第32話 タルクスのはやり病

テルミス王国を養う大河ヌカイ河、この川は王国の物流の大動脈でもある。川と言っても幅が数キロにも及び、流れも極めてゆったりとしていて、たくさんの川船が行き交っている。河の北岸、王国の川岸には、積み荷の積み下ろしや船客の乗り降りのための小さな港町が点々と建っており、港町タルクスもその一つだ。小さな町であるが、ベルッカ修道院を目指す巡礼者(観光客)のおかげで、結構にぎわっている。


昼過ぎにタルクスに到着したが、バルディ行の船には乗り遅れてしまったので、この街に一泊することになってしまった。わたしは”まじめな”巡礼者なんだ(巡礼の動機は信仰というよりグリモワールなんだが)、街の教会に顔を出しておこう。


小さな街に相応で、教会も小さなものである。

ガランとした会堂の中で、一人で座り込んでいる人物が司祭であった。

「こんにちは」

「おや、そのなりは旅のお方ですな。何か御用で?」

「王都の修道院にて修行中のエリーセと申します。今、巡礼の途中で、ご挨拶をと思いまして。」

「それはわざわざご丁寧に。しかし、申し訳ないがちょっと問題を抱えて居まして、今はお世話出来かねる状況なのです。今日のお泊りはお決まりになりました?」

「旅費は十分に持っておりますので、街の宿に宿泊するつもりでおります。今から宿を探すところです。」

「それじゃあ、この道を少し下ったところの、川面亭がいいでしょう。

・・・王都の修道院で修行なさっているという事ですが・・・、おっ、治癒師の世俗免状をお持ちですね。」

「はい、まだ未熟ですが、それなりのものは習得しております。どなたか、御病気で?」

「ええ、このところ酷い風邪がこの街にはやっているんです。治療師はいるのですが、全く手が足りない状態ですな。私も少しはできるので、頑張ってみるのですが、もう焼け石に水です。」

ヒール・キュアー・浄化は、普通の術者が掛けても、魔力量の問題から一日に10回も掛けれたら良い方である。インフルエンザがはやるとすぐに限界になってしまうだろう。

「解りました、お手伝いいたします。とりあえず、その川面亭に宿をとって荷物を置いてまいります。」

「いやいや、一緒にそちらの宿へ行った方が早い。さあ、行きましょう。」

と言って、司祭がついてくる。

宿についてみると、その理由がすぐにわかった。街の治療院は川面亭のはす向かいに立っていたから。

川面亭に宿を取り、部屋に荷物を置いて治療院に行くと、中では大勢の患者でごった返している。みんなうつむき、あるものは咳こみ、あるものは頭を抱え、苦痛に耐えて自分の番が来るのをジッと待っている。ただ耐えて、待つより他にできることはないから。

治療師の老人は、忙しさで疲労のあまり目を回して、ふらふらしている。

「こんなに来られても、どうしようもないんじゃ。なんと、お若いの、あんたキュアーも浄化もできるのか!」

そういうと、手をがっしりと握りしめ、もうはなさない。とにかく、キュアーと浄化のセットでよくなるらしい。そのまま拉致監禁状態で、治癒魔法をかけ続けることになってしまった。


最初は手を当てて順番に治癒魔法をかけていたのだが、全くきりがない。

傲慢の光翅を使ってみよう。

他の誰の目にも見えていないと思うが、光翅の帯を出して、それを患者に巻き付つける。7つの力である傲慢の光翅。その帯を介してキュアーと浄化を次々にかけていく。

私自身は患者を順番に回って手を当てて治癒魔法をかけている振りをしているのだが、実際は16本ある光翅の帯をフル回転させて、次々に魔法をかけている。つまり、16人を一度に治療しているのだ。だから、16倍速の治療であり、一人当たりに充てる時間はとても短くみえる。

”そんなに手を抜かないで、”と何度も言われもしたが、効果は目に見えて明らかで、そうなるともう何も言われない。

1時間ほどで治療院で待っている患者をすべて終えてしまい、”これでおしまい”と一息つこうとすると、

”そうではない”と。

まだ、別の建物に重症患者を収容していて、そこで看護しているのだと。

行くと、そこではもう座ることもできず、うんうん唸っているだけの病人が大勢寝ころんでいた。する事は先程と同じだ。傲慢の光翅を目いっぱいに働かせて、キュアーと浄化をかけて続ける。

こうして、もう2ケ所をまわり終えたときは、とっぷりと日は暮れてしまっていて、もう深夜となっていた。

宿の川面亭に戻ると、亭主が「いやご苦労様です。」そう言って、深夜の晩餐を用意してくれた。コップ一杯の葡萄酒もつけてくれた。そして手と顔を洗い、あとはただベットに倒れこむ。


翌朝、朝食に宿の食堂におりると、亭主が「まあゆっくりなさい」と、白いパンとハム、そしてお茶を入れてくれる。

なんと果物まで出してくれ、「きのうは本当ご苦労様でしたな」、と話し始め、今回のはやり病の事を教えてくれる。フンフンと話を聞いていると、「お迎えに来ましたよ」と、治療院のおばさんがやってきた。

「えっ、まだあんの?」と呆けていると、宿の亭主が、「行ってらっしゃい、今晩も遅くなるかもしれないですけど、晩御飯はご心配なく、昼には弁当を届けますから」、と。

そのまま治療院に引っぱって行かれ、また監禁状態になる。昨日と違い、重症者は減っている。ただただ、同じことを繰り返すばかりだ。

老治療師は、重症患者の往診をしているという。

確かに、魔力の有り余っている私に数を掃かせて、自分自身は往診に回るというのは効率がいい。

彼も必死なんだ。

その日も、深夜まで治療院で頑張ることになる。


3日目。頑張る。


4日目。まだ頑張る


5日目。流石に患者の数が減ってきた。いやもう、街のほとんどの人が治癒魔法にかかっているのかもしれない。午後は治療院の中で、のんびりとお茶の時間を取れたほどである。


6日目、今日は街を退散しようと思っていると、また、迎えがきた。”なぜ?”と思って治療院に行くと、老治療師がこう言う。

「あなたのおかげで、病人は一通り掃けましたが、まだ、はやり病が収まったか、判断がつかないんですよ。もう少し街に滞在をお願いしたいというわけでして。」

パンデミックが収まるまで居ろと言うわけらしい。巡礼であるから、たしかに急ぐ旅ではない。

う~~ん、なんてこった。

今は治療自体は大丈夫なので、のんびりしていてたら良いとの事。

仕方ないので、教会に赴く。


行ってみると、今度は司祭が忙しいらしい。

今度のはやり病で、死亡者もかなり出たのだ。インフルエンザはコレラのような恐ろしい伝染病ではないが、老人・幼児にとっては十分に死病となりうる。

その葬式にてんやわんやの状態なのだ。

今度は葬式である。世俗祓魔師の免状もあるのなら、助祭を務めろと・・・。


新しく掘られた墓穴には、遺体の入った棺桶が収められている。司祭は、決まりのお祈りを唱えて遺族に悔みの言葉を添える。私は、傍から浄化と聖天を唱える。

これが、葬式の粗方で、そのまま次の墓穴に行き、同様の事を繰り返す。

墓穴を順番に次々と駆け巡るという、まるで集団葬式だ。

葬式と言っても、ここの世界では死者がアンデッドや亡霊になることが多々あり、それの予防のためでもあるので、ちゃんと葬式を執り行い聖天魔法と浄化魔法で確実に魂をあの世に送り出して遺体を火葬するのは、現実的な必要性があるのだ。

司祭の魔力では限界を超えた数であり、魔法は私が掛けなければならない、という事なのである。


老人の葬式は、もう諦めの雰囲気がただよっていて静かなものである。

が、子供の葬式は親・兄弟たちから嗚咽が漏れてきて、結構気疲れする。

司祭も相当に気を使い、遺族を慰めている。

「神様の下に行かれたのです、永遠のお別れではない、いつかきっとまた会えますよ。」

よく聞く坊主の方便だ。しかし、幼い女の児が死んだ兄弟に泣きじゃくる顔を見ると、つまらない屁理屈を言う気にもなれない、この方便を押し通すのが一番だと実感する。


さすがに葬式は、深夜まではしない。夕方に終え宿に帰ると、「風呂を入れたから、おはいりなさい」と。


7日目、この日も朝から教会に赴く、昨日と同じく葬式三昧の一日である。


8日目、ようやく葬式の波も超えたらしく、ホッとしていると、治療師の方から「もう大丈夫だろう」との事。ただ、町長のほうから明日まで居てくれと。


宿で閑にしていると、司祭がせっかくだから近所の史跡を案内してくれるとのこと。

ここの教会の歴史は古く、周囲に遺跡がずいぶん残っているんだそうだ。


「ほらこの岩、この端っこのところ、なんか掘り込んであるでしょう。」

どれどれ・・・。

何て書いてあるのかわからない。岩の表面がすり減り、紋様がもう消えかかっているから。

指を掘り込みの中にほじくらせて、表面についた苔なんかを取ってみる。何か出てくるかもしれない。

その時、下腹が熱くなり、ギュっと痛む。

何か悪いものでも食べたのだろうか・・・。

それとも悪い風邪で下痢になったのかしらん。

近くにトイレはないかしら・・・。そんなことを思っていると、


”富貴の蓄えは文明を築く礎(いしづえ)”


と、心のうちに声が聞こえる。

そして、おなかの痛みがスッと治まってしまう。

何だろう、また7つの力の何かが覚醒したに違いないのだろうけど。

「どうかしましたか?」

岩の前で下腹を抑えて固まっている私を見て、司祭は様子を尋ねてくれる。

・・・ごまかさないと。

「いえ、この紋様どこかで見たような気がして、思い出そうとしたのですが・・・、ダメでした。」

「おっ、それはお邪魔いたしました。よければ次に参りますが?」

「ええおねがいいたします。」


教会の礎石の一部になってしまっているものもあった。何かいわくありげな石碑であり、手を触れてみると、

”光よ曲がりて、ここを避け、通り抜け。”

と呪文が頭に流れ込んできた。グリモワールだ。かなり高等な魔法らしく、これまでにグリモワールが発動することもなく発見されずに残ってしまっていたようだ。

呪文からして光魔法であると思われるが、一体どんな魔法であろうと、試しに発動してみると、手にもっていた荷物の姿が消える。どうやら光が荷物の前で屈折して通り抜けてしまったらしい。

「こんなところにグリモワールがあります。」と司祭に話すと、苦笑いしながら、

「困りましたな。このグリモワール持っていかれるとなると、この教会をつぶさないといけない・・・。」

と、言う事らしい。


遺跡と言ってもきれいに整備されているわけではなく、道の端に埋もれた石碑、畑の中に立っている石碑、人家の隙間に埋もれている石碑などなど。そんなのを見せてもらいながら、午後一杯を過ごす。


9日目、司祭・治療師とそろって、役場に赴く。

町長がでてきて、領主である子爵の館に連れてゆかれる。

そこではねぎらいの言葉と、後は慰労の宴会である。

夜半になって、ようやくお開きであるが、帰る段になり子爵から革の小袋を渡される。少なからざる金貨が入っており、恐縮していると、

「巡礼の旅の途中であるのに大変お世話になった。餞別に取っといてくれ。そして、バルディに向かう事は承知している、明日の午後の船の席を押さえているので、それで行けばよかろうと。」


10日目、午後にようやく、船上の身となる。船着き場の桟橋には司祭・老治療師・宿の亭主が見送りに来てくれた。

行くところ、行くところで何かあり、手持ちの旅費も増えているような気がする。

これが、焼け太りというやつである。


船は小型の帆船であり、午後の風に吹かれて流れるように進んでいく。心眼で水中を探査すると、少し濁った水の中、大小いろんな魚が泳いでいた。

船の中で、ひまに明かして自身の鑑定をしてみると、この10日間で、傲慢の光翅がLv3になっている。広げると片側だけで50mほどにも伸びる。また浄化とキュアーもLv6になっている。確かによく使いこんだ。


夕方には対岸のバルディに到着。桟橋に降りると、すぐに坂が迫っている。西日に照らされているこの坂道を登りきったところが城郭都市バルディなのである。



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時節柄このような話はいささか恐縮でありましたが、この話を書いたのが1年程前でありまして、今更改変する事も出来ず・・・、と言うわけであります。不快に思われたやもしれませんが、悪しからずご容赦のほどを。

なお、ここのはやり病はインフルエンザを想定して書いたものです。その前振りのつもりで雁の飛ぶ様子をチラチラと書いておりました。

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