第10話 異変


「タリアス殿下!!」


バンっとノックされることも無く呼び掛けと同時に開け放たれた扉。

書類を確認していた顔を上げ、予想した通りの人物を確認すると、タリアスはハァア……と深い溜息を吐いた。


「リズ……いい加減にしてくれ。何度も言っているだろう。部屋に入る時はノックして返事を得てからにしろと「そんな事は今どうでも良いのです!」


……いや、よくはないだろう。

目の前の自分より二つ年上の少女は、身分としてはずっと下の召使いだが、彼女の母がこの屋敷のメイド長であり幼い頃から一緒に育った為、もはや兄妹のような間柄である。

故に、公式の場ではしっかりと身分を意識した振る舞いをするものの、身内しかいないこの別邸においての彼女の振る舞いは、口調は丁寧なものの態度は歳の近い弟に接するようなものになっている。


「リーゼ様に何を言ったのです?」


出された名にピクリと顬が引き攣ったのが分かった。


「……何の事だ?」


「ごまかさないで下さい。……泣いていましたよ。城に戻ってから、殿下のリーゼ様に対する態度の変化に皆が戸惑っています。一体何があったのですか」


泣いていたという言葉にこの執務室を出ていった時の彼女の苦しげな表情を思い出す。


『騎士とは、私の生き方そのものです』

この屋敷で最初に顔をあわせた時にみたこちらを射抜くようなアメジストの瞳と、凛とした声で発された言葉を思い出す。

リズの答えるまで部屋を出ないという態度に、おそらく先程の執務室でのやり取りは知られているのだろうと推察した。


「……兄上が、リーゼは危険な存在だと忠告してきた。真意はわからないが、その疑惑を完全に消せない現状で、彼女に帯刀を許可するような仕事は与えられない。大体において、この国では女性に剣を持たせるような仕事はない」


「……それは、この別邸内でもですか?せめて、この敷地限定とかで許可なさっては……。先程の様子では、そのうち精神的にまいってしまいます。今のままでは、あまりにもリーゼさんにとって酷なのでは、「だから、それがダメなんだ。兄さんが疑いを抱いた今、この屋敷も見張られていると考えるべきだ。そんな状況下で、大概的に奴隷としている彼女に帯刀を許可してみろ。一発でリーゼを殺すべきだとアイツらは告発してくるに決まっている」


オレの言葉に、リズが気落ちした様子で唇を噛んだ。俺の言葉を最もだと思ったのか、ギュッと前掛けの裾が皺になるほど手を握りこみ、悔しそうな目を潤ませている。


「……オレだって、リーゼを信じたいんだ」


零れるように漏れた俺の本音に、ハッとしたようにリズが顔をあげ、こちらをみるのを感じたが、目を逸らすようにして意味もなく机の上の書類を見下ろす。

これだから、リズは苦手なんだ。

自分の感情に真っ直ぐで、人を思いやるばかりの彼女を前にするとつられて俺も本音を零してしまう。

王族としては、失格もいいところだろう、


「タリアス様……」


フワッ……


リズがオレに何かをいいかけた時だった。

タリアスはガタンッと思わず席をたった。


「?殿下、どうしました?」


リズが何かを言っているが、タリアスは、彼女の背後の扉から目を離せない。

いや、その扉の向こうから香ってくる……、得もしれぬ馨しい、華のような、甘い香りに意識を持っていかれる。


(なんだ、これは……)


フラリと、無意識に引き寄せられるように脚が扉に向かったことに動揺し、慌ててバッと鼻を掌で覆う。


「リズ、」


オレの常ならない硬い声と不審な行動に眉をひそめ、首を傾げるばかりの幼馴染に「屋敷に香でも焚いたのか」ときくが、彼女は首を振るばかりだ。


「じゃあ、なんだ、これは……」


そう言う間にも、香りは強まる。

その花のような香りを嗅ぐたびに頭にもやがかかり、身体に謎の熱が溜まっていくような心地がする。

原因を突き止めねばと開け放った扉の向こう、廊下の先でリーゼが倒れているのがみえた。

ヒュッと息を呑んだタリアスを他所にリズが「リーゼ様!」と叫びながら駆け寄っていくのがみえた。


馨しい華の香りがリーゼのいる辺りから香ってくる。

空気を隔てていた扉がなくなった途端、タリアスは蹲り、立ち上がる迄に数秒を要してしまう。明らかに異常だ。

直ぐに倒れているリーゼの元に行こうとしたが、これ以上あちらに近っいてはならないと頭の奥で警報が鳴っているのがわかる。

だが、そんなものに構っていられるかと縺れそうな脚を動かす。

近づいていくとリーゼの顔は青く、息も荒い上に額に汗を滲ませ、苦しげな様子をしていた。

リズに抱えられるようにして抱き起こされている彼女をみて、屈んで顔色の悪い額に手を伸ばそうとした時だった。

パシンッと掌が弾かれた。

瞠目した視線の先、怯えたようなアメジストに、俺の驚いた顔が映り込んでいた。



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