第18話 センニチコウともうひとつの翼

 アイリスが意識を取り戻して最初に見たものは、白の天井だった。

 正確には、白い天井に一本の黒い溝が走っている。カーテンレールとも違う、やたらと幅のある一本の線が、アイリスの視界の端まで伸びていた。

 身体の中心から末端にかけて、徐々に感覚が回復していく。何か柔らかいものに全身を預け、身体はひどく脱力している。嗅覚が、微かな薬品の匂いを捉えた。

 ずっとこのまま寝ていたい、そんな思いが頭の片隅に残っていた。しかし、アイリスはその思いを振り払うようにして、上体を起こそうとした。

「無理に起きない方がいい。電力を無駄遣いするぞ」

 アイリスの考えを読んでいたように、ゾフィアの声が上から聞こえた。

「あの……ここは?」

「お前たちを一人ずつ上まで運んできた。人間サイズと言えど、フォーチュンおまえたちは重くて困る」

 ゾフィアが上からアイリスを覗き込んだ。不愛想な表情は相変わらずだが、その顔には明らかな憔悴が見て取れる。

「お前のなら集中治療中だ。高温による演算中枢へのダメージと漏電の影響が危惧されたが、幸いなことに審美外装エクステリアの損傷以外に致命的な被害は無かった。寿命は確実に縮んだだろうがな」

 そう言うと、ゾフィアはアイリスの視界から消えた。そして近くの椅子に腰掛ける音がした。

 ……リリィ? 今、確かにゾフィアはそう言った。リリィとは、あのリリィのこと? 二人はいったい、どういう関係なの……?

 シオンが『リリィ』と呼んでいたあの存在は、この施設の中にいるのか……?

 アイリスが頭に複数の疑問符を浮かべていると、しばらくして部屋の外から金属が擦れる甲高い音が近づいてきた。その音は滑らかに部屋の中に入ると、アイリスの頭上で停止した。

「遅かったな、『リリィ』」

 現れたのは、上から吊られた白いロボットアームのようなもの。天井に走っていた黒い線は、どうやら『リリィ』の移動用レールだったようだ。

 上から伸びてきたアームに支えられて、アイリスは身体を起こした。見える景色が大きく変わり、清潔な印象の天井とは異なった、段ボール箱があちこちに積まれた乱雑な光景が広がった。

「さて、と」

 ゾフィアが椅子を回転させた。

 同じ目線の高さで対峙する二人。その間には懸垂式ロボットアーム、もとい『リリィ』が鎮座するという奇妙な空気が流れた。

「未だに状況が理解できてないって顔だな」

「ええ、まぁ……」

 上の空気味に返答したアイリスを、ゾフィアは一瞥した。

「結果から言えば、計画は失敗だ」

「そうですか」

 アイリスの返事は淡白だ。

「……驚かないんだな」

「シオンが無事なら、後はどうでもいいです」

 ああ、とゾフィアは言葉を漏らした。「そういえばお前はそんな奴だったな」、そう言いたげな様子だった。

「ただ、本題はここからだ」改めて、ゾフィアはアイリスの目をまっすぐに見つめた。

「本題、というと?」

「あの時、仮に私たちがヌバタマの制御奪取に成功していても、当初の目的は達成できなかった、というのが私たちの出した結論だ」

 何を言っているのか分からない、と言ったようなアイリスの表情を察してか、ゾフィアは先を続けた。

「私たちは機能が停止したヌバタマにハッキングを試み、そのシステムを復旧させようとした。そうだな?」

 アイリスは小さく頷いた。

「そのために使ったのがこのコードだ。お前たちが持っていたやつだな」

 『リリィ』が頭上から二枚のコピー用紙を差し出した。それぞれの両面にびっしりと書かれていた文字列は、間違いなくカンナから託された制御コードだ。

「これをお前たちに託した本人は、『ヌバタマの機能を復旧させることができるコードだ』と言った。そうだな?」

「……はい、カンナさんも完全に解読できた訳ではないけど、おそらくそのようなものだと」

 ゾフィアは即座にそう言い切った。

「と、言うのは?」

「私も最初は自信が無かった。。だから私は確かめるしかなかったんだ。自分の目で。そしてその結果、確信に至った」

 ゾフィアの口調はすべてを見通したかのように、揺るぎなかった。

「……一体、あなたは何をおっしゃりたいのでしょう?」

「このコードの内容は機能反転スイッチ・リバース。一方の機能を回復させ、代わりにもう片方の機能を停止させるための命令だ」

「もう一方、ですって?」

 アイリスは未だに夢を見ているような感覚に囚われた。話の核がまるで見えてこない。

「まだ分からないか? 

 。そして、それを擁するアマノトリも、また然りだ」

「アマノトリが……、二機あると?」

 アイリスは驚愕の表情でゾフィアを見た、

「信じられないかもしれないが、そうだ。現在停止しているヌバタマにあのコードを入力すると、確かに機能は戻るだろう。しかし同時に、正常に稼働しているもう片方のヌバタマが能力を停止することになる」

「ちょ、ちょっと待ってください」アイリスが言葉を遮った。

「アマノトリが二機って、そんな話聞いたことありません! カンナさんだってそんなことは何も……」

「私だって最初は自分の目を疑ったさ。だが信号は確かに二つ存在した。人類は最初から、二つの船に分かれていたんだ。

 コードを入力し、一方のアマノトリを救おうとすれば、もう片方のアマノトリを犠牲にする必要がある。初めから全人類を救う手段など、存在しなかったのだ」

「で、では、そのコードを私たちに教えたカンナさんは、その事を知っていて……」

「いや、おそらく彼女も知らなかったはずだ。そのコードの本当の意味も、アマノトリが二機編成だという事もな」

「知らないって……、二機は編隊を組んで飛んでいるのではないのですか?」

「アマノトリの窓の位置や角度から、絶対的な死角になる場所がいくつかある。『完全に見えない存在』にしてやれば、一般庶民には気付かれず二機目を飛ばすことだって不可能じゃない。

 ……そして、ここからは私の推測だ」

 狼狽するアイリスに、ゾフィアは声を低くした。

「さっきも言った通り、地球を飛び立ったアマノトリは二機存在した。何故だか分かるか?」

 急に話を振られ、アイリスはたじろいだ。

「それは……、一つだけでは人間を収容しきれなかった、とかでしょうか……」

「ならばわざわざ二つ目の存在を秘匿する必要はない。昔の報道記事からも、アマノトリが一台しか存在しないという裏が取れた」

「二機目は本来存在しないのに、いつの間にか増えていた、と?」

宇宙航空高等通信管制室ここから観測できる情報は限られている。『知られざる二機目』の全長、収容人数、指揮系統などは一切不明だ。しかし、分かったこともある」

 ゾフィアは一呼吸置き、アイリスの反応を窺うように黙った。

「……どうしたのですか?」

「お前、大丈夫か?」

「……はい?」

「私がこれから話すことは、お前たちのこれまでを無駄にするような仮定だ。仮に絶望して発狂したとしても、世話してやらんからな」

「問題ありません」アイリスは胸を張って言った。

「もうそんな元気じゅうでんも残ってませんから」

 そうか、とゾフィアは素っ気なく言うと、自身の推測を話し始めた。

。それも、存在が隠されていた方のアマノトリの仕業だ。

 そっちの機体……ここでは『アマノトリ2』と呼ぶが、そこから『アマノトリ1』のヌバタマを管理するサーバーへ、不審な介入が行われた形跡を発見した。それも、すべての履歴が巧妙に偽装された形でな。アマノトリ2からのサイバー攻撃だと仮定して解析しなければ、私にも絶対に分からなかっただろう。

 

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