第85話 モルツ侯爵

次の日の朝早くから、ランディとガルマン・エルフィンの3人が連れ立って王宮に向かう。ガルマンとエルフィンは避難民と言うわけではない。だからランディとおなじく一応の服装の用意はあって、容姿を整えることはできる。当然である、奉加帳を持って国境爵を回っていたのだから。もっとも似合っているかどうかは別だが、特にガルマンは。


王宮の門前に行き、前と同じく門番に取り次いでもらう。ちょっと違うのは、"ちょっとガラの悪いおばさん"がくれた名刺を出したことだ。すると、すぐに通してくれた。広い王宮であったが数日前に来たばかりなので道に迷うことはない。


「ランディ、王宮に慣れているとは・・・凄いな、あんた。」


ガルマンは田舎のオヤジ丸出しでランディの事を褒めてくれるが、


「しかし、テルミス王宮の庭は愛想のない所だな。」


エルフィンは、とりあえず貶している。ランディはここは裏口の通路なのだから愛想のないのは当たり前なのだが・・・と、思いながらも返事をせずに黙々と道をすすんでいく。やがて目的の裏口に到着して建物の中に入り、さてここからどうだったか・・・少し迷いながら奥へと進むと、忙しそうにしている何人かの使用人がいるので、その内の一人を捕まえて、"ちょっとガラの悪いおばさん"の名刺をみせて執務室の場所を聞き、ようやくその部屋の扉の前までやってきた。

ドアをノックすると中から「あいよ、いいよ入りな。」と、王宮らしからぬ返事が返ってきた。そこでドアを開けて中に入ったが、部屋の主はこちらを向くと、そのまま怪訝な顔をして突っ立っている。なぜかしらんと振り向いてみると、ガルマンとエルフィンが戸口にて頭を下げ膝を着いて大仰な礼をしていた。


「侯爵閣下に置かれては、ご機嫌麗しく・・・」


「ちょいと、あたしはそんな大層なもんじゃないよ、止めておくれ!」


このあと"おばさん"に王宮の中を先導されて大理石の廊下・豪華なロビーと進んでゆく・・・と、ガルマンとエルフィンは王宮についてきたことを後悔し始めている様子だ。"フンッ、俺だって苦労しているんだ"とランディは同情する気はない。そしてついに侯爵の部屋に入ると、ガルマンとエルフィンの目はもう死んでいた。そして・・・挨拶する気力も残っていない様だった。

モルツ侯爵はその様子を見て、そしてここにたどり着くまでの話を聞くと「ホォッホォッホォッ」、甲高い笑い声をあげ、


「ガルマンさん、エルフィンさん、お二人ともテルミス王国にとって大事なお客様です。私の役目と言うのが諜報という裏方なので、そのために王宮も裏を通ってきていただくことになってしまった。この非礼は、お詫びいたします。

そうだ、ちゃんと昼餐でもてなすように手配いたしましょう。」


そう言って秘書を呼び出し、饗応役に昼餐の用意をしてくれるように指示を入れる。本当は、爵位のもたない彼らにそこまで気兼ねする必要はないのだが、これが政治的配慮と言うものである。そして、この2人にもう一押し緊張させてやろうという悪戯心も無きにしも非ずに違いない。

侯爵は話を続ける。


「お二人が避難民キャンプで世話係をなさって活躍されておる事は既に聞き及んでいます。」


つい今しがた、配下から耳打ちされたばかりである。


「で、避難なさってきた方々はどのような状況でありましょうか。王国でも大きな問題として国王陛下は大変心配なさっておられるのですが、なにぶんにも古(いにしえ)から山の民・森の民の領域であるエイドラ山地の事、普人族の王国が露骨に干渉するのは好ましくないとの意見が強く、隔靴掻痒の思いがつのるばかりでした。」


外交的修辞というやつであるが、そう言われると不満も言いにくい。


「王国の国境爵であるフェンミル族長殿を通じて多大な援助を頂いておる事、まことにお礼を申し上げまする次第じゃ。おかげさまで、皆はようやく落ち着いたところでございますじゃ。わしらはウェルシに追われてしもうたが、これで負けたとは決して思うとらん次第でございますじゃ。今回ランディ・・・殿から、王国がゴムラを占拠したとの由、まことに重畳でござりまする。そして我らに周囲の森に入らぬかとのお誘い、まっこともってかたじけなく、皆は勇立っておりますじゃ。」


ガルマンもちょっと変な外交的修辞をかえす。それを聞いていたエルフィンが、横から口をだした。


「我らは我らの大義のため戦いたい、皆はそう申しております。」


侯爵は、それを聞いて、


「皆さんがたの大義とは?」


エルフィンは、すかさず返事を返す。


「我らの森に生き、我らの森に死ぬ。その覚悟。」


この返事は少しきつすぎたようだ、侯爵はしばし絶句してしまう。ガルマンは、その様子を見て、


「我ら山の民・森の民は、生まれ故郷で平和に過ごしたい、ただそれだけがのぞみでありますれば、と言う事ですじゃ。王国におかれましては、そのためにご援助いただけるとの由、まっことにありがたくかたじけない思いでありますじゃ。わしらは、粉骨砕身、戦い抜くつもりでありますじゃ。」


と話を繋ぐ。


「皆さんのお覚悟はよくわかりました。不肖モルツも、あたう限りの努力をいたすつもりです。

で、当面の事でありますが、500名の出陣の用意と兵站物資、これを準備いたします。今後これ以上の援助、これも当然していきましょう。今回はとりあえずと言う事で。なお、我々としてはランディ・・・さんを通じて援助を進めてゆきたいと思いますが、これでよろしいですかな。」


「ランディはバルディでも名うての冒険者でありますじゃ。わしらは大いに信頼しておりますじゃ。」


と、一通り話を終えた頃、コンコンとドアがノックされる。


「侯爵閣下、お客様の昼餐のご用意が整ってございます。エイドラ山地避難民対策担当の内務省課長エンヘラ子爵が昼食会をご一緒したいとの由。」


侯爵は、部屋に入ってきたエンヘラ子爵を傍に呼び寄せてヒソヒソと耳打ちをすると、子爵は了解したと頷き、


「さっ、ガルマン殿、エルフィン殿、昼餐の場にご案内いたしましょう。我らはエイドラ山地の事に関しては恥ずかしいながら無知・認識不足。このエンヘラめに状況をとくとご教授ください。

ランディ殿は、侯爵との間で細目の打ち合わせがあるとの由、追って参加いただくこととして、まずはお二方、参りましょう。」


こうして、2人が部屋の外に出てドアが閉まると、侯爵はフ~と小さなため息をつき、


「さて・・・と、ランディさん。少し慌てましたよ。

いきなりキーパーソンをお連れしてこられるとは思ってもみませんでしたからね。まあ、それだけ状況が速く進んでいるという事で、決して悪い事ではないのですが。」


「えっ・・・キーパーソン?。ガルマンとエルフィンが、ですか・・・。」


「おやっ、そのつもりは無かったと・・・。

いいですか、彼らは山の避難民救護のためにいち早く動いた人物であり同族でもあるので、避難民たちの代表になり得る人物です。そしてなによりも、あなたと親しく信頼関係にある。もちろん今は指導者と言えるような立場ではないかもしれませんが、王国の力でもって押し上げてゆけばいい。

特にあのエルフィンと言うエルフ、彼はいい、素晴らしい。英雄の資質があると思いますよ。いささか悍馬で扱いづらいかもしれませんが、そこはガルマンが丸く収めてくれる。最高のコンビではないですか。あのお二人を中心に義勇軍を立ち上げましょう。いい人材を連れてきてくれました。些か慌てましたがね。

ランディさんしっかりをあの二人を支えてあげてください・・・いや、上手く使ってください。王国の方でも国境爵と同等、そう貴族と同等に待遇してゆきますから。」


ランディは少し呆然としてしまう。あの2人を都合のいいように"英雄"に祭り上げてしまおうという話なのだから。彼自身は、そんな"謀略"なんて微塵も考えていなかったから。

そんなランディの心の内を見透かしたように、侯爵は、


「"国家"というものは怪物です。これを扱うには、なによりも思慮・分別が必要となります。でないと振り落とされ、喰い殺されてしまう。これは"謀略"ではありません、"思慮・分別"なのです。決して、あなたの友情を裏切るようなものではない・・・でも、うまくいけばと言う条件が付きますがね。ですから、彼らが上手くやるようにあなたの助けが必要だという事です。"謀略"の材料にするためにあなたの友人を売れ、と言っているわけではない。いいですか。」


ランディは唇を結んだまま、ゆっくりと肯いた。


「結構。それでは次に参りましょう。」


まだ、次があるのか・・・。


「あなたにお会いしていただきたい方がおります。王国騎士団元帥のラムズ伯爵です。あなたの事をお話いたしまして協力を求めましたが、なかなか話が合いませんで・・・私はどうも軍人は苦手でもありまして。軍事に関しては素人ですからね。

向うもあなたと会いたいと言ってましたよ、"真贋を見極めてやる"とか言ってね。

少し気が重たいかもしれませんが、まっ、あなたとしてもいずれ相手にしなければならない相手です。早い方がいいでしょう。

では、参りましょうか。」


気軽な調子で言った後、返事も聞かずに歩き始める。ランディは慌てて侯爵の後ろについて行くより他ない。床に大理石を張り詰めた廊下を延々と歩いて通り抜けると、一度外に出て、次に入った建物は少し様相が異なっている。それまでの豪華な装飾がきれいサッパリとなくなっていた。


「宮殿を抜けまして、ここからは王国騎士団統合本部となります。」


わざわざ説明してくれなくても、軍の施設の中に入った事は雰囲気から十分にわかる。ランディにとっては、こちらの方がどれほど気楽な事か。

ザラッとした石の床、白い漆喰の内壁、王国のどこにでもあるような建物のそれである。ただ規模はかなり大きい。そして広い階段を3階に登ると今度は木の床の廊下が続く。やがて大きな扉の前に着くと、侯爵はトントンと軽くノックして、


「モルツです、入りますよ。」


と、気軽に声を掛けてドアを開ける。と、中では5人の厳つい軍人が直立不動で立っていた。


「一昨日お話しした、ランディさんです。」


この一言で、ランディは一斉にキツイ眼差しの集中を受ける。さっきまで居た宮殿ではこんなぶしつけな視線を浴びる事はなかった。明らかにここは別の世界だ。

でも、ランディにとってはむしろこちらの方が気楽なのだ。礼儀や気兼ねからくる曖昧さよりも、白黒をはっきりさせようとする不躾さ、これこそが彼が前世で生きてきた世界の在り様だ。


「ランディと申します。宜しく。」


落ち着いた素振りで、左手を胸に当てて挨拶をする。これは民間人が貴族に向かっておこなう礼である。この落ち着きぶりに気落とされたのか、視線が少し緩くなった。そして、


「王国騎士団司令のラムズだ。貴殿の事は既に侯爵閣下から伺っている。転生者の兵法者が現れたというのはにわかには信じがたい話であったのと、エイドラ山地に関する貴殿の意見に興味が持たれたので、この会見を閣下にお願いした。」


と。年の頃は50台であろう、元帥という地位にしては若いとも思ったが、ここは貴族の世界であり、かつ現代の日本のように武官が政治権力から隔離されているわけではない、つまり元帥から今度は大臣へとキャリアアップしてゆくのだから、こんなものなのかもしれない、と思い直す。


「何からお話しましょう。」と、答えると。


「ボルカニック皇国の侵攻におけるエイドラ山地の戦略的意義について、貴殿の考えを一から伺おう。午前中の残り一杯をその時間に費やす事が出来る。」


と、明確な返事が返ってきた。あと一時間程、話さないといけないらしい。これまでに繰り返し話して来た事をここでも繰り返す。


攻めてくるボルカニック皇国軍にとってエイドラ山地は兵站上の弱点である事、

ゴムラを確保することにより、戦場をボルツ辺境伯領方面のバル荒原に制限する事ができる事、

そして、この2点を生かすためには、背景に広がるエイドラ山地の確保と活用が重要になってくる事、

である。そして、


「ここで問題になるのは時間です。もう1~2ケ月経つと山では雪が降り始める。そして、その雪が解ける頃つまり春になった時、ボルカニック皇国軍がやって来る・・・のではないでしょうか。準備のできる時間の正味はこの1~2ケ月しかないのです。

その間に、森の中に戦力を展開できるようにしておかなくてはならない。今から森の戦いの演習・訓練を始めて、そのための部隊を作っている暇がない。

ですから、地元民でウェルシと戦ってきた森の民・山の民をあてにする他ない、と考えるわけであります。

そして今後の事を戦略的に考えると、彼らとの共闘は大きな意義を持つ。

最終的にはボルカニック領に攻め込んでいくことも考えておかないといけないでしょう。その時はエイドラ山地をいかにして確保するか・・・それを考えると森の民・山の民達とウェルシとの対立を無視するわけにはいかない。何らかの形で決着をつけ、味方側に確保する必要がある。

と、いうわけです。」


ラムズ司令と参謀達は顔を見合わせたまま黙っている。この反応にはランディにしたらいささか拍子抜けだ。彼らにしたら自分たちの座敷に土足で踏み込まれたようなものであろうに、もう少し反感・手ごたえを示してもいいようなものであろうに。


「ランディ殿、我らは1か月前にエリーセ嬢がもたらした情報を聞き、動員計画・バル高原での陣立て、大わらわで策謀している処だ。

しかし、この戦いをこれからどう持って行くのか、全体像が見えていない・・・恥ずかしながら・・・。ヴォルカニック皇国がエイドラ山地を越えて、大挙して攻めてくるなど・・・正直言って、誰もこのような事態を予想していなかった。

貴殿の進言はおおいに参考になった。そして、森の民・山の民との盟約の建議、これは緊要であると思われる。しかし、この件は我ら騎士団のレベルを超えている。

むしろ・・・」


そう言ってモルツ侯爵に目を向ける。


「おっしゃる通り。その件はこちらで預かりましょう。しかし、騎士団としても異存はありませんな。当面の問題としては、ギルメッツ・フィンメール族の有志をゴムラに入れる事に異議はないですな。彼らの兵站補給は宜しくお願いしますよ。最大500名ほど考えておりますから。」


「了解しました。ゴムラ占領軍司令のカイルに指示しておきます。」


「さっ、これでこちらの話は終わりです。ランディさん、次に参りましょう。」


それだけ言うと侯爵は、クルリと踵(きびす)を返して戸口に向かう。ランディは慌てて、ラムズ元帥に挨拶を交わし、侯爵の後を追ってゆく。

そしてやってきた廊下をまた戻ってゆく。

人気の無いところまで来た時、侯爵はランディに話しかけてきた。


「どう思いました、騎士団の参謀達。」


「えっ・・・」


「率直なご意見を伺いたいですな。」


「・・・非常に素直な方々でしたが・・・」


「要するにバカと言いたいのですか?」


「あっ・・・いえ、そのような含みは・・・。」


「ええ、その通りでいいのです。バカなのですよ。

所詮、世襲貴族のボンボン達ですから。

人柄はいいが・・・所詮、お人好し以上ではない。」


「お言葉ですが、閣下、私は違う考えを持っています。

軍の礎石となっているのは大勢の兵士で、かれらは平民です。だから王国の統治がうまくいかなくなって平民階層が荒れていると、軍という組織はその影響をもろに受けてしまいます。そうなると軍の上層部は素直にはやっていけなくなってしまう。

逆に、軍の中枢がお人好しで居られるというのは、王国の体制が盤石であるから。

そう思いませんか。

だから、これはこれでいいではないですか。」


そう言うと、侯爵は立ち止まってクルリと振り返り、ニヤリと唇をひねる。


「うまく、切り返しましたな。お見事です。

才ある者は凡庸な者を目の当たりにすると、いらだち、取って代わろうとするものだ。つまり危険でもある。

あなたはそういう者ではない、そう言いたいのですな。

"才"があるが、同時に"信"も重んじる、と言うわけですな。

よく、覚えておきましょう。」


そう言って、またクルリと回って歩き始めた。

もしかしたら試されたのかも知れない、ランディの背中には冷ややかなものが流れる。


やがて道は元の王宮に戻り、豪華な大理石の床にもどった。いや、先程よりもよほど豪華で、壁には絵画が掛り、その前には大きな壺や煌びやかな鎧なども飾り付けてある。メイドも大勢すれ違うようになり、彼女らは押しなべて丁重な礼をするが、侯爵は目も向けずに進んでゆく。

そしてひときわ豪勢に装飾された長細い部屋にやってくる。そこには特上の応接セットがいくつも置いてあり、いかにも高位の貴族然とした先客が何人も居て、ゆったりと座って待っている。侯爵は会釈を交わせながら、その前を通り過ぎ、ランディにそのうちの一つに座っているように指示しておいて、自身はその奥にすすみ、鎧姿の騎士が守っている大きな扉の向うへと入っていった。

ランディはこの部屋;待合であろう、で待っている先客達に、ぎこちないながらも深い礼をして、勧められた椅子に座る。部屋の風景には不釣り合いなみすぼらしい姿の彼であったが、周りにいるのは流石に高位の貴族だけあって、イヤな素振りのひとつも見せずに余裕をもって会釈を返してくれる。まるで針の山に座るような思いで椅子に座ると、前のテーブルには芳醇な香りを上げているお茶が置いてある。いつのまにこんなものが置かれたのだろう?・・・キョロキョロと辺りを見回すと、すぐ横に立っていたメイドが"どうぞ"と手振りで示してくれた。

突然の珍客にもかかわらず、すべてが完璧に優雅に迎え入れてくれている。しかし、ランディにとってはとても居心地が悪かったのは言うまでもない、胃の辺りがキリキリとしてくる。


暫く待っていると例の大きな扉が半分だけ開いた。そこから侯爵が半身だけ身を乗り出して右手をヒラヒラと振ってランディを手招きしている。この豪華な待合に似合わないのはランディの姿だけでない、侯爵の態度も優雅な雰囲気を乱している、いや、敢えて掻き乱そうとしている・・・まるで、市井の商店のオヤジが丁稚を部屋に呼び込むようなやり方なのだ。

ランディは慌てて立ち上がり、周囲の先客たちに順番に割り込んだことをペコペコと申し訳なさそうに頭を下げて、扉に向けて駆けてゆく・・・これも似合わない姿だ。


すると両脇に立っていた鎧姿の騎士が扉を大きく広げ、部屋の中へと招いてくれた。


ドアの向うは明るく豪壮な造りの部屋であり、正面にこれまた豪華な執務机が置いてあり、そこにはきかん気の強そうな小太りの男がこちらを睨んでいた。どうやらこの男がこの宮殿のラスボスらしい。つまり、この男がこの国の主であるということであり、このことは・・・ランディは国王に謁見している・・・考えたくもない事態に陥った・・・らしい。


「陛下、先にお話したランディです、転生者の・・・。」


侯爵が最小限の紹介をしてくれた。侯爵の言った"陛下"、この尊称はやはり国王であることに違いない。

思わず片膝を床に付け頭を下げて、つまりランディが知るところの最上級の礼をとる。


「ランディか・・・そなたは男爵位であるのか?」


えっ!!


「それは男爵位の礼ですよ、ランディさん。あなたはまだ叙爵されていませんから・・・片膝などつかなくてよろしい。」


侯爵が教えてくれた。

それでは・・・今度は両膝を突いて膝まづき、両手を胸の前で握り合わせる。


「何をしとる?ワシは坊主ではないワ!」


これは教会で司祭の前でする礼だった・・・。


「そんな事はどうでもええ、さっさと中に入らんか!

扉が閉まらんではないか!」


そのように叱られて、慌てて2歩前に進む。すると、バタン!と大きな音を立てて扉が閉まった。

そんなランディの様子を見ていたのか、侯爵は


「ランディさん、礼儀が支配しているのは前室の待合までです。この部屋では礼儀ではなく、内容が全てなのですよ。つまらぬことに気を使わない様に。」


えっ!と思って、改めて部屋の中を見回すと・・・明らかに雰囲気が違う。メイド姿が何人かいたが、この面構えは先程のとは明らかに違う。WAC(Women's Army Corp ;女性自衛官)のそれである。他の文官たちも待合にいた高位貴族の優雅さはひとかけらもない、どちらか言うと侯爵の雰囲気に似ている。何よりも部屋の主が・・・いうなれば中小企業の社長さんのような・・・率直さとある種の下品さを漂わしていた。ここは前世で自分が居た世界と同じなのだ。

そうなると一息つける、大きな深呼吸を一回して気持ちを落ち着けた。


「うむ、落ち着いたか。何よりだ。

では、話せ。」


えっ・・・何をいきなり・・・思わず侯爵の方を見てしまう。


「これまであちらこちらでお話していただいた内容でよろしいかと。」


ならば、なんのためらいもない。ようやく本領を発揮できる、ここは落ち着いて・・・


「それでは、某国との紛争に関して、およそ15分程お時間を賜りたいと思います。」


1時間と言うと長すぎる、5分と言うと軽い。だから15分が適当な時間だ。


「某国?・・・ああ・・・ヴォルカニックだから某国か・・・フォッフォッフォッ、ヴォル国だな。

いや待て、場所を変えよう。」


いきなり駄洒落・・・と、初っ端から話の鼻を折られた!

そして右側の壁にあるドアを顎で指す。侯爵が、


「人払いです、御一緒する方は***と***の2名。」


そう声をあげると、すべてのドアが一斉に開け放たれ、指名された2名以外の者は部屋から出てゆく。そして、国王・侯爵・ランディ・他には秘書官らしい2名が右隣の部屋に入る。

こちらの部屋のドアも開けっ放しだ。そして2~3分もすると、


「これで良し、と。何も気がかりしなくていいから、さあ、話すがいい。」


ようやく落ち着いて話ができるという事か・・・。

「それでは、」と話を始める。

内容は騎士団と同じだ、エイドラ山地の兵站上の意義から、そこに住まう森の民・山の民との同盟の重要性、縷々と説明する。


「エイドラ山地、ここを押えておくことは、きわめて重要となります。今回はこちらが守る側となりますが、戦争ですからこちらから攻める算段も持たねばなりません。その時の兵站を考えますと、森の民・山の民との同盟は必須ともいえる・・・かように愚考する次第であります。」


「森の民・山の民か・・・あいつらはまとまりが悪いからな・・・。

今回のフィンメール・ギルメッツ族の惨状、ああなっても他の連中は、ああだこうだとまとまらん・・・ったく。

モルツ、例の工作はどうなっとる。」


「・・・着実に進行しているとしか・・・。」


「ああ、そうか・・・。」


どうやらランディの知らない処で既に策は動いているらしい。頼りになる事である。

そして、ランディは一つ釘を刺しておこうと思った。


「陛下・閣下、お願いがあります。」


「うむ」


「このランディ、ギルメッツ・フィンメール族を戦場に引き出すつもりであります。その結果流れる血の対価として、山と森をウェルシから取り返す、彼らに取り戻す、そう約束したい。

また彼らも古(いにしえ)からの盟約に従って・・・こう申しております。

どうか、王国としてもその様にお約束いただきたいのです。」


一所懸命と言うやつである。


「・・・、

何を言っとる、そんな事は今更約束しようとするまいと、そうなのだ。エイドラ山地は我ら普人族の土地ではない。王国が関わるべきものではない。逆に言えば、王国がそんな約束をできる筋合いのものでもない。

奴らが森を取り返すのを王国が援助する、その対価としてヴォルカニック皇国との戦いに手を貸せ、それがこちらの言い分だ。」


「しかし、ヴォルカニックが攻めてくる事はまだ言えません・・・いや、ウェルシの背後にヴォルカニックがいる事、彼らは既にその事に気が付いています。」


「えっ、なんだと。」


「彼らはウェルシと戦って捕虜も捕えています。そこから聞き出した、と言っていました。そして、"真の敵はヴォルカニックなのだ"、私は彼らにそのように説きましたが・・・ただ、彼らとしてはそれでは王国に利用されている、普人族の争いに利用されているだけだという反感があるようで・・・。

そこで、《森と山はお前達のものだ》、その言葉が欲しいのです。」


「頑固な奴だな、それでいいのならそういうことにしてやる。これでいいな。」


「ありがたき幸せ。」


「結構、結構!

これでまとまりましたな。

陛下、ギルメッツ・フィンメール族を掌中に置くことは、イヤリルの族長会議に対しても大きな影響力を持つと思います。是非、その線でお願いしたいものです。」


「わかった。」


こうして大事な用件は終わった・・・はずである。


「それはそうと・・・ランディ」


「はい?」


「お前はエリーセと知り合いだとか・・・

本当か?」


「はい、よく知り合っていますが?」


魔法の修練とかで意識の中をかき回された事もある。ランディの事をさぞかしよく知っているだろう・・・


「ほう、《よく知り合った仲》なのか・・・フッフッフ・・・

それならば・・・朕とそなたは"穴兄弟"であるな、

朕はそなたの義兄でもある。以後、そのつもりで敬うように・・・

ファ~、ハッハッハ~。」


そう言って、両手の指で卑猥な印を組んで見せ、呵々大笑してみせた。


「ヘッ・・・、

・・・、

いっ、いえ、エリーセとはそのような仲ではございませんが・・・」


ランディはびっくり仰天の泡をくって、思わずそう答えた。

しかしその返事は、どうやらイエナー陛下の寒い下ネタをスベらせてしまった様だ・・・。

当の陛下はブスッとしてしまって、ランディを恨めしそうに睨んでいる。そしてその姿を見て、侯爵以下他の3名は涙を溜めて必死に笑いをこらえていた。


こうして宮廷のラスボスとの会談を終えて、長い廊下をまた侯爵の後を追っている。大分と歩いて人気の無いところまで来た時、


「これで、王宮での用件は終わりましたが、満足しましたか?」


そう言って、侯爵は立ち止まり、またクルリと振り向いてランディに対面する。


「もう十分。正直申しまして私の限界を遥かに超えております。」


「ホッホッホ、そうですか。

陛下に謁見する予定は考えておりませんでしたが、あなたと話しているうちに、会わせてみたくなってきまして・・・。急遽、陛下にお願いしてみたわけです。そうしたら、陛下もあなたの事をなぜかしらご存知で、ご興味もお持ちでしたから、こういう次第になったわけです。

おかげさまで、これから先の外交戦略も固まりましたよ。ご苦労様でした。

まっ、あなたとしてもこの王国はこのような国である、それを知る事ができたでしょう。それだけでも大きな収穫ではありませんか。

ホッホッホ。」


「つまり、優雅な高位貴族に取り巻かれていながら、その核には実力主義・効率第一の陛下がおられる、そうおっしゃりたいのですか。」


「はい、その通り!

無能な世襲貴族はドンドンと消えてゆき、そして有能な者に地位が明け渡される。このようにして王国は発展してきました。これは代々の国王に継がれた大方針です。

しかしですね、こんな風にして有能な貴族が新しく産まれましても、次の世代には世襲貴族になってしまう、ハァ~、と言う事です。

そこで隠密組織を使い、無能な高位貴族の落ち度を探して、また消してゆく。そんな事を繰り返しておるわけです。

ちなみにこの私のモルツ侯爵家は養子で継承されています。隠密を扱うという特別なお役目がありますので、世襲貴族なんかには到底務まりませんから。もちろん私も養子として相続しました。ちなみに私の実子は2人とも既に男爵として取り立てられて別の家を立てておりまして、まあ、その程度が彼らの実力相応だと思いますよ。男爵・子爵程度ならボロを出すこともめったにありませんからね、このあたりが一番気楽で幸せに過ごせるというものです。

これがテルミス王国の貴族制度です。よく、肝に銘じておいてください。

さあ、ではエルフィン殿とガルマン殿のお二人に合流いたしましょうか。」


沢山の事があった、しかし、あの2人と分かれて一時間ちょっと程の時間しか立っていないのだ・・・。

モルツ侯爵はよほど上機嫌らしく、歩きながら小さな鼻歌まで出ている。そして宮殿のダイニング・ホールにやってきた。


「さて、未来の英雄殿の昼餐に参加いたしましょうか。」


そう言ってホールの奥を見回すと、すぐに給仕がやってきて、深々と頭を下げて席に案内してくれる。

ホールは宮殿の催事会場にもなるのであろう、恐ろしく広い。そこには沢山の柱が並び、アーチ型の天井を支えている。この中を花を生けた花瓶や衝立・屏風で間仕切りして、その区画の中にテーブルが据えてある。ただその間隔は広く、ホールの広さを考えるとテーブルの数は少めだ。この辺は高級レストランであろうと市井の施設では真似はできない。


侯爵は所々で会釈をしながら、テーブルの間の通路を進んでゆく。ちらりと覗いてみると、2~3人の客に5~6人の給仕が侍り、食卓の上には銀のフォークやスプーンがズラリと並び、真ん中には花束まで飾ってある。その中で客は優雅な所作で上品に食事をしていた。

ランディの生前でも、結婚式や就任式などこんな食事は何度も経験したが、そこの料理が美味いと思った事はない・・・ここではこれが日常なのか、けっして居心地のよさそうな世界ではなさそうだ・・・さてさて、ガルマンとエルフィン、ここでもう2時間近く過ごしているはずだが・・・さぞかし窮屈で居心地の悪い思いをしている事だろう、どんな顔をして席に座っているのだろう。しかし、そう思うと少し楽しみにもなってくる。


ホールの入口から歩いて反対側の隅の方までやって来ると、他の客を遠ざけた一画があって、その真ん中には給仕が集まっている。

"あいつら、あんなところに。隅っこにやられてやがる"、そう思ったが、それはそれで親切と言うものであろう。"ヤレヤレ"と思ったが・・・近づくにつれイヤに賑やかで、そこだけがバルディの酒場の様だ。

そして間仕切のむこうテーブルが見えると、そこにはすでに6人も座っていた。ガルマン、エルフィン、官僚貴族のエンヘラ子爵、他の3人は、暑苦しく太った奴と見苦しく背の高い奴と騒がしいチビ・・・3人の魔術師だ!


「ヨッ、ランディじゃん、おひさ!」


「なんであんたらがこんなところに・・・」


「バルディ修道院を無罪放免になったからさ。俺達こう見えても一応、爵位持ちなんだぜ。」


と、チビは貴族らしからぬ口調で答え、


「まあ、帰ってきていろいろあったけれどもネ。」と、ノッポも参加する。


しかし、ランディの隣に立っているモルツ侯爵に気が付くと、ちょっと驚いたようで、慌てて横にいるデブを突っついて注意を促す。そして3人は立ち上がり侯爵に頭を下げて丁寧な挨拶をした。

そしてエンヘラ子爵も立ち上がり、侯爵にヒソヒソと耳打ちする。30分ほど前に3魔術師に見つかってこの席に乱入してきたのだと。追い出そうかと思ったが、当のガルマン・エルフィンが喜んでいるのでそのままになってしまったのだと。侯爵はプッと噴き出して、"でしょうな"、と答えたので、子爵はもうそれ以上何も言わずにまた席に着く。


「いえ御三方、お気を使わずに。こちらのガルマン殿・エルフィン殿にご相伴に来ただけですから。」


侯爵はそう言ってにっこりと微笑みかけるが、3魔術師達の警戒心は解けていない。


「ささっ、そのようにしていては主賓に失礼ですよ。それにしても皆さん方がお知り合いであったとは・・・奇遇ですな。」


「いや、バルディに居った時、エリーセを通じて見知っておったのでありますから、奇遇とも言えませんですじゃ。ランディ・・・殿もそうじゃろう?」


「い~や、もっと前からの腐れ縁だ。アッシュの迷宮探索調査でこの3人にやとわれて以来なのさ。」


「ほほぅ~それはそれは、興味深い話ですな。ディーノ・ブランケット、ノリス・ポートレイス、チャーリー・ビゲンコフ、3魔術師のアッシュ探索の金字塔には王国中が心を躍らせましたからな。その冒険にランディ殿が手助けなさっておったとは・・・全く存じませんでした。全くもって奇遇としか言えませんな。」


3魔術師のあのアッシュ探索、エリーセの体の中に埋め込んだ魔器を発見した探索で、このお話のそもそもの切っ掛けでもある。が、それほどの冒険だったろうか・・・それともこれは皮肉なんだろうか・・・いや、これはお前たちの事はよく知っているぞと言う脅迫ではないだろうか。言った人間が人間なので、聞く側、魔術師達はそんな風に感じてしまう。事実は、このメンツに合わせてお世辞を言っているだけであるが・・・。

まあそれでも、侯爵閣下が下々の話に合わせようと努力している事は、皆に伝わった。話を湿らせる必要はなさそうである。話題が進んでゆく。


「小生らは、たまたまガルマン・エルフィンさんをお見かけしまして、旧交を温めるべく合流したわけでありますが、そこに侯爵閣下とランディさんまで来られるとは・・・、何か事件でもあったのでありましょうか。」


デブがもっともらしい顔をして、尋ねて来る。


「いや、どうもこうも・・・あんたらは山であったことは知らんのかね?」


「申し訳ありません、小生らは研究所の外に出ることがあまりなく・・・存じておりません。」


この時エルフィンが初めて口を出す。


「ウェルシどもに、我らフィンメール・ギルメッツの故地を奪われた。面目ない話だ・・・それで王国の援助を求めてここに来たんだ・・・。」


「なんだって!あんたらの森をウェルシが犯しただと・・・ならば僕たちも知らん顔はできない。手助けしようじゃないか、詳しく聞かせてくれ。」


ノッポが憤慨して見せる。しかしその時、侯爵が押しとどめるように掌を前に出して、


「少しお待ちなさい。この席でそのような話題は無粋と言うものです。それは場所を変えて相談いたしましょう・・・そうですな・・・御三方の魔道研究所ではどうです?私も参加したいものですな・・・うむ、そうだ・・・この会食のあと馬車をよんでそちらに向かいましょう。となると午後の予定は全てキャンセルですな・・・ええ、そうしますよ。なんと言っても王国きっての魔術師である御三方の活躍なのだから、このモルツが見過ごすわけにはいきませんからな。」


・・・どうやら、ノッポは余計な事を言ってしまった様だ、彼はげっそりした表情で固まっている。モルツ侯爵の前で対ウェルシ対策の話し合いをすることになってしまった。後先をよく考えもしないで、興奮して口走るのは間違のもとになると言うことである。









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