第130話 「ハァ、ハァ、ハァ、・・・」

「ハァ、ハァ、ハァ、・・・」


ヴォルカニック皇国の騎士アーガスは、ひたすら走り続けていた。

ウェルシ城を焼きだされた皇国軍が無事本国に逃げのびさせるため、その先頭となって街道を駆けているのだ。


軍司令みずからが指揮する殿しんがり部隊で時間稼ぎをしてくれている間、少しでも前に進んで何とかして本国に辿り着かねばならない。

その途中、どんな状況が待ち受けているかもわからない。だから、ベテランであてにできる騎士アーガスがその露払いもかねて先頭の集団を率いている。


“何としても本国に帰らなくてはならない”、2万にものぼる騎士・兵士たちはそんな思いで、エイドラ山中に切り開いた軍用道路を北へ北へと必死になって走っている。

しかし、


「あっ、ああ~」


と先頭を走る者が悲鳴を挙げて、立ち止まった。


「橋が・・・橋が・・・」


「立ち止まるな!

後ろがつかえる。」


アーガスは前に走り寄って先を見ると・・・あったはずの吊り橋がない。道が深い谷に遮られて、谷底からは渓流の流れる水音が響いていた。


広く整備された街道であったが、深い山中を走っているので当然深い谷も越えてゆかねばならない。そこには立派な吊り橋がかかっていたはずであるが、その吊り橋が見事に切り落とされていたのである。


「止まるな。

橋が無くても構わん!

下に降りて川を渡るんだ。」


そう言い終わると、下に流れる渓流に向かって崖を滑り降りてゆく。馬は流石にその崖を降りれない。馬の背に積んであった荷物の一つを選んで自らの肩に背負い込んで馬を放し、あとは尻を崖に滑らしながらズルズルと河原に降りてゆく。

と・・・、

対岸の斜面に人が現れた。テルミス兵とは少し様相が違う。深緑のマントをまとい、その姿はぼやけている。

何者か?

と・・・一瞬、目をこすりながら眺めてしまったが・・・弓をこちらに向けた。


“不味い!敵だ”、


肩に背負っていた荷物を前に掲げた途端に軽い衝撃が伝わり、まわりには矢が何本か刺さる。


「敵襲!」


と叫んで周囲を見回すと、2人がその矢を受けて呻きながら谷底へと転げ落ちていく。

崖の上では、状況を察知した後続の兵達は山肌を横に広がってゆく。ある者は弓を取り出し、ある者は馬の背から盾と剣をおろし、指揮する者が居なくとも各々が反撃の用意をしていた。


さすが我が精鋭のヴォルカニック軍と褒めたいところだが、状況が悪過ぎる、その余裕はない、


「後続の兵がやって来る。

広がれ!」


騎士アーガスは大声で後ろの兵に指示を与え、自分自身も麻袋の荷を盾にして下に降りてゆく。

音を立てて流れる谷川は浅いものの流れは速くて水も冷たい。おまけに大きな岩がゴロゴロと転がっており、乗り越えるのに難義しそうだ。もたもたと渡っていると、対岸から矢で狙われるに違いない。そのまま、岩の後ろに隠れているより他ない。


5分ほども隠れていると、大勢の兵が同じ様にして降りて来た。

後ろでは後続の兵でひしめき、次々と谷底に降りて来る。


このままでは、ここ(谷底)も兵で溢れかえってしまうだろう・・・いや、なんとしても対岸の敵を追い払って、退却路を確保しないと。


「固まるんじゃない!川の両側に広がるんだ。

敵のいない場所まで広がれ。」


この指示が聞こえたらしく、谷川の上下流の方に兵たちは広がってゆく。

その間にも少なからぬ兵士が矢に撃たれて倒れていった。

アーガスは、倒れた兵士を岩陰に隠した後も、この場を指揮しなくてはならないのでそのまま岩陰に留まって様子を見ている。

味方側の崖の上からも矢が撃たれ始めた。後続の兵が次々とやって来るのだ、その数は時間が経つにつれ急速に増えてゆき、谷のこちら側は既に味方の兵が群がっている。

やがて下流の方で兵士たちが谷川を渡り始めた。そちらの方では敵の弓兵はいないようだ。待ち構えていた敵兵の数は思ったよりも少ないのだろう。

そうすると、敵兵はいつの間にかいなくなってしまった。


「敵がいなくなった。

川を渡るぞ!」


そう声をあげて、流木を岩に渡し簡易の丸木橋を作る。

そして傷ついた兵の手当てをしてやり、


「休んでおけ、王国とて負傷兵をどうこうすることは無かろうさ。」


と声を掛けてやる。ヴォルカニックでは治癒魔法を使える者は少ないのだ。


「いえ、ここで待ち受けて、後ろから追ってくる王国軍に一泡食わせてやるつもりです。」


と、健気な返事をするが、


「そこまでせんでいい。」


とだけ言い残して、彼も先へと進んでゆく。

アーガスの役目は少しでも先へ進むことだ。後始末は後続の兵達に任せて川を渡ることにした。

対岸の崖に取り付き、土を掻き掴みながら崖を登ってゆく。

そしてようやく崖を上り詰め、また走ろうか・・・いや、疲れ果ててしまって、もう走れない・・・少し休もう。

崖の上で地面に大の字になってねていると、同じように登ってきた兵達が集まってくる。

その内の一人がアーガスの方を見て、


「まだ、走り始めたばかりのに・・・行けるのでしょうか200㎞も。」


そんな弱音を吐くので、


「200㎞も走らんでいい、もう少し行くとリリース族の領土に入る。連中は皇国との友誼が永い。だから、そこまで行ったら迎えてくれるはずだ。送ってくれる。

もう少しだ、頑張るんだ!」


そう励ましてやる。

リリース族とは、山賊の討伐などこれまで協力してやってきた。また、皇国の後ろ盾があったから、ギルメッツやフィンメール族のようにウェルシの侵略にさらされる事も無かった。

皇国はリリース族とはうまくやってきたのである。この友誼があったからこの街道整備もできたし、テルミス王国への攻撃もできたのだ・・・もっとも、これは失敗したが・・・しかし・・・リリース族は皇国の味方のはずだ。何とか彼らの領域に辿り着いたら、後は何とかなるはずだ!

そんな希望的観測で自らを励まし、そして兵達も励ましてやる。


しばらく休んでいると、結構な数の兵士が集まってきた。


「さあ、先に進もうか。」


声を掛けて立ち上がる。

残念ながら先程までの様に走ることはできない。馬を手放したので、各々肩に荷物を背負っているから。その麻袋には、食い物や毛布やら行軍に最低限必要なものがが入っていて、手放すわけにいかないのだ。まだ200㎞のほとんどが残っている。

こんなことなら最初からリュックに背負ってきた方がよかったと思うのだが、それも後のまつり。まさかこんなことになるとは想像もしていなかったのだから。


気は逸るもののみんなでぞろぞろと歩き始めた。

脱落した者が多かったのか、先程のように後ろから続々と走ってくる様子は無い。

いや・・・後ろは後ろで、負傷者の手当てや仮橋の架設に忙しいのに違いない・・・きっと、そうに違いない。俺たち先発隊の役目はとにかく前に進むことなのだ。


暫く進むと、崖沿いの道が崩してあった。周りの見晴らしはいい。

“厭な、感じだ。” そんな予感がして、


「また、敵が狙っているやもしれん。」


まわりに警告し、向こうの森に向け麻袋の荷物をかざして崩れた道をそろそろと進んでゆく。

案じた通り、向こうの林のかげからまた矢が飛んできた。


「ちっ、何処に隠れていやがる。」


敵兵の姿が見えないのだ、よほど森に手練れた兵に違いない。そう言えばウェルシの敗残兵が訴えていた、「敵のイヤリル戦士団は精鋭ぞろいだ」と。

さて・・・どうしたものかと、考え込んでしまう。


「森の中を進撃します」


兵を集めた一隊が、森の中に入ってゆくと言う。

相手は森の民のエルフなのだ。彼らを相手に森の中で戦うのは少し不安だが、他に手当てもないので、黙って肯く。


その不安はすぐに顕かとなった。木々の間に入った途端、何処からともなく矢が飛んできて、兵達はバタバタと倒れていった。


「くそっ、退却だ」


ただ、敵も容赦なくと言う訳でもなさそうで、倒れた者を引き摺って退却する分には攻撃は無い。


「クッ、情けをかける余裕まであるというのか。

おいっ、気を付けろ敵は手練れだ。」


そうこうしていると、後ろから兵達がぼちぼちと追いついて来てきて、盾や鎧を持つ者も10名ばかりが集まった。


この人数を前に押し立てて、森の中を進んでゆく。入るとすぐに矢が飛んできた、しかし数本も盾にはじいてその陰に隠れながら前進してゆくと、もう矢を撃ってこなくなる。


「こちらがあくまでも前進する気なのを確かめたら、さっさと引きあげるのか。

慎重な事だ。

いや、無理に今攻めたてる必要もないということか

まだまだ先が残ってるから・・・。」


暫く森の中を進んで崩された崖道を過ぎ、ようやく街道の続きに辿り着く。

先を臨むと、今度は両側を森に挟まれた道でそれなりに曲がりくねっていて見通しも利かない。

また厭な感じがしてきた。


両側の森から待ち伏せするのに絶好の場所ではないか・・・

それに、もう午後のいい時間だ。このまま夜に入ってしまったら、寝ているうちに襲われてひとたまりもあるまい。

後続の兵が集まるのを見越して野営の用意をしておこう。


騎士アーガスは、そう判断した。


道の端が崖面になっている所があった。そこを背にして、軍幕を張り・・・ちゃんとした軍幕などはないが、麻袋やら毛布やらで囲いを作って、その中で小さな焚火を焚いて湧水の入った鍋を掛け、塩豚やらそこら辺に生えていた山菜やらを放り込んでスープを焚く。水臭いスープであるが、それでも暖かいそれを口にすれば乾パン・ビスケット、そんな飽き飽きするような携帯食も少しはマシに食えるに違いない。そして辺りに転がっている倒木や岩を集めて囲いを作る。


「なんだか、小さな砦みたいですね。」


と、兵がカラ元気をだしてからかうが、


「あ~、そのぐらいはせんと夜襲が来るぞ。

今も、まわりの森の中から俺たちを見張っているはずだ。

後続の連中も使うことになるから、手間が無駄になることは無いさ。」


こうしていると、後ろからボツボツと兵達がやって来た。しかし、大分と減ってしまった。一体どうなっているのか・・・。

ひとりの兵が後ろの様子を教えてくれた。


「自分も直接見たわけではないのですが・・・王国軍の追撃が激しく、そして前にすすもうにも進めずに、後ろの方では大勢が降伏しているようです。

自分達もこうしてやって来るまでに、あちらこちらから矢が飛んできて、仲間がずいぶんと減りました。」


「お前の仲間・・・死んだのか?」


「いえ、一応の手当はして置いてきましたが・・・それに手間取り、こうして遅くなってしまった。」


「それでいい、こちらも同じだった。大変だったろう。」


「しかし・・・本国に帰れるでしょうか。いっそ、降伏した方が・・・。」


「降伏・・・それも、いい。

敵さんのやり方を見ると、何が何でもこちらを殺そうという気はないようだ。だから、お前さんも、傷を負ったら無理せずに降伏するといいさ。

俺はとにかく前に進む。たとえ十分な兵を連れて帰れなくとも、この情報は持ち帰らないといけないからな。

負けた、壊滅した、という知らせをな。」


こうして一晩の仮眠を取ると、朝日が昇って一日がまた始まる。昇った日を恨めしく思いながらも、道を走り始めなくてはいけない。

アーガスは負傷して動けなくなった兵の具足を貰って、これを身に着けて走る事にした。もちろん完全な装備とは言い難い。胴鎧は着ているが下半身はズボンひとつと些か格好が悪いが、「なに、この方が走りやすい。」と、気にもしていない。同行する20人ほどの連中も同じだ。

荷物を背負っている10人を半端な具足を付けた10人が取り囲むようにして、小走りで先を進む。

小1時間もそのようにしてやってきたが、やはり矢が飛んできた。

また、仲間が何人か倒れてゆく。

その時、左側の樹々の陰から声が聞こえてきた。


「倒れた奴は、そのまま伏せていろ。

負傷者はこちらで回収する。

まだ、頑張る奴はさっさと先に進め。先で相手してやる。」


と・・・どこかで聞いたことのある声だ。

それにしても、『先で相手してやる』とは・・・ひどい言い草だ。

まるで、喧嘩の口上じゃあないか。

あいつら・・・戦争している自覚があるのか、吞気な奴らだ。

イヤリル戦士団というのは精鋭らしいが・・・山と森の連中は皆ああなのか。

ウェルシはこっ酷くやられたという話だが。 

まあそれでも、負傷者をちゃんと引きうけてくれるのはあり難い。仰る通りにさせてもらおう。


と、もう暫く走るとまた矢が飛んできた。


ヒュッ


気が付くと左太腿に矢が刺さっている。それを見ると痛みが走り、足がもつれた。


「チィー、先に行け!」


よろめく足を抑えながら、背負っていた剣を抜く。道沿いの木陰から20人ほどのエルフの戦士が現れた。アーガスは爬行しながらも剣を振りかざして、突っ込んでゆく。仲間達を少しでも先に逃がさないといけない、そのための時間を稼ぐために。

しかし片足が利かないので、思うように剣も振るえない。彼の稼げた時間はほんの1~2 分ほどしかなかった。

周囲を囲まれ、剣を弾き飛ばされた。そして後頭部に衝撃を受けて、そのまま意識を手放す・・・。


・・・


眼を覚ますとそこは森の中であった。下草はきれいに刈られていて、木洩れ日のさす広場に彼は転がっていた。100人ほどの人間が集められ拘束されている。半分はアーガスと同様、戦闘の捕虜らしい。みんな大小の傷を負っており、そして手当の包帯が巻いてあるが、手足は括られて身動きが取れず、地面に転がされている。2~30人ほどの普人族の女子供もいた。両手は革手錠で括られているが、緩くて不自由のない程度である。


「おい、気が付いたか?」


誰かと思って声のする方を見ると、リリース族の戦士長であった。辺境の山賊狩りで顔なじみのヤツだ。


「ここいらはまだ、フィンメール族の森のはずなのに・・・、

なぜ、リリース族のお前らがいる?」


騎士団ではそう説明されていた。フィンメール族とギルメッツ族は皇国をウェルシとひっくるめてみなしているので敵対するかもしれないが、他の山の民・森の民は関係のないはずだ。


「エイドラ山地の森の民・山の民は、すべてあんたらの敵だよ。」


「なぜ?」


「イヤリル大神社の族長会議でそう決定したからだよ。悪党ウェルシとその徒党の奴輩やつばらをテルミス王国と共に撃つべしとね。」


「俺たちはウェルシの徒党なのか・・・」


「そうだよ、ウェルシというのはもともとはヴォルカニックから出た"はぐれ者"なんだろう、そして此度も後ろ盾になっていたじゃないか。」


"それは違う"、と言いたかった。

しかし、それは言い訳でしかない。本質的にはその通りだ。ウェルシの元をたどるとヴォルカニック皇国のはぐれ者達なのだ。ヴォルカニックがウェルシを産んだのだ。

だから口を閉ざさる得なかった。

そして、ただ空を見上げる。

皇国の命運はここで尽きた・・・兵力を壊滅させ、ヘルザの全てが敵となった・・・。


「心配するな。ウェルシとヴォルカニックの違いはちゃんとわきまえている。

俺たちリリース族がここに居るのは、お前さん方を保護するためだ。

イヤリル戦士団や義勇軍に任せておいたら容赦ないからな。

あんたがたが走っているのをひやひやしながら見守っていたんだぜ。

だから、お前さんをどうこうするつもりはないさ。

まっ、テルミスに引き渡しはするがナッ。

頼むから、おとなしくしていてくれよ。」


そう言って、縄の戒めを解き、緩い皮手錠にし返えてくれた。


「それは結構な事だが、あいつらは?」


アーガスらヴォルカニック軍の捕虜とは様子の違う連中がいる。

嗜虐的な含み笑いを浮かべたドワーフやエルフ達が、地面に転がっている彼らの足を括り、森の木の方に引き摺ってゆく。


「あいつらは、ウェルシだ。

近くにあったウェルシの籠っていた砦を落とした。その捕虜だ。

連中には・・・フィンメールとギルメッツの恨みは深い。」


やがて、ウェルシの捕虜たちは次々と森の木に逆さ吊りにされてゆく。

そして・・・、


「ギャー、やめろ、・・・」

「助けてくれ。やめてくれー」


悲鳴が森の中に響きわたる。

フィンメールとギルメッツのエルフ・ドワーフ達はその声を聴きながらも、黙々と作業を進めている。

衣服をまず切り裂き、そして、腹の皮をよこに切り裂く、そのまま、胴の生皮を上下に剥ぎ取る・・・、そして腹の肉も横に大きく切り裂き、中から腸(はらわた)を引き摺り出して切り刻む・・・。

たちまちにして、辺りは腸の生臭い匂いと呻き声に包まれた。


「俺の弟も、お前らにこうして嬲り殺された・・・今度はお前らの番だ。

このまま、はらわたを虫や鳥や獣に喰われて、腐り果てて死ぬがいい。」


忌まわしい作業をしていたドワーフがそう言い捨てて、


「さてと・・・次は女子供だ・・・。」


そう言って、残った女や子供らの方を見る。


「俺の妹も甥も母も叔母も、順番に殺されていった。

泣いて命乞いしていたのに・・・、

俺の家族もみんななぶり殺しにされていった。

お前らも同じだ。お前らが助かる理由わけはない。

わかるか?

お前らも同じなんだよ・・・。」


そう言って、大鉈を片手にひとかたまりになって怯えている女子供の方に近づいてゆく・・・。


"マズい、こいつは血迷ってやがる。"

騎士アーガスは一瞬にそう悟り、


「やめないか、女子供が何をしたんだ!」


「何をした?

何もしてないさ・・・

俺の家族が皆殺しにされたときも・・・何もしなかった・・・

ただ後ろからニヤニヤしながら見物してやがった。

そして、その後・・・俺の家族が皆殺しにされた後、その後釜に・・・俺達の土地を畑を奪って住みつきやがったんだ。

のうのうと住み着きやがったんだ。

罪がないというのか・・・

弱くて何もできなかったから罪がないと言うのか・・・。」


「その目を見てみろ、その怯え切った目を。

お前の家族も同じ目をしていたはずだ。そいつらは、その時のお前の家族だ。

今度はお前がそれをやって見せるというのか!」


「そっ・・・そんな・・・」


ドワーフの顔はひきつり、足元を後ずさりさせる。そして、持っていた鉈を落とし、そのまま崩れ落ちて、地面に這いつくばり、大声あげて泣きだしてしまう。


「・・・コーシェ、バルツ、エムト、これでいいのか、殺さなくていいのか・・・、ガムシェ、エーデル、クンスト、仇を討たなくていいのか・・・、みんなの流した血は、これで贖われたのか・・・お前達はもう安らかに昇天できるのか・・・。」


リリースの戦士長はドワーフの鉈を拾って向こうに放り投げる。

それを見て、そちらはそれで良しと覚えたアーガスは、


「すまんが俺の剣を返してくれ。ちょっとすることがある。」


戦士長は

「・・・なにを?」


アーガスは、逆さ吊りのなぶり殺しにあって呻き声を上げているウェルシの捕虜の方に顎を振り向け、


「あれを放っておくわけにもいかんだろう。」


そう聞くと、リリース族の戦士長は、"わかった"と首を縦に振り、アーガスの大剣を返してくれた。

アーガスは革手錠のままその大剣を取り、ウェルシの捕虜たちの方に行く。

"酷いありさまだ、これではもう助からん。"

そう思って呻いている捕虜の顔をみると、顔にはおどろおどろしい刺青が掘り込まれていた。


「これが戦闘奴隷か・・・話には聞いていたが・・・。」と、思わずつぶやく。


ジッと顔を見つめているアーガスに捕虜は気が付いたらしく、息も絶え絶えに訴える。


「なりたくて・・・なったわけじゃない・・・戦闘奴隷なんかに。」


アーガスは、その訴えを聞いた後、刺青の刻まれた頬を撫でてやり、


「もう助からん、お前は終わりだ。楽にしてやる。」


そう言って、立ち上がると大剣を振りかざして、逆さ吊りになった戦闘奴隷の首にめがけて刃を振り下ろす。

"ブンッ"と空気が鳴り、首が地面に転がった。

そして他の戦闘奴隷たちも、次々とやった。


"さて、次はどうなる事やら・・・"

連中の血迷った怒りが今度は自分の方に降りかかるかもしれない、そんな心配はあった。ただ自分はすべきことをしたまでで、何も後悔はないが・・・正直、どうなるかはわからない。為る様になれと、やけっぱちな気持ちで様子を見ている。


暫くすると、顔を白粉に朱い隈取りという不気味な化粧をしたエルフの老女がやってきた。足を急がせてきたらしく息を切らしている。取り巻き連もいて、その態度を見ると、かなりのお偉いさんらしい。誰かが知らせたらしく、急いでやってきたようだ。

そして辺りを見回すと、ここで何が起こったのかすぐに悟ったようで、戦闘奴隷達の死骸の方に行き、魔法の呪文を唱えだす。


「軍監の大巫女様、そんな奴輩らに、聖天させてやる事はないでしょう!」


泣いていたドワーフとエルフたちは訴える。


「愚かな・・・、

このように惨殺した死体を放っておけばアンデッドともなろう・・・。

さすれば、この森、この山は穢されよう。

それで良いわけがあるまい。」


それを聞くと、またドワーフとエルフたちはまた泣き始める。今度は互いに肩を抱き合って・・・。

地面に這いつくばり号泣しているドワーフ達の前に、大巫女はしゃがみこんで嚙み締める様にゆっくりと語りかける。


ぬしらは勝ったのだ。

この地を、森を、取り返したのだ。

この勝利の祝い日を穢してはならぬ。」

と・・・。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


さて、ヴォルカニック本国である。

ごくわずかの騎士だけがヴォルカニックに辿り着き、この有様を報告した。

ほとんどは森の中にて殲滅してしまった。いや、すべてが死んだわけではない。その多くが捕虜となって束縛されているのである。

もちろんヴォルカニック皇国宮城内は大騒ぎとなる。皇国のほとんどの戦力、つまりあてにできる騎士・従士は全てウェルシ城に置いていた。つまり、皇国本国の兵力は払底していたのである。もう・・・近衛の2千ほどしか残っていない。

戦争にならない・・・。

仕方ないので、貴族家・騎士家に新たな出仕を要請したが・・・

世話人役の長老たちは、


「もはや、家々におるのは老人子供に女だけじゃ。

一体、なんたること。

そもそも、このような戦を勝手におっぱじめたのは何事ぞ。」


と言い出すありさま。

いつもは知恵の回る宰相であったが、想像を絶する惨敗を喫してしまった今となっては、いい知恵も浮かばない。


「休戦の使者を出すべきであろう。」


と長老たちは気楽に言うが、今ほどヴォルカニック皇国を滅ぼす好機はないのである。王国が休戦に応じるとは、どう考えてもありえない。

宰相は、“一体どんな交換条件があるというのだ!”と、叫んでみたくもあるが、そもそもその責任は自分にあるのでそれもできない。

ただ青くなって呆然とするより他ないのだ。


で、従兄である皇帝グスタフの方をのぞいてみる。

彼はいつもの様にゆったりと玉座に腰かけ、鋼のような微笑を崩さない。

うろたえて姦しい争論をしている人々を目の前にして、しかし彼の頭の中では別の事を考えていた。少し前のことを・・・リュンガー老師のしようとしていたことを。


そう、この時のためのものであった。神の敵テルミス王国と戦うために、ということで皇国の農奴たちを動員しようとしていた。もしその通りにすると、果たしてどうなるのか・・・何十万もの農民兵を集めて王国を糾弾し、この戦争を新たな段階に進めたら。

そうしたら・・・もう、この戦争の行方を制御できなくなるだろう。

そして・・・いったん農民兵として出征した者は、また従順な農奴に返るであろうか?あるいは、貴族・騎士たちはこの農民兵という階層を皇国の新たな勢力として認めることができるであろうか?

そうなると・・・たとえ王国との戦争を終わらせたとしても、皇国は今のままではありえないであろう、階層間の新たな闘争に入ってゆくに違いない、血みどろの。

いや・・・それがというものなのか。

そんな改革を経て新たな時代に向かうというのか・・・それならば、もう終わらせたほうが良い。

人々の血の海の中を進んでゆくとは・・・そんなものを見るくらいならば、もう終わったほうがいい。

ならば・・・このことを口に出すまい。この話を聞いたら宰相は飛びつくはずだ。そして無理にでも進めるはずだ。かれは有能なのだ、目先の事を扱わせたら。

だから・・・気が付かないように、彼がこのことに気が付く前にこの戦争を終わらせてしまおう・・・。


そう考えていたのである。

そして、わずかに首をかしげながら、


「さて、次はいかに戦おうか。」


などと言いはじめた。同席するものはついその話に引き込まれ、休戦の話はいつのまにか立ち消えになってしまう。生粋の騎士が集まるこの宮廷には、できもしない休戦交渉の話なんかしたい者は誰一人としていないのだ。次の戦いの話の方が耳に優しい。

そして、


「目覚ましい一勝なくしては、敵も交渉に応じるまい。私にしても、ただただ慈悲を請い願うのは厭であるからな。」

と。

そして、

「この情勢で城に籠っても、いたずらに国土を荒らすだけだ・・・。

いっそのこと総員でもって騎兵突撃の奇襲をかけてはどうであろうか。

上手くいけば、敵の総大将の首を獲れる。交渉はその次と言う事で。」

と、そこまで話を進めてしまった。


生まれついての騎士である彼らにすれば、『総員で突撃』という言葉はとろける様に甘い言葉だ。その成否はさておいて・・・肯いてしまう。


とはいうものの、テルミス軍はまだエイドラ山地の中にいる。ヴォルカニックの国土に姿を現すまでにはまだしばらく時間がかかるだろう。

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