第111話 リュンガー老師

さて、話を変える。これまでバル荒原の会戦後のテルミス側の状況は述べた。ではヴォルカニック皇国側ではどうであったのか、それを話したい。


サムエル公国はテルミス王国の支配下になってしまった。そして、ヴォルカニック軍はエイドラ山中のラル盆地にあるウェルシ城に戻っている。

となれば、この戦争は失敗と言える。

しかしヴォルカニック皇国としては負けた気はしていない。もともと、テルミスとサムエルは仲間で、いうなれば同じ穴のムジナだったのである。それを仲間割れさせて、片方がもう一方を喰らったからと言って、ヴォルカニック皇国にはなんの痛痒もない。

それに、ウェルシ大公を監禁してその配下勢力の支配は着々と進んでいる。元々は、ウェルシ公国の悪事を掣肘してこれを糺すという大義であったが、この目的は果たされつつあるといってもよいだろう。

つまり皇国としてはエイドラ山地における山と森の覇権は自らのものになりつつあると思い込んでいる。

そしてその事は、今後の状況を有利に運ぶ要因となるはずである・・・と考えている。

だから、ヴォルカニック皇国が不利になったことは何もない、単に一つのはかりごとが思い通りにはいかなかったというだけだ。それがヴォルカニック軍の見解だ。


しかしヴォルカニックの見方は違った。

テルミスがサムエルを占領したという事は、教会に取っては一大事なのである。

それは・・・サムエル公国にへばりつく様に小さな国がある、教皇国と言う・・・。

これまでの教皇はサムエル出身者が占めてきた。なぜなら教皇の統括する教区がそのままサムエル大公国だったからである。つまり、テルミス王国の教区はテルミス教会大司教が統括している。ヴォルカニック皇国の教区はヴォルカニック教会枢機卿が統括している。そしてサムエル公国の教区は教皇が統括していた。つまり、3国の教会の運営は事実上独立していたのである。

しかし、今後は変わるであろう。サムエル公国が事実上消滅したのだから。

教皇の立場、教皇と教区の関係は大きく変わるはずである。直接教区に関わる事は無くなり、教皇はその名前のごとく、全ての教会を統括する立場になるのではないだろうか。

そうなると、ヴォルカニック教会の立場は微妙になる。果たして新教皇はテルミス・ヴォルカニックの間で中立の立場を守るであろうか?。常識的に考えると、テルミス側に付くに違いない。テルミス王国の勢力圏に入るわけであるし、信徒の数、つまり人口も今やテルミス側が圧倒的に多いし、そもそも誓書編纂をはじめ遺跡調査などなど、教会の文化事業の中心となってきたのはテルミス教会である。

と、なると・・・皇国と王国の対立関係が決定的な現状では、教皇庁の中においてヴォルカニック教会は極めて立場が悪くなってしまった。教皇から独立しなければならないかもしれない・・・。



これまでのネンジャ教会の歴史ではなかったことである。このことについて、ヴォルカニック教会内では連日、熱心に議論されていたのである。

そして、このかまびすしい論争に加わらず、ただ一人沈黙を守る人物がいた。このヴォルカニック教会が最もあてにしている人物、リュンガー老師である。

彼にしたら、この姦しい論争はもっとも重大な事を見落としているので、苦い思いで眺めていたのである。


そもそも、この戦争がなぜ起こったのか。この連中はそのことを理解しているのか。


テルミス王国は変わってしまった・・・あの国の時代は変わったのだ。

王国の人々は身分に関係なく活発に活動し始めている。それにより産業・文化・学問、ありとあらゆるものが興隆してきた。皇国はこれを腐敗・堕落と貶しているが、テルミス王国の国力は増しているのであって、時代を切り拓いていくのは王国の側であるのは明らかになりつつある。

対して、過去にしがみついているヴォルカニック皇国はこのままではじり貧になるばかりだ。新たな時代を目指して改革してゆかなくてはならないのに、そんな気風は一向に芽生えてこない。このままでは干乾びてしまうばかりで、終にはテルミス王国に吸収されてしまうだろう。

その事を誰も直視しようとせずに、ただ焦燥感・危機感によって戦争にというのが真実なのである。であるのに、出鼻を手ひどく叩かれてしまった。

教会もそうである。テルミス教会は古代の史跡の研究をはじめ学問の興隆著しく、神学もテルミス教会が中心となって纏めている。我らヴォルカニック教会は、単に皇国の権力機構の一部となり果てて、これを支えているだけだ。ヘルザの世界における信仰がテルミス教会を中心とした勢力に引っ張ってゆかれるのは当然ではないか。

皇国も教会も、もはや負けているのである・・・ヴォルカニックが覇者たる条件はもう無い。

・・・いや、何とかせねば。

何とか時間稼ぎをして、抜本的な改革へとヴォルカニック皇国を引っぱり込まなくては。

それが皇国存続の唯一の道ではないか。

このまま流されてゆくわけにはいけない。

一旦時流を止めて、時間稼ぎをしなければ。

・・・そのためには悪魔の手も借りる!。


彼の心の内では幾重にも逡巡していたが、ようやく決意が固まった。


教会内の議論が一向にまとまらないので、枢機卿はリュンガー老師の意見を求めることにした。

枢機卿が尋ねる。


「リュンガー老師、ご存知の様にヴォルカニック教会の独立という大事が連日議論されているわけでありますが、いかがお考えでありましょうか?」


「枢機卿様、これは教会の聖職者だけの問題ではありません。村の一農夫にとっても一大事の事でありましょう。」


「当然です。しかし農夫に聞くわけにもいきますまい。」


「そうではなく、農夫から見ても納得できて不安の無い様にしないといけないということでございます。」


「なるほど、その点はよく理解いたしております。」


ヴォルカニック教会では出身身分により教会内の階位も決定している。人柄はともかく、偉いからと言って頭の回転が速いわけではない。


「ですから、急に事を運ぶのは宜しくない。順序を踏んでいくべきかと存じます。」


「なるほど・・・。」


「まず、テルミス王国の悪事を糾弾することから始めましょう。」


「テルミス王国の悪事とは?」


「それは此度の戦役で皇国が大義名分に挙げた通り、彼の王国の奴隷制度であります。」


「しかし、それは改めると大々的に発表され、教皇庁もそれに加担していると聞いております。」


「それはであります。

そもそも200年以上続いてきた制度が一朝一夕に改まるとは思われません。どうせ中途半端にお茶を濁すだけでありましょう。ですから、そのことを強く糾弾して、一切の妥協をすべきでないと、教皇庁にむけて強硬に主張するのであります。」


「できもしないことを主張するわけですか・・・。」


「その通りであります。

もし教皇庁がこちらの言い分を聞くのであれば、テルミス王国と教皇庁との間に溝を作りましょう。

そして、こちらの言い分を聞かないのであれば、皇国領内の良民に我らの正義を訴えることができましょう。

教会を割るのはそれからであります。」


「なるほど・・・。

では、教皇庁が我らの主張を受け入れたというあかしはどのようにするのです?言葉だけではごまかされましょう。」


「その通りであります。

いささか、毒の強い案ではありますが・・・。

王国での奴隷解放諮問委員会では、フィオレンツィ殿が信仰保護官として当たっておられると聞き及んでおります。」


「はい、神学の大樹であり、棄民の保護に熱心な方であると。」


「その通りであります。

『諮問委員会がいい加減な結論しか出せないのは、フィオレンツィ信仰保護官が、奴隷制度に於いて腐敗した立場に固執しているためであり、これは異端である。』と、彼の御仁を異端裁判にかけるように主張するのであります。」


「・・・。」


枢機卿は、このえげつない提案にはさすがに言葉を詰めてしまう。


「枢機卿様、フィオレンツィ殿は優れた神学者であります。そして、仁愛の厚い思想を示しておられ、多くの支持者がおります。ゆえに、の御仁の思想が近い将来において教皇庁を支配するものと思われます。

しかしながら、“諸人の平等と博愛”に基づいているその思想は、ヴォルカニック皇国において過激すぎるものであり、その思想が広まると皇国の秩序を脅かし、この王国楽土の安寧を破壊しかねないものなのです。

・・・いえ、彼の思想は皇国の王国楽土とは矛盾して、相容れないものなのであります。王国楽土とは、人々の“謙譲と節制”の上に成り立っているものでありますれば。

わたくしには、未来の教皇庁がヴォルカニック皇国を糾弾する姿が目に映るのであります。

・・・ですから、今のうちに先手を取って、彼の御仁を亡き者にする様に致さねばならないのであります・・・。」


ここに至って、枢機卿はリュンガー老師の危機感に同意せざる得なかった。

しかし、そのことに最も苦々しく思っていたのは当のリュンガー老師なのである。


彼はよく理解していた。

ヘルザの世界がテルミスを軸にして、新たな時代に移ろうとしていることを。

そしてフィオレンツィの思想こそが新たな時代に吹くべき風であることを。

ヘルザの世界がそのような事態になった時、今のあるがままに留まろうと必死になって過去にしがみついているヴォルカニック皇国は、その変化に耐えられるであろうか・・・そうなるとおそらく崩壊していくであろう。

だからこそ、このフィオレンツィのを敵としなければならないのだ。

ヴォルカニック皇国の体制;王国楽土を守ることがヴォルカニック教会と彼に課せられた第一の責務であり、彼はそのことに忠実であろうと固く決意していた。

そして自分の言っていることが、自らの信仰に対して矛盾していることも理解していた。


”全く、狂気の沙汰だ。”


そしてこの提案が、の中に安閑としている人々に対して、まさしく皮肉であることも理解していた。


”誰かがこの皮肉と矛盾に気が付き、この提案をつぶしてくれたなら・・・”。


それが顔の皺の奥深くで潜んでいる密かな真意でもあった。

が、誰も反対しなかった。

彼のはかりごとのえげつなさと深さの前にそれ以上考えることは恐ろしくてやめてしまったからであり、その謀にだまって乗っていたならば、教会を割るという大きな罪をリュンガー師が背負ってくれることの様に思えたからである。

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