第7話 キキョウソウと最愛なる一人
すでに夜十二時を回った頃だろうか。辺りには夜行性の野生動物が目を光らせながら闇夜を闊歩している。
二人は敷地を大きく取り囲む柵を乗り越え、施設の内部に入った。
「あそこです。行きましょう」
アイリスは庭の中央にそびえ立つ二階建ての建物に視線を向けた。周囲に光はないが、建物の正面玄関の両脇にはトーチが吊るされていた。
どうせ法など無いのだから、不法侵入には当たらないだろう。しかし、二人は何となく身をかがめるような姿勢で、荒れ放題の前庭を抜けた。
シオンは前を行くアイリスの背中を眺めた。暗闇でよく見えないが、そのドレスは随分とあちこちが解れたり裂けたりしている。今まで黙って付いて来てくれて、たくさん苦労も掛けただろう。シオンは気持ちが溢れそうになるのを堪えた。
アイリスが急に歩を止めた。シオンは気付かずその背中にぶつかってしまった。
「ストップです。あそこ、見えますか」
アイリスはシオンにしゃがむようにジェスチャーをし、細い指で五十メートルほど先の建物を指さした。
「いや、建物があるけど……」
「その入り口の、ドアの上です」
目を凝らして見ると、トーチに照らされてドアの上に黒い機械のような物があることに気付いた。
「あれ、何?」
「分かりませんが、何か不自然に感じます」
アイリスはそう言って、再び一歩を踏み出した。
その瞬間、黒い機械から何かが発射された。
「アイリス危ない!」
シオンはドレスの腰のリボンを背後から掴むと、アイリスを地面に引き倒した。
空気を切り裂く音が耳のすぐ側で聞こえ、背後の地面にビィィンと音を立てて何かが刺さった。
「……ボウガンの矢じゃないか」
「侵入者へのトラップでしたか」
アイリスは体勢を立て直し、身を低くした。
「玄関先に吊るされたトーチ、あの光に照らされて輝く物に反応し、武器を作動させているのでしょう。例えば、私たちの瞳などです」
アイリスはドレスの袖のボタンを一つ千切ると、玄関に向けて下投げで放った。ボタンが放物線の頂点に達した時、再び風切り音と共にボウガンが射出された。
「これじゃあ近づくだけで餌食ってこと……?」
「ええ、おそらく。ですから」
アイリスはシオンに向かって手を差し出した。その手に握られていたのは、拳より一回り小さい石が三つ。
「シオンの出番です。石投げは得意でしょう?」
「なるほどね、やってみるよ」
シオンは、すぐにアイリスの意図を解した。
距離はおよそ四十メートル、目標は小さなトーチ。今までにない難易度だった。しかも、玄関の方になるべく目線を向けないようにしなければならない。
シオンは石を握り直すと、大ぶりなフォームで、ただ一点の的に向かって、石を投擲した。
石は一点を目指してまっすぐな軌道を描いて飛び、トーチの上部の壁にぶつかった。
トーチを吊るしていたフックの固定が緩み、壁から剥がれ落ちた。そのまま地面に落下し、ガラスが割れる音が静かな敷地に響いた。
野生のオオカミが音に反応して玄関のあたりに彷徨い出て、ボウガンにより一発で撃ち殺された。矢はオオカミの左目を貫通していた。
「トーチはあと一つ。石は二つ。命中率は七十パーセント」そう呟いて、シオンは振りかぶった。
二発目の投擲。わずかに的が外れ、石は玄関扉に当たって大きな音を立てた。
続いて三発目。軌道は完璧。しかし、石はトーチの外側のガラスにひびを入れただけで、その灯を消すことはできなかった。
トーチは大きく揺れ、ひびが入ったガラスから曇ったオレンジ色の光が辺りに撒き散らされた。
肩を落とし落胆するシオンをよそに、アイリスはじっと玄関の方を見つめていた。そして、
「私に考えがあります」
そう言うとシオンの肩に手を置いて立ち上がり、建物へ向かって歩き出した。
「ちょ、アイリス! 危ないって!」
アイリスはシオンの呼び声にも反応せず、堂々とボウガンとの距離を縮めた。
発射装置がアイリスに向いた。距離はおよそ三十メートル。完全に射程圏内だ。
アイリスは歩を止め、両手を横に広げた。まるで、背後のシオンを守るかのように。
「アイリス、止めろ!」
「こっちに来ないで!」
アイリスはいつになく厳しい口調でそう言った。
ボウガンの突端が位置を調整するように細かく動き、微かなモーター音が聞こえた。
しかし、矢は射出されない。
夜の帳に張り詰めた緊張感が流れた。
アイリスはゆっくりと、しかし厳しさを含んだ声で話し始めた。
「あなたが何者かは知りませんが、私たちの事はそこから見えているのでしょう?」
「見えて……、いる? どこから?」
アイリスの言葉の意味が理解できないシオンをよそ目に、アイリスは言葉を続けた。
「私たちはあなたに危害を加えるつもりはない。いいえ、危害を加えられない。あなたもよくご存じでしょう?」
小さくモーター音がした。ボウガンが再び照準を合わせたようだ。
アイリスはゆっくりと横に移動しながら、玄関との距離を縮めた。二十五メートル。
「ですが、後ろの彼を傷つけることは死んでも許しません。たとえ、精神の
数秒の沈黙の後、
『何者だ?』
どこからともなく、音質の悪い声が聞こえた。シオンは姿勢を低くし、辺りを見回して発見した。庭の端のポールに括りつけられたスピーカーからだ。
「私はアイリス、後ろの彼はシオン。第七世代のフォーチュンです」
『目的は?』
「この施設のコンピュータ。移民船アマノトリと通信できる端末があるはず」
『何のために?』
「それを言わないと入れてもらえないと?」
『……』
「私たちは、宇宙へ飛び立った人間を救いたい、その思いでここまでやって来ました。あなたの協力が必要です。理解していただけませんか?」
スピーカーは声を発しない。
アイリスは、最後の一言を放った。
「端的に申し上げます。十二億キロ彼方にいるあなたの同胞は、今滅亡の危機に瀕しています。それを救うためには、同じ人間であるあなたの助けが必要と言うことです。どうか私たちに力を。我々の、
「同じ、人間……」
躊躇うような間が流れた後、玄関のドアがキィと開いた。ボウガンの矢は下を向き、殺意が無いことを示した。
『話だけは聞いてやる。入れ』
「……ありがとうございます」
『先に除染室に入れ。人間に地球の外気は猛毒だ』
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