第110話 東方3国と教皇国
テルミス王国・サルマン公国の国境地帯の峠に狭隘の地がある。ここに、新しく建てられた巨大な山城がサルマン公国を睥睨していた。僅か1ケ月でこの城は建った。これは大勢のドワーフ・エルフを動員することのできるテルミス王国ならではの芸当なのだ。そう、“ゴミ箱の蓋”によって、連中は避難民からまさしく土木の魔法使いにと一変している。
そしてこの城の主は王太子ヨーゼキであり、彼はテルミス王国のサルマン侵攻軍の総司令であると知らされている。王太子ヨーゼキはサルマン公国から嫁してきた第1王妃の生んだ長男であり、裏切りのサルマン大公は祖父に当たる。つまり、血の繋がる直々の孫が祖父の国を攻撃することになる。
国王のイエナーは王太子のヨーゼキにこの様に命じたのだ。
「我が長子にて後継者たるヨーゼキよ、お前にとって初の重責となる。心して赴任せよ。公国からは、あらゆる立場の者から多くの取引を持ち掛けられるであろう。全て無視してはならぬ。篤実に対応して丁寧に耳を傾けて話を聞くのだ。」
ものの言いが少し硬いのだが、ヨーゼキが王太子に就いて以来、彼と話すときはズッとそんな具合だ。
「しかし、なんと答えればよいのです。どういう方針の戦略を練るのです。」
「よいか、いかなる
「しかし、それではバカではないですか。」
「そうではないのだ。何も語らぬ、今回はそれが一番の雄弁なのだ。言葉なんぞで返事する必要はない。沈黙を守っておれば、あの巨大な城と万の軍兵の存在がそれだけ雄弁に語ることとなる。
わしはこれから反吐の出そうな謀略をお前の祖父である岳父殿に仕掛ける。お前の沈黙の圧力がそれを達成する。わかったな。」
「解りました、沈黙を貫きます。」
「うむ、では行ってまいれ。」
この城が落成して1ケ月もたたぬ間に、大公国の背後に位置するランパス・トルンの両公国から密使がやってきた。共に小国であるが、この度の大公国からの侵攻はこれら3国で編成された連合軍であった。
王太子ヨーゼキに訴える。
「此度の侵攻は当方の望んで行ったものではない、サルマン大公の強い要求によって致し方なく参加したものだ、ヴォルカニック帝国の後押しもあって大公は強気であり反対する余地はなかったのだ、」と。
意味のある内容とは言えないが、当事者としては必至で縋り付く様にれんれんと言い訳の並べる。王太子ヨーゼキは、その弁解を我慢強く最後まで聞いたうえで、
「経緯はともかく、背後からの裏切りといえるこの侵攻に、王国中に怒りが満ち溢れている。このまま報復が無いと楽天的に考えているとしたら暢気なのにも程があるというものである。
報復こそがわれらの正義である。
そのために、ここ巨城を構え、軍備を整え、侵攻のための日々軍議を重ねている。」
と語るのみである。そして密使たちは、城内の兵舎・倉庫の夥しい数、駐屯する兵士の夥しい数を目の当たりにして、王国の決意を知る。
そして、
「では王国はどのようにすればわれら小国を許すのか、」
と尋ねるも皇太子ヨーゼフはそれには答えない。
「自分の役目はこの報復攻撃を着実に行うことにある。取引に返事するつもりはない。本国に直接聞くが良いと。」
というわけで、ヨーゼキの便宜で王都までやって来たが、
「貴卿らは剣でもって裏切りを働きながら、口で弁解して終わるとでも考えておるのか!」
と、返事は極めてつれない。
ただこのまま帰っては、大公国が滅ぼされた次には自分達の順番になるのは火を見るよりも明らかなので、石にかじりついてもこのまま帰るわけにはいかないのである。
「ではどのようにせよと、おっしゃるのか?」
「口を開く前に、剣でもって行動してはどうか?大公国の切り取りの交渉なら応じることもできるさ!」
ギョッとするような返事を受けて、これ以上の交渉は不可能と知り、母国に帰るのであった。
王太子ヨーゼキのもとに来た密使はランパス・トルンの両国からだけではない。いや、サルマン大公国の中からは、もっと数多くの客がやってくる。ヨーゼキは大公の血が流れている実の孫であり、サルマン大公国の高級貴族から見ると甥でありいとこでもある。親戚として家の危機を相談するという体裁でやって来るのだ。あるものは大公の弁護者として、あるものは「大公には反対したのだ」と弾劾者としてやって来る。
読者は、この行動は公国に対する裏切り・売国行為だと思われるかもしれない。しかし、そうとも言えないのである。サルマン大公自身がこれらを黙認している。いや、むしろ自分の手下も送り込み、テルミス王国の態度を伺っている。貴族の外交とはこういうものなのである。
彼らはヨーゼキ自身に相談にきたのであるから、王国本国に廻したりはしない。いずれに対しても父国王の指示を守って篤実に迎え、ただひたすらに丁寧に話を聞くばかりである。
「大公はヴォルカニック帝国から焚きつけられ、変な野望に捉えられて、このような凶行に走ってしまったのです。決して大公国すべての意志でこうなったわけではないのです。ですから、大公国と血縁で繋がるヨーゼキ殿のお力で何とかとりなしていただけまいか、無理を承知でまかり越した次第。」
「国と国の裏切りを、血の繋がりでどうにかなるものではありますまい。大公国は我が祖父の地であり、同情の念は強いが自分の立場では如何ともなし難い。」
「確かに王太子とはいえ、今回の事で、微妙なお立場に立たれたのは承知の上。そこを何とかして恩義を施していただきたい。」
「父国王は、此度の戦にて自分に軍功を挙げさせ、王太子の立場を固める機会を与えてくれたのです。父の意志を裏切るわけにはいかない。」
「では将来、晴れて王となられた暁には、我らを庇護していただけましょうや?」
流石に返事はできない。ただ黙って相手の目を見るのみである。
「私は自身の責務を忠実に果たすつもりであります。ただ、皆さんの事はできるだけとりなすようにいたしましょうが・・・。」
しばらく沈黙の時間が流れたのちに、そう語ると相手はようやく諦めたらしく、別れを告げる。まあ、毒にも薬にもならない話で終わってしまう。
そして、やってきた貴族が帰りの馬車の用意が整うのを待っていると、彼に付き添ってきた家臣・・・まあこう言う場に同伴するのだから有能なヤツであるが・・・その家臣にちょっと話があると連絡がくる。主人はそのまま帰ってしまう。そして残った家臣と王太子の秘書官との間での話し合いが始まる。
「お互い、主君に累が及ばぬよう、我々だけの話と言う事で、」
との前置きがあり・・・ここからが本番となる。
まずは情報の交換と称して、大公国の内情が聞かれ、かわりにイエナー国王の真意とやらが漏らされる。
「陛下は大公国が滅びてしまう事を怖れておられます。しかし、今回の裏切りをそのままにしてはおけない。落としどころをどうするか・・・ありていに言えばどなたがサムエル大公を継ぐことになるのか、そして、貴家のご当主はいかに考えておられるのか、そのあたりが
もちろんその通りだ、しかし、一家臣である彼にはそんな問いに返事はできない、主君に伝えるとしか。そうすると、次はサムエル大公国の将来についての見通しを聞かれる、あくまでも彼個人の見解を。
そして、
「大公の後継者となられる方ですが・・・現大公家の若君による継承は、王国にとって到底受け入れることはできないでしょう。裏切りの責任をどうするのか・・・大公家にその責めを背負ってもらわねばならない。となると傍系の伯爵家の、○○伯、××伯、△△伯・・・と言うことになりますが、相当に覚悟していただけなければなりますまい。王国の大公国の裏切りに対する怒りは相当なものですから、その風当たりをまともに受けることになるでしょうな。御家を磨り潰すつもりの覚悟で受けて頂かないと。」
これは厳しい。大公国というのは実質は大公を取り巻く貴族諸家による共和国なのであり、彼らにとっては国よりも家が大事なのは当然であるから。
そしてチラリと、こんなことも漏らす。
「我が主君のヨーゼキ王太子殿下も、サルマン大公陛下の血を受けているのですよ・・・。」
と・・・確かに大公の孫である。しかし、それは不穏な話だ。大公国が王国に乗っ取られることを意味するから。だから抗弁する。
「しかしヨーゼキ殿下は、イエナー陛下を継がれていずれテルミス国王となられるのしょうに。」
と。しかし、秘書官は反論する。
「ええ、もちろんです。それまでの間の事、
こうして話し合いが終わり、その家臣は複雑な胸の内を抱えて帰還することとなる。主君に今日の話し合いをどう伝えたらいいのかと・・・。
このような会見を山ほどもこなして過ごすうちに、長々とかかっていた大公国侵攻の準備が整い、ようやく軍を進める日がきた。
大軍を編成して慎重に事を進める。まずは敵防衛部隊の駐屯する国境の町メフィス攻略が目標である。
小競り合いをしながら、メフィスの町の前に陣を展開すると軍使がやって来た。
メフィス防衛をあきらめたらしい、撤退の交渉であった。
幸先よし!
として交渉に応じ、街の占領に移る。街の町長を呼び、
「我が軍の本隊は街の中に入らないであろう。ただ、街から妨害や襲撃が入ってはかなわない。監視のための治安部隊を入れたいので受け入れるように。食料などひっ迫した物資があるのならば供給する用意がある。」
と。
きわめて寛大な処置に感激した町長は散々に世辞を並べ、
「さすが、この国の血を引く王太子さまでございます。どうかこれからも情け深き善き統治を!」
と述べて立ち去る。
ここに至って、ヨーゼキは父イエナーの心中を理解できた気がした。人心を集めて、大公国をヨーゼキに相続させるつもりなのである。
そして、大公国の背後からランパス・トルン両国の侵攻が始まったと聞く。
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「なんという事だ、全て裏目裏目にでてしまう・・・。」
サムエル大公は疲れ切った表情でつぶやいている。ヴォルカニック帝国から裏切りの誘いを受けた時の事を思い出していたのだ。
テルミス王国は同盟に誠実であったし、友誼にも篤かった。しかし、その同盟は疎ましくかつ重荷であった。
なぜならばテルミス王国と言う存在そのものが、サムエル大公国のありように矛盾を突きつけていたから・・・。
テルミス王国では、国王の権力が強く、貴族達の立場は弱く不安定なものである。当主が無能で責務を果たせないと判断されると、さっさと取り潰される。その一方で、無位無官の庶民であっても、ドワーフやエルフやハーフリングなどの他種族であっても、有能ならばさっさと爵位が与えられて顕官に就いてゆく。侯爵位・伯爵位のような先祖伝来の高位貴族に対してもその相続の際には、無能な者が世継ぎをしない様に、王国は露骨に干渉してくる。
王権のきわめて強い王国なのだ。
有能な者が次々と採り上げられ、身分を上げてゆく。おかげで、王国の経済・文化は発展して、国力はどんどん大きくなった。大公国の臣民たちはテルミス王国を羨んでいて、このままではいつかきっと、王国に併呑されてしまうであろう・・・。
大公はどれほど羨ましかったことか・・・。しかし、あの真似はサルマン大公国ではできない、あんなことをすると貴族たちが反乱を起こしてサルマン大公の王権は転覆してしまうだろう。なぜなら、サルマン大公国自体が、有力貴族達の共和制で成り立っている国であり、サルマン大公自身はその第一人者と言う事でしかなく、独裁的な国王と言うものではなかったから。だから、有力貴族達にはいつも妥協せざるを得ず、テルミス王国のような真似はできなかった。
そして両国の間では、この体制の違いから問題がたびたび起きていたのだが、相手は圧倒的に強力な王国であり、こちらの主張を通す事ができない。このことが自国内に跳ね返り、国内に矛盾として抱えるざる得なくなる・・・。そして、国のタガが緩み、大公国としての結束が緩んでいく・・・。
それでも、強大なテルミス王国と同盟を守り続けたのは、大公国としてはそれ以外に選択の余地がなかったからだ。
もちろん大公自身はああなりたいと、テルミス王国を羨望の目で見つめていた。その取り組みも試みてみた。しかし、すぐに不可能と思い知らされることとなった。
そんな風に過ごしていた時、ヴォルカニック皇国からの使いがやってきたのである。
「テルミス王国の腐敗と混迷は目に余る!。鉄槌を下し、このヘルザの世界を糺さねばならない。ぜひとも協力していただきたい。」と・・・
条件は破格であった。ヴォルカニック皇国はウェルシを制圧するが、テルミス王国東部地域の肥沃な穀倉地帯は全てサルマン公国の領域とする・・・そうなると国力は現在のほぼ2倍になる。
テルミス王国が腐敗・混迷しているかはさておいて・・・いや、もしかしたら時代を先導しているのかもしれない。しかし、我らサルマン大公国はそれに着いてはいけない。
そう気づくと、羨望を感じていた心の中は一気に・・・嫉妬の渦が渦巻いてくる。
ヴォルカニック皇国も多分同じなのだろう。それまでは縁遠い関係であったが、そう考えると妙に親しみも湧いてくる。
・・・であるならば共に手を組んで、テルミス王国に抵抗するより他ないではないか・・・。
きわめて危険な賭けであったが・・・いや、冷静に考えると滅亡への選択でしかなかったが・・・嫉妬に渦巻く心が冷静な打算を妨害して、その背中を押した・・・。
この様にして、その
・・・そして、失敗した・・・。
いまや我の権威は地に落ち、あの時に側に居て賛同した者たちも『自分は関係なかった』とばかりに距離をとっている。
民心は離れて行ってしまった・・・。
「さて、どうしたものか。」
当然、我は退位であろう。しかし、誰を世継ぎにしたものか・・・誰ならばこの難局を切り抜けられるのであろうか・・・。
国境で陣を構えているヨーゼキ王太子の元に大勢の貴族達が日参しているという。そこで話されている話の内容も概ね把握している。次の当主を誰に据えるか・・・そんな不遜な話し合いをしているらしい。既に我はそれを止める力すら失ってしまった。ただ・・・王国の思いどおりにさせるつもりはない。少ない手札をフルに使い、大公家の存続と権力を守る覚悟だ。
「さて、どうしたものか。」
そんな事を悩みながら、宵闇の廊下を寝室に向けて歩んでいるとき、
”ドンッ”
いきなり背中に衝撃が走る。そして前に倒れ込んで床に手が付いた時、背中から胸に激痛が走り・・・むせ込んで咳が出る。
"カハッ"
生ぬるく鉄の匂いのする血が口腔に満たされ、口から床に吐き出す。
背中を刺された。そう気が付いた時、
タタタタタッ
誰かが走って逃げ去ってゆく音が聞こえてきた。
後は意識が薄れていく中で
「わしの居る場所はもうないのだ。もはや棄てられて、全てが先に進んでいってしまった・・・。」
心の中でそうつぶやきながら、意識が暗闇へと堕ちてゆく。
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ある日の朝、王太子ヨーゼキの下に椿事のうわさが聞こえてきた。大公が暗殺されたと・・・。
王国に急ぎの伝令を走らせて、指示を仰ぐと共に、軍をいつでも動けるように準備させる。
そして次の日、大公国の国軍が降伏してきた。
「もはや大公国は国の様相を呈してはいない、王太子殿下の英断にすがるより他ない、」と。
大急ぎで兵団をまとめ、首都に向けて強行軍で進撃を始める。行く先行く先では刃向かうものもおらず、降伏の白旗が掲げられるのみである。
はたして首都の王宮内に入ると、大勢の官僚・貴族らが王宮の新たな
「テルミス王国はこの国の人々に公正と寛恕でもって統治に当たるであろうと。」
そして、ランパス・トルンの両国に、「全て終わった、軍を引かれたい」と使いを出す。
そして、王国にも使いを出す。
「全て終わった、次はいかがいたすべきか。憚りながら、これら3国の東端の国境の守りを固めるべきでは?」と。
さっそく、返事の早馬が届く、
「解っているなら、早くせい!」と。
これら3国の東端では北側にヴォルカニック皇国の選帝侯たちの国が並んでいる。その国境は皇国との戦線となりうるところである。
わざわざ刺激して戦争を起こさぬように、やや引いた場所に守城を建てることとした。この城には王国軍と元公国防衛軍を混成して守らせよう。
こうして城の建設が始まった時、ランパス・トルン領国から両公が直々にやって来る。
「微力ながら剣をもってお手伝いした、どうかご配慮願いたい。」と。
「両公の軍功は自分のよく認めるところである。ただ、貴公らをどうこうする権限は自分にはない、父国王には良く口添えしておくので、王都にて父より直々に聞かれたい。」
そう言って、両公に手紙を持たせ、テルミス王都に送り出す。
こうして王太子からの書状をもって両公はテルミス国王と会見にのぞむが、結果は、微妙なものであった。
まず、共にテルミス王国の伯爵として迎えられることとなる。なぜならばその領地の広さが元々伯爵領程度しかないからである。そして国替えを勧められる。なぜならば、両国のある位置は皇国の選帝侯諸国との戦線でいわば最前線の場所にあり、彼らにとっても王国にとっても厄介なところであるから。
彼らにはもはや否と拒む力もなく、これを受けて与えられた新領地にと向かう。
このようにして、第1次ヴォルカニック戦役は、王国による東方3国の併呑と言う結果に終ったのである。
王太子ヨーゼキは一通りの処置を終えて、父イエナー国王に報告するために一旦王国に戻った。
「どうだ、王権を握るということがどういうことか分かったか?」
「ははっ、しかしして、王権のいかに脆いかもよく知らされてございます。」
大公の権力が瞬時にして脆く崩れていったことを言っている。
「そうさ、王の力などと言うものは、崩れる時はそんなもんさ。」
「しかし、父上の謀略の深さを思い知らされました。」
「いや、大したことは何もしておらぬ。後々の事を考えると自らの手を汚すわけにはいかん、小細工をして煽ってやっただけだ。
一番大きな力になったのは、お前自身なのだ。国中の人間が、大公よりもお前の方が頼りになると考えたとき、大公の権力は崩れ散ったのだ。
・・・それだけだ。
王権などと言うものはそんなものだ。この経験をよく噛み締めておくのだ。いつかお前が王となる時がくるからな。」
しかし、もう一つしておかねばならないことがある。
地理的にはあの東方3国にへばりつくような小国でありながら、影響力から言うと超大国と言うべき国、教皇国。今はまだ何も言ってこないが、今回の戦役で知らぬ存ぜぬでは済まない。果たしてどう接触すべきか。
この大役を受けたのはやはり王太子ヨーゼキであった。この方面の主役はあくまでも彼ヨーゼキであるべきと国王イエナーは考えていたから。そして、それは将来、代替わりしたときに大きな利益となるであろうから。
王太子ヨーゼキは大司教マルローの助言を受けて、粗末な修道服の姿で赴くこととした。王室の男子は若年時にいずれも修道院で修行したことになっている。半年ほどの形だけのものであるが。だから、質素な灰色の修道服を纏い世俗の修道者として教皇の元に赴いたとしても、何ら欺瞞は無いのである。つまりヨーゼキは一人の修道者として、教皇ステファヌスに教えを乞うために赴いたわけである。
征服者としてではなく。
教皇庁に辿りついたヨーゼキが灰色の修道服を纏っていることを知った時、教皇ステファヌスは、
「なかなかやりよるわい、」と呟きながら、機嫌よく紺色の修道服に着替え、しかし礼は守らねばならないので、謁見室に迎えることとした。
謁見室にはそこに居る者が全て修道服という異例の会見となった。
「よくおこしになりました、ヨーゼキ殿下」
「お初にお目にかかります。聖下におかれてはこのように親しくお迎えいただき、感激の極みであります。
此度の戦役で、かような次第となりましたが、この国の人々の安寧と信仰を守るべくいかがなすべきか、不肖ヨーゼキ惑うことがおおく、図々しくも教えを授かりたく参った次第でございます。」
「おお、真にそのお気持ちだけで、王道は既になされたも同然であります。人々の安寧と信仰は守られるでありましょう。」
「王道・・・かくのごときはこの不肖ヨーゼキにはまだ程遠きもの。わが父ほどになりましてのち手が届き得ましょう。皇国との戦となりまして、父はいまだ鎧を外せぬ有様、聖下の元に来れぬことをただ悔んでおりました。時至らなば、必ずやまかり越すつもりと伝える様、きつく言われましてございます。」
「その時とは?このヘルザの大地を一統なさった時?」
ここで、ヨーゼキの言葉は詰まってしまった、教皇ステファヌスはこのヘルザ大陸の世界をテルミス王国が統一するつもりなのかと問うているのだから。しかし、ヴォルカニック皇国を打ち負かすという事はそういう事となる。そして、教皇ステファヌスは統一後の世界をどう統治するつもりなのかを問うていることになる。これは、王太子ヨーゼキを越えたレベルの話だ。
「父、国王イエナーのみが知りましょう、この不肖ヨーゼキの器を越えた問いでありまする。」
「我らは、
「私めは若年の折、修道院にて多くの教えを授かりましてございます。これからも、この教導なくして王道に近づくことなど到底できそうにありません。これまでと同じ様に教え導きをただただ乞い願うばかりであります。」
教皇ステファヌスは返事をせずに、席を立ちあがって歩み寄り、ヨーゼキの前に立つ。ヨーゼキは慌てて床に両膝を付けて頭を下げる。そうすると教皇ステファヌスはヨーゼキの頭の上で、彼に祝福の印を切る。そして、
「あなたに、大神様の恩寵がありますように、この東方3国の人々があなたの元で幸せに暮らせますように、そして、あなたの御父君がヘルザの地に王道を示されますように。そう祈るとともに、我らは協力を惜しむことはありせん。」
ヨーゼキは頭を下げながら、予想以上の成果を上げたことを知り、いやがうえにも胸が高鳴った。彼は東方3国の併合に教会が難癖をつけない様に頼みに来たのである。しかし教皇はヘルザ大陸の統一を暗示し、その協力まで言い及んだのであるから。
もっとも教皇側に立つと、そもそもヴォルカニック皇国内の教会の階位は、皇族と貴族の一族が占めていて、いわば皇国の権力者に教会が乗っ取られたようなものであり、決して好ましい物でなかった。テルミス王国のごとく王権から自立した教会こそがあるべき姿なのである。王国がヘルザ統一を成し遂げても、教会との関係をこれまで通りの姿勢を貫く意思があるのか、その事が知りたかったのである。教皇と深い関係にあったサルマン大公国が消滅してしまった今となっては、王国と教会の関係をいかなるものするのか。このことは教皇としては、大きなそして差し迫った問題なのである。
そして、一度テルミス王国側について皇国と対立してしまうと、皇国の教会の在り方を問題にせざる得なくなる。ということは、教皇庁とヴォルカニック皇国の教会とが縁切りになるかもしれない。いや、そうなるだろう。
このことまでは王太子ヨーゼキは残念ながら気が付いていなかったようである。しかし、『これまでと同じように』という言葉で、ここは満足すべきであろう、いずれ父の国王イエナーに伝わる様にせねばなるまい。そこはマルロー大司教に働いてもらうことになる。今日の会談内容と、このことを暗示する手紙を王太子ヨーゼキに預け、この日は終わることとした。
しかし、教皇国の示したこの意志はそれから半年の期間しか保たれなかった。
なぜなら、この会談の半年後、教皇ステファヌスが卒中で頓死してしまったから・・・。
その後を継ぐ教皇選定は大いにもめた。
ヘルザでは教皇の選定は、教会の司教クラスから選ぶのが慣例となっている。そもそも枢機卿・大司教というのは、その役職を負った司教という事であり、他の司教より徳があって人々の信仰をよりよく教導できるからというものではない。かえって、その背負う役職のためにそれぞれの勢力の影響が強すぎて、権力争いの嵐になってしまうからである。
そして、これまではサルマン大公国の教会から教皇を選ぶ事も暗黙の了解ともなっていた。それはサルマン大公国の教区を教皇が統括していたからである。つまり、教皇とは教会全体の象徴であり名目的なリーダーであったが、実質的な支配はサルマン大公国の教区に限られていたのである。
しかし、サルマン大公国自体が消滅した今、その慣行を守るべきなのか、テルミス・サルマンの国ごとに分けていた教区を一度まとめて再構築すべきではないのか、イヤそうすべきであろう。
しかし、ここでテルミス教会から教皇が選ばれると、教会がテルミス王国に呑み込まれた形となり、ヴォルカニック教会一派が猛反対するのは当然である。
そこで妥協策が取られて、その結果選ばれたのがウィクトルであった。彼は旧サルマン大公国に於いて司教をしていた。それなりに著書も出したし、それなりに学識も知られている。しかし、何よりも重要だったのが彼の年齢なのである。彼は80歳と、このヘルザの世界での普人族としてはよほどの高齢で、教皇となっても在位期間がすぐに終わると考えられるし、年老いて弱った胆力では自身の方針を貫くこともできない。これは、つまり教会に猶予期間をもたらしてくれる事を意味する。
そしてなによりも、彼自身がそのことをよく理解していた、と言う点でまさしく最適の人材であったのである。
「やれやれ・・・」
無欲で人の好さげな表情で、新教皇ウィクトルはこうつぶやく。これが新教皇の第一声であった。
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