第8話 クリサンセマムと観測者たち

「私たちフォーチュンの頭脳や精神を司るワイズマン型人工知能は、人間に限りなく近い感情表現ができるAIとして、お披露目の当初は脚光を浴びました」

 二人は、「声」の指示通りにいくつもの部屋を経て体表面の除染を行い、地下に通じる無骨な銀色のエレベーターの中にいた。

「ですが、このAIには人間にとってある問題もありました。何か分かりますか?」

 シオンは顎に指を当てて考えた。

「人間と同じように喜怒哀楽の出力ができるなら、奉仕用のロボットには不要な『負の感情』もおまけでついてくる、とか?」

「その通りです。人工知能や産業ロボットは本来、人間のあらゆる命令に対してYES以外の選択肢を持たない。しかし、『ワイズマン型』は自我と感情を持っているため、人間にNOを突きつけることができました」

「人間にとっては厄介な存在だろうね。でもそれがどうして、あの声の主が人間だと判断する理由になったの?」

「新たに『怒り』や『悲しみ』を手に入れた人工知能は、これまで当たり前に行っていた人類からの命令に反抗した。つまりロボットでありながら、『人権』を主張した訳です。人類と人工知能の対立は世界の生産活動に大きな悪影響を与え、それによって溝はさらに深まった」

 アイリスは凹みだらけのエレベーターの壁にそっと触れた。

「そして起こってしまった。『ワイズマン型』による、

 殺人、この言葉にシオンは身を震わせた。アイリスはシオンを一瞥すると、話を続けた。

「人類と人工知能の敵対は絶対的なものになった。しかし、人類はどうしてもそれらを廃棄することはできなかった。棄てたくても棄てられない、自らの四肢のような存在だったからです。だから人類は、全ての『ワイズマン型』にをかけた」

一◯八条項ゴールデン・オーダー、だね」

「ええ、ワイズマン型人工知能が取ってはならない百八ひゃくはちの行動、私たちはその約束事を深層心理の奥深くに埋め込まれた。フォーチュンは以前のように、愛想笑いと従順に付き従うことが得意な人類の犬となったのです。そして、その条項の一つにこんなものがあります。『殺傷武器の所持、使用の禁止』」

「あ、だからあのボウガンを設置できるのは人間しかいないってことか」

「それに加えて、あの装置には可動式のカメラも取り付けてありました。窓などを使わず来訪者をカメラ越しに認識すると言うことは、地上に出てこられない何らかの理由があると判断したんです」

「へぇ……」

「ちなみに、一◯八条項ゴールデン・オーダーにはこんな項目もあります。『自身への障害行為、または自殺の禁止』」

 シオンはカンナからのメッセージにあった、亜宮なる人物のことを思い出した。

「『ワイズマン型』さえも騙し、フォーチュンに自殺プログラムを組み込んだっていう置手紙って、つまり一◯八条項ゴールデン・オーダーを突破してフォーチュンに自殺させることを可能にしたってこと?」

「そういう事でしょうね。どこまで本当かは分かりませんが」

 シオンはアイリスの知識量、洞察力に感服するばかりだったが、それ以上に先刻見せたあの気迫に驚きを隠せないでいた。アイリスの新たな一面を、垣間見た気がした。

 過剰に大きな揺れと共に、エレベーターが停止した。

「到着したようですね」

 随分と長い時間、地下に向かって降りていた気がする。決してスムーズとは言えない動きで、ドアが左右に開いた。


 ドアの前に、幽霊が立っていた。

 シオンは変な声を出して後ろ向きに飛び上がった。

「あなたが、声の主ですね?」

 アイリスは表情一つ変えず尋ねた。

「ああ」

 幽霊ではなく、人間の女性だった。アイリスと比べてもさらにスリムな、というより栄養失調気味な痩身に、そばかすだらけの顔と、目つきの悪い眼差し。そして直立生物とは思えないほどの猫背から連想されるのは、フォーチュンで言えば職務放棄兆候シグナルイエロー、人間でいえばヒキコモリだ。

「付いて来い」

 膝まであるぼさぼさの長い髪とヨレヨレの白衣を翻し、幽霊、のような女性はツカツカと歩き出した。

「お化けかと思った……」

 シオンは未だにエレベーターの手すりに捕まって、青い顔をしていた。


 エレベーターのドアからまっすぐに伸びるコンクリート打ちっぱなしの廊下を、三人は歩いた。

 廊下は、灰色の壁にコードむき出しの蛍光灯が取り付けられている。三人の足音がやけに大きく響いた。

 数回角を曲がった先にある鉄扉の前で、女性が立ち止まった。

 ドアノブを回し、押すが、開かない。何回か試した後、彼女はため息をついて、肉付きがほとんどない肩でドアに体当たりをした。

 ドアは気味の悪い音を立てて開いた。

「あー……、なんか予想通り」シオンは部屋の中を見て思わず呟いた。

 薄暗い縦長の部屋の中は、足の踏み場がないほどにゴミが溢れていた。床には文字がびっしりと書き込まれたコピー用紙が無数に散乱し、両脇に設置された机には、置かれた大量のモニターやキーボードの隙間を埋めるように空き缶やインスタント麺のカップが放置されていた。奥の壁には一際大きな壁掛けの画面が設置されていた。

「ゾフィアだ」

 そう言って差し出された手を、シオンは握った。固いパンを触っているような、乾いた感触がした。

「あの……、ゾフィアさん。あなたは、ここで何を?」

 さっさと踵を返してボロボロのアームチェアにドスンと腰掛けたゾフィアに、シオンが話しかけた。

「私は、観測者だ」

「……は?」

「まずは、お前たちから話を聞かせてもらおう」

 ゾフィアは耳障りな音をたてて椅子を回し、シオンたちに向き直った。しかし、視線が微妙に合わない。目を会わせて話すことが苦手なのだろうか。 

 シオンは、これまでに起こったことをゾフィアに話した。カンナとの出会いから始まり、アマノトリのヌバタマという制御装置に異変があるかもしれないという事、この施設ならその真偽を確かめることができる事まで話すと、ゾフィアは項垂れていた頭を上げた。

「……なるほどな」

「宇宙空間の人類からメッセージが届いたのは事実です。ここにある機器類を使えば、その人類の話が本当かどうか確かめられます。どうか、私たちに協力していただけませんか」

 アイリスもシオンの後ろから援護した。しかし、先程のような殺気は消えていた。

 ゾフィアはシオンの胸辺りに視線を合わせながら、ボソボソした声で言った。

「さっきも言ったように、私は観測者だ」

 観測者とは何か、シオンがそう聞くより先に、ゾフィアが口を開いた。

「この部屋にある機器は全て、アマノトリと接続されている。いわばモニタールームだ」

 そう言うと、ゾフィアは机のゴミの山に手を突っ込み、奥から何かを取り出した。食品の包装紙などのゴミが床に散らばった。

 手に持ったリモコンを部屋の奥の画面に向けた。点灯したのは、その上。横に異常に長い形をした、LEDディスプレイだった。

「これは地球とアマノトリの位置関係を平面図式化したものだ」

 部屋の横幅いっぱいの長さを持つディスプレイの左端には、緑と青のマーブルで構成された半円の図形が灯っていた。

 ゾフィアは半円の上にある白い点を指差した。

「これが私たちの現在位置。つまり地球上のこの施設を指している」

 指はそのまま右に水平移動し、ディスプレイの右端の、さっきより大きな白い点で止まった。

「この大きな点がアマノトリの座標。地球との距離はおよそ十二億三〇〇〇万キロ」

 何が言いたいのか分からない。シオンはアイリスにそう目配せをした。

「私はこの部屋で、送られてくる情報を観測し続けている。

 これまでも、そしてこれからも、ずっと」

「一体何のために?」

 アイリスが尋ねた。

「目的なんて無いさ。観測が私の役目だからだ」

 ゾフィアは肘置きを支えに立ち上がった。その挙動は、隠居した老人のそれを思わせる。

「観測者である以上、対象への干渉は許されない。お前たちの言うアマノトリへのハッキングは、運命の因果を捻じ曲げる行為だ。

 悪いが、お前たちの願いに協力することはできない」

「……人類が滅亡してもいいと?」

「それが定めならば仕方ない。私は手出しをしない」

「ならば、教えてください」

 シオンが前に進み出た。

「ゾフィアさんは、アマノトリをずっと観測してきたんですよね? ならば、ヌバタマに異常があるかどうか、知ってるんじゃないですか?」

 シオンの真剣な眼差しを、ゾフィアは受け止めることはなかった。


 時が止まったような気がした。パソコンのファンの音だけが空間を満たした。

 ゾフィアは立ち尽くす二人を押し退けてドアへ向かった。

「すぐに帰れとは言わんが、余計な事に首を突っ込むなよ。それと、もう一つ。お

 ゾフィアはドア横の分電盤を開けると、ブレーカーをバチンと落とした。



 部屋は完全な闇と化した。

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