第13話 悪夢と発露










その瞬間浮かんだのは暗闇だった。


自分が、蜜娘だと知ったあの日。


私の人生は暗闇の中にしかないものなのだと、そう思った。









夢をみていた。


暗闇に満ちた場所に一人立ちつくす自分。

遠くに今にも消えそうな光が見えて、必死にその光に向かって走るのに、後ろや周りの闇から夥しいほどの手が伸びてきて私の身体に絡みついて行く手を阻もうとする。


苦しい。嫌だ。気持ち悪い。

なんで私達ばかりこんな目に。なんで。

蜜娘であるだけで、どうして多くの不自由を強いられなければいけないのか。

そうであるだけで、この世界はなんて生きにくいのか。

黒い手に身体を引っ張られて足元から底なし沼のような闇に沈みそうになる。

やめろ。嫌だ、離せっ

新たに背後から伸びてきた手をふり払って後ろを振り向いた先。


忘れられたくても忘れられない二人の女性がいた。

大切な、もう会うことの出来ない人達。

二人の姿を認識すると同時、彼女達が最後に見せた顔と声がフラッシュバックのように蘇った。


『もう駄目。耐えられない』


『どうして私ばかりこんな目に』


『生きていくのが苦しい』


『死にたい』


(そんなことを言わないでくれ!私が、きっと変えてみせるから。蜜娘も安心して、幸せに暮らせる世界に、国になるようにしてみせるから、だからーー)


必死に言い募るリーゼに彼女達は優しく微笑みかける。だがその表情は悲しみにくれ、涙はこぼれ続けていた。


そして悲嘆にくれた顔で言うのだ。


『『ごめんね』』



それを最後にまたも暗闇に呑まれそうになった時ーー

ふと、気配を感じた。

覚醒の気配。

眠りに落ちている状態でも、常に気配を感じることが出来るように鍛えられた精神が、身の危険を報せる。


ハッと目を覚ます。

自分に伸びていた腕を反射的に掴み、勢いのままその存在を投げ飛ばすように組み敷いた。

覚醒の瞬間に反射的に手に取った枕元に置いていた短剣を投げ飛ばした相手の首に突き付けーー

そこで、ようやく自分が投げ飛ばした存在の正体に気付く。


「痛ってぇ……」


「……タ、リアス様……?」


ザッと血の気が引いた。

(なんてことだ……っ!!)


「も……っ申し訳ありません……っ!!!」

慌てて距離を置き土下座し、額を床に擦り付けるように叩頭する。

寝起きだったとは言え、仕える主人を投げ飛ばすなど。あってはならない。

ましてや自分は表向きとは言え奴隷の身だ。

殺されても当然の行い。

どんな罰も甘んじて受けなければ。

只管、頭を下げ、浴びせられるであろう叱りを待つリーゼ。

しかし、投げ飛ばされたタリアスはそんな彼女に対して「……いや、いい、頭を上げろ。非は俺にある」と言った。


「……は……?」

何を言われたか解らず、呆然と言われるがままに顔を上げた先にみたタリアスはバツの悪そうな顔をしてリーゼをみていた。


「……容態と様子を見に来たとは言え、寝ている女の寝所に人払いをした上で近づいたんだ。投げ飛ばされて当然とも言える。王族であるというのに、浅慮が過ぎた。……済まない」

謝罪をされただけでも驚きだと言うのに、更に驚くことにタリアスはそのまま頭を下げた。

リーゼは驚愕に目を見開く。

相手は王子だ。

王族が下の身分の者ーー、ましてや奴隷に頭を下げるなど、有り得ない。

あってはならないことだ。


「……そ、んな……、か、顔を上げてくださいっ!!!王族である貴方が頭を下げるべきではありませんっ!!!」


「いや、身分以前の問題だ。俺は男で、お前は女なんだ。リズに渋い顔で一度拒否されて、そこで引き下がるべきだったのに無理を言って退室してもらったんだ。……だが……、まさか投げ飛ばされるとはな」


そこまで言ってタリアスは可笑しそうに苦笑いを零した。


リーゼは身を縮ませ、「本当に……申し訳ありません……」と謝ることしか出来ない。


「いや、そう小さくなるな。むしろ感心した。眠っている中での即座の反応と対応。流石だ。元敵国とは言え、俺の国の兵士でも今の動きには適うものはそう居ないだろう」


(これは……褒められているのだろうか……?)


覚醒したばかりの頭でぼんやりと目の前の男を見詰める。

先程から展開に頭が追いつかない。

気さくな、王子らしくない言葉。

こんなタリアスはいつぶりだろう。

倒れる前に最後に交わした会話は酷く冷たいものだったというのに。

まるで、城に行く前の打ち解けていた頃のような。

そこまで考えて、そういえば、と口を開く。


「あの……何故、人払いをしてまでこの部屋に……?何か、御用でしょうか……?」


「…………お前に聞きたい事がある」



タリアスが居住まいを但し、真剣な目でリーゼを見詰める。



「お前の知る、蜜娘についての全てを話せ」


「……それは、命令でしょうか」


「……そうでなければ、話さないつもりか?」


その言葉に、リーゼは眉を寄せる。

王族であるタリアスの言葉は本人にそのつもりがなくとも、全てに強制と言う名の絶対的な力が付随する。

……だが、


「どこで蜜娘と言う存在を知ったのかも気になりますが……。これはアースレイア王国で最もと言っても過言では無いほどに秘蔵されている事項です。いくら王族ではあるとは言え……簡単に話すことは出来ません」


「だが、そのアースレイア国は今ではこのエストテレアの属国だ。この国の一部になる以上、秘蔵すべき事柄では無い。何時かは報告しなければならない筈だ。……それに何より、お前自身が"そう"だと言うのならば、主人である俺には知るべき義務がある」


その言葉にカッと頭に血が上ったのがわかった。


主人。そうだ、今のリーゼはその言葉通り目の前の男の"物"なのだ。

彼の所有物である以上、特異性があるならばそれを伝えるのは当然であり決定事項だ。だが、


「……タリアス様は、先程自分は男で、私は女だと言っていましたね。……その上で、私にそれを話せと言うのですか」


知らず零れた声はこれまで聞いたこともない程に冷えていた。

その事にタリアスがはっとしたように眼を見開く。

さすがにそこまでは気が回らなかったらしい。

今日のタリアスはらしくない失態を侵してばかりのような気がするが、それは何故なのか。


「す、すまない、だが、君のことは君に聞くべきだと……「蜜娘という言葉を知ってるなら……何より今日になってこの部屋に訪れたことから察するに、もうある程度のことは知っているのでしょう?」」


リーゼが倒れてから一週間が過ぎていた。

月草薬が効いたのか数日前からリーゼの香りは弱まり、今朝になって完全に近い程に香りはなくなった。

このタイミングでタリアスは訪れた。それは、蜜娘の香りがどういうものなかのか知っていることの証明に他ならない。

言い様のない怒りが胸から溢れ出す。

わかっている。彼は悪くない。タリアスなりに配慮しての行動なのだということぐらい。

だけど、その気遣いすら自分のーー騎士である尊厳を踏みにじられているような気になる。これまでだって祖国で騎士として過ごす中、女性であるからという理由で男から馬鹿にされたりやっかみを受けることなど日常茶飯事だった。

その度に実力で黙らせていたリーゼにとって、このタリアスの気遣いは悔しさを感じさせ、惨めにさせるものだ。



「…………貴方に、私の気持ちは一生解らない……っ!!!」


気付くとこれまで溜め込んでいた思いが口から溢れ出ていた。



「蜜娘だというだけで、なんで私達ばかり辛い目にあわなけれぱいけない!?酷い目にあったとして、それは蜜娘なのだから仕方ないと、当然だとされることの理不尽さがお前に解るか!?解らないだろう……!!!当然だ、"私達"にしか、蜜娘自身にしかそれは解らない……っ!!」


「リ、「出ていってくれ……ッ!!」」


タリアスの言葉を遮る。

もう何も聞きたくなかった。

何より今はここにいられたらさらに酷いことを言ってしまいそうなのだ。彼は何も悪くないのに。病み上がりだからなのか、自分を制御出来ない。

騎士としては失格もいいところだ。

情けない姿をこれ以上晒したくはなかった。


「頼む……」



ふと、手が伸ばされた。

王族にしては使い古されたような、それでも上質なものだと一目でわかるハンカチが差し出されていた。


見下ろす絨毯に雫が落ちて、ようやく自分が涙を零していると気付いた。

思わずといったようにそのハンカチを受け取ったリーゼをみて、タリアスは立ち上がると扉へ向かった。


「……また来る」


退室間際にそう言い残して、その扉は閉ざされた。



カーテンも閉ざされたままの暗闇に包まれた部屋の中、扉の閉まる音がやけに響いた。


零れる涙は未だ止まず、暫くの間、リーゼは渡されたハンカチを静かに見下ろしていた。





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