第6話 エストテレアの第一王子の思惑
「……一体、何のつもりですか、兄上」
タリアスは目の前のソファで優雅に脚を組み紅茶を口にしている一番上の兄であり、エストテレア王国で現在最も次の玉座に近いとされている男、オリバー・ラ・エストテレア第一王子を睨みつけた。
自分より濃い色の髪色を持つ彼は茶金髪に碧眼と甘い顔立ちをもつ。まさに世の女性が求める理想の王子様を体現したような風貌だ。しかしタリアスはこの一番上の兄の心は顔とは正反対で真っ黒だと知っている。
いつも表面上は顔をにこやかにしているが、本心では何を考えているかわからないこの兄がタリアスは苦手だった。
「そう睨みつけるでない。急に前触れもなく呼び出したことは私も悪いと思っているのだ」
しかしそのまま「だが、国に戻ってから漸く時間が出来たものだからな」と笑顔で続ける、全く悪びれているとは思えない兄の様子にカチンと来る。
七歳年の離れた兄はこうしてことある事に自分をおちょくってくる。全くもって気に入らない、むかつく相手なのである。
「さて……早速だが本題に入らせてもらうぞ。私も忙しいのでな。お前が先日の戦の褒美に貰い受けた娘だがーー、"アレ"はどうしている?」
その言葉にタリアスの眉がピクリと不快気に歪められた。兄のあんまりな物言いについ敬語にする事を忘れ、反論してしまう。
「アレって呼ぶんじゃねぇよ」
「何故だ?元は騎士とはいえ、今は奴隷の娘だ。"アレ"呼ばわりしても何の問題も無いだろう?」
「だとしても、アイツは俺のものだ。オレ以外の奴が……例え第一王子であろうと、アンタにアレと呼ぶ権利はない」
これまで何に対しても執着も興味も見せてこなかった弟の初めて見せる感情的な言葉にオリバーは興味深げな表情をみせる。
そして、面白そうに、笑うのを耐えたような声色で呟いた。
「……"オレのもの"ねぇ……」
「……何が可笑しい」
タリアスは不快感を隠そうともせずにさらに瞳を眇める。
「お前、本当にあの娘が自分の物になったと思っているのか?」
「……どういう意味だ」
タリアスの鋭い眼光ーー並の兵士なら確実に怯え、あまつさえ気絶してしまいそうな視線をものともせずに、それどころかますます愉快そうにオリバーは笑みを深める。
「あの娘を奴隷にしたことで本当に自分のものになったと思っているのなら、お前は本当に愚かな奴だな?タリアス」
そう馬鹿にしたように吐き出された言葉にタリアスが更に反論しようとした時だった。突然兄の周りに冷気が立ち込めた。これは、兄の魔力が醸し出すオーラだ。オリバーは鋭い瞳をタリアスに向け、口を開く事を許さないと言ったように言葉を続けた。
「あの会合であの娘がお前の奴隷になる事を了承していた時、何を見ていたか、お前は覚えているか?」
その言葉と突然急変したオリバーの態度の意味がわからず、タリアスは困惑した。
(何を……?リーゼは俺を見ていたはずだ。兄上は一体何を言っている……?)
「私の言葉の意味がわからないといった顔だな?タリアス」
普段は笑顔ばかり見せる兄の時折みせる冷徹な一面。久しぶりにその冷たさを肌に感じてタリアスは背中に嫌な汗が流れた。
なぜ、兄がリーゼの事でこんな態度になるのかーー。
「あの娘が何故お前の奴隷になる事を了承したのか……その本当の意味に気づけぬようなら、タリアス、お前は直ぐにでもあの娘をアースレイア王国に送り返すべきだ。これは、私からの忠告だ……いいな?」
自分に向けられた兄のこれまで見たことも無いような瞳の冷たさにタリアスはゾッとしたものを感じるが、直ぐに来賓室を後にしようと立ち上がる。
最後に一つの言葉を残して。
「……リーゼのことは、俺が決める。……アンタに命令される筋合いはない」
そう言って立ち去るタリアスの後ろ姿を、オリヴァーはただ、氷のように冷たい瞳で見つめていた。
ーーーーーーーーー
オリバー視点
あのアースレイア王国との会合の日、タリアスが一人の女騎士を戦の褒美に求めた時、今迄何に対しても執着や欲求を見せなかった弟の行動に驚いた。
しかし物珍しいとは思ったが、それだけた。その女騎士には特に興味は無かった。
ーー了承を示した時に見せた彼女の、瞳の奥の炎に気づく迄は。
了承の意を示した時、彼女は弟をこれからの主として視界に収めていた・・・・・・・・。そう、彼女は真に弟を見てはいなかった。弟を視界の端に映しただけで、本当は我々の後ろに掲げられている国旗を見ていたのだ。大空と鷹を象った紋章ーー彼女にとっては真に使えているであろう国、アースレイア王国を示す象徴を。
最初は私も彼女の視線の本質には気づいていなかった。ただ、弟を視界に入れてはいるが、更に後ろを見ているような違和感を感じただけ。
だから、あの大広間を退室する際に後ろを振り向いて初めて彼女の視線の意味に気付き、同時に"危険だ"と思った。
彼女は弟を受け入れたのではなく、ただ、アースレイア王国への忠義を尽くすために奴隷になる事を決めたのだ。
ならば彼女の主は未だにタリアスーーエストテレア帝国ではなくアースレイア王国のままであるということ。
つまり、現在エストテレア帝国は既に属国になったとはいえ、つい先日まで敵国であったアースレイア王国に未だに忠誠心を抱いたままの騎士を自国に招き入れてしまっていることになる。
全く、"忠義の騎士"とは上手く言ったものだ。
恐らく弟に使える事を決意したあの瞬間、彼女は自身の魂をあの国へと捧げ、置いていく事を決意したのだろう。
あの弟がその真実に気付くのはいつなのか。
それを知った時のタリアスの顔が見物だと、笑みを浮べる。
だが、いつエストテレアを裏切るかわからないあの騎士を国内に留めさせるという危険を犯したくはない。
その為、癪ではあるが弟に忠告という名のヒントを与えたのだ。
願わくばタリアスが一刻も早く彼女をアースレイア王国に還すか、または彼女の忠誠心の向く先を変えさせられることを願う。
ふと、先程の今迄になく乱暴な口調で反論してきた弟の顔が頭に過ぎった。
(確かに、形としてお前は彼女を手にいれた。だが俺から見てみれば心を奪われたのはお前に見えるぞ?)
オリバーは紅茶を一口含むと窓の外を見遣り、屋敷に戻る為の馬車に乗るタリアスを冷めた視線で見送った。
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