第4話

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夏休み初日、彼女は僕に電話を寄越した。

「暇なんだけど」

「それくらいでいちいち電話しないでよ」

「暇なんだもん。あなたしか友達いないし」

「可愛そうな子……」

「やめて、それ」

「で? ちゃんと用はあるんだよね?」

「ないよ」

 おい。僕は、小さく舌打ちした。

「暇だから、十二時過ぎ、あの公園で待ち合わせね」

「勉強でもしてくれよ……」

 僕の言葉など何一つ届いていないようで、すぐにプツッと切れた音が虚空に残る。


「ほら来た」

 約束の場所に三十分ぐらい遅れて行くと、彼女はさも今来たように取り繕った。彼女はスポーツサンダルにワンピースと、ラフな格好で、少し汗を垂らしながら待っていた。

「私もさっき来たところだよ」

 僕のことは全てお見通し、と言いたいみたいだった。ミンミンと夏らしく蝉が鳴く。

「で、何する?」

「決めてないのかよ」

「別に良いじゃん」

「なら家で課題でもする?」

「え」

 途端に彼女が嫌そうな顔をする。

「ほら行こっか」

 なにげに彼女が家に来るのは、初めてじゃなかった。僕達は既にそういう仲にまで達していた。

 いつか、クラスメイトの女子に訊かれたことがある。

「椛ちゃんと澪くんって付き合ってるの?」

 ショートボブにポニーテールが似合う女の子だった。その時、僕は「え」よりも「そうなの?」という顔をしていたに違いない。

 僕は、小学生並に恋愛に疎かったから、常識として知っている「付き合う」という行為に自分が達しているのか、と疑問を持ってしまった。

 彼女の戸惑ったような反応のお陰で、僕は違うことを言ったんだ、とすぐに気づいた。

「椛……あ、いや彼女とは何もないよ」

「そうなんだ」

 彼女は冷めた顔で、いや既に冷めた表情で僕と会話を終え、僕から立ち去った。僕は、その女の子よりも彼女の名を、「椛」と人前で呼んでしまったことに罪悪感を覚えていた。どこまでも自己的だなと思う。

 椛──彼女は、出会って数日にして、名前で呼ばないでくれと僕に言ってきた。なぜ? と僕が訊くと、「人が私の名前を呼ぶのが嫌いなの」と言う。

 その時は、そうなんだとしか思わなかったが、やっぱり変わっているな、と思う。僕達は、変わり者同士だったんだ、というのはショートボブの女の子に気づかされた。

 いつしか僕は、彼女と「付き合う」ことに興味を持っていた。


 その調子で、僕は彼女を軽く家に上げた。いつも何も出来はしないのだけれど。

「今日は荒れてるのね」

 僕の部屋の感想を毎度言ってくれる彼女には、いつも感謝している。最初は、綺麗に片付けていたんだけどね!

「急だったから家に何もないわ」

 僕はキッチンを漁りながら、彼女を見た。

「なんだっていいよ」

 と自分の家のように適当に座る。所在なくおどおどとしていた彼女も、いつの間にかでん! と居座るようになった。慣れという物は怖い。

 自室にお菓子を持って行くと、彼女は真面目に勉強していた。偉いな、僕はぼそっと溢す。

「ほら、お菓子」

 形の悪いカステラと、訳ありの果物を差し出す。

「規格外の食べ物好きなの?」

「いや、そういう訳じゃないんだけど。安いから」

 でも可愛げがあるよね、と付け足す。

「規格外ねえ……」

 その言葉を気に入ったのか、何度か反芻する。

「私たちってさ、人と違うよね」

 僕は、うんとかああだとかで返す。

「生きているのが辛いんだよ」

 夏休みに入ったぐらいから、彼女は徐々に精神を病んでいった。精神を病むというと、もしかしたら彼女に失礼かもしれない。彼女が本心を吐き出してくれるようになった。僕はそれを喜ぶべきだった。

「人と違う、個性のある人になりたかった」

「うん」

「私は、人と違うって言われても、喜べない」

「うん」

「人と違う、人間みたいな別の何かなんだよ」

 徐々に彼女の声は掠れていく。きっと、何か言葉が欲しかった。僕はその時から、今もその言葉に足る言葉を見つけられないでいる。

「きっと、私は不適合なんだ。この世界に」

 僕は、うんと頷いた。ここで否定をすることは、彼女の何の救いにもならないと思った。

「ねえ、」

 彼女はちょっと声を弾ませて、僕に話を持ちかける。

「〈不適合〉探しをしようよ」

「探す?」

「うん、私と同じようにこの世界に〈不適合〉を探すの。それで慰めになれば良い」

 最後の投げやりな物言いに、僕はうんとだけ返す。

「これ食べたら、私帰るね」

「わかった」

 不揃いなカステラを、彼女は丁寧に食べる。愛でるみたいにそれを食べる。それが、彼女とそのカステラの救いとなればいい、僕は心のどこかできっとそう思っていた。

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