送れって言うのか?」
「それは……その」
「もういいよ」
シオンは力なく言った。
「もう全部終わりだ。僕たちのやってきたことは全部無駄になった」
「せめて、カンナさんには本当のことを言いませんか? ……とても、辛いことだと思いますが」
「……君だって僕に言わなかっただろ。なんでこのことを黙ってたんだ!」
シオンはアイリスの右腕を強く掴んだ。しかし、そこからは生気が感じ取れない。もはやアイリスの体温は『人間らしさ』を失い、ぬるいゴムのような無機質さだけが残っていた。
「ごめんなさい。……少しずつ機能を切れば、しばらくは大丈夫だと思ったんです」
アイリスは微笑みを返して見せた。目の中の瞳孔が不規則に大きさを変えている。視界のピントを調節する機能も、ろくに機能しないようだ。
「あと、どれぐらいなんだよ」シオンはそっぽを向いて訊いた。
「長くて、一週間ほどでしょうか。……奇しくもアマノトリが堕ちる日と同じですね」
ゾフィアと別れ、施設を後にしてから数日が経っていた。もはやここにいても事態は何の進展も見せないと、二人は放浪する末路を選んだ。
歩くことすらおぼつかないアイリスを支えながら立ち去るシオンに、ゾフィアは言葉を投げかけた。
「せめて、幸せになれ」
シオンは、自分にとっての『幸せ』が何か分からなかった。人間に仕え、社会の歯車として機能する事のみを生きがいとするフォーチュンにとって、『人間らしい幸せ』を謳歌することはただの『演技』でしかない。主人となる存在を失い、彼らの中での自分の存在意義は薄れつつあった。
二人は休憩を繰り返しながら一晩掛けて最期の場所を探し、太陽のぼやけた光が昇る頃、大きな河川の土手にたどり着いた。
心を殺して歩き続け、一息ついたころにはシオンは不思議なほどに精神の落ち着きを取り戻していた。
「一時期はどうなるかと思ったが、ギリギリのところで精神を保てたようだな」
ゾフィアによると、目が覚めて計画の失敗を聞かされた後、シオンは命の危険に晒されるほど心に傷を負ったという。
「ワイズマン型人工知能への精神的なストレスは不可逆だ。乗り越えることはできても、完全に消すことはできない。
……私にもう少し、力があったらな」
それでも一日で立ち直れるほどに回復したのは、お前が元来持つ心の強さ故だろう。自信を持って生きろ。ゾフィアはそんなことを言っていた。
「そういえば、あのヘッドホンはどこに?」
アイリスはシオンの頭に目をやった。そこには、リリィと交信するために使っていたヘッドホンが無かった。
シオンも違和感に気付き、反射的に頭に触れた。そして、落胆したようにため息をついた。
「施設に置いてきたか、どこかに落としたのかもしれないな。
……これで、リリィからの命令も聞けなくなった訳か」
だが、これでよかった。
リリィの正体を知った以上、もはや彼女の命令を聞く必要もない。
自分がこの先、どのような末路を辿るのかは分からない。近い内にアイリスは死に、シオンには本当の孤独が訪れる。絶望し、発狂し、廃人同然になるかもしれない。
だが、それでも生きていく以外に選択肢は与えられていない。フォーチュンに課せられた
自分がいつまで生きられるかは分からない。運が良ければ、いつか人類が地球に戻ってくるその時を迎えられるかもしれない。
だが、その後は? ゾフィアの言っていた通りになるなら、人類は完璧な支配構造を実現させるためにフォーチュンを利用する。新しくフォーチュンを建造して、今よりも厳格な条項で縛り付けるかもしれない。そして、地球上で生き残った古いモデルは、人類にとって邪魔な存在になるかもしれない。
その時、自分は世界系に資する存在になれるだろうか。人類の半分を消し去って作り上げた新しい世界を、自分は『幸せ』と呼べるだろうか。何より、自分を信じてくれたあの人は……。
色々な思いが沸き上がって、シオンを押しつぶすように膨れ上がった。考えることをやめても、言いようのない不安が霧のように纏わりつく。
もう、嫌だ。
シオンの精神を支えていた何かが、崩れ始める感覚がした。
ノイズが聞こえた。
シオンは驚いて左右を見渡した。アイリスが驚いた顔でこちらを見ている。
なぜこの音が聞こえる? ヘッドホンはもうここには無いはずなのに。
「この音、一体どこから……」
「音?」アイリスが小さな声で訊いた。
「……ヘッドホンから聞こえていた音だ。リリィと通信するときに、必ず聞こえてたんだよ。その音がする」
アイリスは首を傾げた。そんな音など全くしないという素振りだ。
ノイズが止み、続いて声が聞こえた。予想とは違う、聞き馴染みのある口調。
「お前たち、今どこにいる?」
ゾフィアの声だった。
そして、シオンは違和感の正体を理解した。
この声は、自分の頭の中に流れている。
横で不思議そうな顔をしているアイリスに聞こえていない理由も分かった。
「あ、あの……、これは」
テレパシーのように頭の中で反響する声にどう反応すればいいのか、戸惑いながらシオンは返答した。
「説明は後回しだ。二人とも、まだ生きているな」
早口でまくし立てるゾフィアは、シオンの言葉を待たずに続けて言った。
「戻ってこい。今すぐにだ」
「ど、どういう事です? 今になって何を……」
動揺するシオンと状況を掴めないアイリスをよそに、ゾフィアは短く要件を伝えた。
「まだ計画は終わっていない。一つだけ、最後の希望がつながった」
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