第15話 軍神は動き出す



リーゼが与えられた部屋に篭りきりであった一週間、タリアスはといえば仕事に全く身が入らず気もそぞろであった。

と、いうのもリーゼのことが気になってしょうがなかったのだ。

リーゼの容態が回復したと知り、渋るリズをそれはもう根負けさせる程に説得して漸く先日、タリアスは久方ぶりにリーゼの顔を見ることができたのだ。

だというのに、結果はあのザマだ。


(……最悪だ)


自己嫌悪にタリアスは呻いた。


リーゼは完全にタリアスに対して心を閉ざしてしまった。


思えば、リーゼがこの屋敷訪れたばかりの頃の方がよっぽど彼女はタリアスと打ち解けていた。最初は野良猫が威嚇するような警戒ぶりではあったが、タリアスが戦における策について意見を求めたり、チェスに興じるようになってからは一番気を許し合えていたように感じていた。

ーーだというのに、


そこまで考えてあの日、意地悪げに此方を見下げた様にみてきた兄、オリバーの言葉と、帰宅して以降のリーゼのどこか落ち込んだ表情が脳裏によぎった。


…ああ、そうか、とそこでタリアスは自分の最大の失態に気づいた。

リーゼが心を閉ざすのは当然だ。

先に彼女を拒絶して勝手に信頼を裏切られた気になってあたのはタリアスの方なのだから。

彼女の本心を確かめもしないで。



戦場でみたあの美しいアメジスト。

アレが欲しくてタリアスはリーゼを求めた。


だが、思い返せばこの屋敷に来てからリーゼがあの瞳の輝きを見せたのはあの最初の邂逅時の一度きりだ。


考えてみれば当然とも言える。

属領になったとはいえ、彼女にとってここは未だに敵地であり、タリアスも屋敷の者たちも元とはいえ敵だったのだ。いや、彼女にとっては今もそうなのだろう。だとしたらいくら打ち解けようとも、完全に心を許すことはできない筈だ。

タリアスはあの瞳が輝いている様を近くで、それこそ手元に置いてみたかった。

タリアスがあのアメジストが輝くのをみたのは敵を見定めた時だけだ。

だけど、そうじゃない。タリアスはもっと他のーーあの瞳が様々な光を帯びて輝く様をみたかったのだ。



信頼されなければいけない。

ーーそして叶うなら、この地における彼女にとって心を許せる存在にならなければ。



その為には、まず自分からリーゼを信頼すべきだ。


『あの娘を奴隷にしたことで本当に自分のものになったと思っているのなら、お前は本当に愚かな奴だな』


気に食わない兄の忠告が再度脳裏に蘇る。


だが今やあの言葉には意味がない。

今のタリアスは戦の褒美として彼女を求めた時とは欲しているものが違うのだ。

この屋敷に訪れたリーゼと交わした少ない言葉や動作からタリアスは彼女の有能さを直ぐにみてとった。

隙のない、騎士としての洗練された動作。タリアスの考えを、意図を直ぐに察することのできる頭脳。そしてチェスの腕には眼を見張るものがあった。


リーゼが欲しい。

それは変わらない。だが、ただ手許に欲しいのではない、そばに置いて自分を支える存在として必要としている。

ただ屋敷で飼い慣らすのにはあまりに惜しい存在だ。

タリアスは今まで他の皇族達が気に入りとして自慢げに有能と名を馳せる部下を連れ歩く様をみてきたが、おそらくリーゼは彼らを超える逸材だ。


そして今、エストテレアが最も欲している全ての情報を彼女は持っている。

アースレイアを属領としたものの、政治の基盤や常識といったものが二カ国間における国の基準が違い過ぎて統合に手こずっているらしい。


現にエストテレアは蜜娘の存在を全く知らないし、国の秘蔵をアースレイアはこの先も明かすことはないだろう。

だが、それでは遅かれ早かれ蜜娘達は地獄を見ることになる。

アースレイアは国の基盤をつくる際に当然として蜜娘達の存在を念頭においてきた。

だが、これから国の舵をとるのはエストテレアだ。そしてエストテレアという国は無駄を嫌う。

蜜娘達の安全の為に作られた様々な基盤はその理由と存在を知らない為に排除されていくだろう。

それは、つまり、今でさえ危険に侵されている蜜娘達を護るための薄い守護が、完全に消えることを意味する。




『…………貴方に、私の気持ちは一生解らない……っ!!!』




リーゼの悲痛な叫びを思い出す。



ーー策を、弄さねばならない。


蜜娘達を、リーゼを守る為に。


そしてその為には彼女の力が必要不可欠だ。



やらなければいけないことは山程ある。




だがまずすべき事は。


視界の端で"あるもの"が視界にはいった。

それを手にとって掲げて眺めながらタリアスは数秒思案した後、ニッと口に笑みを浮かべ、ロイズを呼んだ。



「頼みたいことがある」



他国からは"死神”と呼ばれるエストテレア国の最高の軍神である男が静観することをやめ、重い腰をあげた。タリアスは王位に興味はない。

だから思惑と私怨、策略蠢く厄介な王宮から離れてこの別邸に籠り、関わり合いを避けてきた。


だが、成すべき事、譲れぬ目的が出来た。


真紅の瞳が瞬く。

停滞していた時が、動き出す。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る