第65話 昏き夜に翔ぶ
夜の森は昏い。
この世界は月が2つもあるが、空から注ぐ銀色の月明かりは森の木々に遮られて、地面はただただ暗闇に閉ざされているばかりだ。
が、今や私の魔眼が観ているのは光ではない。獣や鳥の体温、いや生命力そのもの、それだけではない、岩や土は質量そのものを観ている。
光などはもういらない、私の視野は漆黒の闇の中を見通す。
その闇の中を駆け抜けていく。
瞳孔を一杯に広げて目を赤く光らせている獣を飛び越える。そんな獣たちから見ても、今の私は風が吹き抜けていったようにしか見えないだろう・・・。
闇魔法の反重力。
今、この力は空を飛ぶだけではなく、地上を駆けるのにもとても役に立つ。ひとたび体を飛び上がらせると、もう地面に落ちることない、そのまま前に前にと跳躍してゆくのだ。
背中からは傲慢の光翅を広げて風魔法で体を前へ前へと飛ばす。足はもう宙に浮いていて地面を走っていない、前に迫ってきた木を蹴って上に横に飛んで避け、そしてまた傲慢の光翅で勢いよく風を羽ばたき前に飛んでいく。
ウフフフ・・・、まるで、闇の中の森を疾走する忍者ナ〇トではないか・・・。
やがて、一山を越えて谷に出る。昏い谷底からはザァザァと渓流の流れる音が響いていた。そのまま、向こう岸にめがけて宙に跳び、思い切って前へと飛ぶ、吹き付ける風が心地いい。
・・・・・・、
ドスン!。
・・・ウッ・・・、
対面の山の斜面まで跳んで、そこでぶつかり、地面に転がった。
「イタ~~」
調子に乗ってスピードを上げ過ぎたのだ。木の枝を躱しきれず、胸から衝突してしまい地面に転がっている。
嗚呼~、痛い。
魔法の力で、跳躍力やスピードを手に入れた、・・・しかし・・・、運動神経が良くなったわけではないらしい・・・。
根本的な所で、忍者ナ〇トにはなれないのか・・・。
しばらく地面に転がりながら、星の瞬(またた)く夜空を見つめていた。
私は思う、・・・所詮忍者なんて地面を這っているだけの連中ではないか。
・・・私は・・・空を飛べるのだ!
気を取り直して立ち上がり、傲慢の光翅を広げて飛翔する。
たちまちにして視野が広がる。
魔眼で見る夜の景色は、当然ながら色は無く、モノクロームの世界。遠くまで山が連なり、その隙間には湖の水面が月の光を反射してわずかに輝いていた。
今度は東の方に頭を向けて、風魔法で飛んでいく。スピードを上げる。どんどんと速度を上げてゆき、やがて吹き付ける風で息もできないほどに。時速にして50Kmほども出ているのではないか。ならば、怠惰の刺青でもって自身の周囲に力場を作り、風が直接届かない様にしてやる。こうすると吹き付ける風もなくなり、もっと速く飛べるぞ。
70Km・・・90Km。ここまで速いと何かと衝突すると恐ろしいことになる。心眼をいっぱいいっぱいまで働かせ、魔眼で前を注視して、同時に周囲に力場で纏ろわせる空気の層を厚くして身を守る。
地面が後ろにどんどんと後ろに流れるように過ぎていく・・・。
テルミス王国の王都を出発したころは一日に20~30kmも進めばいい所だった。でも、いまは200~300kmも飛べる。
つまり10倍の速さで進んでいるはずなんだけども、進む日もあれば、魔法の練習に一日をつぶすときもあり、ということで実際の旅程の進み具合は歩いているのとそれほど変わらないのだが・・・。
始めは昼に飛んでいた。でも地上にいたドワーフが飛んでいる私を指さしていたのだ。光魔法の"屈折"を使って光の影に隠れていて、見えないはずなのに。
目をこすりながら指さしていたので、多分揺らめく影の様に見えていたのかもしれない。
そこで、昼間に飛ぶことはやめて、夜になってから飛ぶことにしたのだ。そのために生活時間がずれて、昼過ぎまでは寝ているが・・・。
その日も夕方から空に跳び上がり、そのまま2時間ほど飛んでいたが、下に小屋が見えてきた。そこからは暖かな熱も感じる。
タンボ(宿泊用の仮小屋)だ。きっと宿泊者が居て囲炉裏に火を焚いているに違いない。
今日はここまでにして、タンボで休もう。
ストンッ、
と街道の上に着地して夜道をタンボに向かうと、窓の中ではランプの灯がともっていて、煙突からは煙が少し上がっていた。やっぱり先客がいる。
「こんばんわ。」
扉をあけながら中に声を掛けると、エルフの若い衆が5人、輪になって手持ちのどぶろくを回し飲みしている。
「やあ、いらっしゃい。とは言っても、こちらもつい今しがた来たところだけどね。」
そう言って、小さな湯呑を勧めてくれる。中にはどぶろくが入っていた。
「ではいただきます。」
ぐいと飲むと、少し癖のある芋焼酎のようだ。今度はつまみにしていた、川魚の干物を勧めてくれるので、こちらも何か出さないと。とりあえず、干し肉を取り出して、木の皿に盛ってみる。
「ほう~、これは?」
「ネックスのアッシュ遺跡の魔物牛の干し肉。まあ、食べてみて。」
「じゃあ、ちょっと味見してみるよ。」
周囲から手が伸びてきて、各々つまんでいく。
エルフは社交がスマートなのだ。ドワーフならばこうはいかない。
見知らぬ同士でもこうして話を交わして、すぐによしみを通じて、・・・そして相手が女の子となると・・・、少しずつ間が縮んでくる・・・じりじりと。
それが連中の"嗜み"というものだ。
でも、着ている巫女の外套に目がゆき、
「おや、その外套は・・・、もしかして。」
「ウン、イヤリル神社の巫女だよ。」
「へえ、巫女さんなんだ。」
エルフの若い衆は、たね馬のような連中だ。若い娘とみれば必ずコマしに来る。でも森の民エルフにとって巫女と言うのは特別で、むくむくと盛り上がった煩悩が、直ちに冷えて萎んでしまい、伸びてきた手が引っ込んでゆく。
「ええ、ちゃんと治癒魔法もできますから。腰の痛い方があればどうぞ。」
と答えると、「じゃあ」と、2人が元気よく手を挙げた。もうやましい気持ちなんかは何もなかったかように。
順番にヒールを掛けながら、このあたりの様子でも聞いておこう。
「ここから東に向けてゆくつもりなの。」
「東?
ちょっとそれはお勧めできないな。
何処まで行くつもりだい?」
「ギルメッツ族・フィンメール族の辺りかな。」
バルディで出会った山の民・森の民の冒険者たち、ガルマンとエルフィン達の部族だ。
「おい、冗談じゃない、あそこは危険だ!
あんた、ウェルシの事知らないのか?そんなはずはないだろう。
戦士の部隊でも率いてない限り、あんなところに行くもんじゃない。
それともアンタ、戦闘巫女だとでも言うのか。」
つい今しがたまでは煩悩にムラムラとしていた連中が、急に気色ばんで止めに入る。
かつて勇者イヤースの時代に、邪神討伐のために腕利きの戦士たちを選抜してイヤリル精霊戦士団が結成され、そのエルフ・ドワーフの男女は神官戦士・戦闘巫女と呼ばれていた。山の民・森の民達にとっては、伝説の勇士と言うわけである。
私もそれなりに強くはなったとは思うが、人殺しはしたくない。
エイドラ山地東部のウェルシのあたりはそれだけ危険な場所となってしまっているという事らしい。
「でも、ヴォルカニック皇国に行きたいのよ。
どう行けばいい?」
「何もわざわざウェルシを通って行くことはないじゃないか。ここから東北に3日程進むとリリース族の森につく、そこから北はもうヴォルカニックさ。
そっちから行けよ。」
良い事を聞いた、リリース族か。覚えておこう。
こうしてこの夜は終わる。
次の日、森の中の清々しい朝早く、連中は爽やかに旅立っていった。
私は一人小屋(タンボ)に残って、もう少し朝寝なのだが、という私も昼過ぎには出立しなければいけない。でないと次の旅人が来てしまう。彼らの見ている前で、夜に出るというのは変だから・・・。
タンボを出て、まずは近くの森の中で狩りをする。水鳥と鱒を手に入れ、"亜空間調理"で下処理を済ませて、そのまま亜空間に保存。
そして夕方となって、傲慢の光翅を広げて森の中を走り、とっぷりと暮れた頃、昏い空に翔びあがる。方向は東北、リリース族めがけて。
2時間ほど飛んでそろそろと疲れてきた頃、地上の森の中にポツポツと家が建っていた。エルフの住居だ。
空から降りてゆく姿は見せたくない。少し離れた森の中に降り、そこで壺ハウスを取り出して一泊夜を明かして、次の日に地上を歩いてエルフの村にいく。
通常、エルフは集団生活をいとまない。カップルとその子供が1人、せいぜいそれが家族の全てで、そういった核家族が森の中に点々と家を建てて暮らしている。一家族だけでは子育てに不便・不安が多いのか、助け合いのために、村のようなコミュニティーはあるらしい。しかし子供が独り立ちすると、そのカップルも解消してしまう事も多いという。そして放浪して、また新しい相手を探す。そう言う人生を繰り返しているのだ。何やら芸能人の引っ付いたり離れたりに似ているが、人生の長さがエルフには300年ほどもあり、春の永さ(ながさ)が普人族とは全然違うので、一概には尻軽な連中とも言えないと思う。
ただ彼らの人生において、15才から10年間の間は別で、この間は集団で生活を営み、先達から様々な事を学んでいる。この間を若者衆とか戦士とか呼ばれるが、寄宿舎付きの学校と兵役を兼ねたような仕来り(しきたり)なのである。
そして、族長に選ばれた戦士長たちが、その集団を差配・指導しているのだが、実質上この戦士長たちが部族の有力者といってもいい。
さて、一軒の家の前から住民に向けて声を掛け、リリース族の有力者の所への案内を頼む。案内されたのは、その戦士長の所で、30人ばかりの戦士(若者衆)を統括しているとの事。
ヴォルカニック皇国に行きたいとの要件を伝えると、
「ふん・・・、もうじき交易隊を送るから、それに引っ付いて行ったらいいさ。」
「交易隊?ヴォルカニック皇国と取引をしているのですか?」
「おや、知らないのかい?
境界地帯に居る部族は、みんな、そうしてるよ。
その若さで巫女をしてるんだ、若者組にも入らずに神社で純粋培養されてきたのかな。まあ、世間勉強だと思って着いて行ったらいいさ。」
「一人で勝手に行くとマズいのですか?」
「う~ん、やっぱり世間知らずだな。紹介もなしに行っても、着いてから苦労するだけだぞ。何よりも、森のはずれには"はぐれ者"が居るからな。」
「はぐれ者ですか・・・?」
「ああ、そうだ。普人族の鼻つまみ者たちだ。山賊盗賊のような奴らさ。
連中を見つけては、追っ払っているんだが、暫くするとまたやって来る。まったくキリがない。」
「はあ・・・」
「まあ、ヴォルカニック皇国で喰っぱぐれた連中だ。山賊でもしていないと餓死するよりないから、なんだけどな。同情して放っておくと、じきに集まってきて数が増える。
ギルメッツやフィンメールの奴らは情けをかけて、受け入れてやったのはいいが、今度はウェルシ公国だとかぬかして、森や山を占領しだした。まったく・・・、軒を貸して挙句の果てに母屋を取られたというわけだ。
あんな連中は早々に追い出すか退治するのが賢明と言うものさ。」
「はあ・・・」
「というわけで、森のはずれは少し危険だから、俺達の交易隊と一緒に行けばいい。
わかった?」
「はい・・・。でも、どんな交易をしているのです?」
ヴォルカニック皇国にも、山の民・森の民と交易する商人がいるという事になる。上手くいけば、商人に付いて行ったらいい。
「いや・・・交易と言っても、薬草など生薬の原料とか、虫の糸(天然の絹)とか、狼の毛皮とか・・・、まあ余分なものをまとめて持って行って、贈り物として贈るのさ。」
「あげちゃうのですか・・・、だったら交易にならないじゃないですか。」
「そんな事はない。向こうも、金属製品やら布やら、いろんなものをくれるよ。」
「はあ・・・、で、値段は誰が決めるんです?」
「値段?そんなものは無いさ。相手は向こうの村の領主だよ。お互いにものを贈るだけだよ。まあ、欲しいものの希望は伝えはするが・・・。
沢山もらったら、次は沢山かえす、お互い見栄(みえ)と言うものがあるからな。」
「はあ・・・」
何だか、原始人の物々交換みたいだ・・・、どうやら商人はいないらしい。
「まあ、次の交易隊がでるまで、一週間ほどだ。それまでこの村で過ごせばいい。
ああそうだ、あんたはうちの組で預かろう。」
「はあ、よろしく。」
「はあ、はあ、とはっきりとせん奴だなぁ。もう少しシャキッとしろよ。」
「はあ、すいません。」
「つぅ~、まあいいや。所でお前さん、巫女なんだから、なんかできるだろう?」
「はい、治癒魔法なら自信があります。」
「ほう~そうかい。そりゃぁ有難い。じゃあ、しばらく頼むよ!」
「あと・・・、製薬もしたいのですが・・・」
「なんだって、薬も作れるのか!凄いじゃないか。じゃんじゃん材料をもっていくからな。」
「いえ、そちらは覚えたてですから、練習です。」
「ええ~、なんだい、練習かい。じゃあ、萎びた薬草やら、腐りかかった材料を持っていくから。それで練習しなよ。」
「・・・・・・。」
現金で残念なエルフの戦士長である。
こうして連れられてきたのが、精霊樹の下に建てられた小屋だ。イヤリル神社の精霊樹アシュタロテの苗木の一本である。アシュタロテとは比べるべくもないが、樹の周囲を囲うのに大人が4~5人ほども手を繋がないといけないような大樹だ。その根元に、小さな、そして小綺麗な小屋が建っていた。そこを宿として提供してくれたのだ。彼らなりに、巫女に対して敬意を払ってくれているのだろう。
「どうだい、凄いだろう。精霊樹の木陰だぜ。」
「はあ・・・、ありがとうございます。」
自慢したいのはわかるが、エイドラ山地に221本もあるうちの一本なのだ。そこまで珍しいものでもない・・・。
夕方になると近隣に住むエルフ達がやって来る。10人ほど。
治療を受けに来たのが4人で、残りは様子を見に来たらしい。治療が終わっても誰も帰らない、そのまま小屋のまえでバーベキューをし始めた。歓迎会もしてくれるようだ。
話しをせがまれて、テルミス王国の事、教会の事、バルディ大迷宮の事、ベルゲン辺境爵の事、そしてアッシュの遺跡、話のタネは山ほどもある。みんな退屈しているのだろう、眼を輝かして話を聞いている。
本当に、いろんな経験をしてきた・・・。
こうして何日間を過ごした。
でも結局の所、交易隊について行くことはなかった。事件がおきたから・・・。
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