第8話 変化と視線


タリアスの様子が変だ。


一見いつもと変わらず過ごしているように見えるものの、時折こちらをじっと探るような視線で見てくるのだ。


(大分打ち解けたように思えたのは、気の所為だったのか……?)


少しずつだが、彼と共に過ごす時間の中に楽しみを見出していた身としては少々落胆を感じ、リーゼは思わず溜息をついた。

その様子を傍で一緒に窓拭きをしていたリズにみられ、「どうかしましたか?」と心配げな顔をされてしまった。

何でもないとはぐらかそうとしたものの、何故か少しでも気になることや不安なことがあるなら遠慮せずにちゃんと言って欲しいとやけに言い募られてしまい、仕方なくリーゼは相談する事にした。



「タリアスの事なんだが……、その、最近変じゃないか……?」


「変……と、言いますと?」


「その、王城に呼び出されて戻って来てからなんだが……時々、探るような目で私を見てくるような気がして……それ迄は仲良くなれたような気がしていたから、少し不安で……やはり私は信用出来ないのだろうか……」


不安そうな、悲しそうな(リーゼとしては落胆していただけだが)表情をみて、リゼはあらあら……と言って嬉しそうに微笑んだ。


「な、何で笑う……?」


「だって……」







それって、リーゼ様もタリアス様と仲良くなりたいと思っていらっしゃるってことでしょう?







そう言われて、リーゼは愕然としてしまった。


タリアスは母国の、アースレイア王国の敵とも言える人物だ。アースレイア王国が属国となる理由となった戦争で止めとなった魔法を放った男。


ーーそれなのに、私は、何をしている?



奴隷となる事を覚悟して来たはずの屋敷で思わぬ優しさを受けて、心地よいぬるま湯のような環境に浸り、それどころか敵である男への憎しみを忘れ、良い関係を築こうとしている?


(ありえない……、そんなこと、あってはならない)


今までのリーゼは騎士であり、兵士であった。

主君を守る為、国を守る為に生きるリーゼにとって日常とは常に危険と隣り合わせの生活で、いつだって生命のやり取りが直ぐにでも行えるようにと気を張り詰めて生活していた。

この国に来てからも暫くは敵国にいるのだからと常に気を張り詰めてはいた。

だが周りの使用人やタリアスの思わぬ優しい対応に触れて、拍子抜けすると共に……私自身も、生ぬるくなってしまっていた。


窓を拭く手を思わず止めていると、廊下の右奥からチリっとした視線を感じた。

顔を向けると、予想通り、タリアスが厳しい視線でこちらを見遣っていた。

意識とは裏腹に、肩がビクリと反応する。

その視線から逃れる様にリーゼはまた窓拭きに意識を戻した。

ここ数日で見せるようになった戦場で見た時と同じようなタリアスの視線。

城に行く前の明るく優しい視線とは全く違うもの。

タリアスがなぜ急に態度を変えたのかはわからない。

だが、彼が城に行く前と行った後では、明らかにリーゼにとって状況が悪くなっていることは確かだ。


(これは……私自身も、態度を変えていく必要があるのかもしれない)


窓を拭く手にギュッと力を込める。未だに廊下の向こうから感じる視線を振り切るように、リーゼは意識を思考に沈めていく。

タリアスとと過ごした日々はまだ十日程しかないのに、厳しい視線を向けられる度に心が軋んでいく気がした。






夜。

結局本日はあの廊下以降でタリアスを見かけることはなく、召使いの仕事だけで一日を終えた。

就寝前に、リーゼは今後の身の振り方について考える。

此処に来てからの私はずっと周りに流されている。

奴隷の立場だからと出張る理由にも行かず、慎重に行動する事で受身になっていた。だが現在の状況は国を出る前に予想していたものとは大分違っている。


(受身な姿勢でいるのはダメだ。この国に来てから状況に慣れるので手一杯だったけど、その状況にも変化が起こっている今、私自身も何か行動を起こすべきなのかもしれない)


目を閉じると、国に来てからのタリアスの表情が脳裏を過ぎった。

出会い頭の高慢で我侭な、こちらを見下すような視線。かと思えば、子供のようにチェスに興じていた姿。戦況についての考えを述べていた時の真面目な表情。そして、今朝みた廊下の先での冷たい目。……戦場で見た時の血に濡れた姿。


(どれが本当の彼なのだろう……)


一度は、子供のような彼の一面を見て驚いた。きっとどれも彼の一部分ではあるのだろう。

……あの冷たい瞳も、きっと。だったら、やはりこのままではいられない。

私が彼に身を捧げたのは祖国の為なのだから。

その事を忘れてはいけない。

真の主君はアースレア王国。そしてここは元敵国のエストテレア。今一度、気を引き締めなければ。騎士とは、そういうものなのだから。



ーーどのような立場になろうとも、騎士の心を忘れはしない。



思考に耽るまま、気付けばその日は眠りについていた。


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