第104話 バル荒原の会戦

ヴォルカニック皇国軍がエイドラ山地の山と森を通り過ぎて、ボルツ辺境伯領のバル荒原に陣を張れたのは、それから2週間も経った後である。

何しろ途中は頼りない山道で、しかもボルツ辺境伯騎士団の妨害工作のために、いたるところでその山道や崖が崩されて橋も切られている。それらを放っておくと後々補給に支障をきたすので、いちいち修繕しながら進軍するより他ないので、それだけ手間取ってしまったのである。

その山道を越えて最後の森の中に入っても、ヴォルカニック軍の行軍はこんな具合だった。まず始めに、ウェルシの連中を斥候として展開させる。彼らは森の中にテルミス軍が潜んでいないか調べて・・・もちろん、地元の辺境伯騎士団の連中があちらこちらに潜んでいる・・・それを見つけると、後ろのヴォルカニック本隊が慎重に取り囲もうとする。そうすると森の中で隠れていた辺境伯騎士団の小部隊も早々に退却していく。お互いに森の中での戦闘は慣れていないので慎重にならざる得ず、あまりやり合いたくはなかったのだ。しかし、このやり取りも少なからず時間を費消ししてしまった。

こうしてヴォルカニック軍がやっとこさとバル荒原に出てきた時、既に荒原の向こうの方にはテルミス軍が既に陣取り、その軍旗が流流とはためいていた。

地の利は先にやってきた方が手に入れる。テルミスはそれを手にしたが、当のヴォルカニック軍はさほど不利を感じていない。騎士の質・量、共に圧倒しているとの自負があったから。

ヴォルカニックは森の中で隊列を揃え、じわじわと荒原に押し出していった。

このようにして両軍が対峙したのである。


ヴォルカニック皇国は皇国を名乗るだけあって、その振る舞いも堂々としたものである。宣戦布告の軍使を送ってきていわく、


「昨今のテルミス王国の乱脈ぶりにはあきれ果てている、

人身売買という人倫に悖る行為を放っておくどころか、国王自らが奴隷を買い求めて淫らな行為に耽っているとは。

もはや、新生の地・希望の地であるヘルザでの腐敗をこれ以上見棄ててはおけぬ。

皇帝陛下は世界を糺すために、此度の帥を立てられたのである。

恐れ慌てふためいて滅びるが良い。」と、


流石にイエナー陛下もこの物言いには言葉が詰まった・・・思い当たる節が多すぎたから・・・が、隣にいた王太子のヨーゼキ殿下は、すかさず、


「ウェルシの盗人とグルのやからが、大層な物言いですな。」

と、言い返す。


イエナー陛下と違って、心の中に疚しい処がないので、すぐに言い返せたのである。


テルミス軍は2万、ヴォルカニック軍はそれよりもやや少ないがやはり2万近くはいるだろう、合わせて4万の大軍がにらみ合っている。


剣と槍で武装する兵の戦いは、密集隊形を組んだ戦列装甲兵が主力になる。隙間なく重装甲で固め、両手に矛槍を持った戦列装甲兵が最前列でぶつかり合う。

その勢いをくじくために、弓兵は矢の嵐を降り注がせる。そして、互いの軍列を崩そうとして、その側面・背後を騎兵が突撃する。そうはさせじと騎兵に、騎兵が突っ込む。あるいは別働の槍兵隊が騎兵を牽制する。そうこうするうちに、互いの陣形が乱れてくるから、これを利用して敵を包囲する、あるいは突破して相手の陣列を崩壊させる。


この駆け引きで、勝敗を決めるというのが両陣営の戦術上の目論見である。

テルミス・ヴォルカニック共に大規模な戦争はここ200年経験がない。いや、双方合わせて4万ちかくの軍勢が衝突するのは、ヘルザの歴史上初めての大会戦なのだ。これ程の大戦の戦術というものはもちろん戦術の上でのソロバンの話でしかない。しかし、それが現実として姿形になった、戦争の専門家である騎士達がどれほど興奮していることか・・・。


戦場となったバル荒原の広さに合わせて、両軍とも正面は中央・右翼・左翼の3軍団となっていて、その3軍団の後ろには、本営とその後ろに後詰の軍団が控えている。ヴォルカニック側は半分森の中であり、山が迫っていて陣地が狭い様で、本営は急な山の斜面にはみ出て配置されている。対してテルミス王国は後ろに十分な面積が広がっていて余裕があり軍団が動きやすい。当然ながらこちらに有利と言える。これはヴォルカニック帝国の侵攻をいち早く気付いていて、いち早く準備して待っていたからだ。


われらの主人公エリーセはテルミス軍の中央軍団のなかにいる。彼女の役割は当然ながら戦傷者の治療であるが、バルディ神聖騎士団の旗を高々と掲げて戦意高揚の役割も引き受けている。だから、最前線近くで陣取って「だれも死なせはしない」と鼻息あらくして、教皇からもらった豪華な戦旗を翻しているわけである。


軍団の最前列は敵と正面衝突するので、先に言ったように戦列装甲兵で密集陣形を組んでいる。でも密に並んでいるのは最前列の3列だけで、その後ろは動きやすいように兵の前後左右に隙間が空いていて、隊列が疎になっている。それが20列ばかりもあって、これらが予備の兵員として控えているわけだ。その後方に回復や魔法攻撃の支援部隊や弓兵が控えているが、私もその一つであり、状況に応じて前列に並ぶ兵団の中を前後左右に走り回りながら運ばれてきた負傷兵の回復や、魔法をぶっ放したりするのが任務になる。

周りには十名の神聖騎士団が親衛隊よろしく取り巻いて護衛しているし、その周りには王国騎士団の護衛隊が守っているので、私の配置は安全第1と言ってもいい。


神聖騎士団は、ことさらきらびやかに輝く甲冑に身を包み、テルミス軍に神の加護が降りたがごとくに演出していて、前列の兵員の士気を挙げる働きもしているのだ。


早朝から陣形を作って、もう2時間もたつ。最前列の戦列装甲兵は重い甲冑に身を固めているので立っているだけでも、お疲れだ。だからお尻のあたりに支え棒を引っ掛けてその上に座って待っていたりする。その中には朝ごはんのパンの残りをかじったり、水筒の冷えたお茶を啜っているヤツもチラホラ居たりする。

夜明け前に隊列を作って、その時は殺し合いを目の前にして殺気立っていたが、延々とそのままで流石に待ちくたびれてきた。

時間がたって少し気が抜けてきた頃、日が随分と高く登ってきて時間にして午前8時頃、士官が一人、軍団の前に出て、


「お~~~」と、


まず部隊に喚声を挙げさせて、そして大声で号令を叫ぶ。


「構え~!、

 前進用意~、

 続け~!」


そして一歩ずつゆっくりと前に踏み出し、5000の大軍団はその後ろをドッドッドッと足音を立てながらと、列を崩さぬようにゆっくりと前に進んでいく。右翼左翼の軍団も中央軍団の動きを見て、同じく前進を始めた。

敵陣営もこちらの進軍を見て、やはり同じく前進を始めて、お互いじわじわと迫ってくる。

弓兵たちは、後ろから前に走ってきて遠矢を放ち、ばらばらと幾多の矢が放物線を描いて飛んでゆき、そして、それに交差して敵からも矢の雨が降りかかる。大鎧を着こんだ戦列装甲兵たちは、鎧の隙間に矢が刺さらない様に身をすくめ、後列の軽装甲の者は盾をかざして、矢を凌ぐ。

それでも運の悪い何人かは、矢が突き刺さり倒れ込む。すかさず、後列の者がその隙間を埋め、支援兵が倒れた兵士を後ろに引きずってくる。この矢傷を負った負傷兵の回復が、私の最初の仕事だ。


やがて最前列が、互いの顔が見えるまで迫ると、上に挙げていた矛槍の穂先を一斉に下ろし、その敵に突き向ける。兵士は左右を味方に挟まれ、互いに拠り所として恐怖と狂奔に耐えながら前方に押し出してゆき、敵軍も同様で、互いに目の前にじわりじわりと切迫してきて、ついに間合いに入った瞬間、”お~~”と雄叫びを挙げて、並んだ槍が衝突した。


最前列は、戦列装甲兵で重装甲を纏っており、敵味方互いに突きあい叩き合っていて、その激しい音が後ろにも聞こえてくるが、互いになかなか固くて最初は戦列が膠着している。一人が倒れるとそこに補充兵が飛び込んでゆくが、隊列のほころびが広がり乱れが出てきて、とうとう敵味方がまじりあう乱戦となり、前列の兵たちは狂奔の渦に巻き込まれてゆく。

こうなると後方に運ばれてくる負傷兵が一気に増えてきた。始めは一人づつハイヒールで回復させていたが、徐々に追いつかなくなってきて、


「面倒だ、前にでて、ホーリーヒールで一気に回復させるよ!」


護衛の神聖騎士はギョッとしたが、彼らにしても王国の戦列装甲兵たちは元同僚や後輩の騎士であり、他人事ではないのである。否はない。


「しかし、領域魔法だから敵も回復させてしまうぞ、それ。」


「じゃあ、まず【名乗り】を上げる。」


【名乗り】と言う魔法は、敵に対して【威圧】・【混乱】をかけ、味方に対して【鼓舞】を掛けるという精神魔法だ。健常な兵士には影響があまりなくとも、傷つき気力の弱った兵士に【威圧】を掛けると気絶したりパニックに陥るだろう。その精神状態で傷だけが回復してももはや戦力にはなるまい。

手綱を引いていた馬にとび乗ると周囲の兵の頭上から上半身が飛びぬける。金色に輝いてひときわきらびやかな鎧を見せつけながら、乱戦になっている方に押し出してゆく。最前列のすぐ後ろまで来ると、


「我は王国の守護、エリーセ!」


大声ではったりの利かした【名乗り】を挙げて、この魔法をかける。

敵味方を分けるという魔法の性質上、姿を晒し、大声で名乗りを挙げて注目を集めないといけないのだ。

杖を大振りにしてポーズを決め、兜の後ろから竜眼を開けて【名乗り】の魔法をブレスでもって額から吹き広げる。この精神魔法が強力にかかったらしく、敵陣営に何人か倒れ込んでいるのがみえた。

そして、


「神の恩寵!ホーリーヒール!」


ほんの一瞬、辺りに光が満ち溢れ、あたりに倒れて傷ついたはずの兵士が回復して起き上がり再び槍をふるい始めた。敵側でも負傷兵は回復しているはずであるが、泡を吹いて気絶したままだ。

そして、味方が一歩前進する。

馬上から視界が広がったので、周囲を見回すと、敵方の最前列に強靭な一団が居て核となっている。あっぱれな精兵であるが、敵である。その背後に、2mほどのちょっとした土槍を何本か突き出して後ろと遮断してやる、するとたちまちにしてその一団は崩れていく。土槍は尖った岩の柱であり、鎧を貫くほど鋭くはない。せいぜいが股間を直撃して悶絶させる程度だ。しかし、密集して強固になった一群も、いきなり出てきた土槍に足元を崩されてしまうと、雪崩の様に崩れていくほかないのだ。


馬に乗って上半身を敵味方に派手に晒して、戦列装甲兵の最前列のすぐ後ろを左右を移動しながら、【名乗り】を挙げ、ホーリーヒールをかけてゆく。

先程からこれを繰り返している。

やがて、


「我は王国の守護、エリーセ!」と【名乗り】を挙げると、


「お~~」と、

周囲の兵士が合いの手を入れてくれるようになった。


「神の恩寵!ホーリーヒール!」


「お~~」


合いの手の声は徐々に広がり、軍団全員が応えてくれる。

こうなると、敵味方からも目立ってしまうのは仕方がない・・・、

【名乗り】の効果は上がるが、敵方からは集中的な狙撃を受けてしまう。神聖騎士達も乗馬して、目の前に盾をかざしてくれるが、そうすると姿が隠れてしまう。だから、今度は鐙の上に立って、盾から頭一つ抜け出して、【名乗り】を挙げる。

前で盾をかざしている神聖騎士のエミリーが、

「盾から出るな!」と、

うるさく叫んでいるが、なかなかそう言う訳にもいかない。

その内に、前にいる他の味方兵も気が付いていて、手の空いている者は盾を高く持ち上げて差しかけるようにしてくれている。

しかし、その盾をかいくぐり、一本の矢が向かって飛んできた。

すると、手前の空中でポーンと弾き飛ばされる。


”ほんと、ボンヤリさんなんだから”


杖のシュールタルテが場違いの小言口調でいう。彼が念力魔法で守ってくれたらしい。


”火魔法は試さないのかい”


”結構忙しいのよ。それに、このままでうまくいっているから・・・。

万が一、味方に誤爆したら・・・”


戦術的にそんなことをしてもいいのか、状況判断が難しいのである。下手に引っかき回すのは下策と言うものだ。


”そうだね、要らないことはしない方がいい”


前線の後ろを横に右・左と移動して、こんな支援・回復をしながら、軍団を後押ししていく。

このまま押していけば、勝てそうな気もしてきたころ、


ドドドドドドドドド


と、地響きが鳴り響いてきた。


「騎兵だ!」

  誰かが叫んだ。


敵陣の後方から砂塵が舞い上がり、騎兵軍団が右前方から押し駆けてくる。

バルマンが「右翼に急ごう」そう言って、神聖騎士団は旗を翻して右翼にかけてゆく。


もちろん味方の騎兵も後ろから突っ込んで来る。

そして、双方の騎兵軍団が正面から衝突!

そして・・・たちまちにしてテルミスの騎兵は蹴散らされた。

・・・

「えっ」

・・・

ヴォルカニックの騎兵の精鋭さはよく知られているが・・・イヤ、それだけではないあの数は・・・圧倒的に多い。3倍は居る。

テルミスの騎兵を蹴散らした後、こちら、右翼軍団の右側面から後面に突撃してくる。

ヤバいよ、ヤバいよ、あれにやられると、崩れてしまうよ。


「壁よ!我らの守りよ!」


思わずそう叫んで、幅5ⅿ程・高さ2ⅿ程の土塁を敵騎兵の正面に築く。勢いのついたヴォルカニック騎兵は目の前に突然現れた土塁を避けきれずにぶつかり、転がっていった。しかしその横へと後続の騎兵が駆け抜けようとするので、また横に壁を築く。そしてまた、その横に。

次々と壁を作って騎兵の勢いを削いでいる状況を見て、味方の予備兵が土塁に向かって走っていった。弓兵はこの土塁に登って上から矢を放ち、歩兵は壁に阻まれてわさわさ足踏みしている馬の脚を大剣・大鉾で払っている。

それでも、残りの騎兵が壁を避けて突っ込んできて、ついに我らの兵団に突撃が届いた。

が、既にスピードの削がれた騎兵は威力が激減しており、後列の兵士が槍衾を並べて、突撃に何とか耐えている。そして今度は、突撃しかねてとどまっている敵騎兵団に、後列の槍兵隊が側面から突っ込んでゆくと、“もはやここまで”と、敵騎兵団はサッと引いて行った。


こうして敵騎兵軍団はそのまま消えて・・・いかなかった。

こちらが右翼の立て直しをしている間に、ぐるっと回って、今度は左翼兵団に突撃を仕掛けていた・・・のだ。

左翼兵団は、その後側面に騎兵の攻撃をもろに受けてしまった。突入の前には槍兵が槍を突き出して構えてはいた。しかし700Kgもある馬体の文字通り肉弾の衝撃をそれだけでは耐えられるものでもない。最初の馬は串刺しになったが、その突撃の衝撃で槍兵の列は崩れてしまう、いったん崩れるとそこから次々と他の騎兵が突っ込んできて、兵団の一角はたちまちにして崩壊していき、戦列装甲兵の最前列まで崩れ始めている。


マズい!。


このままでは、やがて左翼兵団そのものが総崩れになるだろう。

中央兵団・本営から、それぞれ援軍が走っていくのがみえる。私の所にも伝令がやってきた。

「軍団長より伝令!、直ちに左翼の支援に向かわれたし。」


援軍が敵騎兵隊の背後に駆けていくと、それまで左翼に喰らいついていた敵の騎兵隊は、サッと退いていく。しかし、崩れかけた左翼兵団は今度は戦列装甲兵の最前列まで混乱状態に陥ってしまった。

援軍はその崩れている最前列を押し返して復元すべく飛び込んでゆく。

神聖騎士団に囲まれて左翼にたどり着くが、もはやここは乱戦の有様で、周りを守っている神聖騎士も剣をふるい、敵兵を払っている。

しかし、することは同じ、


「われはテルミスの守護、エリーセ!」と怒鳴り、


「神の恩寵!ホーリーヒール」と杖を振る。


負傷者の数が夥しい。また、激しい乱戦となったので、傷もひどく、四肢を失い転がっている者、腹を裂かれて腸をぶちまけている者、先程までは勇気凛凛の勇士が今やそんな半分死体になりかっかた姿でのたうち回っている。そんな者が周りに大勢ころがっていた。もはや、ホーリーヒールでは間に合うまい。イヤリル神社の聖霊に教わったディバインヒール試しすより他なかろう。

「神よ、勇士をこの地に止めたまえ!

 神降ろし!」


前面一杯に広げた16羽の光翅がマナを帯びて輝きだし、次にその辺り一面で視野が光に埋められる。そして、その光が収まった時、それまで呻き倒れていた者たちが起き上がる!

同時にMPがごっそりと抜けて行ったが、まだまだやれる。


「お~~」


と味方の喚声が上がり、また敵に突っ込んでいく。

こうして、敵軍勢を押し返し、なんとか左翼を立て直すことができた。 


こうして戦場は両軍が押し合いしたが、決定的な勝利には結びつかない。最前線の兵士を交代させながらも、ズルズルと戦いが長引いてゆくばかりである。

やがて両軍とも疲労が目立ち、徐々に勢いが衰えてくる。

それでも、双方共に陣は堅固なままで崩れず、会戦の決着はついていない。昼過ぎになると、既に両軍はにらみあったまま、少し距離が開いてきた。

やがて、陽も傾いてきて夕方に差し掛かり空が暗がってきた頃、戦線の攻守は膠着したまま、この日の会戦は終わった。

この日の戦いは、敵の方が戦死負傷者が多かったと思うが、押し合いをしただけで決定的な勝利とはいえない。

引き分けであろう。



さて、兵士たちの一日は終わったが、私のお仕事は終わっていない。その日の戦いの負傷者たちが大勢いるのである。軽傷の者は金創医(戦傷を専門とする外科医)とハイヒールの使える治癒師が引き受けてくれる。しかし重症者にはホーリーヒールが必要であるし、四肢や目などの欠損をしてしまった者をもとに戻すにはディバインヒールが必要になる。いや重症といえなくとも、斬り合いをして指を失った者は大勢いる。やはり一日の終わりは神降ろし(ディバインヒール)で締めないといけないのだ。私がそれをできる事を既に知っている(戦闘中に小規模であるが一度使った)ので周りも期待を膨らましている。


「使徒殿、これは熟達の錬金術師がまるまる一年を掛けて調製したる秘蔵のマジックポーションであります。どうぞお使い下され。」


そう言って、金の細工で飾り付けたガラスの小瓶を何本も渡された、王国の魔術師長殿から。マジックポーションはバルディでもよく見かけた。どれもマズい薬だった。しかし、こいつはそれらとはケタが違う・・・。

豪華な小瓶の中にはドロッとした不気味な青黒い粘液がヌラヌラと揺れている。


「ささっ、ご遠慮なくお使い下され。使徒殿の魔力は即ち、傷つき倒れたる者の命綱。遠慮なくお使い下され。」


要するに、この不気味な粘液を飲んで、さっさと神降ろしをやれと言っている。

いや、ディバインヒール:神降ろしはやりますとも、言われなくとも。おいしいものを食べてしばらく休ませてくれれば、それでやりますとも。


「まこと、この秘宝ともいうべきマジックポーションは、まさしくこの時に使徒殿にお使いいただくために、この世にあるのであります。ささっ、遠慮なくお使い下され。」


大層な御衣装に着飾って長い白髭を垂らしたジジイがそう言いながら、怪しげな薬の入った薬瓶をグイグイと押し付けてくる。顔を見ると真剣なまなざしでジッとこちらを見つめて私を追い詰める。


万事窮す!


イヤイヤながらも、薬瓶を受け取ってその蓋を掛けると、瓶の中からムカムカする饐えた匂いが鼻を突いてきた。


南無三!


思い切って口に薬瓶を咥え、口腔内にドロリとした粘液を流し込むと、驚くほどの苦みに舌が痺れ、吐き気を催すような強い匂いが鼻に抜け、ネットリとした厭な感触を喉にのこし、焼ける様な感触が腹の中へと伝ってゆく。


思わず吐きそうになって口を押えると、エミリーがリンゴ酒の入った杯を渡してくれる。杯に口をつけて爽やかなリンゴ酒を口腔に含み、舌・喉・食道を順に洗い流していった。

それで、吐き気が収まった・・・。

しかし、今度は腹がジワッと熱くなり、軽いめまいが襲ってきた。立っているのがつらくなったのでしゃがみ込み、そのまま後ろにあった荷物に背中を預けて、仰向けになり、四肢を大の字に広げて、要するにぶっ倒れていると、腹の熱感が全身に広がってゆくのがわかる。エミリーが心配そうに上からのぞき込んでいる。

そのまま5分ほど寝ていると、ようやく熱感も引いてきて気分が落ち着いてきた。眼(まなこ)を開けると、少し禿げあがって痩せたオヤジの顔が上から見下ろしていた。今度は従軍司教だ。


「使徒エリーセよ、気分は如何ですか?」


「ええ、なんとか戻りました。」


「もう少しお休みになりますか?」


「あと半時間も休めば、十分に働けるようになると思います。」


「わかりました。あなたの恩寵の力を心待ちにしている者が大勢おります。奇跡の場の用意をしてまいりましょう。今少しお休みください。」


司教はそう言って、微笑みを浮かべる。

微笑み?いや、そう表現するには少しばかり悪い顔であった。ニチャ~と笑った・・・様に思う。

それから半時間ほどもすると、その司教が戻ってきた。ちゃんと煌びやかな司教の衣装を整えていて、頭には尖がった帽子もかぶっている。が、あまり似合っていない。


「用意ができましたよ。先に行って皆を集めて気持ちを整えておきます。20分ほどしたら神聖騎士団の方々と入場してきてください。」


そう言って、また出て行った。

しかし、入場?

入場とはどういうことだ。戦傷者の治療をしに行くのに入場とは?


案内された場所に行くと、その疑問はすぐに解けた。

広い円周上に、櫓に組まれた大きな焚火台が5つ作り付けられ、ボウボウと燃え上がっている。このペンタグラムの中心に1メートルばかりの高さの台座が造り付けられていて、その前には先程の司教が立ち、その上には若い司祭が立って説教をしていた。そして、横には教会とバルディ神聖騎士団の大きな旗が焚火の火に照らされはためいていた。

この台座の周囲に重傷者が取り巻くように置かれている。全身が隠れるほどに包帯で巻かれて担架に乗せられた者、うつ伏せにしゃがみ込んでいる者。台座の近くには重傷者がそれを取り巻くように置かれていて、少しましな者がその外側に横たわり、その外周には軽症の者が、およそ千ほども集まっている。そしてこのペンタグラムの外にはやじ馬が・・・何千もの大勢が・・・多分非番の者すべてが集まって、待っていた。

あっ、やじ馬の中には参謀達とともに穴兄弟の長男も混じって見物している。

そのただ中に、神聖騎士に取り巻かれてご入場と相成る。

私の姿を見つけた台上の司祭が、


「使徒よ、使徒エリーセよ!」と、両腕をあげて指し示す。


すると群衆がザアッと左右に分かれて、間にできた一筋の道を、注目を浴びながら台座に近づいてゆく。金色の鎧が炎に照らされて輝き、深緋色(こきあけいろ)の髪が風にあおられてたなびく。

台上からは司祭が両腕をこちらに伸ばして大袈裟に招き、


「神の恩寵を!

 我らに神の恩寵を届けたまえ!」

と、絶叫していた。


そして台座に上ると、周りからの炎の熱と大勢の視線が、熱く痛い!

ここまで盛り上げられたら、何か一言言っておかないとならないだろう。


「大神よ、大神よ、我らの正義を嘉したまえ!

 正義のつわものどもを嘉したまえ!」


そう叫んで、ゆっくりと杖を頭上に掲げ、つぎに目一杯の魔力を込めた【ディバインヒール】を掛けた。

16本の傲慢の光翅が光り輝きながら周りにひろがり、もう数百メートルもひろがり、辺りは真昼の様に明るく光が溢れてゆき、ついには一瞬、視野が白く失われる。そしてその光は負傷者、傷に吸い込まれてゆき、元の景色に戻る・・・。


これで、全ての傷は癒された。

失われた四肢も、切り裂かれた腸(はらわた)も、つぶされた眼球も、砕かれた骨も、

そして、蚊に刺されたあとも・・・禿はムリだが・・・。


ごっそりとMPが抜かれて、さすがに少しふらつくが、後ろに立っていた司祭が支えてくれた。

どよめきが沸き上がった・・・次に膝を地に付けて祈り始める者が出てきて、次々とその数が増えてゆく。

自分で立つのがやっとという状態なので、エミリーが上がってきて、彼女に支えられながら台座を降りる。

台上では司祭が、群衆の感動を逃がすまいとなにやら説教を始めた。始めは私もそれを聞いていたがやはりふらついてくる。魔力を使いすぎたようだ。

すると、さっきの司教が背後から耳元に、


「使徒エリーセ、お疲れであるなら先におもどりなさい。後は私達が引き受けますから。」


と小さな声で耳打ちしてくれる。

では、先に退場させてもらおう。エミリーに支えられながら群衆の隙間を抜けて天幕に向かっていると、一通りの説教が終わって、背中から司祭の絶叫する声が聞こえてくる。


「大神よ、大神よ、この奇跡を感謝いたします!

 我らの正義を嘉していただいた事を感謝いたします!」


と、きわめて身勝手な事を大声で叫び(元は私のセリフだが)、そして讃美歌を歌い出す。


神よ、神よ、奇跡の力もて、この麗しき世界を創りし、

神よ、神よ、我を愛もて産みし、この世界に産みし、

神よ、神よ、この世に時が流れるかぎり、

神よ、神よ、あなたに感謝し、あなたを称える、

その幸せを!その幸せを!


周囲を取り囲む何千もの軍兵もこれにひき続いて歌い出し、その声が夜の闇に低く響いている・・・。


・・・が、やがて興奮してきて聖歌が少し崩れてきた・・・


カミヨゥ~、カミヨゥ~  イェイ~

イダイナ カミヨゥ~  イェイ~

オレハ イマ ココニイル~ イェイ~

ジ~カンヨ~ トマレ~  イェイ~

オレハ、シアワセダァ~  ウォ~~~~


すこし様子が変なので後ろを振り向いてみると・・・。

台座の上の司祭は拳を握り、唾を飛ばしてシャウトしていた。

その周囲では、包帯でぐるぐる巻きになった重傷者達がムクリと起き上がって、そのまま台座を取り巻いて踊り出す・・・そして、なんとヘッドバンギングしはじめた。その姿は、まさしくミイラ男の盆踊り・・・。

台の下に居た司教はどこにいるのかと探すと、両手を頭上に高々と挙げて腰を左右に振って踊りながら、ミイラ男の輪を先導して台座の周りをぐるぐる回わっている。

その外側で重い傷に横たわっていた者も起き上がり、わらわらと台座を目指して寄り集っている。まるで墓の中から這い出てきたアンデッドの様に・・・。

それらを見ていた軽傷者・野次馬までが腕を振り上げて叫び出し、中心部の興奮が外周の端の方まで波の様に同心円状に広がってゆく・・・その様が手を取るようにわかる。

もはや、宵のロックコンサート『ザ・キセキ』になりつつある・・・。


「まずい、捕まったらもみくちゃにされるぞ、急げ!」


バルマンの声には恐怖が混じっていた。

まだ足元のおぼつかない私を両脇からガシッと抱え上げ、前にはグレア達の体格のいい騎士が飛び出して群衆を左右にかき分けて道を切り開き、そこを駆け足で逃げてゆく・・・。


"会場"を逃げ切り、ようやく天幕に戻ると、


「また、大変なことになったな。」


と、バルマンがボヤいている。


「まあ、そう言いなさんな。これまで教会は神社の奇跡を横目で眺めてきたのじゃから、張り切るのも致し方が無かろうが。」


「しかし、いいのですか?あんなに興奮させて。」


そう聞くと、


「敬虔な信仰の奥底には、歓喜と陶酔を求めているもんじゃ。ただ、に走らぬように、つまり個人崇拝などに向かわぬように・・・ああして司教・司祭が見張って導いておる。」


ベテランの修道士がこちらを見て、そう答えてくれた。ヤーザワ司教にエイキッチ司祭と言う方で、人気の聖職者コンビらしい。


・・・ご苦労様な事である。



テルミスの陣営では大騒ぎをしているが、ヴォルカニック軍が居る北の森は月明かりの下で黒々として広がっているばかりで、シンと静まりかえっている。


「連中は、戦慣れしている。」


森を見つめていると、バルマンが後ろからそう言う。


「焚火一つ炊こうとしない、暗闇の中に完全に隠れている。2万も居るのに。」


そう・・・ヴォルカニックの騎士達は確かに強そうだった。

あの暗闇の中の敵の向うには、ランディ達が居る。そして、といういささか無粋な名前の、でも文字通り危険な作戦をするのだと・・・。


大丈夫だろうか・・・。




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