第14話 スイレンと択一の共命鳥①
地下のシェルターには前日よりもさらに多い数のモニターや機材が並んでいた。
長机をコの字に並べた内側で、ゾフィアは装置の動作確認を行っていた。薄汚れた白衣は所々に擦ったような黒い汚れが目立ち、長い髪からは枝毛も飛び出している。
「ゾフィアさん、これ全部一人で?」
シオンは恐る恐る尋ねた。
「何てことはない。久しぶりの有酸素運動には丁度いい」
そう言って振り返ったゾフィアの顔は、酷く疲れきっていた。
「ここに座れ。機材の説明をする」
案内されたのはボロボロのオフィスチェア。シオンが腰かけると、キャスターの取り付けが甘いのか接地が安定しない。
ゾフィアが机に乗った機械の山を漁っている間に、アイリスが後ろからシオンの肩に手を置いた。
「大丈夫、私たちがついています」
「う、うん……」
シオンは歯切れの悪い返事を返すことしかできなかった。昨夜のリリィの言葉が煙のように心に
『あの女に気を付けろ』
リリィから通信を切られたため、それ以上問いただす事ができなかった。しかしそれ以上に、話が突然すぎて返す言葉が思いつかなかったのだ。命まで守ってくれたアイリスを「信用するな」など、シオンにはとてもできない。
なぜこのタイミングで、あのような忠告をしたのだろうか。リリィはアイリスの何を知って彼女の危険性を察知したのか。その点が、シオンはどうしても腑に落ちなかった。
しかし、リリィとアイリスの会話はシオンを介することがほとんどだったのも確かだ。いつもリリィからの命令を聞き、それを実際に実行に移していたのはシオンだった。そしてアイリスは、いつもそれを離れた場所から見ていた。
アイリスは自らの素性に関して、何らかの秘密を隠しているに違いない。この点に関しては。シオンも認めざるを得なかった。
そして、リリィが最後に放った言葉、『観測者』。シオンはゾフィアの小さな背中を見ながら考えた。無関係だと思っていた二人が、一つのキーワードで結ばれた。彼女は何を意図して、『観測者』を自称したのか……。
「シオン? 大丈夫ですか?」
黙り込むシオンに、アイリスが声をかけた。
「うん、何でもないよ。ちょっと考え事してただけ」
アイリスに真意を聞くべきだろうか。シオンは葛藤の最中にいた。
大量の機材を抱えてヨタヨタとゾフィアが歩いてきた。アイリスも手伝い、シオンの前の床にドンと並べた。
「服を脱げ。これを全部着るんだ」
「あの……、これは?」
シオンは背中に穴が開いた、近代的な形をした甲冑のような物を手に取った。
「実際に装着しながら教えてやる。まずこれがフォーチュン用の冷却器だ。オーバードライブ時に発生する熱を排出してくれる。地肌に羽織って着ろ。
こっちは冷却器の液体を放熱する
シオンが装置に腕を通すと、次にゾフィアはフルフェイスヘルメット型の装置を取り出し、ボタンを押した。バイザー部分に
「『ワイズマン型』に特化した
『洗脳』というフレーズにシオンは
「な、なんでそんな物を使う必要が……?」
ゾフィアは装置を数回叩いた。中から埃が舞い上がった。
「心配するな。お前の意識を乗っとるために使うのではない。『大脳接続』は脳内の思考をそのままコンピュータに反映させるから、その演算処理以外の思考を可能な限り消去する必要がある。要するに、余計な事は考えるな、と言うことだ。こいつを使えば脳内のそういった意識を一つ一つ摘み取ってくれる」
「なぜこんな装置の
シオンの背後から、アイリスが訊いた。
「さあな、昔の人類に聞いてくれ」
言うが早いか、ゾフィアはシオンのヘッドホンをふんだくり、装置を頭に被せた。これでシオンの上半身は、完全に機械で覆われた。
「どうだ、息苦しくないか」
「フォーチュンは呼吸をしませんよ」
「ああ、そうだったな」
ゾフィアは手に持ったヘッドホンをしげしげと眺めた。
「お前、これどうしたんだ」
そう言えば、ゾフィアにはリリィの話をしたことがなかった。このヘッドホンを見るのも初めてだろう。
「今は使わないので、適当な場所に置いといてください」
シオンたちのいる地底では、電波状態の悪さからリリィの声が届かない。あくまでもリリィは独自にアマノトリに対してハッキングを行い、状況を撹乱させることが目的だった。
ゾフィアは床に落ちていた太く赤いコードを拾い上げ、シオンの背中に差し込んだ。充電時とは違う、硬い金属音が背後で聞こえた。ヘルメットを被ったまま振り替えると、どうやら接続がロックされたらしい。
「『大脳接続』は大電力を要するため、身体への漏電を防ぐためにプラグが抜けないようロックする必要がある。だが、万が一の事態も想定される」
ゾフィアは背中のコードから枝分かれて延びている細いコードを二本、シオンの目の前に持ってきた。
コードの先端には
「これは
ゾフィアは二つのリモコンをシオンの膝の上に置いた。すると、背中のコードがバシュッと音を立てて吹き飛んだ。
「身に危険を感じた時、意識が飛びそうな時はすぐにこいつを手放せ。強制的にすべてが終わる」
ゾフィアはもう一度コードを繋ぎ直し、今度はシオンの両手に握らせた。
シオンが頷いたのを確認すると、ゾフィアは隣の机のパソコンに移動した。キーボードを叩く音が聞こえる。すると、ヘルメットの視界に文字列が高速で流れ始めた。
「お前の思考はここから世界中の
シオンは背中に熱を感じた。脳内で幾何学模様が浮かんでは次々に消えてゆく。次第に視界が端からホワイトアウトしていった。『大脳接続』の準備が始まったのだ。
「準備はいいか?」
「あ、あの! 一つだけ、いいですか」
シオンはくぐもった声で呼び掛けた。
「どうした?」
「一つ、聞いておきたいことがあるんですけど、ゾフィアさんは
シオンの狭い視界からは見えないが、タイピングの音が止んだ。
「……そう言えば、最初の方にも言ってたな。そいつがヌバタマの機能を止めたんじゃないかと」
「はい、それがアマノトリの中での見解でもあります」
ゾフィアは少し間を置いて、こう言った。
「まだ人類が地球にいた頃、世界で彼の名前を知らない者などいなかった。亜宮由岐雄は、フォーチュン、ヌバタマ、そしてアマノトリの設計にも関わっている。正真正銘『世界の創造主』だ」
「世界の、創造主……」
「噂によると、亜宮は差別のない世界を望んでいたそうだ。誰もが平等に生きられる、争いの無い世の中を。彼が
「そうですか……」
ゾフィアは机に置かれた目覚まし時計を見た。猫の輪郭がデザインされた時計は、午前八時前を指していた。
「時間だ。始めるぞ」
「はい。お願いします」
シオンはリモコンを強く握りしめた。
「『システム・スターゲイザー』起動。セクター
シオンの視界が完全に支配され、代わりに浮かび上がってきたのは『
「処理コーデックの検証を開始。十九%の思考領域で同期を実行。
……
まるで全身が加速するかのような感覚。幾何学模様の風景が高速で後ろに流れて行く。
「『大脳接続』機能解放。接続対象、
……死ぬなよ」
体が、まばゆい光に包まれた。
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