第12話 来賓室にて



「うっうぅ…………」

リーゼの額に新しい冷やしたタオルを乗せ、容態が落ち着いたのを見計らってリズは他のメイドに後を任せてリーゼの部屋を後にした。




「まさか、騎士であるあの子が蜜娘だったとはね……」

所変わってリーゼの部屋から離れた屋敷の端にある来賓室ではタリアスと執事のロイズ、そしてリズの母である屋敷のメイド長のコルテがいた。

コルテが眉間に皺を寄せ、苦々しそうに口にした言葉にタリアスが疑問をぶつける。

「蜜娘?……なんだ、それは」


タリアスの質問にコルテとロイズがなんと返すべきかと顔を顰め頭を悩ませていると、扉がノックされ、入室したリズがリーゼの容態が安定してきたことを告げた。


「ただ、とても苦しそうにしています……。香りも弱まったとはいえ、リーゼ様の室内は、その……」

「言わなくても解るわ。……香りが充満したままの状態なのでしょう?」


コルテの言葉にリズはコクリと頷く。

「……だったら、暫く屋敷の男性陣はあの部屋に近づくべきじゃないわね……」

「!?、何故だ?」

「タリアス様、倒れた時のリーゼ様に近づいたのでしょう?その時の反応でわかりませんか?」

その言葉に、タリアスは先程のリーゼの様子を思い返した。


あの時、タリアスの手を払ったリーゼは完全に怯えていた。タリアスを見るその目には、確実に恐怖という感情が浮かんでいた。

そして何よりも……あの香りだ。

あの香りが全ての異常を引き起こした。


「あの香りはなんなんだ?」


タリアスの理性を奪いかけた、あの魅惑的な香りは。


その言葉に、コルテが観念したように、目を閉じ、口を開いた。


「……その"香り"こそが、蜜娘の抱える問題なのです。蜜娘とはその名の通り、身体から蜜のような甘い香りを発する特異体質をもつ女性の総称です」


「なんだ、それは……そんな話は聞いた事がない」


初めて聞く内容にタリアスが訝しむ。

タリアスは王族だ。様々な分野で徹底的に基礎教養のみならず国最高峰と言われるほどの知識を叩き込まれている。

それにも関わらず、そのタリアスでさえ知らない話など、異様であるとしか言いようがない。


「今でこそ知られていませんが……ひと昔前までは蜜娘はその特異体質から、裏で誘拐や高級な性奴隷として国家間で売買されるような時代があったのです。そういった理由からいつしかその存在自体が秘蔵されるようになった経緯があると言われています」


スラスラとそれでいて淡々と蜜娘について説明するコルテに対し、タリアスが「やけに詳しいな?」と問うと、コルテは悲しみや悔しさ……何れかはわからないが負の感情を瞳の奥に湛えて顔を俯かせると絞り出すような声で答えた。

「……私の母が、その蜜娘でしたので」


その言葉に、タリアスが息を呑んだ。

コルテは貴族の出だ。

それなのに王族付きとはいえ召使えとして働いているのは、正妻とは違う妾の子であるからだと察せられた。

貴族社会においては往々にあることだ。

だが、まさか彼女の母がその蜜娘だったとは。

コルテがタリアスに使える頃には彼女の母は亡くなっていたと聞かされていた。

コルテの苦痛に満ちた顔から彼女の母が決して幸せでない生涯を送ったのであろうことは想像に難くない。


「それは……悪いことを聞いた」

「いいえ、私はそれを決して恥だとは思っていませんから。母は誰よりも優しく、美しい人でした」


先程までの表情を切り替え決然と答えるコルテの姿は流石王族付きの召し抱えをまとめるメイド長といった所だろう。


コルテは一呼吸置いたのち、蜜娘についてさらに詳しく説明した。

真実であるかは定かではないが、蜜娘の香りは男を誘惑する香りだとされていること。

実際、その香りによって蜜娘が男性に無体をされる事件が未だに多く起きていること。

香りは一定の周期によって強さが弱まったり強まったりしているとされていること。


「しかしこれは殆ど憶測であり、母をみていて私が考えたものですから、事実は定かではありません。私の母は……その、他国から賄賂として実家に売られたと伝え聞いており、精神が侵された結果、早くに無くなりました。ですから、私も詳しいことは知らないのです。やはり確実なのは、リーゼ様本人からお話を伺うことが1番かとは思うのですが……」


コルテの重々しい言葉に、部屋は静まり返った。

誰もが難しい顔をして口を開けずにいる。


コルテの母の話も衝撃ではあるが、同じように蜜娘であることでリーゼも様々な不遇な目にあってる可能性がある今、彼女が自分の安全に関わる秘密について簡単に話すとは考えられない。

ましてや、彼女にとってはここは未だに安全とは言い難い敵地だと認識されていると示唆されたばかりであるから尚更だ。


「……とにかく、進言通り、暫くリーゼの部屋の近辺に男は近ずかないように手配しろ。私の執務も当分は一階の別室にて行う。身内に蜜娘がいたのなら、コルテと、リズも引き続きリーゼの世話を頼む。リーゼの容態次第ではその間のメイド長には他のものを任命することにする。そしてリーゼについて少しでも変化があれば直ぐに俺に報告しろ」


「「「ご命令のままに」」」


タリアスの決定にロイズ、コルテ、リズの三人は揃って頭を下げると。次の瞬間には自身の仕事の為に部屋を後にした。



一人部屋に残ったタリアスは最後に見た恐怖に彩られたアメジストを脳裏に浮かべると、小さく溜息を履いたのだった……。


「リーゼ……」


自然と紡がれた名前は、静けさに満ちた部屋の中に消えていった。



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