第113話 手紙

いまや、エリーセはと呼ばれている。

「どこが!」と言いたいところだが、モルツ侯爵の義子になった今では彼女はエリーセ・モルツなのだからモルツ侯爵家のお嬢様には違いない。侯爵家配下の隠密兼政商たちからすると、エリーセは以外の何者でもない。また、神人などの根っからの隠密達から見ても以外の何者でもない。

そして彼女はに起居している。

イエナー陛下が約束通りエリーセのために館を用意してくれたので、その中の一室で起居しているのだ。館と言っても、商売不振でつぶれた酒場兼宿屋を小綺麗に改装しただけであるが・・・。まあ、「時局がいているためであり、決してケチっているわけではない」・・・との事であるが。

こんな『お嬢様』になっても少しも嬉しくはないわけであるが、それなりにメリットもある。

おかげで、この元酒場の『お嬢様の舘』には使用人も何人か付いた。モルツ侯爵配下で魔石買取商のマイルスさんが手配した人たちで・・・当然隠密だろう・・・ちょっと目つきが悪い。執事セバスチャンなんてのとは別人種だ。

そしてなんとガードマンらしきのも居る。コイツらは飛び切り人相が悪い。スミル神社の神人頭じにんがしらモルフォッチさんから派遣されていたという。

少し伏し目がちにニィッと唇を歪めながら、

かしらから、のお役に立つように言われて来やした。ヤベェ事はご自分の手を汚さずに、こっちにお任せくださいやし。」

名前を聞いてみると、

「あっしらには名前なんて有って無いようなもんでやす、どうとなとお呼びくだせい。」

・・・と。

「・・・じゃあ、ヤスさんと呼ばせてもらうわ。」

「へい」

と・・・。

なんて元からやるつもりはない、こんな人材を使いこなすにはなりたくない・・・

で、

「そっ、そうね・・・とりあえず・・・冒険者たちに交じって迷宮の中をうろついてみて。ここはそう言う所だから。」

と返事すると、

「そうさせて頂きやす」とウンウンとうなずいている。以後、冒険者達にまじって迷宮に潜り、小遣い稼ぎに励んでいるようだ。


それで、彼女の館の部屋にはこう言った使と、他にも『仲間達』が勝手に棲みついている。

ランディとその仲間とか、ランディとその仲間とか、ランディとその仲間とがだ・・・図々しいたらありゃしないのだが・・・。

いや、ランディ自身はゴムラで忙しいとかでこっちにはほとんど来ない、自分専用の一部屋を占拠しているが・・・。たまにやって来て、館にたむろしている連中を「おお、これからは俺の仲間だ!」と、そう言ってゴムラへ連れて帰る。そして、また別の連中が入ってくる・・・どうやら、マイルスさんやらヤスさんやらがその辺の手引きをしている様だ。ドワーフやエルフ達はエリーセが引っ張ってきたりするけど・・・。

おかげでバルディでは、腕の立つ冒険者は随分と減ってしまった・・・。


こんな連中ばかりに取り巻かれていたら、はバルディの裏のボスになってしまいそうだ。


幸いにして、そうでない人達もいる。バルディの名士と言ったら、修道院の神聖騎士達と言うことになるが、この人たちの数が増えてきた。そして館を集会所として使ったりしている。修道院は手狭であり、別館は城外で離れているので不便なのだ。

増えたのはおもに元サムエル公国の元騎士達である。公国はテルミス王国に併合されてしまった。が、王国に仕えるのはイヤだ、そんな連中が修道院入りしてきたのだ。まあ、騎士には頑固な奴が結構いるものだ。

なかにはちょっと見覚えのある顔もいた。

東城守城の際に、夜襲で城内に突入してきたヤツだ。さすがに腕は立つらしい。が、あの時は城内の守兵に寄ってたかって切り裂かれてしまい、瀕死の処をエリーセの『神降ろし』で命を永らえた。それで敵味方の恩讐を越えて、神聖騎士団でエリーセ神命達成のために人生を捧げたいと・・・それを聞いたコーニエル修道院長はえらく感じ入って入団させてしまった。

ちょっと怖かったが、騎士の業界とはそういうモラルで動いているらしい、と納得するより他ない。


と言う訳で、エリーセの周囲は一気ににぎやかとなる。そして前より大勢で迷宮の中を探索して、日々を過ごしている。


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【未来予知】という魔法。この魔法を覚えたての頃はさほどの役に立つとも思えなかった。だって、”確定した未来は明確にわかる、確定していない未来は確実性に応じて明確さを伴う”。要するに、普通にのとなんら変わりない。わざわざ、魔法を使う意味がないと思えたから。

でも、この魔法を熟達するにつれ、そうではないことがわかってくる。或るでき事の未来を正確にのには、その事項についてよく知っていて十分な情報がなければならない。たくさんの情報を積み上げて未来を予想するのだから。しかし、そういった予備知識が全く無くても的確に未来を予想することができる、それが【未来予知】と言う魔法なのである。

なのでこの頃では、この【未来予知】という魔法をできるだけ使いこんで上達する様にしている。就眠時にこの魔法で明日を占うのが習慣になっていて、今では夢の中で未来のでき事を見る事が時々あるぐらいだ。


少し寝坊してしまったその日の朝もそうだった。

目覚めの時分の夢現ゆめうつつの定かでもない、そんな時、テーブルの上に一通の手紙が置いてあるのを見た・・・これは夢だろう。

差出人は修道士ゲルべとなっている。フィオレンツィ師と神学論争上のである修道士だ。


『拝啓、エリーセ殿。さほどの知己でもないのに、いきなりの手紙を送らせていただき、少し驚いておられるかもしれません。しかしフィオレンツィ兄弟について、彼の愛弟子であるあなたに知らせなくてはならないと思われましたので、この手紙をしたためた次第です。

フィオレンツィ兄弟は、教皇庁に召喚されて出立し、1ケ月が経ちました。

噂では・・・、名前が出ますと差しさわりがあるので出せませんが、あなたのよくご存じの方で、教皇庁の内部事情に精通している方からのです。

フィオレンツィ兄弟は、教皇庁にて異端裁判にかけられているとのことです。彼は信仰保護官として奴隷解放諮問会に熱心に勤めておりましたが、それに関して謀略にはめられた・・・フィオレンツィ兄弟を異端者として刑殺しようとしている。そのようにされております。

謀略の背景は、わたくしには想像もつきません。しかし、このことをあなたに一刻も早くお知らせせねばならないと思い、この手紙を送った次第です。早々。』


ここで、一気に夢の中から目が覚め、胸が高鳴った。手紙の日付は今日である。これだけ鮮明に【未来予知】したという事は、ゲルべ修道士が、たった今この手紙を投函したのであろう。


”行かなくては!”


直ちに起きて、身支度を整え外に飛び出す。そして船着き場に向かうが、ここで船は午後3時までないのだと気が付く。そして、午後からは神聖騎士団との会合がある事も。向きを翻して修道院に向かう。そして院長執務室に駆け込み、


「急な用事ができたので、暫く旅に出ます。申し訳ありませんが、当面の予定のキャンセルをお願いしたいのですが。」


コーニエル修道院長は驚いて


「どうなさったのです、いきなり。よかったら、事情をお話していただけませんか?」


ここで返事に詰まってしまう。まだ届いていない手紙を見せるわけにもいかないから。しかし、何も言わないわけにもいかない。いや、もしかしたら修道院長も何か別の情報を持っているかもしれない。


「フィオレンツィ師に大事があった様なのです。なぜ、その様な事を言うのか?そう聞かれても、うまく答えられんません。そんな夢を見たから・・・そう言うよりほかありません。」


修道院長は驚いて私の顔をまじまじと見ている。


「あなたの事です、大神様からお告げがあったのかもしれません。そのお言葉を信じましょう。なにもない事を祈ってはいますが・・・。

しかし、お待ちなさい。一人で行くのではなく、神聖騎士を連れて行きなさい。こういう時は供がいるとあてになるものです。」


そう言って、バルマンとエミリーを呼びだし、私と共に王都中央修道院に向かうように指示をだしてくれた。


午後になって連絡船に飛び乗り、王都へ向けて出発する。

船足はいつもと変わらぬとのことだが気ばかりがあせる。


「ホラホラ、落ち着いて。着いたら急ぎの旅だ、今のうちに休んでおきな。」


エミリーにそう言われて、無理に目をつぶって壁にもたれているが、なかなか寝付けるものではない。

翌朝、メンクスの港に着き、駅馬車に飛び乗って中央修道院へ急いだ。

王都に到着するとまず中央修道院に駆け込んでゲルべ修道士を尋ねる。

会うと、まずギョッとした顔で私を見つめ、


「なッ、何と・・・もう来た・・・、」


昨日手紙を投函したのだから、まだ、手紙はバルディに着いていないはずだ。


「あっ、いや・・・よりによってちょうどいい時に来られました。

一大事です、フィオレンツィ殿が・・・。」


そこまで言って周囲を見回し、


「詳しい話はここでは・・・いえ・・・少しだけ時間をください。」


「じゃあ、図書館の礼拝室におります。」


「ああ、あそこなら・・・。後でそちらに行きますから。」


そう言って一旦別れ、図書館の礼拝室に向かう。


図書館で読書をしているときも神に祈りたくなったらここを利用しなさい、と礼拝室を作ってあるのだが、修道院には他にも礼拝する場所は多々あるので、わざわざ図書館で祈ろうという人は流石にいない。人気も無くたいした家具もないただの小さな部屋であるが、静かでだれも話しかけてこないので、この待ち合わせにはちょうどいい。

部屋の中には小さな聖なるシンボルが一つ飾ってあるだけで、その前で膝をついて祈りをささげる。2人の神聖騎士も付き合ってくれている。

祈る・・・誰に対してか?

一癖も二癖もあるあの爺神にである。

あのうさん臭い爺神は一体何を企んでいるのか?他の神さんを知っていたら、そちらを祈るのだが、残念ながらこの世界では、あの神さんしかいない・・・。

半時間ほどもしたであろうか、ゲルべ修道士が戻ってきた。


「マルロー大司教にあなたが来られたことを伝えましたら、会いたいとのことです。さあ行きましょう。」


やはりはマルロー大司教であったようだ。


マルロー大司教の執務室に飛び込むと、大司教も待ち遠しかったようで、部屋の中でイライラと歩き回っていた。


「よく来ました!エリーセさん急ぐのです。フィオレンツィ殿が教皇庁に呼ばれ、異端裁判にかけられています。例の奴隷解放諮問委員会の件で謀略を掛けられたのに違いありません。教皇庁内で手を尽くしているのですが、テルミス側には全く情報が流れてきません。ヴォルカニック教会と教皇との間で、何か話があったに違いない!。

しかし、いいですか、気を付けてください。決して早まった事はせぬように。裏にはとんでもない大事があるに違いないですから。」


そう言うと、バルマンとエミリーは任してくれとうなずいている。そして、騎士団への手紙を渡して、


「これは緊急で騎士団の駅を使わせてくれるようにとの要望書です。」


この要望書を持って騎士団詰め所に向かい、早馬と駅利用の切符を手に入れて、王都を出発する。

私とバルマンとエミリー、3騎の馬は速足でカツカツと道を進む。途中の駅に着くと馬を乗り換え携帯食と水を貰い、そのまま進む。宿に泊まっている時間が惜しい。進めるだけ進み、夜は道端に野宿だ。少しでも早く進みたい。

一泊して、この前に東城に馬車を駆けさせた街道にたどり着く。前もここを通った時は、気持ちがいていた。懐かしいという気は全く起らないが、そんなことが思い出される。

次の宿泊はその東城である。この城も今は戦略的な意味を失い、ただの駅となって大勢の旅人が宿泊している。野宿も続くとキツイので空いた部屋に泊まり、翌早朝に出発。

次の日の午後には旧サムエル王国の首都の騎士団駐屯地に到着。教皇庁の情報を貰うために今日はここに泊まることにする。

駐屯地の中は寂しくガランとしていた。騎士や兵達が居ない。

そして、駐屯地の騎士団団長から呼び出された。


「とんでもないことになってしまった!教皇庁が門前にフィオレンツィ殿の異端裁判と磔刑を公表すると、ここの騎士達が憤慨して、まとめて出払ってしまったんだ。」


「止めなかったのですか!」

思わずバルマンが叫ぶ。


「止めたよ。しかし連中は、『教皇の謀反だ!』そう叫んで、勝手に行ってしまった。完全武装しているし、あの様子では教皇庁を制圧しかねん!」


確かにと言う言葉が出てくることは理解できる。既に王国の勢力下になっているのだ。なによりも、この件は先の奴隷解放諮問委員会の事で教皇庁とは既に決着がついているはずだ。それが、いきなり掌を返して異端裁判するとはどう言う事か。王国の騎士達から見たらこれは明らかに裏切りであり、謀反である。彼らが憤るのは当然の事だ。


「・・・・・・」


バルマンはさすがに唸ってしまう。バルマンはいわば王国騎士のOBなのだ。

彼の後輩たちの暴動とも言える行動を何とか収拾しないと・・・そう考えていても当然である。


「エリーセ、エミリー、ここからは武装してゆくぞ。」


そう言って、騎士団から士官用の甲冑を借りて身に着け、その上からバルディ神聖騎士団の大きな紋章入りのサーコートを羽織る。こうして神聖騎士の軍装に整えて現地に急行した。


教皇国は旧サムエル公国の首都からすぐ傍にあり、その国境からは教皇庁までは1時間ほどである。いうなれば、首都の郊外に出てしばらくすると教皇庁の門前町があるといったところだ。

到着したときはすでに日暮れとなっていた。

この街は信仰の中心地に相応しく街並みは夕陽に映えて美しい。本来ならば、ここは瀟洒で美しい広場であり、聖職者や信徒たちで平和に賑わっているはずの場所である。

しかし今は、教皇庁の門前は騒然としている。500以上の完全武装の騎士が物々しく占拠していて、街頭を歩く人々もおらず、家の門や窓を固く締めきり、家の中でひっそりと息をひそめている。

その軍勢のただなかに3騎の神聖騎士として割り込んでゆく。


「名乗られたい!」


軍勢の中から誰かが大声で声を掛ける。


「われらは、バルディ神聖騎士団、バルマンとエミリー、そしてテルミス王国の守護たる使徒エリーセである。」


バルマンは馬上から大声で名乗り上げる。

周囲から低いどよめきがあがった。私の名前『使徒エリーセ』は、先の戦いでテルミス軍内に広く広まっていたし、バルディ神聖騎士団と言うのは、彼ら騎士にとっていわば先輩や師匠となる者が多く居て、その名前は当然よく知られているからである。


「この軍勢の指揮者はいずこか!」


続いてバルマンは声をあげて尋ねるが、集まっている騎士達は互いに顔を見合わせるばかりだ。どうやら決まった指揮者は居ないようだ。


「ここにいるのは、志を同じくする者ばかりである。命令者などはおらぬ」


近くにいた者が、そう言う。

その返事を聞いたバルマンは、馬から飛び降りて、その者の胸倉をいきなりつかみかかり、拳で思いっきり殴り飛ばす。


「烏合の衆ではないか、それでは!

野盗や暴徒とどう違うのだ!」


そう怒鳴りつけて、周囲を見回す。

この時、横にいるエミリーが私の耳の傍に口を寄せて、小声で、

「振り向くな、黙ったまま、まっすぐ前を見ておけ、動じる気配を見せるな。」と


そう言われて、教皇庁の門をジッと睨み続けている。

周囲の騎士達は、バルマンの喝に少し怯んでいる。その様子を確かめるとバルマンはまた乗馬して、小声で、

「門の方に進むぞ。」


そうして3騎で騎乗のまま、控える軍勢を割って、門前へと進んでゆく。

門の直前で馬から降りて、


「開門!開門!、我らはバルディ神聖騎士団の者、修道士フィオレンツィの異端裁判の件で来た者である!開門されたい!」


そうバルマンが大声で叫ぶが、ピクリとも門は動かない。

暫く我慢してジッとしていたが、この門の向こうの教皇庁に師が囚われているのだと思うと、居てもたってもいられなくなり、


「開けろ!この門を。開けろ!フィオレンツィ師に会わせろ!」


と、気が付くと自分で叫んでしまっている。そして、思いっきり門を叩きながら、


「開けろ!開けないと、こんな門などは叩き割ってやるぞ!」


そう怒鳴ってしまった。

すると後ろから、ガチャガチャと完全武装した騎士の鎧や剣の音が鳴りだした。

と言う物騒な一声に、500の騎士達が一斉に反応しだしたのである。

いっその事、本当にこの門を叩き割り、教皇庁を制圧してしまおうか。そんな考えを頭の中に浮かべていると、両側にいるバルマンとエミリーはひきつった表情で私の顔を見つめていた・・・ので、


「私は、何が起ころうと覚悟を決めたうえで、ここに居る!」


低い声でそう答えてやる。

その声が聞こえたのであろうか、門の向うでは、がたがたと人が走る音がして、


「待て、今少し待て、全てを叩き壊す決断をするのは今少し待て。」


と、低い声であるが、ここで初めて返事が返ってきた。

暫く待つと、門がギイッと少しだけ開き、


「神聖騎士団の者のみ入られよ。」


そう言う声が聞こえる。そして、門の隙間から中に入ろうとすると、今度は後ろの騎士達から声が挙がる。


「君らのみが中に入るのか!我らはどうするのか!」と。


そこで振り返り、佇む騎士達に向かって、


「これよりフィオレンツィ師に会う。諸君らは、今しばらく待たれたい。」


そう言うと、ため息が広がり、前列では座り込む者も少なからずいた。

こうして中に入ると、門はバタンと音を立てて再び閉められ、大きな閂がガタンとかけられる。

そして、


「こちらだ、」


と言う声に導かれて、既に暗くなった前庭の中を進んでゆく。

夕陽もだいぶんと低くなっており、教皇庁の建物はすでに影に包まれて黒々としていた。

その漆黒の伏魔殿の中に入ってゆくと階段があり、少し降りた所に地下牢が並んでいた。灯りが点々と灯されているが、中の様子は暗くてよくわからない。しんとしており、囚人は誰もいないのではないか。

そのまま奥に進むと、灯りが灯されていて少し明るくなった一角が見えてくる。そして、そこにはフィオレンツィ師が一人で机の前に座って誓書を読んでいた。


「師よ、」


そっと声を掛けると、こちらを向いていつもの微笑を見せてくれる。


「これはうれしい。会いに来てくれたのですね。」


周囲を見ると、思ったよりも清潔な場所で、ベッドも整い、待遇はけっして悪くはないようだ。

牢のカギを開けさせ、中に入る。


「師よ、なぜこのような事になったのです?」


そう尋ねると、穏やかに、


「この世界では果たして何が起こるのか・・・わからないものです。」


と、他人ごとの様に・・・答えた。


「なぜこのようなバカげた冤罪を被せられたのか。これは謀略以外のなにものでもありません。

外では、テルミス王国の騎士達が待っています。師の身柄を取り返すために何百もの騎士が待ち構えています。

出ましょう、こんな謀略に付き合う事はない。」


そう訴えると、師は小さなため息をつき、


「あなたは、ご存知ですか?ヴォルカニック教会が教皇庁に、どのように言ってきたかを。」


「いえ?」


「教会の縁切りを言ってきたそうです。私を異端裁判にかけて、奴隷解放諮問委員会の出す勧告を教皇庁が拒否しなければ、それは教会の腐敗でありヴォルカニック教会はもう共に道を歩むつもりはないと。」


「そっ、それは、謀略です。教会と王国を離反させるための謀略です。」


「そうでしょう。あそこは教会と皇室の繋がりはとても強く、一蓮托生の関係ですから。

ですが教会の分裂が、結果としてどういう事を意味するのか考えてみましたか?

それぞれの国の教会がそれなりの発展を遂げ、その結果、教会が分裂することとなっても、それはなるべくしてなったこと。ですから、そのことを厭う理由はありません。

しかし今、テルミス王国とヴォルカニック皇国は戦争の最中にある。こんな時に教会が分裂することの意味を考えてみましたか?この戦争がどういう事になるのか、そのことを想像してみましたか?

理由はわからないがヴォルカニック皇国は、この戦争に信仰を持ち込み、宗教戦争にしようとしている・・・。

エリーセさんあなたが転生者であることは、既に知っております。信仰で敵味方を分かちた戦争がどういうものか、あなたのいた世界ではどのようなものであったのでしょうか?」


「戦争が王・貴族・騎士達の間だけで戦われるのではなく、世界に住む全ての人々に憎悪・殺意をまき散らします。その結果、全ての人、農夫も母親も赤子も全てが殺戮の対象となる、そんな残酷な戦争が戦われます。それが宗教戦争と言われるものでした。」


「ここヘルザの世界では、その宗教戦争が大規模に行われたという歴史はありません。しかし、小規模ながらの戦争はいくつもありました。いずれも信仰が深く絡んでいました・・・。

この度のような大きな戦争に信仰を持ち込んでしまって、大規模な宗教戦争が起きてしまう。私は何よりも、そのことに恐怖を覚えています。」


「しっ、しかし、師にどのような落ち度があるというのです、なぜ師がその罪を負わねばならないのです。なぜ、師が死ななければならないのです。」


「戦いの中で死にゆく兵士は、落ち度があるからですか、罪を負ったからですか。

いえ、それ以上の人々が・・・何の関係もない人々までとばっちりを受けて死んでゆく、それが戦争なのです。

この戦争で死にゆく人々が、不幸になる人々が、できるだけ少なくあってほしい。それが、教会の中で生きてきた聖職者の端くれとして持っている唯一の願いなのですよ。」


「・・・しかし・・・しかし、そんな理不尽な理由で、わたしは、わたしは、師と別れないといけない、別れなくてはいけないのですか。」


「この世界の理不尽・・・これまで、どれほど、そのことについて悩んできたことか・・・。」


「師よ、師よ、私はまだ教えていただいていません。まだ、あなたから神学を教えていただいていません。」


「世界の理不尽を目の当たりにして悩み悶え、神に問うても問うても、なんの返事ももらえずに沈黙のうちに捨て置かれて、その苦吟を綴ったもの、それが神学なのだ。

だからエリーセ、神学とは教えてもらうものではないのだ。あなたが必要と感じてそれを求めた時、それがあなたの神学なのだ。」


・・・、

・・・。

その時背後から声がした。いつものように爺神が現れたのである。


「世界の理不尽?その理不尽とは『生きていること』そのものだ。『生きる』とは、殺し、奪い、そして喰らう事なのだ。『生きていること』そのものが理不尽なのだ。」


フィオレンツィ師は急に現れたこの人物を不審に思うよりも、議論する事を選択した。


「生きていることが理不尽であると!ではどうしろと!魔物ばかりを喰っておけとでも。」


「なにを言うとる。魔物も魂を持っておるわい。即席で未熟な魂と言えど魂には違いない。そもそも、お前ら教会の祖であるネンジャ・プももとはと言えば、魔物じゃったんじゃ!」


ええっ!


「ネンジャという言葉はと言う意味じゃ。つまりネンジャ・プとは真の名・プーと言う事で、プーと言うのは、迷宮の中に産まれた一匹のゴブリンの名前じゃ。を持った魔物プーは、生死の輪廻を繰り返しても生前の記憶・能力は失わずに継承して積み上げていく。そのようにして、一匹の魔物から魂を錬成したのじゃ。人を救う救世主を造るためにナッ。

魔物の一生は短く激しい。殺し、殺され。それを迷宮の中で数限りなく繰り返し、知恵を積み上げ、やがてプーはの恐怖を知り、魔物の生涯に絶望を知り、迷宮から抜け出て人として生まれかわった。そして人として愛の中で生きることを知った。

じゃが、しかしながらじゃな、当時の古代王国は行き詰まりとなっていて、迷宮の中と同じように絶望が蔓延していることも思い知らされた。じゃから仲間を集めて新たな希望の世界;ヘルザを求めてヌカイ河を渡り、今のこの地に人の世界をあらためて開拓したのだ。

古代王国は極めて高度な魔法文明を持っていたが、倫理性においてとんでもなく非道に落ちてしまい行き詰まっておった。古代遺跡から発掘された知識から、お前もその片鱗を知っておるであろう。どうしようもないどん詰まりに詰まってしまい、滅ぼしてしまうより他なかったのじゃ。しかし、普人族を途絶えさせることはしたくなかった。だから、ネンジャ・プの魂を錬成し、普人族の生き残りを託したのじゃ。」


「なぜ、古代王国はそれほどの文明を有しながら、行き詰まってしまったのです?人は発展するといずれ行き詰まるという事なのですか?」


「人とは何か。

それは自らが人でありたいと望み、そして人とは何かと悩み、その結果・・・のだ。


古代王国の建国者である聖王アドモは、わし自身を分けて作り上げた天使じゃ。彼を普人族に王として与え、人に叡智と魔法の力を与えた。古代文明はわしが与えたものだといえる。そう、ただ事が間違いであった。

文明を与えられた人は、人とは何であるかという疑問を持つこともなく、ただ文明の力を膨らませて王国を発展させていった。

その結果が、アレじゃ。同胞であるべき同じ人間を、家畜と同じ様に使い捨て、人とは何かと言う根源的な問題を見ようともせずに、ただただ力だけを求めた。

しかしそれは、わしが生きるものに課した、即ち、殺し合い・奪い合い・喰らい合うという事を、文明の中で再現しただけでもあった。


互いに殺し合い、喰らい合う、残酷な運命じゃ。しかし、それはワシが世界の中の命あるもの全てに与えた普遍的な運命なのだ。

人は、自分達だけはそこから離れて在ることを願うあまり、その中に放り込まれることをと言いおる。身勝手な思い込みではある。

しかし、身勝手なその思い込みがあってこそ、人は愛を知り、助け合い、真っ当な倫理を持った人の国を作ることができる。そうしてを作り上げた。それ故、そのが必要なのじゃ。

しかし、その思い込みがそもそも身勝手なものであるから、矛盾をきたして、この問題に悩むこととなる。『人とは何か』という問題をナッ。


そう、人は『人とは何か』という問いからは逃れられぬ。人が人であり続けるためには、その事を自ら考え続けるより他ない。わしの見地は、全なる者・永遠なる者が天から見下ろしたそれであり、矮小な個にしてほんの一時いっときときしか持たないお前達の目線ではあり得ぬ。

わしの与えた運命;殺し合い・喰らい合いの輪廻を理不尽に思うかもしれんが、わしから見るとそれはという世界の必然でしかない。

しかし、お前達人はそのを受け入れることはできんじゃろう。

とは言っても、お前たちは世界の理不尽から逃れられないのだから、それから目をそらすことなく考え続けるより他ないんじゃ。それを行わずに、いくら高度な文明・王国を作っても、倫理的に行き詰まって根本から腐り果てるだけじゃ。


500年前にネンジャ・プが苦悩を抱えてそれを行った。

そして近年では、お前がそれを行った。お前は世の中に恵まれぬ人々がいるという理不尽を知り、なぜかと問いかけ、どうすればよいかと道を探し続けた。

おまえの問うたこと、おまえの語ったこと、おまえの行ったことは、おまえを知る人々に受け継げられていくじゃろう。ネンジャ・プと同様にな。このようにしてこれからも人の世界が続いていくじゃろう・・・。」


フィオレンツィ師はこれに反論することもなく、もう感極まってしまったようで、ただ爺神の前に跪いて涙を流している。彼にとっての生涯の問題が神よって返事を与えられ、そして自分の人生が神から認められて聖ネンジャ・プと同列に扱われたのだから。

爺神は師の涙にぬれた頬にむけてその痩せた手をゆっくりと伸ばして・・・慈悲深い光景をみせる・・・


が、そいつは・・・爺神のくせに・・・らしくない演出だ!


そして、私は別の疑問ももった。


「しかし、それなら聖ネンジャ・プ様は今もいるというわけですね。生まれ変わって。」


「エリーセ!お前は、どうして話の腰を折るんじゃ。

盛り上がってきたところなのに!

まあええ、答えてやろう。今もおる。しかし生まれ変わってはおらん。この世界を守るために、生霊のままに世界を守る役目を果たし続けておる。何処で何をしているのかは言えぬ。それはエリーセ、お前の神命に関わる事じゃから。知ってしまっては、アイツの監視に見つかってしまうから。今の所、生きている者には言えん。


・・・そこから先の話はと言う事じゃ。」


最後の一言で、盛り上がりは決定的に叩き壊されたのであった。

残念な爺神である。


「さて、フィオレンツィ。また、あとで会おう。迎えに来てやるから・・・。」


そう言うと、爺神はサッサと消えてしまった。


もはやフィオレンツィ師は、何かを語ることもなく、ただ祈っている。

私には、その静寂を乱すことはもうできなかった。師の背後からその祈るさまを眺め、真似をして祈ってみたり、ただ沈黙のままに同じ場所で過ごしていただけだった。


こうして一睡もすることもなく夜を過ごし、残酷にも時間は流れてゆく。

やがて牢屋の小さな窓から朝日が差してきた。否応なくその時がやってきたのだ。

フィオレンツィ師は顔を拭き、また祈りの中に入る。

暫くして獄吏がやってきた。

檻の格子戸のカギをガチャガチャと開けて師を外に出し、そして手枷を掛けようとする。

思わず、手枷を持った獄吏の腕を払いのけ、


「その必要はないだろう、」


そう凄んでしまう。

その時の私はよほどの表情をしていたのであろう、獄吏はギョッとした顔で私を見つめている。

剣の柄にあてていた私の右手に、横から師の掌が出てきてそっと重なった。振り向くと、師は無言のままに顔を振っている。

取り乱した自分を落ち着かせ、もう一度師の顔を見みてると微笑んでくれた。

「規定の事なので、」と獄吏は言い訳しながら、改めて師に手枷を嵌めた。


こうして中庭に出ると衛兵や僧官たちが集まっており、その群衆のどよめきの中に磔刑の十字架は立てられていて、そこに師は引かれてゆく。私は途中で阻まれ、離れた所からその後ろ姿を眺めるしかない。

その姿は、生贄のために祭壇の前に引かれているヤギを見ている様だ。

生贄とは神が求めた故のものではない、人が目論見と狂乱を満足させるためにつるし上げているだけだ。

やがて十字架にフィオレンツィ師は括り付けられ、その上衣がむしり取られる。痩身で肋骨の浮き出た上半身を晒して、どよめく群衆の注目を浴びながら、師も十字架の上から群衆の方をジッと見つめている。

両脇に兵士がやってきた、手には鋭い穂先のついた槍を持って。そして両側から、その光るやいばを師の脇腹に当てて身構える。師は固く歯をかみしめ、前方をジッと凝視している。

そして、死刑執行の検視官の腕がゆっくりと上がる。

その手が落ちた瞬間、兵士は刃先を師の脇腹から心臓に向けて一気に突き入れ・・・師の顔はこわばり震える・・・、

その瞬間、雲間から陽光が師に当たり照らし出す、そして師の表情が緩み、がっくりと首を落とした。


私は見た!、その瞬間、陽光の中を大きな手が伸びてきて師をつつみ、そのまま魂を天上に連れて行ったのを!。


・・・こうして、フィオレンツィ師は逝ってしまった・・・。


そのことに気が付いた時、全身が脱力して膝が砕けそうになる。

いや、構うものか、このまま地面に臥せてしまって、なんの不都合があろうか。


そう思って意識を手放そうとした時、誰かが両脇から腕を差し入れて私を抱え上げる。そして頬を叩き、目の前に顔を突き出した。

神聖騎士エミリーだ。


「しっかりするんだ、倒れている時ではないだろう。外では500からの騎士が攻撃の用意をして、お前を待っているんだぞ。責務を果たせ!」


こうして、もう一人の神聖騎士バルマンと2人で両脇から抱えられて、教皇庁の大門に向けて引きずっていかれる。門の手前で、もう一度頬を叩かれる。これに気付けられて、自分の足で立ち直す。

と、大門が少しだけ開けられ、その隙間から外に出る。すると、外には大盾を立てかけて正立する騎士がズラリと並んでいた。そして門から出てきた私をジッと見つめている。後ろには、カタパルトや門破のための大槌まで用意されていた。


「たった今、師フィオレンツィは天上に旅立っていった。」


その時、誰かが大声で叫ぶ。


「我らの敵は、裏切りし教皇か!」


・・・・・・


「ヴォルカニックの陰謀により師は殺されたのだ。ヴォルカニックは民草の信仰を質に取って教会を脅迫した。教皇はこれに恐れをなし、師を刑殺したのだ。」


「敵はヴォルカニックだけなのか。教皇は敵ではないのか!」


「教皇は・・・この腑抜けめ!」


後ろに振り向いて、教皇庁に向けて一声だけ大声でののしる。

そして、


「全て終わった。貴卿らの協力に感謝する。我らは正義のためにのみ剣を振る。さあ、戻ろう。」


そう言って居並ぶ騎士達の中に入っていく。

そして一団の後ろまできて、馬の鞍を掴んでよじ登ろうとした時、全てを終えたと気が緩み、そのまま意識を手放してしまった・・・。

・・・、

・・・、

次に目が覚めた時は、ゴトゴトと進む小さな荷車の中だった。荷台に厚く敷かれた藁の上に寝かされていて、見上げると正午の明るい空が広がっている。

すぐ後ろにはエミリーが騎乗して進み、前後には騎馬の騎士団が隊列を組んで帰途の行軍についていた。


「目が覚めたのか。サムエルの駐屯地はもう暫くだ。」


聞くと、教皇庁の中に入って以来、神聖騎士の二人はずっと私の後ろに付き添っていてくれたのだそうだ。


「申し訳ありません、全く気が付いていませんでした。」


「気にするな、なすべきことをしていただけなのだから。」


サムエル駐屯地に帰ると、司令が待っていて早々に彼の部屋に案内される。


「いや、申し訳ない。有志とか言って勝手に行ってしまったのですよ。確かに連中の言うとおり、今回の事は教皇庁の裏切りと言うべきだ。しかし、王国の指示もなしに威圧行動に出るとは・・・。指揮が弛んでいると非難されても致し方がない。大事に至る前に収めてくれたことには感謝しております。王室にも今回の不祥事は、なんとか穏便にお伝え下され。」


軍団の指揮統率上での瑕疵を謝っている。確かにそう言う問題ではあった。私はそんなこととは微塵にも気がついていなかったけど。これには苦笑いするより仕方がない。


「司令殿、我ら神聖騎士団は教会と王国が共に道を歩めるものと信じております。そして、そのためには労苦を惜しむものではありません。」


付き添いの神聖騎士バルマンが応じてくれる。しかしその返事では私にとっては物足りない。


「司令閣下、此度の騎士達の行動は、私にとっては何よりも大きな心の支えでありました。彼らには深く感謝しております。ですから彼らを詰問なさらない様、私からお願いいたします。」


「いや、そう言ってくれて・・・ホッとした。私とて心の内は連中と同じですからな。

はっはっは。

とりあえず、本国にはこちらから報告書を出しておくが、できたらあなたの方からも弁護していただくとありがたい。」


こうして、あてがわれた個室に入って寝台の上に倒れ込む。心の中は虚無感が漂うばかりで、失ったものの大きさに改めて打ちのめされてしまう。何もする気が起きない。毛布の下に敷いてある乾いた藁の匂いが鼻腔のなかに感じるだけで、ただ時間が流れてゆく。

やがて陽が陰り夜となったが、灯りを燈す気にもなれない。暗がりの中で寝転がって、窓からさす月の光をただ眺めていた。


トントンと扉を叩く音がして、返事をすると、昏い部屋の中に誰かが入ってくる。女騎士エミリーだ。

手にはお盆を持ち、そこにはパンが一つとスープの入った木椀がのせてあり、暗がりの中でテーブルの上にそれをそっと置く。

そして、語り掛けてきた。


「エリーセ、お前の気持ちはよくわかるよ。

だが、耐えるんだ。

お前は神の使徒なのだ。

だから、最良の師が与えられたのだ。お前にこの世界に生きる者の愛を知らしめるために。

そして、このような試練が与えられたのだ。お前にこの世界に生きる者の苦悩を知らしめるために。

そう、お前は神の使徒なのだ。

神の御意志をヘルザの世界になさしめるための。

今回の事で、私はその事を確信した。

お前に忠誠を誓おう。

私の命を使い捨てろ。

そして、お前の神命を果たせ・・・。

・・・・・・

とりあえず晩飯を食え、活力を養うために・・・喰う事も神命の内だ。」


それだけ言って、部屋から出て行った。


翌朝、駐屯地を出る。鎧を脱ぎ、修道服を羽織っただけの姿になって。そのまま徒歩でヌカイ河の船場に向かう。弱り果てている私を見かねて、騎馬ではなく船に乗ってゆっくりと帰路につこうということになったのだ。ただ、まだバルディに帰るわけにはいかない、王都に向けての船旅なのである。今回の騎士達の騒ぎについての報告をしないといけないから。


のんびりとした船旅で一週間をかけて王都に戻る。サムエル駐屯地の司令から頼まれたとおりにまずは王宮に報告に出向く。第一騎士団を通じて騎士団長に面会を求めると、既に現地からの報告が届いていて、


「待っていた。夕方もう一度来てくれ。」


との事。夕方に行くと、騎士団長が出てきて、


「陛下直々に話が聞きたいとのことだ、」


そう言って、イエナー陛下の執務室に連れていかれる。

今までは裏を通って入っていた。表の通路から国王執務室に通されるのは初めての事だ。付き添いの神聖騎士のバルマンとメアリーを横目で見るも、2人とも堂々としている。彼らは若い時、やはりここに勤めていたから。

前室の待合を通って、執務室の扉が明けられると正面に豪華な机を前にしてイエナー陛下が座っていた。


「来たな、御苦労であったな。」


騎士団長と神聖騎士の2人は直立不動の礼を取っている。陛下の横にはモルツ侯爵もいる。


「概ねの話は報告書を読んで知っている。で、どうだったんだ。教皇庁の門前で威嚇していたらしいが、狼藉には及んでいなかったんだろうな。」


まるで私が仕掛けた様に言うが、


「私が現地についた時は、既に皆さんはおられました。怒り狂っておいでで威嚇はしていましたが、ただし実際に攻撃行動をとった者はいないはずです。皆さんのおかげで、私は教皇庁の中に入れてもらったようなものなので、感謝しておりますが。」


「つまり、お前のせいでこうなったわけでないが同情はしている、ということだな。まあ、事実だろう。報告書にもそうある。で、なぜ教皇庁はこんなバカげた裁判をしたのだ。その辺の情報は?」


「ヴォルカニックの脅迫です。」


「ほう、何処からその話を。」


「フィオレンツィ師直々です。処刑の前夜、一緒に居て色々話を聞きましたから。」


「なるほど・・・詳しく聞かせてもらえるか?」


ヴォルカニック教会が、教会の手切れという話を持ち出し、教皇庁を脅迫したと。そして、フィオレンツィ師は宗教戦争を避けるために、甘んじて裁判を受けたのだと。

モルツ侯爵は、苦々しげな表情で


「そんな手まで使うとは。窮鼠猫を噛むというが、あちらさんも追い詰められている、といことですかな・・・。

マルロー大司教の話も聞きましょう。あっ、それからここから先は機密になります。」


そう言って、エミリーとバルマンの方を見る。

2人の聖騎士は王宮勤めの経験もあり、よくわかっているようで、


「じゃあ、我々はここで退散と言う事にします。エリーセ、先に宿に戻っている。いや、王都中央修道院にでも行ってくるかな。」


バルマンが返事する。


「うむ、ご苦労。」


と、陛下。

こうして2人の騎士が出て行ったあと、例の休憩室にモルツ侯爵・騎士団長に陛下と入っていく。


「最近は、この部屋を機密部屋として使っていてな・・・」


以前置いてあった天蓋付きの寝台が取り除かれている。と、言うことは手籠め部屋はやめたのであろうか。


「いや、こう忙しくなると・・・したいこともできん。戦なんぞするもんじゃない。」


侯爵と騎士団長はニヤニヤしながら聞いている。私は単に歳のせいで、アッチの方が弱くなってしまっただけだと思う・・・。

こんなバカ話でしばらくお茶をしていると、

マルロー大司教が息をせきながら、部屋に入ってきた。

そして私を見ると、


「エリーセさん・・・、」


そう言って、目に涙を浮かべながら言葉を詰まらせている。

同じ感情を持っている人が来てくれたと思うと、私も油断して思わず目が潤んでしまった。


「その気持ちはわかるが、とりあえず今後の方針を決めなくては。」


陛下の言葉で、マルロー大司教はシャキッと表情を引き締め、


「はい、そういたしましょう。」


と答え、会議が始まった。

・・・・・・。

結局の所、教会筋からの情報でも、ヴォルカニック教会から手切れの話を持ち出されて、教皇庁はそれに屈したという事らしい。


「で、どう対応するかと言う事だが・・・。」


「一つは、強い態度に出てこちらからも教皇庁に圧力をかける。今一つは、下手に出て教皇庁に詫びを入れる・・・。」


騎士団長は結果の選択肢をならべる。


「いや、いずれも適切でない。我々の望むところ、避けたいところは何かという事をもっと突っ込んで考えてみましょう。」

モルツ侯爵はきりこむ。そして、

「教会が割れてしまうと、この戦争が宗教戦争になり、ヴォルカニックの民衆を敵にまわして戦わなくてはならなくなる。これでは大規模な消耗戦になってしまう。最も避けるべき道です。

かといって、向こうの大義名分ばかり通すのも面白くない。」


マルロー大司教も

「サムエル公国は消滅してしまい、ヴォルカニックの言う大義名分は、いくら吹きまくっても聞かせる相手が国外には居なくなったので、値打ちは下がりましたがね。

ただ、奴隷問題と言う名分にこだわって争うと、教皇庁は王国と皇国に挟まれて、どちらを選ぶかという選択を突きつけられることになってしまい、溝が深まるばかり。結局のところ教会は分裂せざる得なくなる。どうです、エリーセさん。」


マルロー大司教は私にも話を回してくる。


「では、こちらも別の大義名分を言い立てて、ヴォルカニックを責めたててみてはどうでしょう。教会分裂の話を有耶無耶にできるかもしれない。」


「フムッ、どんな名分だ。」


「え~と、ですね。一番の悪者はウェルシ公国ですから、『ヴォルカニック皇国はウェルシの黒幕だ』と、言いたてては?。山の民・森の民には受けると思います。また皇国の中でもウェルシは嫌われていますので、かなりこたえると思います。」


モルツ侯爵は思わず膝を叩いて、


「それはいい!、それでいきましょう。教皇庁には、沈黙のままで態度をあやふやにしておきましょう。下手に物分かりをよくして仲よく振る舞うと、皇国は別の無理難題を吹っ掛けて来るでしょうから。王国と教皇庁の間に溝ができたかのように冷たくふるまうのがいい。まあ、変な方向に流れない様に気を付けないといけませんが・・・その辺の所はマルロー大司教、コントロールをお願いしますよ。」


それを聞いていた陛下は、


「うむ、それで行くか。しかし、ヴォルカニックの連中も追い詰められているな。あんな古ぼけた国、放っておいても立ち腐れして勝手に朽ち果てるかと思っていたが・・・悪足掻きをして、厄災をまき散らしおる。やはり、きれいに切り倒してやるべきか・・・。」


それを聞いて、騎士団長は顔を引き締め、


「御意!そのつもりで、戦の準備を進めます。」


モルツ侯爵は私の方を見て、


「エリーセさん、あなたにはもうひと働きしてもらわなくてはなりません。ヴォルカニック皇国を倒すには、エイドラ山地を抜けなくてはいけない。皇国は同盟者にウェルシを選びましたが、我々が選ぶのは・・・解かりますね。」


「はい、山の民・森の民であるべきです。ただ、彼らは、まとまりが悪いというのが問題になりましょう。イヤリル大神社の4月の春の大祭の際に族長が集まって族長会議が開かれます。それまでに国境爵達やイヤリル大神社の代表たちと話合って同盟の条件を決め、族長会議でそれを議決できるようにして決定させるのが良いと思います。」


「うむ、それでよかろう。しかし、連中にいくささせるには、こちらからの物資の援助や連絡のための通路がいるだろう。これをどうする。」


「バルディにはドワーフ・エルフの冒険者たちが出稼ぎに来ていました。かれらは王都から山の尾根道を伝ってエイドラ山中の村に帰っています。その道を交易路・連絡路として整備してはどうでしょう。まあ、せいぜいロバが通れる程度の細々とした道しかできないと思いますが。何本も道を整備して、交易・連絡網を線ではなく網のように広げて、面として作る。交易品としては、金属類が多かったですね。ウェルシは武器になる金属の交易を禁止していたようですから。」


「わかった。既存の尾根道を整備して交易網を作り、武器をばらまけばいいのだな!

で、まだ話し合うべきことがあるか?」


もう誰も新たに議題を出さなかった。


「じゃあ、うるさい話はここまでにして、」


陛下はそう言い、奥の棚からブランデーを一本とグラスを4つ持ち出してテーブルに並べ、自ら注いで回る。


「これは、最近出てきたブランデーで、ドワーフの国境爵、ホラ・・・ベルゲン・・・あの呑み助のドワーフが売り出したヤツだ。」


そしてラベルをこちらにみせる。

”エリーセに一杯”と、ある。


「はっはっは、お前も色々と頑張っている様じゃないか!

まあ、生きていたら愉快な事もあるさ、今回の事であんまり気落ちするな。」


まさか陛下から慰められるとは思ってもいなかった、そして騎士団長が勢いづいて喋り出す。


「陛下、ご存知ですか?このエリーセ嬢、教皇に尻を向けて、『この腑抜け!』と大声で罵ったことを。」


えっ・・・


「その知らせはこちらにも来ておりますよ。」


マルロー大司教がニヤリとして、裏付けてやるとばかりに話しだす。


「いえ、尻を向けたなど・・・。教皇庁の門に振り向いて怒鳴っただけです。」


「はぁ~はっはっは~、やるじゃないか。しかし、腑抜けと罵られて教皇もさぞかし困ったろうな。」


「ええ、あちらさんもどう反応していいやら、困惑したようです。腑抜けと罵られて腹をたてても、聖職者が決闘を申し込むわけにもいかないし・・・なによりも腑抜けであったのは事実ですからな、今回の事は。」


「いい捨て台詞だ。お前さんの事はエミリーも褒めていたぞ。」


エミリー・・・女騎士で神聖騎士のエミリーの事だ。


「ご存知なんですか?」


「何言ってるんだ、アイツは以前ここにいたんだぞ。あの時は強直さで王国第2の女騎士と言われておった。」


「ちなみに王国第1の強直の女騎士はどなただったんです。」


「決まってるじゃないか、ワシの嫁じゃ。」


それを聞いて、みんな噴き出してしまう。国王の第1王妃はサムエル公国から嫁いできたが、第2王妃ヘレンは女騎士であったのを熱烈な恋愛の上で娶ったというのは有名な話で、今はこの人が奥を取り仕切っている。その人の事である。


「もしかして陛下、強直の女騎士エミリーも手籠めしようとなさったんですか?」


「なっ、なにを抜かす。わしは、紳士的かつ浪漫的に誘っただけだ!。」


モルツ侯爵は目から涙を流して笑っている。


「まっ、そう言うことで今でも連絡は保っている。バルディ修道院内の事を時々手紙で知らせてくれているという事だ。」


この時、マルロー大司教が驚いた顔を作って、


「えっ、陛下!教会の修道院に隠密を置いて見張っているとは!

聞き捨てなりませんな。」


「いや、バルディ修道院は特別だろう。あそこにいるヤツは皆、騎士・魔術師ばかりじゃないか。騎士・魔術師を見張るのはワシの仕事だろう。」


そう言うと、みんなはまた笑いだす。

陛下はまた奥の棚から、新しいウイスキーとシェリー酒の瓶を持ち出し、


「これをバルマンとエミリーの土産に持っていけ。」


そう言って渡された。


「修道士に酒を送っていいのですか?」


とマルロー大司教の方を見ると、フムフムとラベルに何か書き込み始めた。出来上がったのを見てみると、

”この程度の酒精で、あなたの固い信仰が揺らぐことはないと存じております。マルロー。”と書かれてあった。

それを見て陛下も下に書き込む、

”早く戻ってこい。そうしたら、もっと飲ましてやる!イエナー”


この日はこれでお開きとなった。夜、この土産を2人に渡してやると、ニヤニヤとしていたのは言うまでもない。


一日を置いて、また王宮に呼ばれる。そしてモルツ侯爵から仰々しい手紙を手渡され、


「内容は、一昨日話し合った事そのままです。

『ウェルシの背後にはヴォルカニック皇国がついている』と、まずはこのことを糾弾したうえで、『皇国を打ち取るのに同盟を組みたいから盟約の条件を話し合おう。』と、こういう内容です。

まあ、相手側が何を望んでいるか、正直言ってわからないことが多いですから、あまり突っ込んでは書いていません。全ては話し合ってからと言う事ですな。

それから、エイドラ山地東部:ウェルシが占領していた領域ですが、ここに住む部族のフィンメール族とギルメッツ族には今回の盟約とは関係なく援助してゆきます。彼らとは既に共闘すると約束しているのだから。英雄ガルマン・エルフィンの功績を反故にはできませんからな。

ではよろしくお願いしますよ。ルートはメルラン神社経由がいいでしょう。あそこはイヤリル大神社と定期的に連絡があるようですから。」


こうして、神聖騎士2人とメルラン神社に向けて出発した。


メルラン神社に到着すると、既に早馬で私たちの来ることが知らされており、道案内の使いを呼んでいるとの事。で、その日はメルラン神社に一泊する。


「まあ、エリーセはん、お久しぶり。」


「お久しぶりです。」


「まあ、えらい出世しやはりましたな。王国からの特使をお勤めなんて。」


エルフの巫女姐さんにおだてられる。

・・・


「いや、うわさは聞いてますわ、先の大戦おおいくさで大手柄を挙げはったことも。

それだけやない、大神社の精霊巫女なんやから。流石、大神さんの御使徒でおますな。」


エルフ宮司も褒め殺しにかかる。


「あの、そんなに褒められると、居づらいのですが・・・。」


「ははは、そうでっか。まあよろしいがな。」


テルミスの騎士達には、武闘大会で鳴るこの神社はよく知られている。が、宮司がエルフだったとは知らなかったようで、神聖騎士の2人は絶句して呆然としている。2人にこの宮司を紹介しなくては、


「この宮司さん、こんな感じですけど、武術の達人なんですよ。私は棒術を少しだけ伝授していただきましたが。」


「ははは、とは・・・言われましたな。まっ、今日はゆっくりとしはることですな。明日からは山道を往くんやから。」


そして次の日、例のエルフの若衆たち;村娘コマし軍団がやってきた。

宮司は、前と同じ様に睨みつけて言う。


「ええか、お前ら。この方は精霊巫女で、テルミス王国からイヤリル大神社への特使で、それで・・・大神様の御使徒なんや!

もし、手ぇ出してみぃ、逆さづりにして股間のモンをぶった切る事になるからなぁ、よぉ~気ぃつけるんやでぇ~。」


一同、股間を押さえて、


「へい、よぉ~気ぃ付けます!」


バルマンはゲラゲラ笑っていて、エミリーは憮然としている。


荷物は、道案内のエルフ達が分けて持ってくれるというので、私たちは手ぶらで着いて行くだけだ。

暫く森の中を歩いていたが、やがて獣道のような細い山道に入って山を登ってゆき、尾根道に至る。両側に延々と連なる山々を眺めながら、そのまま尾根道を進むと、夕方前には宿泊所のタンポに到着。そこでは近くの村からドワーフのオヤジが出張っていて、食事の用意をして待っていた。

朝になるとまた尾根道にのぼり、その道を先にすすむ。途中、道案内のエルフ達が交代となる。別の部族の領域に入るので、と言う事らしい。


「他所の部族の土地に入られへん、と言うわけやないんですわ。道案内のお役目の守備範囲がここまでと言う事なんです。何しろ、このお役目は部族の名誉でもおますからな。」


こうして2週間の間、山道をただ黙々と歩き続ける。平地の行軍ならば慣れている神聖騎士の2人も、山道がこう続くとさすがにキツイらしく朝夕には腰をさすったり・伸ばしたり。そのたびに足腰にヒールをかけてやり、その疲れを何とかごまかしている。

そして、ようやく山の上に高々と茂る精霊樹の威容が遠目に見えた時、その壮観にエミリーの口から思わず言葉が漏れた。


「これが、イヤリル大神社か・・・普人族で、この姿を目にしたものは・・・。」


「結構いますよ。図書館にも『イヤリル旅行記』があったでしょう。」


「えっ、そうなの・・・。」


「山の民・森の民は普人族を敵視しているわけでもないし、立ち入り禁止にしているわけでもないですから・・・。」


大神社に到着すると、まず大宮司に目通りを願う。


「『よう来られた』と言うよりも、『よう戻られた』と言うべきかな。精霊巫女よ。」


「はい。テルミス王国より国書を預かってまいりました。」


「ほほう、如何なる話であろうか。」


「かねてよりのウェルシの暴虐はすべての民が知るがごとしであります。ヴォルカニック皇国は、その裏側でその悪党どもと手を組み黒幕となって、エイドラ山地を劫掠し、そこを通過してテルミス王国に攻めてまいりました。王国は山の民・森の民と再び会盟を結び、共にこの悪党どもをうち滅ぼすことを望んでおります。」


「確かにウェルシの暴虐には我らは苦しめられてきた。そしてテルミス王国とは建国王イヤース以来の信頼関係にある。しかし、戦いの同盟・盟約となると、それだけではすまぬ。お互い何ができるのか、何が得られるのか、明らかにせねばなるまい。」


「確かに。そして、なにより族長会議でのけつも要りましょう。故に、それらをまず話し合いたい、ひいては山の民・森の民の心算をよく知る者と話合い、約定の内容を相談したい。そこにイヤリル大神社に噛んでいただきたく、かつ族長会議での決をまとめていただきたく、との内容であります。」


「なるほど、『そのときが来た』と言う訳か。精霊巫女よ、まずは日巫女様の許しを得るがいい。さすれば我が自ら赴き、手を尽しましょうぞ。」


次は日巫女との折衝になる。これはいささか気が重い。いや、日巫女その人は聡明であるが難しい人ではない。問題はその取り巻きの大巫女たちだ。猜疑心が強く詮索がうるさい。

付き添ってきた神聖騎士2人にそうボヤくと、バルマンは、


「まっ、そう言うもんさ。そうするのが、取り巻き連中のお仕事なんだから。

何なら俺たちも、お前のためにそうしてやってもいいんだぜ。」


「いっ、いえ、結構です。」


「はっはっは。」


バルマンはエミリーの様に脳筋一筋と言うわけでもなく、外交の使者の護衛であるとか、そう言った微妙な役割に付いた経験も多々あるのだ。


前と同じく、前列に大巫女3人が座り、その奥に少し高座となった席に日巫女が座している。3人の大巫女が口火を切る。


「よく戻られた、精霊巫女よ。聞けば、あの時からヴォルカニック皇国に参られたとの由。それから大戦おおいくさで大功を上げられたとのこと。そして王国の特使。その力量を示したる事、まことに重畳。」


「で、此度の王国よりの申し入れ、国書を読み、大宮司より聞き、既に存じたるが・・・。これは、山の民・森の民にとって、果たして吉であろうや、凶であろうや。」


「テルミス王国の誘いに乗るはよいが、後々ヴォルカニック皇国よりの恨みを買うだけではあるまいか。」


相変わらず、うるさい連中である。


「既に、皇国はウェルシと手を結ぶことを選びました。ここで、あやふやな立場をとり続けることは、後々に蔑まれるだけでありましょう。」


・・・。

大巫女たちはの一言で黙ってしまう。誇り高き山の民・森の民にとって、ことほど耐え難いものは無いから。

そして、今度は日巫女が語り始める。


「しかし、エリーセ殿。ヴォルカニック皇国は、何故このいくさを始めたのでありましょう?」


この話の振りは予想していなかった。


「・・・正直申してわたしにも計りかねるのですが・・・皇国に参りました折に、そこの修道院にてリュンガー老師なる賢者の話を聞きました。その時の話から察するに、もはや皇国は新たな時代の変化に対応できなくなり、発展もできず、ただただ倒れるのを待つばかりになっていたのではないでしょうか。そして、そのまま衰退するとテルミス王国に吸収されてしまうので、その前に、王国を討とうとした・・・。要するにに陥ってをしている様に思われるのです。」


「変化・発展ができなくなると、普人族はじり貧となると、そう言われるのですか?」


そこで気が付いた、山の民・森の民こそ3000年のあいだ変化のない時代を過ごしてきたのだと。

たしかに・・・普人族は、常に変化を求めている・・・。彼らはそのことをと呼んでいる。


「私が以前いた世界もそうでした。そこは普人族の世界でしたが、というものがもっとも尊ばれていて、つまり変化と発展がいつも望まれている、そんな世界でした。そしてそれは時代が進むにつれ、どんどんと加速していった様に思われます。普人族の世界ヘルザも同じではないでしょうか。」


「希望を追い求める世界、普人族の新たな世界はそうなるというのですか?そして、ヴォルカニック皇国は、そこから脱落しつつあると・・・。それが、戦争の起因の根本にあると。」


まったくその通りである。そのまま黙って首を縦に振るより他ない。

ここで大巫女が横から口を出す。


「日巫女様、エリーセ殿はハイエルフの身でありますが、もとはと言えば転生者。中身はもとの世界の者でありましょう。つまり中身は普人族。ですから、我らとは違いまする。」


「御黙りなさい。誰の口から出ようとも、その言葉は言葉。それの意味する事の正邪吉凶をよく吟味して、後の世界のために佳き道を選ぶこと、これが我らの役目。彼我を言い立てる前に、己が心を澄ませ、よくよく見極めなさい。」

・・・。

「つまりエリーセ殿、この戦の後、新しい世界が始まると、そう考えられるのですか?」


あの実力主義一辺倒のテルミス王家の世界となると・・・世襲貴族がのさばる世の中は厭でも変わらざる得なくなるであろう。


「テルミス王国が勝利を収めた時はそうなるでしょう・・・。いや、遅かれ速かれ、王国が勝利をおさめて、そうなるでしょう。」


「ですか・・・。そして、いまのうちに山の民・森の民の未来を主張するためにも、同盟を結ぶべきと・・・。

大巫女の衆、私にはそのように思われまする。大宮司には是非とも、赴いていただかねばなりますまい。」


かくして、イヤリル大神社がテルミス王国の求めに応じる事が決定した。

大宮司は日巫女の決心を確認すると、すぐに王国に向けて出立してゆく。

大宮司の一向に同行するよう勧められたが、山道では彼らの足には到底ついていけそうにない。で、モルツ侯爵あての報告の手紙を託すだけにして、私たちは別に帰ることにする。

なに、私たちの仕事はここで終わったのである、後はのんびりしていても問題はないのだ。エミリーとバルマンは、神社の境内を隅々まで見て歩き、宝物庫においてあるグリモワールも読めたとか。【ヒール】・【水生成】・【着火】など、ごく初級のものばかりであるが、初めてのあるいは新たな魔法を覚えて大いに喜んでいる。バルディ神社境内での修行が成果を上げたのだと。

そこから、街道を海辺の村;オリガに下り、海を渡ってネックスに至る。そう、以前に巡礼でランディ達と一緒にきた途を逆方向に辿って帰ってきたのだ。ネックスからは川船に乗り、ヌカイ河を遡上してバルディに戻った時は、既に秋口に入っていた。

こうして、休息の日々をゆったりと過ごし、心の傷を少しずつ忘れることもできたのである。


久々に帰ってきたバルディのせせこましく猥雑な通りも何やら懐かしい。そんな街を通り抜けて館に戻り、ようやく自分の部屋に戻ってきた。

ホッと一息つくと、部屋の中の小さなテーブルも久しぶりなのでうっすらと埃をかぶっている。

そしてその上には、

・・・そこには、一通の手紙が置いてあった。

夢の中に見た手紙だ、フィオレンツィ師の受難を知らせる・・・

うっすらと埃を被って・・・

予知夢に見た通り粗末な封筒で、差出人はゲルべとなっている。

・・・・・・

手を伸ばして手紙を取ろうとするが、それができない。

・・・・・・

手が震えてこわばり、手紙に触れる事が出来ない。

・・・・・・

そのまま、頭を抱えてベットの上に座り込んでしまった。

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