第14話 絶望の日
救えなかった大切な人が二人いる。
その何方もが、蜜娘だった。
一人は叔母だ。
母の姉である叔母も蜜娘だった。
私が幼い頃は毎日のように家に来て、働く母の代わりに私の面倒を見に来てくれていた。
私が六歳になった頃の話だ。
ある日、何の連絡もなしに叔母が来ない日があって、心配になって見に行ってみれば、家の近くの路地に人だかりができていた。
人垣の間から叔母の変わり果てた姿が見えた。
お気に入りなのだと身につけていた清潔感のある服は引き裂かれ、丁寧に纏められていた髪は酷く乱れ、泣き腫らした目が見えた。
男性の憲兵が近づこうとすると叔母は酷く怯えた。暫くして女性の憲兵がやってきたことで、叔母は漸くその場から離れることが出来た。
だからアースレイア王国では女性の騎士が必要とされる。
蜜娘を脅威から護るためにはどうしたって女性の軍師や騎士が必要だ。
血脈の濃い王族にこそ、蜜娘は多く生まれるのだから。
許せなかった。この世界では女性だから、蜜娘であるからというだけで、いとも容易く人としての尊厳を踏みにじられる。
その日を境に、叔母は家に来なくなった。
逆に私が徒歩十分もかからないほど近くに住む叔母の元に通うようになった。
いつも寝台に伏せっていた叔母は食も細くなり、日毎に痩せていった。
元気づけようと話しかけても、最初は成立していた会話さえ、途中からは反応もせず、ぼんやりと窓の外を見つめている日が増えた。
そんな叔母を見ていられず、私は益々父との稽古に打ち込むようになった。
一刻も早く兵士に、騎士になりたかった。
傷ついた叔母をみて、そんな人達を護る存在になりたかった。
これ以上同じような悲劇が起こらないように。
蜜娘達の安寧を守れる存在になりたかった。
それでも一週間に一度は叔母の元に通うことにしていた。
そして、私が九歳になった頃。
叔母が死んだ。
服毒自殺だった。
なんの前触れもなかった。
いや、気づかないふりをしていただけだ。
もうずっと、叔母は心を病んでいた。
それ程にあの事件は叔母の心を傷つけていたのだ。
優しい人だった。綺麗な人だった。
あの事件以降、鬱々とした様子で、暖かい笑顔を失って、悲しそうな笑みばかりを浮かべ、次第にぼんやりするばかりになってはいたけれど、それでも優しい人だったのだ。
ぼんやりしている中でも、私の話をいつも聞いていて、たまに薄く笑みを浮かべてくれていた。
それに安心して、彼女の限界がすぐそこまで来ていたことに気づけなかった。
眠ったように死んでいた彼女の目元には深い深い隈があった。
もうずっとまともに寝れていなかったのだろう。
かかりつけの医師はあの事件の日から悪夢に魘されて眠れないと相談されていたのだと、葬儀の時に初めて知って、自分の無力さに死になくなった。
役に立てなかった自分。
すぐ側に居たのに、何にも気付けなかった自分。
悔しくて悔しくて、それからは益々稽古に、修行に明け暮れて、そして十一歳になった時、私は漸くアースレイア王国の兵士として働くことになった。
本来なら働けるのは十二歳からだが、その頃はまだ働いていた優秀な騎士である父の紹介で同年代の中では一足早く一人前と認められたのだ。
私自身の希望もあり、最初に与えられた主な仕事は憲兵として城下の見廻や警備をするものだった。
蜜娘の多いアースレイアはどうしたって治安が悪い。
そんな中、私には一人の友人が出来た。
蜜娘である少女が襲われかけていた所を助けたことが切欠だった。
その時の私より二つ歳上の、セラという少女。
突然蜜娘として開花し、混乱し、襲われかけていた所を保護したのが彼女との出会いだった。
その縁から心配もあり、街の巡回の間、休憩の際には彼女の働く喫茶店に行って様子を見る中で親しくなり、いつしか親友と言える程の仲になった。
セラは明るく元気が取り柄のような子で、喫茶店の看板娘でもあり、ふわふわの金髪を揺らしていつも忙しなく店内を駆け回る様子に癒されていた。
そしてそれが当たり前になった頃、先輩でもある同僚の三つ歳上の男の憲兵、ライトがセラと恋仲になった。
私とよく一緒にセラの勤める喫茶店に通う中でライトは彼女に惹かれたらしく、彼がセラに思いを告げ、同じくライトの事を意識していた彼女がその想いに応えたらしかった。
喜ばしかった。
それからは休憩で喫茶店に行く度に二人は仲睦まじい様子をみせていて、たまの休日に二人で過ごす様子が見受けられた。
セラも私と話す中でライトが如何に優しい人だとか、素敵な人だとか惚気け話に近い事を話して、偶に困ったりもしていたが、蜜娘でありながら幸せそうな彼女の様子が嬉しくてたまらなかった。
数年の間は幸せだった。
城下町の警備の中で蜜娘が危ない目にあることは頻繁にあり、それに奔走する事もあれど、セラのような幸せな蜜娘も居ることに安心していたのだ。
それなのに。
何かが狂いだしていた。
最初は、セラが喫茶店での仕事を休みがちになったこと。
ライトが気鬱な様子で、話を聞くと口を濁しながらも、セラの様子が変だと、最近避けられているような気がすると話しだしたこと。
そして心配になって休日にセラの家を訪ねて違和感の原因を知った。
ある日の仕事の帰り道、何時もより遅くなってしまった日にセラはまた襲われかけていたのだ。
偶然通りかかったライトに助け出されたが、そのショックから男性が怖くなり、助けてくれたのに、ライトに対してさえ恐怖心が拭えなくなってしまったと泣きながら彼女は話した。
ライトが口を濁したのは、セラが襲われた事を簡単に話して良いのか悩んでいたからだろう。
もともと蜜娘に開花した日に襲われたこともあり、セラは男性に対して恐怖心を抱いていた。
だがそんな中でもライトと付き合いだして、頬を染めながら、『彼は本当に名前の通り、私にとっての光なの』と言って幸せそうな様子をみせてくれていて安心していたのに。
心無い男達の浅慮な行為によっ彼女達の幸福はこうも呆気なく脅かされ、壊される。
完全にライトを避けるようになってしまったセラの元に私は仕事の合間を縫っては足繁く通った。
泣きながら震えながら襲われた時の事を話すセラの姿を見た時、死んだ叔母の姿が頭に過ぎった。
もう二度と、大切な人に死んで欲しくないと思った。もう、過ちを繰り返すわけには行かないと。
ほぼ毎日の様に彼女の元に通っては元気づけ、また元の生活を送れるようにサポートした。
数ヶ月の後には彼女も大分明るさを取り戻し、数日後にはまた喫茶店で働き始めることが決まった頃、そろそろ大丈夫かとライトの希望もあり彼を伴って彼女の元へ訪れた。
だが、玄関の扉を開き、私の背後に立っていたライトをみてセラは明らかに怯えた。
顔を真っ青にして身体を震わせていた。
扉をすぐ様閉め、今日は帰って欲しいと震える声で訴えて来た。
ショックだった。
私からセラの様子を聞いていたライトの気落ちも酷くて、兎に角謝ろうと翌日の仕事終わりに彼女の様子を見に行った日の事だ。
今でも、忘れられない。
呼鈴を押しても返事がなく、扉をノックしても反応が無い。
試しにノブを廻すと、不用心にも、扉は空いていた。
事件になってから必ず鍵をかけ、戸締りをしっかりするようになった彼女には有り得ない事だった。
嫌な予感に冷汗を流しながら、扉を開いた先。
宙に浮かぶ、彼女の脚が見えた。
ふわふわと光を纏って揺れていた金色の髪が揺らり、と暗い部屋の中で揺れた。
ーーセラは、首を吊って死んでいた。
なんで、こんな事に。
私のせいだ。快方に向かっていた彼女の様子をみて、もう大丈夫だと勝手に判断してライトを伴って訪れてしまったから。
そうだ、ライトに助け出された後、彼を拒絶する中で彼女は何度も言っていたではないか。
『もう嫌。死んでしまいたい。ライトにも申し訳が立たない』と。
ガクンッと膝から力がぬけて、玄関先で呆然と光を喪った彼女の瞳を見上げる。
ーーああ、また私は、守れなかった。
彼女の明るい笑顔を見ることは、優しい声を聞けることは、もう二度と、ない。
その後の記憶は曖昧だ。
セラの遺書には私への感謝と、ライトを拒絶してしまったことへの自責の言葉が綴られていた。
だが、最後の一文には、『ーーごめんなさい、もう耐えられない』と書かれていた。
奇しくも、叔母の遺書にも書かれていた言葉だった。
目の前が真っ暗になった。
(私は、こんなにも無力だ……)
ライトは、セラの死によって心を病み、退職した。
そうして数ヶ月後、十五歳の誕生日を数日後に控えた日、私は自分も"蜜娘"であることを知ったのだった。
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