第31話 ベルッカ修道院

『彼の王国は、あなた方の生まれた母なる国である。しかし大罪の王国、暴虐の王国なのだ。王国の発展は罪の積み重ねでなされたものであり、王国の栄光は積み重ねられた罪の上に輝いている。あなた方は罪を恐れ、そこから逃れてきたのに、また大罪の王国を母と言い慕っている。

それはなぜか?あなた方そして私が、罪にまみれているからである。既に魂の奥まで罪がしみわたっており、それゆえに大罪の王国が懐かしく、これを慕っているのである。

ここで、なさねばならないことは、この罪の封印であり、願わくば焼滅である。

神は私に名を与え、人々に私を与えた。私は神への贄を運命としてあなた方に与えられたのである。今や、私はこの身を神への贄となし、あなた方の罪を焼滅し、彼の大罪を地深くに封じようと思う。

そう語ると聖ネンジャ・プは自身の身を聖天の光で焼き尽くし、その霊魂は新月の闇の中のヌカイ河を渡って、彼の地の奥深くに大罪を封じたのである。』


これは新誓書の一節で、聖ネンジャ・プの最後を記している。新誓書のクライマックスであるが、いかにも不可解な一節といえる。

人を生贄にするという行為は教会では当然禁忌、自殺も禁忌。

また、神がネンジャに名を与えるという事はどういうことか意味不明。

聖天魔法は死者の魂に対して使うもので、生者の肉体をどうこうするものではない。

そもそも大罪とは何のことなのか?。地球で言う原罪にあたるのか?

聖職者たちは教義上の解釈を色々述べているが、実際に爺神と話を交わしている私から考えると、そんな解釈はいかにも自家撞着に思える。

何か隠しているんじゃないか、書かれてないことがあるんじゃないか、と。

かつて、地球のローマ帝国には記録抹消罪という刑罰が実際にあったのだ。


まあ、それはいいとして、このでき事はヌカイ河川岸のベルッカという場所で起こった故実である。あの大迷宮のある城郭都市バルディの対岸で、こちら岸からはちょうど最短の位置に当たる。


新誓書のクライマックスというだけあって、この史跡に訪れる巡礼者は多く、その宿泊の便のために立派な修道院も建てられている。つまりここベルッカ修道院は、大挙してやって来る巡礼者のための宿坊と言ってもよく、訪れた巡礼者たちを満足させるべく、ことさらに壮麗な建物なのだ。まあ教会も商売というか、信者へのサービスというか、大人の事情があるという事らしい。

ほとんどの巡礼者は近くの小さな港町タルクスまで船できて、川岸を1日かけてのんびりと歩いてやって来る。沿道はよく整備され、出店がところどころに立ち並んでいるとの話だ。一日ぐらいは歩かないと巡礼に来た心持ちにもなれないだろうとの配慮に違いない。


今、私がいるヌカイ河川岸の広場には大勢の巡礼者が群れ集って祈りをささげている。

聖ネンジャ・プが自身の身を焼いたという場所はまさしくこの川岸で、そこには大きな銅像が建てられている。

聖ネンジャ・プの体は焼け焦がれ胸や腰や四肢で所々が骨が露出していて、それでも人々を抱きかかえるように両手をいっぱいに広げ、顔は陶然として天に向けている。その前では、額づきあるいは祈っている弟子たちがいる。

感極まった巡礼者たちは、弟子たちの像を見習って対岸に向けて祈り額づいている。私も対岸に向けて、両膝を地に付け祈りをささげる。まあそれが礼儀というものであろう。


史跡の様子も一通りうかがえたので、これで良し。そうそうに退散して近くの屋台でクレープを買い、人通りの少ない木陰を見つけ、その根っこの上に座って、さておやつとしよう。

甘味はほとんどないが、チーズとクリームがたっぷりと入っているし、クレープ地も厚くておおきく、カロリーは十分な食べ物である。


ムシャムシャと食べていて、ふと気が付くと目の前の地面にサンダルを履いた両足が並んでいる。対面してだれか人が立っているのだ。顔を上げて、”何か?”とみあげるとてっぺん禿げ白髪の爺神だった。

「お前というやつは、もう少し信心深くなれんもんかのう。」

”いや、実際にあんたと話してて信心深くなれと言うのは無理だろう。”

率直にそう思うと、

「なっなんじゃと!」

「いっいや、今ちょっとそう思ってしまっただけだし、口には出してないし。」

「まあいい、先程の疑問に答えてやろう。」

「へっ。」

「ここでネンジャは、聖魔法でもって自身の身を焼き捨ててレイスとなったのじゃ。聖天魔法ではなく、自身をレイスにする術で尸解(しかい)という魔法じゃ。そして、ヌカイ河をわたり対岸の社に行った、今はバルディ大迷宮と呼ばれておるが。

その奥底で、使命を果たすべくナッ。」

生贄でなく、レイスになるための魔法だって!そんなものまであったのか。

そして、レイスになってまでしなければならなかった”使命”とは、一体なに?

聖ネンジャ・プは”暴虐の王”と戦い続けていたはず。その戦いを放り出してまで、しなければならなかった”使命”って・・・。

「その通り、”あいつ”との戦いの上で苦肉の策とも言える手を打ったわけじゃ。」

では、前から聞いていた”あいつ”とは誰の事なんだろう。話の筋からは”暴虐の王”の事になる。

「今まで何度か”あいつ”と聞いていますが、誰なんです?」

「その名前は言ってはならない、考えてもならない。」

「えっ?」

「お前の背中についている好色の蜘蛛がどういう働きをするか、わかっておるじゃろう。」

「人のこころを読む。」

「そうじゃ。それと同じ働きをするもっと巨大な装置がコンロー山の頂にある。それが人々の心の中を常に覗いているのじゃ。」

「えーっ。コンロー山の頂の社、それは古誓書の話で、大昔の事なんでしょ。」

「まだ生きておる。生きて人の心の中を探っておる。とはいっても、何千万人の人の心を同時に探ることは到底できん。じゃから、特定のキーワードを手掛かりにして、注目すべき人間を探しておる。目を付けられんようにするには、そのキーワードを言わない・考えないことじゃ。」

「つまりその名前がキーワードになっていると。でも、神様でも避ける必要があるのですか?」

「もちろんその必要はない、しかし、わしの口から言ってお前に知らせると、お前は心の中にその名前を覚えるであろう。そうするとお前が注目されてしまう。だから言わぬ、知らせぬ。」

「・・・・・。一体この世界では何が起きているのです?私に何をさせようとなさっているんです?」

「いずれ知ることになる。バルディ大迷宮の奥底までいくとわかる。

この世界の過去の宿業を知る事となる。

今のお前の実力では到底行けまいがの。そこにたどり着ける実力がないうちは知る資格もない。いや、知ってはいけない。知れば、”あいつ”に目をつけられてしまう。」

そう、あの森の中の廃村に居た幽霊モルス。あの話と合わせると、古代魔法文明の王国に大変な事件があったことは違いない。その事件が千年後の今になってもまだ糸を引いていると。

「それ以上は考えてはならん、今のお前にとっては余計な詮索じゃ。確かな事を今のお前に教えるわけにはいかん。力をつける事に専念するのじゃ。」

でも一体どうすれば力をつけることができるのか、

「時間は十分にある、あせらんでいい。」

この言葉が頭の中に響くと、もう爺神はいなくなり、周囲は何事もなかったように平穏な時間が流れている。

明るい日差しの中で、大勢の巡礼者が大河の向うに額ずき祈っている。午後の陽を反射してキラキラと輝くヌカイ河の川面、その向こうの方にかすかに見える迷宮都市バルディ、そこにある大迷宮の奥底ですべての秘密が明かされる・・・。


この日は、当然ながら件の壮麗な修道院に宿泊する。

壮麗な大食堂では、聖職者が食卓の間を巡っていた。食卓に料理の皿を並べ終わると聖職者がやって来て食前のお祈りを導いてくれるのだ。いたせりつくせりのサービスである。

大浴場もある。久しぶりに体を洗い、清々しく寝床に就くことができた。

ただちょっと気になることがある。世俗治癒師の免状を掲げていたのだが、風邪をひいたから治してくれと言う人が多くいたのだ。修道院の医務室も一杯なんだそうで、あふれた人がこちらに大勢やってくる。午後だけで、10人を超えていたように思う。まあ、おかげでちょっとした収入にもなったけどね。


次はヌカイ河を渡り、魔の森の端にある城郭都市バルディ。そこは、人が魔に対峙する最前線の街である。町の中には巨大迷宮があって、冒険者たちが群がっている。

教会も街の片隅にバルディ修道院を置き、その戦列に加わっている。もっとも冒険者たちのように巨大迷宮に挑むためではなく、周辺に点在する遺跡調査がその責務であるが。

バルディ修道院は遺跡の探索の拠点であり、所蔵してあるグリモアールもかなりのものだと聞いている。ここはぜひともいかなくてはならない。


翌日、目をさましたときは遅いめの朝、もう陽はだいぶん高くなってしまっていた。野宿の多い旅であり、たまにはのんびりしたい。船乗り場の有る小さな港街タルクスに向かってヌカイ河沿いの街道をのんびりと歩いてゆくことにしよう。


実際に街道まで来てみると、道は巡礼者達でにぎわっており、なんと乗合馬車まで走っている。

この世界では観光旅行などと言う言葉はないが、ここを歩むほとんどの巡礼者にとっては巡礼といってもまあ観光旅行みたいなものである。テルミス王国の人々だけでなく、東方3国からもヌカイ河を船にのって気楽にやって来るのだ。

ほとんどの人にとっては、巡礼という言葉に感じられる悲壮感などというものは微塵もなく、のんびりと楽しんでいる。

おかげで街道筋には屋台も所々にあり、看板を見るとみんな名物を名乗っている。これは食べておかねばならないだろう、団子やパンケーキや饅頭、次々に買い食いしながら、私も一緒にのほほんと歩いて、昼過ぎにはおなかも膨らんでタルクスの船着き場に到着した。


そして、今日の一日を後悔する事となってしまった。


王都に戻る船は日に何隻も出ているのだが、バルディに行く船は今さっき出てしまって、今日はもう無いんだそうだ。


なんてこった、今日はもう一泊ここに宿泊するとなってしまった。周囲を見回すと向こうに小さな教会がみえる。とりあえず挨拶に行っておこう、私はまじめな(?)巡礼者なのだから。

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