第81話 ボルツ辺境伯領
ランディ達がボルツ領に着いた時、その領都はもうもぬけの殻となっていた。辺境伯騎士団は既にゴムラ占領に出て行ってしまって、もちろん当の伯爵も指揮を直接執るとかで一緒に行ってしまっていない。留守番の守護部隊と留守を宰領している執事が居るだけで、それとてもランディ達とはなかなか会ってそうになかった。が、エリーセの紹介状を出すとその効果はてき面で、さっそく屋敷の奥の応接室に通されて執事があってくれたのだが、なぜか教会の司祭も出てきた。いや、司祭が主人の席に着き執事はその後ろに立っている。
「叔父の辺境伯はゴムラに張り切って行ってしまいましたので、代わりに私がお話を伺いましょう。」
「しかし、なぜ司祭さんが・・・。」
と、思わず口に出してしまった。平民にとって領主は雲の上の人物であるが、教会の司祭は親しい存在なので、そこに居るのがあまりにも似つかわしくなかったから。
すると、後ろに立っていた執事が、
「伯爵のお孫様が後継者となっておりますが、まだ年少でございますので後見人をなさっておられる閣下の甥の司祭様にお願いいたした次第であります。」
と、教えてくれる。それで納得するほかないので、ランディは要件を切り出した。
「じつは・・・ウェルシとヴォルカニック皇国の現況についてなのですが・・・伯爵閣下以外にお話しして良いものやら・・・」
「存じておりますよ、ヴォルカニック皇国が攻めてくるとの事でしょう。その件でしたら、騎士団の居残り組の指揮官も呼びましょう。私が聞くよりもその方が確実でしょうから。なに、居残りの指揮官と申しましても前の騎士団長で、引退したベテランの騎士ですから十分あてにできます。」
こうして、前の騎士団長が呼ばれてきて話に加わる。部屋の中はランディと後見人の司祭、執事、そして前騎士団長の4人でとなった。
この中で軍事のわかるのは前騎士団長だけに違いない、なら、そいつを全力で説得するのがランディの方途となるはずだ。しかしこの老騎士、頑固な顔を向けてランディの事を胡散臭そうな眼付で睨んでいる。
ただ、ランディだとて元武官なのだ、その気持ちはわかる。何処の骨ともわからぬ冒険者風情が戦争について何か言いたいらしいと言ってきたのだから。
ここは一つ、ブッとばしておかないといけない・・・とランディは思った。
「まず、申し上げたい。
ヴォルカニック皇国軍が王国に侵攻してきたとして、そのもっとも弱点となる要素は背後に広がるエイドラ山地であるという事を。
この山地のために皇国から長距離の兵站線が伸びてしまった。いや、今回の侵攻にしてもウェルシ城からも50Kmほどの山道を補給の伝手としなければならない、と言う事を。
であるから、ヴォルカニック側として望ましい状況と言うのは、このボルツ領を早々に突破して、いち早くテルミスの穀倉地帯に入ること。そうすれば、この兵站の言う問題はたちまちにして解決してしまう。現地調達すればいいだけだから。
逆に言えば、こちらとしては何としてもエイドラ山地内に皇国軍を抑え込まないといけない。
それをするには、どうすればよいのか。
一つには、ヴォルカニック軍の出口をボルツ領方面に閉じ込めて、それ以外に進出させない事。
伯爵閣下がゴモラを占領すべく早々に行動をとっておられるのはその下準備だ、こう愚考する次第である。
もう一つは、エイドラ山地内に遊撃軍を配置して、皇国軍の背後にまわりその補給線を脅かすという事。これもまた、準備をしておかねばならない。私はこれを為すために、今日ここに来た。」
「おまえ・・・何者だ。」
「俺は、冒険者。いや、それ以前に転生者だ。もとに居た世界では軍を指揮していた。
それで、最終的には5000ほどの兵も指揮した。」
「何?
5000だと・・・そのうち騎士は」
「徴用兵などはいない、全て騎士に相当する。半分ぐらいは新米だったがな。」
「なんだと、5000の騎士!それでは一国の大将ではないか。」
「いや、そうではない。それだけ軍の規模が大きかったという事だ。
そんな事より、若い時は特殊部隊にいたしその指揮も執ったからな。」
「特殊部隊?」
「山の中に潜り込み、機動して敵を混乱させる部隊だ。」
「つまり、お前が今言っていた"遊撃"をする部隊と言う訳か。」
「と、言うことになる。」
「しかし、お前ひとりでは何もできまい。」
「ああ、だから冒険者の仲間を使う。転生者とドワーフ・エルフ達と言うとこだな。」
「俺達騎士は?」
「ムリだ。山中で金属の鎧をガチャガチャ鳴らしてできる任務ではない。槍や盾を使ってする戦いではないのだ。闇に紛れて行動し、一木一草を盾として戦う。そういう戦い方だ。」
「盗人や狩人じゃないか。それでは。」
「そう言う事だ。そう言う資質が必要なのだ。大勢はいらない、少数でいいからそう言う資質を持った奴が必要なのだ。
わかったか?
で、聞きたい。地図はあるのか?」
「地図?」
「エイドラ山地の地図だ。」
「街道に沿った範囲に限れば、作ってある。」
「だめだ。山の奥の獣道や渓谷や尾根道の地図だ。」
「そんなものは無い。
山の奥は、エルフとドワーフの土地だ。我々騎士団が干渉できる領域ではない。」
「ならば、作らねばならない。それが俺たちがこれから始める仕事となる。
協力してもらいたい。」
「・・・、・・・。」
執事は老騎士の方を見ながら、
「どうなんでしょう、信用してもよいので?」
「わからん、信用できる人間かどうかは、俺には一見(いちげん)で判断できん。しかし、この男が軍事をよく知っている、それは事実だ。前世とやらで、大軍を率いていたという事は多分本当だ。つまらぬ詐欺師などではない。」
それを聞いた司祭が、
「で、信用できるかどうかですが、この紹介状によるとモルツ侯爵閣下が使うと言われているようですから、それについてはこれ以上詮索しても仕方がないでしょう。
協力しましょう。と言っても大したことはできないが。」
「有難い!
さっそくゴムラに向かうので、伯爵閣下に面会できるよう紹介状を書いて欲しい。
それと、こちらにエルフの女性が5人と赤子が保護されているとエリーセに聞いてきた。会わせて欲しい。」
なぜエルフの女達と?と問われたが、赤子の名付け親となったエリーセからの預かり物があり、それから何よりも問題となるエイドラ山中の情報が少しでも欲しいと答えると、"なるほど"とばかりに案内してくれた。
彼女らは館の中で雑用をしていたが、急なことながら呼び出されて、怪訝に思いながらも集ってきた。そして、自分たちを呼び出した客と言うのが、エルフ・ドワーフを交えた一行である事を知ると、軽く驚きながらも久しぶりの同族に会えたという安堵と親しみの気持ちが湧きあがる。
思わずアカネが声を掛ける。
「酷い事に。とにかく、皆さんだけでも・・・。」
そこまで言ったが後の言葉が出ない、そこでランディが言葉を続ける。彼にしたら大事な用件があってきたのだから、話を急ぎたかったのである。
「エリーセからの預かり物、それから俺達からも渡すものがある。
かさばるが、ここで出してもいいかい?」
エルフ達がこっくりと頷くと、アカネはその懐から、つまりアイテムボックスから預かった古着やおむつなどの日常品を次々と出してゆく。
「あなたも巫女様でしたか。」
アカネをそう呼んだのは、高位の巫女は"巫女の外套"なるものを持っていて、それにはアイテムボックスの機能がある事はよく知られていたから。
「違うわ。私のはただの魔法具よ。高位の巫女ほど魔法に熟達しているわけじゃない。でも、フフフ、単純な魔力だけなら私の方が上よ、多分。」
アカネはまだ水晶生成に成功していない。だから、自分としても巫女として十分だとは思ってはいない。しかし転生者であり"魔道の極致"なるスキルも持っていて、魔力の方なら自信があった。
最期に、エリーセから託されたルビーのブローチをさしだす。古びてはいるがアダマンタイトの地金に大きなルビーをはめ込んだ高価な魔法具だ。
それを渡されたエルフは、流石に驚いてしまう。
「こんな高価なものを・・・」
「それは治癒魔法の魔法具よ。今のエリーセには必要ないものだわ。だからエパちゃんにって、言ってたわ。」
「エパちゃんのお母さんは、結構な魔法の使い手だから・・・多分エパちゃんもその魔力は引き継いでいるとおもう。だからとっても素晴らしい贈り物よ。」
そう言って、5人の女エルフ達は寄り集まってみていたが、その中にランディは切り出した。
「それはそうとだ、聞きたいことがある。エイドラ山地の山の中の事だ。」
「酷い有様よ。」
「そう、それ。俺達はそのウェルシとヴォルカニックを叩くためにここへきた。
いや・・・正確に言うと、その用意のために、だな。」
「・・・」
「山の中の地理を知りたい。協力して欲しい。」
当然のことながら彼女らに否やはない。伯爵の舘から黒板を借り出し、そこに女エルフ達が話す情報を書き込んでゆく。
初めに街道を書き込み、ゴムラの街を入れる。そして、あとは彼女らの話に合わせて、山を、河を、泉を、獣道を、書き込んでゆく。
ここはこうだった・・・いや、そうではない・・・ああではなく、こうだった・・・。チョークで描いては消し、それを繰り返して修正を重ねてゆく。
こうしていると夕餉の時間となり、ランディ達はボルツ家の晩餐の席に呼ばれた。
「ご熱心に取り組まれていたようですが、」
ホストである後見の司祭が尋ねる。
「ええ、まずは手元の情報から、と言うわけです。できれば今夜中にもまとめたいとおもっているのですが。」
「随分とお急ぎで、」
「一刻も早く伯爵閣下にお目通りして、動きたいものですから。」
「つまり、手柄にあせっている、功を稼ぎたい。そういう事だろう。」
口元をニッとして元騎士団長の老騎士が横から口を出す。口調は横柄だが、侮蔑でも嘲弄でもない、武人の忠誠心の根幹を語っている。これは好意を込めているのだ、それはランディにはよくわかる。だから、返事も横柄ながら誠意と共感を込めて返す。
「ああ、その通りだ。王国に忠誠を売り込むチャンスだからな。
それはそうと、地図の方は大分と形にはなってきた。あんたにも見て欲しいのだが。」
「うむ、見せてもらおう。」
老騎士は少し満足な表情を見せて、うなずく。
ランディ達の訪問が急であったので、晩餐はさほど豪華なものではない。普通の晩飯に一品足した程度だ。もっとも冒険者風情を相手に豪華な晩餐会をする物好きな貴族もいないが。食後のお茶・デザートは早々にして、ランディと老騎士は席から抜け出て、黒板に描いた地図を観るために元の部屋に戻る。
暫く地図を眺めていた老騎士は、
「なるほど、なかなかなものだ。ちょっと待てよ。」
そう言って部屋から出て行った。しばらく待っていると、女エルフやほかもパーティーメンバーも戻ってきて、やがて老騎士も戻ってきた。脇には何か筒状に丸めた文書を抱えている。ひろげると、机が一杯になってしまう大きな文書である。
騎士団の持っている地図を持ってきたのだ。
「これは、ウェルシ城への街道とゴモラへの街道の周辺しか書き込みは無いが、測量もして作った正確な地図だ。これをたたき台にして、山中の書き込みをした方が良かろう。」
それを聞いて、ランディは少しぐったりした気持ちになってしまう、また書き直しだから。しかし、正確さと言う大事な情報が加わるので、言うとおりにせざる得ない。
その騎士団の地図を正確に黒板へ書き写し、そして、山中の情報をそこに書き写してゆく。またそこにエルフ達からの指摘が入り、その部分を書き直す。
こうして、一通りの作業が終わったのは深夜で、もうみんなの気力が萎えてしまった頃だった。ピッポやアカネの様に調子のいいヤツは既に寝室へと消えてしまってている。
老騎士は言う。
「ランディ、明日出ると言っていたが、もう一日延ばせ。明日一日で、この地図を羊皮紙に何枚も書き写してやる。そしてそれを持って行け。もちろん一枚はこちらにもらうがな。」
と、いうことでお開きとなった。
翌朝、黒板の部屋に戻ると、地図の写しの作業はすでに始まっていた。
黒板に等間隔で格子状に糸を張り、同じく鉛筆で格子が書かれた羊皮紙に、インキで地図を写してゆく。この作業を何枚も繰り返すのである。
「ランディ、山に入ってここにまた書き込んでゆくのだろう。鉛筆は持っているのか?」
棒状の黒鉛に、その中央部に糸を撒いて手持ちの部分としている。原始的な鉛筆であるが、この世界ではそれが一般的だ。
「ああ、持っているさ。その辺は抜かりない。」
迷宮都市のバルディでの迷宮探索にはそれは必需品だ。もちろん持っている。
「それから、女エルフの一人がお前達に着いて行くと言っている。向こうで、お前の仲間達と用意をしているから、会いに行け。」
そう聞いてオヤッと思ったが、確かに案内してくれると仕事が捗る。しかし、逆に足手まといになるかもしれない、その辺を確かめておかないといけない。
行ってみると、PTメンバーに取り囲まれてえらく上等の皮鎧に身を包んだ女エルフが居た。そばには伯爵の老婦人も居て、その姿を目を細めて眺めている。
ランディを見るとアカネは、
「彼女、リリアというのよ。あの辺(あたり)で狩りをよくしていて、山の中は詳しいそうよ。」
「しかし、ウェルシどもの中を行くわけだぞ。大丈夫か?」
ランディはやっぱり心配だ。他のメンバーは十分に行けると踏んでいる。しかし、昨日会ったばかりのリリアに関しては、保証できない。
「大丈夫!こう見えても、私は山の中を走り回っていた狩人なのよ。それに、ウェルシの好きなようにさせておく気もないわ。」
そう言って胸を張る。本人がそう言うのなら・・・役に立ってもらおう・・・。ランディにそう思わせるぐらいに自信にあふれた声であったから。
「しかし、上等な皮鎧だな。」
良く鞣し込んだ厚い革で誂えてあり、胸には大きな紋様が掘り込まれてある。ボルツ辺境伯の家紋である。老伯爵夫人が答える。
「義妹にあつらえたものですよ。妹はだいぶんと昔に嫁にでて、倉庫に眠っていた皮鎧なのです。背丈がよく似ていたので、出してきたのですが、よくお似合いですわ。」
辺境伯家ともなれば女性でも皮鎧の一つも持っているものらしい。それを避難民である女エルフに呉れるのだと。それは豪儀なものだが、ボルツ伯爵家が森の民にアピールするいい機会でもある。これは好意と言うよりも、森の民の人心掌握にむけた投資と言うべきで、上級貴族の夫人ならばそのくらいの算段はしている。
「ブーツと手甲は私のお古をあげるわ。どちらも魔法具よ。」
アカネからももらったらしい。
「あなた、魔法使える?」
「ええ、お風呂を沸かすぐらいですけど。」
つまり、水魔法・火魔法で風呂に湯を張るだけの魔力を持っており魔法も使えると言っている。普人族ならば初級の魔術師程度はできるという事であり、ランディよりは使える。初歩ながら魔法をそれなりに使える狩人、これならば足手まといにはなるまい。ランディは短剣を贈ることにした。使い込んではいるが、それなりの物だ。
元騎士団長の老騎士もこの様子を後ろから見ていたが、
「なるほど、そういうものか。ランディ、お前のいう所の"遊撃"と言う事がよくわかった。」
リリアの装備やランディ達の会話に、思う所があったようだ。
「それからゴムラについて、話しておく事があるから良く聞いておけ。」
「ああ、きかしてもらおう。」
「ゴムラという街に領主は居ない。」
「ほう?どういうことだ、それは。」
「街を領有する貴族が居ないという事だ。自分らで勝手に町長をでっちあげて、そいつが治めている、と言い張っている。その実、実権は裏の悪党が握っている。」
「なんだ、それ?」
「要するに、ウェルシの連中がテルミスの辺境に街を勝手に作り上げ、交易の場としている。怪しげな、な。」
そもそも街とは貴族が造ったものではない、なのに領主が居ないと怪しげという物言いには、読者諸氏は反感を覚えてしまうかもしれない。テルミス王国は発展しているとはいえ、まだ中世という時代の枠の中にある。社会秩序・正義というタガを責任をもって支えているのは貴族であり、他のシステムがあるわけでないのだ。だから、そこから外れた街は必然的に秩序だとか正義だとかとは無縁の存在でもある。
しかし、辺境で交易の街となると利益はあるはずだ。それを欲しがる強欲な貴族が居てもおかしくないはずだ。
「ヤバすぎる。あいつらは裏で何をしているかわからない、あの街を領有するとその責を負わされる。だから、あの街を望む貴族も居ない。
あいつらもその辺はよく承知の上だから、中央の権勢者に賄賂を贈って裏から保護してもらっている。だから、敢えて正義の鉄拳を落とすヤツも居ない。
そういう街だ。」
「そこを敢えて、伯爵は占領しに行ったのか。」
「ああ、そう言う事だ。平和な時は腐敗に目を瞑ってうまい汁を吸ってきたとしても、戦略上の要所となってしまうとそう言う訳にもいかない。その辺は、既に王室に話を通してある。」
「そうなると、あの街は無くなってしまうかもな。」
「なくなるだろうよ。そもそもウェルシがあってのゴムラだ。こうなっては、あの街の存在理由も無くなるからな。
まあ、そう言う事だ。そのつもりで閣下と会見する事だ。」
「ありがとう、よくわかったよ。」
そして、出来上がった地図の写しを受け取る。そこには騎士団が持っていた地図の情報も書き込まれていた。
ウェルシの街も載っている。山に挟まれて東西に細長く伸びた街で、西半分は川沿いに伸びておりで、東半分は山の中に喰い込むように広がっている。多分、西半分は河原沿いの狭い平地で、東半分は山のなだらかな坂を登るように開拓したのであろう。
こうして、もう一日を伯爵の舘で過ごし、翌朝ゴムラに向けて出発した。
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