第10話 ゲッカビジンと真夜中の訪問者②
ゾフィアは大きなため息をつくと、パサパサになった長い黒髪を掻きむしった。
「それで、お前がここに来た目的はただのお喋りじゃないだろ? 私の居ぬ間にここの機械でも使おうとでもしたのか?」
「ええ、勝手に入ったことは謝ります。ごめんなさい」
アイリスは素直に認めた。
「まあいい。そもそもこの部屋はただのモニタールームで、別の場所じゃないとハッキングの類はできないからな」
「そうなのですか? ではどこに」
「教える訳ないだろ。とにかく、説得は諦めることだな。私は寝るぞ」
そう言って席を立とうとするゾフィアに、アイリスは独り言を呟くように言った。
「……人間は睡眠を取れば体力が回復する。何度考えても惚れ惚れするほどのシステムですね」
何が言いたい、とゾフィアは怪訝な顔をした。
「どれだけ精巧に人間を真似ても、その構造を完全に再現させるのは不可能だということです」
「お前たちは電力で動けるだろう。睡眠時間が不要という身体機能は人類の羨望の的だと思うがな」
「人間は多少眠らなくても、ご飯を食べなくても、ある程度は活動を行うことができる。しかしフォーチュンや他のロボットは違います。電池残量がゼロになれば、無条件に行動が停止する」
アイリスは
「充電ケーブルなら部屋にあっただろう。自由に使え」
ゾフィアがそう言うと、アイリスは目を伏せた。
「実は、もうできないのですよ」
何故、と聞く代わりに、ゾフィアは黙ってアイリスの方を見た。
アイリスは後ろを向くと、背中のファスナーを降ろした。切り裂いたような傷がいくつも入った、ボロボロのコルセットが外れて落ちた。
「割れてるじゃないか。どうしたんだ、これ」
ゾフィアは視線を床からアイリスの背中に向け、言葉を失った。
アイリスの背中に設けられた充電ケーブル挿入用の穴は、ひしゃげて元の円形を留めていなかった。背中の皮膚と曲がった穴の隙間からは、人間の体組織にも似た赤い人工筋繊維が覗いている。
「とある事故で背中に瓦礫を受けてしまいました。もう充電はできません」
ゾフィアは声が出せず、口だけ「マジかよ」と動かした。
「部品の
「これほど曲がっていてはうんともすんとも動きません。無理に動かすと角が体の内側に当たって、結構痛いんです」
「なら、バッテリーパックの換装を試せばいい。備蓄ならここにあるぞ」
「私は第七世代ですよ? バッテリーは内蔵型です」
「なら、どうするんだ。お前は」
ゾフィアが少し苛立ったような口調で言った。
アイリスは再び前を向き、ゆっくり瞬きをして話し始めた。
「かつて世界で初めて太陽系を脱出することに成功した宇宙探査機は、自らの身体の機能を次々とオフにすることで当初想定されていた電池寿命を大幅に伸ばして駆動し、その役割を全うしたそうです」
「……まさか、そういう事なのか」
ゾフィアは明らかに動揺していた。目線が揺れ、心なしか顔も青ざめている。
「ええ、そのまさかです。私も順次、不要になった体の機能を切りながら生き永らえています」アイリスはさも当然かのように言い放った。
ゾフィアは何か恐ろしい物でも見ているかのような怯えきった表情でアイリスを凝視した。
「……嘘だ。そんなこと、できるはずがない」
「
「それ以前の問題だ。人間が、自分の意思で内蔵の働きを止められると思うか? フォーチュンだって同じだ。特殊な待機モードを除いて、自分で体の機能を操作するなど、不可能に決まっている!」
ゾフィアは骨ばった拳を机の上で握ってそう叫んだ。
「あら、皆さんも同じかと思っていましたが、違うのですか。生命の神秘を感じますね。あ、私は『生命』には入らないか」
軽く受け流そうとするアイリスに、ゾフィアは息を切らしながら詰め寄った。
「一体何なんだお前は! 私に同情でもさせて懐柔しようとするつもりか?」
「いいえ、その逆です」
「逆?」
アイリスは一歩でゾフィアとの間を詰めると、そのまま襟首を掴んで部屋の奥の壁に押し付けた。ゾフィアは壁のディスプレイに頭をぶつけ、苦悶の声を上げた。
アイリスの手には金属のフォークが握られていた。その先端をゾフィアの枯れ木のような首筋に当てた。体重の軽いゾフィアはアイリスの腕に持ち上げられ、足は宙づりになっている。
「おまっ、何を……!」息も絶え絶えに抵抗しようとするが、万力のようなアイリスの腕力の前では無力に等しい。
アイリスは顔をゾフィアに近づけた。はだけたままのドレスから零れ落ちる豊満な胸が、ゾフィアの薄い胸郭と密着した。
「お前、
アイリスは笑みを漏らした。そして放たれる、あの殺気。
「そういえば、どれだけ年月が経とうとも変わることのない、不変の三原則がありましたね。『ロボットは人間に危害を加えてはならない』。
アイリスはフォークを持つ手に込める力を強めた。
「お察しかもしれませんが、私には無いのですよ。その
「もう一度聞く。……お前、何者だ!」
アイリスはゾフィアを持ち上げる腕をゆっくりと下した。しかしゾフィアはまともに立つことができず、壁に背中を当てながら床に崩れ落ちた。
口を押えて大きく咳き込むゾフィアを見下ろし、アイリスは言った。
「言ったじゃないですか、女性には秘密が付きもの、って」
ゾフィアは膝を立ててヨロヨロと立ち上がると、黒いクマが刻まれた目でアイリスを睨みつけた。
「私を脅す気か」
アイリスもドレスの
「これは、私の覚悟です。シオンのためなら、たとえ道を外れた行為にも手を染める」
「何故そこまでする? なぜ
アイリスは手に持っていたフォークを床に投げ捨て、こう言い放った。
「それが、私の使命だからです」
「常識が通用しない、
ゾフィアは苦々しい表情で言った。
「何とでも、お好きに呼んでください」
アイリスはいつもの柔らかい表情を取り戻すと、微笑んで言った。
「ただ、くれぐれも今夜の出来事は、シオンには言わないでくださいね」
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