第79話 迷宮都市バルディ再びⅡ

次はランディ達だ。

彼らはいつもオーガ亭という酒場にたむろしていたはずだ。そこに居なければ、迷宮に潜っているか宿屋で寝ているか、そんなもんだろう。

ちょうどお昼の時間だ、オーガ亭にいって昼ご飯を食べよう。


オーガ亭はバルディの中ではちょっとばかし良い料理を出してくれる酒場だ。魔物の肉に野菜も使ってちゃんとした料理として出てくるのだ。前はそればっかり食べていたので飽きがきてそこの魔物料理にもちょっと辟易もしてもいたが、久しぶりの事なので今はむしろ懐かしくて楽しみなのだ。


せせこましいバルディにも一応表通りと言うものがある。荷物を満載した人力の大八車が余裕をもってすれ違えるという程度の幅しかないが、立派な石畳の街路で両端には側溝もあり、排水も整っている。この城塞都市の入口、つまり船着き場から階段を登り切ったところにある城門と大迷宮会館を繋いでいる街路がそれで、この路に沿って、この街の一番景気のいい店が立ち並んでいるのだ。昼ご飯時のこの時間になると人混みが酷いのだが、その中に混じって歩いてゆくとお目当てのオーガ停が見えてきた。


店の前には大きな頭蓋骨が飾ってある。オーガの頭蓋骨だ。ココのオヤジは料理研究の熱心な人で・・・もちろん魔物料理であるが・・・食材として色々試しているとの事。そして、ついにオーガまでもが食材の対象になってしまったのだ。もっともオーガの肉は固く筋張っていてビール煮込みにするほかなかったそうである。オーガと言うのはなかなか強敵であり、そうそう討伐されているわけでもなく、その肉もおいしいものでもないので、当然のことながら商品として市場に出回るものではない。だから、わざわざオーガのビール煮を作るほどでもないからメニューにも載せていないとの事。しかし、初めてオーガ討伐をした冒険者のPTが、記念に料理してくれと肉を持ちこむこともあるらしい。その時は背中の背骨に付いた肉が良いから、そこを持っておいでと・・・。

と言う事で、オーガのデカい生首を大鍋でコトコトと2日間も煮上げて、ボロボロになった肉や皮を削ぎ落して綺麗なしゃれこうべを作ったんだ・・・と、オーナーのオヤジが自慢していたのを思い出す。その時のスープはどうなったんだろう・・・いささか気になる。

まあ、研究熱心であることはみとめるが、レストラン店頭の飾りの趣味としてはどうなんだろう、オーガの頭蓋骨とは・・・。


入口のドアを開けて店の中に入ると、おいしそうな匂いがすきっ腹をそそる。

店内は表から観る以上に広い、奥行きがあっていわゆるウナギの寝床と言う奴だ。この店に限らずバルディの建物はみんなこうなっている。街はせせこましく道が少ないので建物の間口は小さめで、その分奥に細長く延びて広さを稼いでいるのだ。

店内のテーブルはかなり埋まっていた。例によって真昼間からエールをあおっているヤツがそこかしこにいる。隅の小さなテーブルが開いていたのでそこに腰をおろして、店員が注文を取りに来るのを待っていると、じきにおおきなお尻のおばさんがせかせかとやってきた。


「昼飯!」


「あいよ!エールは?」


「いらない。」


「あいよ。」


昼飯時の忙しい時にメニューを開けて、めんどうくさい注文を付けても嫌われるだけだ。これがバルディの店でのマナーなのだ。おばさんは一旦店の奥に引っ込んで、すぐに料理をお盆に乗せて戻ってくる。もう今日の定食が造りつけてあるのをカウンターからもって来るだけなのだろう。冒険者どもは腹が減るとせっかちで気が短くなってくるので、これが一番なのである。


「あいよ、一人前!」


そう言って、料理をテーブルに置いてくれる。すかさず、聞きたいことを聞く。


「ランディ達は?」


「へい?あ~ぁ、あんた確か・・・。」


「エリーセよ、今朝の船で戻ったの。」


「ああ、おひさ!

ひさしぶりだね。ランディ達は一昨日の晩に来たきりだから、まだ、潜ってるんじゃないかい?今日、明日の晩あたりは来るんじゃないかねぇ。

それはそうと、もう宿は?」


「まだなの」


「今、部屋空いてるよ!」


「じゃあ、頼むわ。」


「あいよ。今混んでるから、もうちょっとしたら案内するよ。それまでゆっくりしていておくれ。」


と、まあこんな具合に物事を勢いよく即断即決(あるいはなりゆき)で決めてゆく。これがバルディの習慣だ。

料理はオーク肉の赤ワイン煮込みで、豆やら玉ねぎやら人参やらが一緒に煮込んである。さっき、カウンターから造り付けの定食と言ったが、これは大鍋から掬ってきたのに違いない、ちゃんと熱々なのだから。少し酸味のあるドロリとした汁に固いパンを浸けて口に頬張り、次に、ぶつ切りにして良く煮こまれた野菜と柔らかなオーク肉を噛み締め、ああ、久しぶりにこれはオーガ亭のご飯だわ!


ゆっくりと昼ご飯を食べていると、食事の終えた冒険者のグループがガヤガヤと出ていく。知り合いの連中だ。


「おう!戻ってきたのか。また、治癒魔法たのまぁ。」


「ああ、いいよ。しばらくここを宿にしているから、用があったら呼んで!

あっ、それからランディにあったらここに居るからと伝えてちょうだい。」


と、頼んでおく。決して大きな街ではなく冒険者達も顔見知りだし、何よりも行き先は大迷宮会館と決まっているので、これで結構連絡がついたりもする。

中にはさっそくここで治癒魔法を頼んでくるやつもいる。こんな場所で頼んでくるので、少し日にちの経った傷である。さっさと町の治癒師に頼めばいいのにと思うのだが、打ち身程度の大した傷でもなかったから、めんどくさいので放っておいたと。こちらも勿体ぶるつもりもないので、ハイヒールをさっさとかけてやり、一回につき定額の銀貨一枚(100グラン:1000円ぐらい)を受け取っている。

料理を平らげた後はお茶を楽しんでいる、別に店に注文したわけではない。この忙しい時間帯にお茶など淹れてはくれない。例の亜空間調理で勝手に淹れたものだ。


そろそろ一時間ほどもたったころ、店の中がようやく空いてきた。


「おまちど~、じゃあ部屋を案内するよ。」


と、入り口横の階段をおばさんの大きなお尻について2階に上がってゆくと、奥にまっすぐの廊下が通っていて、その両側に客室のドアが並んでいる。2階・3階が客室となっていて、その上の屋根裏部屋にオーナーの家族と店員が住んでいるとの事。

さて2階の廊下の一番奥には手洗いと流しがある。この世界には水道の蛇口なんて結構なものは無いので、屋内では水は壺に貯めたのを使うことになる。ただし、魔法と言う便利なものがあるので、これが使えると水の不自由はない。魔法が使えると生活レベルが確実に上がるのだ。

廊下に並んだ客室の一つに案内されてはいると、中は12畳ほどの広さで、ベットと小さなテーブルにクローゼット、そして部屋の端には荷物置き場の一画が造り付けてある。

宿の部屋としては少し広いが、冒険者は長期滞在することが多いので、当然荷物も多く、このぐらいの広さが欲しい。宿屋というよりも下宿屋に近い。窓の外は、2m程離れた隣の建物の石壁で、ちょっと薄暗いが風通しは十分だ。下を覗くと建物の間に細い路地が通っている。

とりあえず1週間を頼んで、その分の前払いを済ます。バルディでは食事つきの宿泊と言うものはない。飯が食いたかったら下の酒場に来いと言うわけだ。冒険者が迷宮に潜って2~3日帰ってこないというのはざらであり、その生活は気ままなほど不規則なので、いちいち食事の予定などは考えてなど居られないから。外食できる店も掃いて捨てるほどあるので、宿の食事などと言うものはじゃまっけなだけだ。


おばさんが部屋から出てゆくと、藁のベットの上にゴロンと横になり、そのままウトウトとお昼寝に入ってしまう。今日は朝早くから色々とあった・・・。

・・・。

フッと目を覚ますと午後3時12分。時の魔法のおかげで、時間だけは正確にわかる。

中途半端な時間だ、何をしよう。このまま夜まで寝ていようか・・・。

そうだ・・・お風呂に入っておこう。


部屋から出て階段を降りると表通りに直接出ることのできるドアが開いている。宿泊者が酒場をいちいち通って出入りしていたら商売の邪魔になるのでそうなっている。夜間もこのドアのカギが閉まることはない。冒険者が深夜に出入りするのは当たり前の事だから。防犯と言う点でどうなのか、以前はそう思ったこともあった。しかしバルディは孤立した街であり、船着き場を押えられたらもう逃げ場のない所なのだ。荒っぽい冒険者の街であり事件はしょっちゅうの事なのだが、ケチな盗人なんかはこの街には来ない。


表の道にでて、銭湯へ向けて歩いてゆく。表の街路をゆくよりも、建物の間の路地に入る方が大分と近道にはなる。しかし、敢えてその近道を行く人はほとんどない。危険だから。いや、犯罪に合うというわけではない。路地は建物の隙間であり、その両側の建物の窓からは使用後の水つまり排水・汚水が上から降って来るのだ。一応トイレと言うものがあるから、さすがに排泄物が降ってくることはめったにない。しかし、洗濯・食器洗い・拭き掃除、ありとあらゆる生活排水が窓から捨てられる。路地は下水道でもあり、その点で極めて危険な場所なのだ。


曲がりくねった街路を辿ってゆくと、やがて銭湯の建物が現れる。建物の大きさは日本の銭湯とさほど変わらない。ただ石造りなのが大きな違いと言える。

広い表門から入ると、まず石造りの洗い場が並んでいる。迷宮帰りの冒険者達がここで魔物の血肉や油で汚れた装備を拭いそして洗っている。そしてその奥にはカウンターがあり、洗濯物を受け付けている。大きな網袋に洗濯物を詰め込み、一つで大銅貨5枚

50グラン(500円程)である。カウンターの向うでは何人ものオッサン達が洗濯をしている。大きな桶に石鹸水を張りそこに網袋ごと洗濯物を放り込んで、それを足で踏みつけるという至極乱暴な洗濯であり、絹の衣装など上品でデリケートな衣料は頼んではいけない。足で踏むのだが、洗濯物の中には魔物の牙であるとかナイフであるとか、ちょっと物騒な物が入っていることもままある。だから裸足ではなく木靴を履いて踏んでいる。

踏む踏む踏む・・・

泡だらけになった洗濯物を今度は水を張ったおけに放り込んで、また、

踏む踏む踏む・・・

これを2~3回繰り返したら、ハイ終わり。後は奥にもっていって乾かすだけだ。銭湯なので、当然ながらお湯を沸かすボイラー室がある。その熱くなった壁に洗濯物を掛けておくと半時間程で乾いてしまうという具合だ。

湯船でゆっくりとくつろいだ後で、乾いた洗濯物を受けとるというシステムになっている。

この踏み洗いで困るようなものはどうすれば良いのかと言うと、それもちゃんと考えてある。隣のカウンターに持ってゆけばいい。そこにはちょっと尊大な爺が偉そうな顔をして座っていて、この爺に洗いたいものを渡すと魔法の"洗浄"をかけてくれる。一回銀貨一枚 100グラン(約千円)である。踏み洗いは一袋50グランであるが、こちらは一個で100グランであり、かなり高くつく。しかし魔法具として使っているローブなんかは踏み洗いなんぞはとんでもない。だからこちらの魔法洗濯と言うことになるのだ。

自分で"洗浄"魔法を使えるというのはとてもありがたい事なのだ。

この洗濯ゾーンを過ぎると、テーブルが並んでいる小さなホールに入る。風呂上がりの一杯を楽しむ場所で、エールをグビグビしているやつがあちらこちらに居る。他には水で薄めたワインだとか贅沢なものではリンゴ酒なんかも置いてある。

魔法と言うものがあるので女性の冒険者も数多く居るから、バルディの銭湯も女湯があるのは当然で、ここから男女に分かれていて、いよいよ風呂場となる。脱衣所で服を脱いでその奥は湯気の立ち込める風呂となっていて、ここの様子は日本の銭湯と変わりはない。流しっぱなしの綺麗な湯で、そこに浸かる前には体を洗うのがマナーと言うのも日本と同じだ。湯舟は少し小さい。

湯はボイラーで炊いているので燃料費がバカにならないと思うのだが、意外とそうでもないとの事である。

大迷宮の中にはエネリコというツル植物が所々に生えている。ツル植物と言っても茎が結構太くなり目が細かく木質が固いので、これを加工すると弓とか槍の柄などのいい材料になるし、細工物にも使われている。とはいうものの材料にできる良質な部分はごく一部でしかなく、採ってきたほとんどの部分は薪として使われているのだ。まっすぐな部分は、屋上で天日干しにして薪:燃料として売れるが、二股に分かれた部分や細い蔓(つる)なんかは薪にもならない。そんな売れない部分をここのボイラーで燃やしているわけだ。つまり、銭湯は薪屋の兼業となっている。バルディーの街の燃料はこのようにして供給されているので、エリネコが大量に要ることとなるのだが、その心配はない。迷宮内に生えているツル植物はやはり一種の魔物であり、刈っても刈っても直ぐに成長してすぐに元に戻ってしまうから。それに大迷宮は広大であり、一層だけでもバルディの街の十倍を遥かに超える広さがあるのだ。資源量は全然問題ないのである。

と言うわけで、入浴料も30グラン(300円ぐらい)と結構安い。


いよいよ湯舟に浸かり、その湯加減であるが、少しぬるめなので温泉気分を満喫すると言う訳にはいかない。あくまでも清潔のための入浴、それを超えるものではないのは残念な事だ。この世界の人には、熱い湯につかってのんびりとするなどという習慣がないのだ。いずれ、大金持ちになって自分専用の温泉を楽しんでみたいものである。

入浴を終えて、新しい下着に着替えサッパリとしたところで、先のホールでエールを一杯あおる。

これで銭湯は終わり。あとは宿に帰るだけだ。


せっかくの風呂上りなのに汗臭い人混みの中を帰るのは厭だ。ちょっと遠回りになってもいいから、少しでも空いている道を帰りたい。来しなとは違う道で、夕陽に染まった街路をブラブラとそぞろ歩きしていると、何だかいい匂いがしてきた。パンを焼く匂いだ。昼ご飯はオーガ亭でがっつりと食べたので、おなかはあんまり空いていない。今晩はこの焼きたてのパンを買って、それで済ませてしまおう。

パンの種類は一つだけ。脇に抱え込まないといけないような大きなものから拳ほどの小さなものまであるが、みんな同じパン。小さなものをいくつか買うと、大きな葉っぱの包みに包んでくれる。店の端っこの棚にはガラスの瓶が並んでいた。中身は紅いもの黄色いものピンク色のもの、いろんなものがある。ジャムだ!原料になる砂糖は貴重品なので、一つで銀貨2枚:200グラン(2000円ぐらい)といい値段がついているが、3つばかしも買いこんでしまった。

部屋に戻って、パンにジャムを塗りたくり、これを貪る。甘さは少し抑えめのジャムでなかなか乙なものだ。オレンジ色のはマーマレード、赤紫なのは何かのベリー、黄色はリンゴ、この世界に来てこんなものを食べれるとは思わなかった。やはりこれも先達の転生者による業績なのであろうか・・・。

ふと窓の外を見てみると、隣屋の壁が部屋の灯りで照らされている。首を出して空を見上げると、もう、とっぷりと暮れている。口をゆすいで、また藁のベットに寝ころび、今日の一日を終える。


昼寝はしていたが、前日の船が酷かった。船中で過ごした前日の晩はほとんど寝れなかったのだ、むさ苦しい奴らと一緒の大部屋だったので。おかげでこの晩はそのままぐっすりと朝まで寝込んでしまう。


翌日、目を覚まして時間を見てみたら9時24分だ。もう、こんな時間なのに部屋の中は薄暗い。隣の建物の日陰になっていて、陽がさしこまないから。まあ、バルディに暮らしている限りは日当たりなんて贅沢と言うものだ。

さて今日は何をしようか、朝ごはんを食べたらとりあえず修道院に顔を出すのが穏当と言う所だろう。何しろ付き人がついた、バルマンという少しニヤけた新米の修道士あるいはベテランの騎士のお付きが付いたのだから。神聖騎士団の対ヴォルカニック戦出陣の目処が立つまでは、連絡を緊密にしておかねばならないだろう。

下の酒場におりても店はまだ開いていない。仕方ないので、昨日見つけたパン屋にまた足を運び、パンを買ってそのまま修道院に向かう。


一階のホールにある椅子に座って、パンに干し肉を挟みムシャムシャと食べていると、


「行儀の悪い使徒殿だ。」


と、バルマンがやってきた。


「さて、今日の予定はどうするの?」


と、聞かれる前に4聞いてやる。私には予定なんてないから。


「・・・どうしますかね?」


・・・あっさりと聞き返してきた。


「わたしとしては・・・バルディ修道院の状況が知りたいわ。去年から変わっていないか。」


「わたしは3ケ月前に来たばかりですからね、去年の事なんかは知りませんよ。」


「・・・そう・・・。

じゃあ、アレどうなった。あのグリモワール。ほら、ホーリーヒールのグリモワール。」


「ああ、あれは別館で鎮座してますよ。」


「ええ!別館?」


「知りませんか?まあ、今建てている最中だから。そのグリモワールの出てきた場所に館を建てているのですよ。小さな石造りの塔が造ってあったらしいのですが、もっとしっかりした館・・・いや、小さな城塞とでもいうべき建物になりそうですな。何しろあそこはオーガなんかが出てきますからね。」


「と言う事は、まだこっちに持って来てないの?」


「当然でしょう、あんなデカ物(でかぶつ)。持ってこれないし、持ってきておく場所もないし、他所に持って出る事もできない。あそこに置いておくより他ないでしょ。」


「・・・そう。」


発見当初は興奮していてどこに持っていこうかと騒いでいたが、冷静になってみると動かすなんて無理だと理解してしまった。そう言う事らしい。

それではと、あそこに修道院の別館ともいうべき恒久的な城塞を作る事にしたと。建設費は、歴史的な発見と言う事で寄付が大いに集まったので、それで賄えると。去年作った応急の砦の中で建設中なのだが、もともとバルディ城内の修道院の建物はだいぶんと手狭になって来て窮屈しているので、その意味でも外に頑丈な別館ができるのは好ましいらしい。

で、"する事もない?、じゃあ別館の建設現場でも覗きに行こうか"、ということになる。


城の東門を出て小さな森を過ぎてバルディ川の河原におりると、そこには石の橋ができていた。去年は岩を伝って木の板が掛け渡してあっただけなのに。


「この橋は冬の間に、通したばかりだと聞いていますよ。」


大きさは大八車が通れる程度で、さほど大きなものでないが、それでも石の橋である。この世界では魔法と言うものがあり、土魔法の"岩生成"を使うと石や岩が簡単に接着できる。促成のコンクリートというわけなのだ。だから石造の建築はわりと手軽にできる、魔法の使い手さえ確保できれば。幸いにして修道院には、それなりの魔術師がもともと居たし、バルディ神社での修行場で新たに魔法が使えるようになった、あるいは魔力が強化した、そういう人たちが随分と出てきたので、魔術師には不自由しないからネとの事だった。

この橋を渡り、あの森に入って例の促成の砦に入ると、確かに立派な城塞が造られていた。

地面から2階分は窓のないごつい岩の壁がそびえ立ち、3階の外周には回廊が巡り凸凹の外囲いの胸壁がとりまいている。その内側が石造りの4階建て建物となっていて、大きさとしてはそれだけで修道院の本館(?)よりも大きい。下の部分も含めると規模としては優に2倍以上はありそうだ。入口は小さいながら虎口が造られてあり、門は2重と厳重だ。

その入口、城門を通って建物の中に入ると、まだ工事中であるが、1~3階吹き抜けの大きなホールが広がり、正面には祭壇となるべき台が造り付けてある。その台の下に例のグリモワールが鎮座しているのだと。

このホールの1~2階部分は石の壁が取り巻いているが、3階部分には窓があり、そこから陽の光が差し込んでいる。

このホールの向う側と上の階が、生活や物置のスペースとなっていて、全部で6階建ての建物になっている。

建物の中はまだ工事中で、分厚い木材でもって床や天井を造り付けており、ガンガンと金づちを叩く音がうるさい。


「ほら、向こうに行きましょう。7人程が居住、いや宿直しています。職人たちの護衛ですな。食堂も稼働していますから、お茶ぐらいは出してくれるでしょう。」


修道院はホテルではない。お茶が出てくるほどサービスが良いとも思えないのだけれども・・・この人やっぱり入って3ケ月の新米修道士なんだ・・・いや、エールと言わないだけマシか。

台所は既に完成しているようだ。既に料理用の暖炉には火がくべられている。その前の食堂部分はまだ一部分しか床ができておらず、その場所には大きな食卓が一つ置いてあるだけだ。そこに一人の騎士が腰かけていた。いや、ガタイのデカい修道士グレアだ。


「お久しぶり」


と、声を掛けるとニッコリと微笑みを返してくれる。


「まあ、職人さんたちの護衛だから、こうして武装しているんだが・・・退屈で。こうして、食堂でお茶をしているんだ。」


そう言って立ち上がり、台所に行ってゴソゴソと何かしている。食卓にかけて待っていると、木のカップを2つ持ってきた。そこからは湯気が立ち、粗茶の薫りがする。

アッ、お茶が出てきた・・・。


「ありがとう。他の方達は?」


「みんな見廻っている。お茶の当番は順番さね。」


のんびりと、やっているという事だろう。


「おやっエリーセ、グレアの事を知っているのかい。」


知っているとも!二人には深い関係があるんだ。ホーリーヒールのグリモワール発見に関しては・・・。グレアもニヤッとしている。しかしこれは秘密なのだ、善男善女のために。(詳しくは『城郭都市バルディ』篇を)

 

「グレアさん、どんな具合ですアレ?」


「いやあ、残念ながら・・・まだです。」


「それは残念です。」


「なんのことなんだ!俺も話に混ぜてくれよ。」


バルマンがそう言うと、グレアは、


「まったくの偶然なんだが、俺もホーリーヒールを覚えてるんだ、エリーセさんのおかげで。」


「ええ!なんだって!」


「でも使えないんだよね、魔法が高度過ぎて。と言うわけで修行に励んでいるのだが・・・まだ使えん。」


「おい、エリーセ・・・さん。俺もホーリーヒールを覚えたいぞ。」


「そうねぇ・・・一度やってみる?」


今度はグレアが慌てて、


「おいっ、職人たちが居るんだ。朝からソレはマズいぞ!」


何言ってんだろう???


「いえ、手を繋いでやってみるだけよ、心配しないで。」


「えっ、あっ、そうかい。安心したよ。

じゃあ、グリモワールの所に案内してやるさ。」


そう言って先程のホールに戻り、祭壇のちょうど裏側に廻ると、そこから床下に階段が降りていた。短い階段を降り切ると、床には何と大理石が張ってある。グレアはこの部屋の壁に沢山かけてあるカンテラを順番に灯りを付けてくれた。大理石が張ってあるのは床だけではない、壁も天井も全てが白く輝いている。


「この部屋はちょうど祭壇の中になっているんだ。

ホラ、ここだよ。」


部屋の中央に大きな岩が2つ並んでいる。ホーリーヒールと領域操作のグリモワールだ。


「じゃあ、こうして手を繋いで、バルマンさんもう一方の手で、グリモワールを読んで頂戴。」


バルマンの左手を握り、右手をグリモワールに近づけてかざすように指示する。

バルマンはおそるおそる手をさしかけていく。

・・・、

・・・、

が、何も起こらない

・・・

残念でした。


「何も起こらんが・・・」


「そう、そうそう上手くいくものではないと、そう言う事でしょうね。

前の時は、こうするとグリモワールからグレアさんを通って私の頭に入ってきたの。多分、あのときは初めて読んだせいだからじゃないでしょうか。」


「ああ、そうだろうね。おかげで、俺は泡を吹いてぶっ倒れたがね。」


あの時は初めてこのグリモワールに触れて呪文を覚えた時であり、グリモワールの情報が私の頭の中に勢いよく流れ込んできた。でも魔法をもう覚えてしまった今となっては、そのような流れは無いので再現できない、と言う事だと思う。

バルマンはちょっとがっがりしていたが、じきに気を取り直し、


「う~ん、そうなのか。他力本願でもグリモワールが読めてしまうことがある、そういうことか・・・。」


と、感心している。


「俺以外に読めた者は、ロドリゲスだけさ。」


「どなたです?そのロドリゲスさん。」


「知らないのかい?向こうはあんたの事知っていたよ。ウォルツァー司祭の弟子だよ。」


ああ~、思い出した。去年、ウォルツァーさんがメルラン神社に向けて飛び出していったとき、心配だからと言って着いて行ったお弟子さんだ。それで結局のところ、ウォルツァーさんはダメで自分が覚えちゃったんだ。


「あいつもここで、見張りをしているぞ。案内しようか、俺も休憩時間をそろそろ終わりにしようと思うから。」


それで3階に昇り、外縁を取り巻く回廊にまで連れて行ってくれる。幅が1mとちょっと幅の狭い回廊で、外側には凸凹の石造りの胸壁が取り巻いていて、いかにも城塞だ言わんばかりの造りになっている。ここを4人で巡って周囲を監視しているのだそうだ。たまにオーガが木々の間に姿を現すらしい。


「お~い、ロドリゲス~」


バルマンが向こうにいる騎士?修道士?に声を掛ける。

"なんだね?"と振り向いた中背のロドリゲスの手にはクロスボウを持っている。でも羽織っているのは修道士のローブだし、体格もちょっとヤワそうだ。だから、騎士?修道士?なのだ。


「ああ~エリーセ殿でありますか。巡察、ご苦労様です。」


巡察?・・・いや、そんな大層なものではない。


「ロドリゲスさんこそご苦労様です・・・。」


「いえ、さほどのことではありません。バルディ神聖騎士団員としての責務、これにすぐる喜びはありませんから。

・・・。

エリーセ殿、実は・・・報告せねばなりませぬ。

実は・・・この私ロドリゲスも・・・ホーリーヒールを知るべき者として、グリモワールに選ばれたのであります。

共にこのヘルザの人々の信仰を守るために、お互い励まねばなりませんな・・・

ウヒヒ。」


向うから話しかけてきたのだが、さいごにちょっと薄気味悪い微笑を洩らしている・・・。後ろを振り返るとバルマンとグレアも、ちょっと引いていた。


「こいつ、ホーリーヒールを覚えて以来、ずっとこんな感じなんです。まあ、いい奴なんですがね。でも、ずっとこんな感じだ。」


グレアはそういうが、あなたもそれが使えるようになると、"こんな感じ"になるのではないだろうか。


「それはそうと聞いて欲しい。」


バルマンは話始める。


「そろそろ大迷宮に乗り出そうという話があるんだ。」


「えっ、それはまだ聞いていないぞ。」


ロドリゲスが普通に戻って、聞き返す。


「ああ、修道院ではその話はまだ出でていない。しかし、エリーセが大迷宮に取り掛かるという事だ。

神命に取り掛かるのが、使徒殿の役目だからな。」


「そして、バルディ神聖騎士団は使徒殿を扶助するためにある・・・そう言うことか?」


「ああ、そうだ。」


「う~ん、まだ十分に用意ができていない・・・じゃないか?」


「じゃあ、その用意はいつできるんだ?」


「・・・それは・・・。」


「とにかくボチボチ始めないと。装備を整えるのはおいおいしていけばいい。

つまりだ、実戦で迷宮の戦闘に慣れてゆかないといけないってことだ。」


「しかしなあ・・・私は戦闘なんて・・・経験がないし・・・」


ロドリゲスさん、腰が重い。

この方、グレアやバルマンと比べると体つきが少し細い。まあ当然かもしれない、もともと治癒師なんだから。本職の騎士とは違って、戦うということに抵抗があるのだろう。


「そうですね・・・、実際迷宮に行くとケガをする人も多いでしょうから、強力な治癒師が居て欲しいのですよねえ・・・。」


本当は、わたし一人で十分だけど・・・居ないときがあるかもしれないから、そう言ってみる。


「なにっ?

そうか・・・魔物と戦えば重篤な傷を受けるやもしれん、いや、受けて当然だな。ふむ、ではこの私が抜けるわけにはいかん、そう言う事か・・・うむむ・・・

ホーリーヒール・・・ウヒヒ。」


以外とチョロい人だったようだ。


「まあ、そう言う事だ。いきなり深層にはいかないから・・・心配しなくていいさ。」


そう、"浅いところしか行かないよ~"と言っておきながら、戦場に引き摺り出そうという魂胆なのである。


カランカランカランカラン!


反対側の回廊から鐘が鳴る。


「非常鐘だ、行くぞ!」


そう言って3人が慌てて回廊を駆けてゆくので、私もついて行く。ぐるっと回って反対側に廻ると見張りの騎士が左手に手持ちの小さな鐘を振りながら、向こうの林を指さしている。そこにはゴリラを二回りも大きくしてもう少し人間に近づけたような生き物がいた。オーガだ。

ロドリゲスが手に持ったクロスボウを構えたが、


「待て、まだ遠すぎる。もう少し様子を見るんだ。」


バルマンが制止する。

オーガは林の中からしばらくこちらを伺っていたが、やがてこっちにウッホウッホと駆けてきた。


「まだか!」


ロドリゲスが堪らず、聞き返す。


「よし、撃て!」


建物から10~15ⅿにまで近づいた時、クロスボウのバレル(矢)が放たれ、オーガの下半身に吸い込まれていった。オーガは蹲(うずくま)って"ギャ~"と吼える。腰か大腿かに当たったようだ。

すかさず、もう一人の騎士がバレルを放ち、今度は肩に当てる。

ロドリゲスはクロスボウを足で押さえつけて、次のバレルのために引こうとしているが、慌てているせいでうまくいかない。


「もういいよ。ほら、逃げて行くさ。」


オーガは、這うようにして向こうに逃げていった。


「なに、ヤッコさんももうそんなに長くはもたんだろう。その内、別の奴に喰われちまうだろうさ。」


「仕留めなくてもいいんです?」


「別にかまわんさ、要はここが危険な場所とわからせればいいんだ。オーガはああ見えてもそれなりに知恵はある。こうしていれば、そのうちに近づいて来んようにもなるさ。」


この場で一番の古株であるグレアが、そう言ってるんなら、そうなんだろう。


「むこうの林の中に土塁があるんだが、あそこはだいぶんと崩れてきて、そろそろ修繕もしないといけないんだが・・・ここをこうして新築しているだろう、全体の構想を立て直さないとね、と言う事で放ったらかしになっているわけだ。」


まあ、のんびりとした話だが、それでもいいらしい・・・。


「さぁ、一通り見回ったことだし、もう戻るかい。昼飯の時間まであと一時間だ。」


バルマンさんは新入りなので、それなりに雑用当番があるのだ。


「それからグレア、あんたも大迷宮に来るだろう?」


「ああ、いくよ。」


「私も行きますよ・・・」とロドリゲスさん。


「そうだな、あんたはなんだってできるんだから、あとは場慣れして肝(きも)を作ることだな。」


バルマンさん、ロドリゲスさんを持ち上げておいて、戦場まで引き摺りだすつもりなのだ。


バルディ城内に戻るのだが、手負いのオーガがまだ近くにいるかもしれないと、バルディ川の石橋までグレアさんとロドリゲスさんが送ってくれるという。

正直言って、その必要はないと思っていたが・・・林を抜けたところにヤツはいた。50メートル程向こうに毛むくじゃらの大きな生き物がうずくまっているのを見つけたが、それがヤツだった。

起き上がって、こちらを見つけると怒りがこみ上げてきたのだろう、凄い形相で睨みつけ、ギャ~と吼えると両腕をあげて跛行しながらも吶喊してくる。とっさに杖を向けて石弾を撃つ。プシュプシュと7~8発が飛んで行き命中する。分厚い筋肉に阻まれて、内臓までは届いていないようだが、確実に筋肉を深くえぐっているはずだ。オーガは両腕を前に出して顔を庇い、またうずくまる。これを見て、バルマンとグレアは剣を抜き左右に分かれて近づいていった。私はそれが気取られないように、引き続き石弾を打ち続ける。2人がオーガを挟み込み、剣の構えをとったので、石弾を止めると、そこで一気に突きかかる。オーガはなす術も無く、急所をえぐられてそのまま倒れる。

バルマンは止め(とどめ)をいれ、次に胸を抉って魔石を採りだしている。両腕を血に染めて、"ホラッ"を魔石を渡してきたので、思わず魔法の"洗浄"を掛けてやる。

すると、


「今晩、奢ってくれるよなっ。」と・・・。


酒場で飲んでいても、バルディ修道院の厳しい戒律上、問題ないのだろうか・・・


「おれも奢って欲しいぞ。」と、グレアさんは気にしていないらしい。まあ、この人は細かい事を気にする性格ではないから・・・。


でも、もう一人いた・・・後ろを振り向くと、ロドリゲスさんが気弱そうにニヘラニヘラと笑っている。それを見たバルマンさんは寄って行って、肩を抱えこみ、


「あんたも、参加するだろう?今日の反省会だ。」


そう、強要している。目撃者は、共犯者にしてしまえば証人にはなれないのだ。

悪友に染まってゆく・・・これも人生の大切な経験であり、聖なる道を歩むうえでの試練とも言えよう。・・・ウン、しかたないよネ。


結局のところ、夕食後のお祈りの後でオーガ亭に集まって、私の巡礼報告会を兼ねた"有志の集(つど)い"を開催するということになった。果たして何人が集まるのか・・・それはお楽しみと言う事である。


オーガ亭に帰り、昼ご飯を済ませる。それから、マイルスさんの店でオーガの魔石を換金して・・・もう今日は何もすることはない。

いや、今夜バルマン達に奢らないといけない。場所はオーガ亭なので、おばさんに言いに行かないと。


「あいよ。で、何人だい?」


「3人・・・いや、もっと来るかもしれない。何人来るかよくわかんない。」


「・・・へっ、それじゃあどうしたらいいんかね・・・」


「まあ、修道院の坊さんたちだから・・・晩御飯も終わってから来るって言ってるから・・・たいして飲んだり食ったりしないと思うのよ。」


「ヘっ・・・坊さんの飲み会かね・・・きいたことがないねぇ・・・。」


「まあ坊さんと言っても元騎士のごつい人達ばかりだから・・・飲むのは飲むと思うのよ。」


「まあ、騎士"さま"かね。じゃあ、ちょっといい酒とつまみを用意しておこうかねぇ。テーブルは、カウンター傍の3卓でいいかね。店を貸し切りとまではいらないんだろう。」


「ウン、それでいいと思うよ。じゃあそれで。」


これで夜の準備はできた。さて、またお風呂にでも行っておこうか。

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