第21話 ミュルツ寺院
『あなたがたは忘れたのか、贅沢な食べ物・衣服を得るために兄弟を家畜のように売り払ってしまったことを。自身が壮麗な館に住みながら、その一方で兄弟が家畜として鞭うたれていたことを。
今ここで多くのおいしい食べ物・美しい衣服・便利な道具を手に入れるための対価は何か。あなたがたの兄弟や子をまたしても売り払うつもりか。
誰かが人として富み栄え、誰かが獣のように地に這いつくばる。
あなた方が、そのようにしたいのであれば、私は地に這いつくばる者の側に居よう。
そして、彼らの怒り、悲しみをこのこん棒に込めて、お前たちを叩きのめしてやろう。
この罪障に満ちた社を街を無辜の更地にしてやろう。
そういって聖ネンジャ・プとその同胞たちは、社(やしろ)とその周囲に栄えた街を叩き壊して廻った。』
これは新誓書の一節である。聖ネンジャ・プが堕落した神社と周囲に立ち並ぶ市の店を打ち壊すというエピソードが書かれている。この神社は今となってはもう影も形もなく、代わりにミュルツ寺院という教会がその跡地に建っている。この由緒ある教会は多くの巡礼者が訪れる重要な史跡となっているのだが、これは、場所が王都から半日ほど東に向かったところと近場なので、巡礼の旅の最初に訪れるのに都合の良い所だからでもある。
人通りの多い街道を東へ歩く。馬車がしょっちゅう行き通う忙しい街道であり、石畳の道が続いている。この街道をこのまま進むと東の国境の街まで行ってしまうが、途中で南に入るとミュルツの町があって、目的のミュルツ寺院はその町はずれの森の中にあるのだ。
テルミス王国の王都は国土のかなり東寄りになる。ヴォルカニック皇国や教皇国をはじめとする小国、隣国はすべて東ないし北東にあり、これらとの交流がこの文明圏の中心であったから。
一方、聖ネンジャ・プの活動した領域はヌカイ河下流域~北西のエイドラ山地であり、ミュルツから西方に点々と史跡が続いていて、王国の西側が巡礼のコースとなる。西のどこまで巡るかは人それぞれであるが、巡礼の始まりは、ここミュルツ寺院というのが定番なのだ。
ミュルツの町の南側にはちょっとした森が茂っていて、この森まで来るとようやく人気も切れてきて閑散とした静かな時間が流れている。
時節は夏の終わり、時に秋の風が微かに流れ、日差しは日々穏やかとなり涼しさがかすかに匂われる。そんな森の中の地道を進んで行くと、森のはずれに石造りの小さな教会がみえてきた。
建物のつくりは質素な石造で、窓も少なく礼拝堂の中は薄暗い。石壁の下の方の部分は、聖ネンジャ・プの時代のそのままの物であるという。
中に入ると、簡素ながら堅固な造りの木の長椅子が並んでいて、静寂の中、数人の巡礼者が座って祈りをささげている。
礼拝堂の他の巡礼者と同じく、椅子に座ってしばらく祈りをささげる。その後、外の森の中に少し入ってみよう。
この小さな教会が建てられる前には、ここには大きな神社があった。新誓書では、神社が堕落して市(いち)となり果てていたその姿を見て、聖ネンジャ・プが怒り、弟子たちと出店を叩き壊しまわったという逸話がある。
その時の神社の遺物が残っていないかしらと森の中で周囲を見回してみる。
と、ひときわ大きな木の下にいわくありげな磐(いわ)が寝ており、そこに一人の老人が腰かけていた。
服装は巡礼者の様であるが、森の中のここまで入って来る巡礼者は他に見られない。
もしかすると、迷い込んでしまったのかしらん。声をかけてあげよう。
近づいてよく見ると顔見知りの様でもある。向こうもこちらを認めたらしく、顔が合うとニヤリと笑い、「オウ!」と声をかけてくる。
手招きするので、呼ばれるままに近寄ると、てっぺん禿げ白髪の爺神であった・・・。
顔を合わすのは転生してきて以来だ。その後(あと)のことを思い出すと腹が立ってムカムカしてくる。
「とんでもない目にあいましたよ。奴隷なんて!。この世界に来てまさかこんな経験をさせられるとは思いもつきませんでしたよ。」
「いっ、いや、これは違うんじゃ。そもそも、あんなことになるはずじゃあなかったんじゃ。
わしの予定では、あの冒険者の連中とつるんで、まったりと育っていくはずじゃったんじゃ。
それを奴隷商に売り飛ばしてしまうとは・・・。
全く・・・、人の心とはわからんものじゃ・・・さてさて。」
「・・・。」
他人のせいにしてやがる!飽きれて声も出ない。
「まあ、しかしじゃ。
結果として極めて”濃厚”な経験を積み、その間の成果は予想外のものとなった。
いや、全くじゃ。
魔法の知識・様々な技能・世界の知識・人脈、この間にお前の得たものは、他のやり方では到底得られんかったじゃろう。
不幸中の幸いと言うか、ホントによかったよかったというべきじゃわい。」
「・・・。」
もう、絶句してなにも言えない、ただただ腹が立ってくる。
「そのように怒るでない。この世界には何千万もの人が生きておる。わしはその全ての運命を等しく扱わねばならんのじゃ。
そしてお前の背負っておる神命は、その何千万の人の運命を左右するほどのものじゃ。
じゃから、お前自身の生活・運命よりもその神命を優先せねばならん・・・。
そういう事じゃ。」
それでは、やらずボッタくり、使い捨てではないか。まさしくブラック企業の論理である。余計にムカムカしてきた。
ところがである、なぜか怒りが急に鎮静してきた。
不自然だ!
あっ、精神魔法の”鎮静”を使いやがった・・・。
そうに違いない。
そして、一旦冷静になってしまうと、爺神の言うことがもっともだとも思えてくる・・・。
「うむ、落ち着いたかな。
まあ、過ぎたことをいつまでもおこっていても仕方がない。
と言う事で・・・その話はそっちに置いといて・・・、と。
お前に教えてやることがあるから顕現したのじゃ。
よく聞くが良い。
ここはネンジャ・プの史跡という事じゃが、もともとは神社じゃったんじゃよ。
わしの座っているこの岩が磐座(いわくら)として上古の昔からあったんじゃ。
ここは顕現しやすい場所であったので、わしも託宣するためによく現れたものじゃ。」
「誓書では、神社が堕落して周囲が市場となり果てていたので、これをネンジャ・プが怒り、粛清した場所となっていますが。」
「それは話が大分違うのう。
ここにあった神社は、”アイツ”の出先機関としても機能しておったのじゃ。
自分の魔法王国の文化を伝播する拠点としてな、
そのおかげで周囲には市場が栄えておった。
ネンジャ・プは、反逆の手始めにこの神社と周囲に立ち並んでいる市場を攻撃、破却して、自らの根拠地をその上に建てたのじゃ。
ほれ、そこの木の根元に少しだけ頭を出して埋もれた岩があろう。
ネンジャ・プの残したグリモワールじゃ。
触れてみるがよい。」
触れると、呪文が頭の中に流れ込んでくる。
”荒ぶるオドの波よ、叛ける起伏に平らか平穏となれ。”
「闇魔法”反オド”じゃ。ネンジャ・プはこの闇魔法を魔法攻撃への抵抗手段として配下に教え、反逆を開始したのじゃ。」
「どういう魔法なんでしょうか?」
「なに、アンチマジックじゃよ。
ただ、通常のアンチマジックと違うのは、マナの消費がない事じゃ。通常のアンチマジックは、かけられた魔法に対抗して、より強力なアンチマジックをかけている。それゆえ魔力の力比べのようなものじゃ。
しかしこいつはちがう。かけてきた魔法のオドをそのままに逆に反転して返すことにより、相手の魔法を打ち消しているわけじゃ。つまり相手の力を利用してアンチマジックをかけているわけじゃな。
であるから、どんなに強い魔力の魔法であっても、己の魔力の強さには関係なくキャンセルできるのじゃ。
”アイツ”の魔法は非常に強力じゃったから、反逆者にとっては、この闇魔法が唯一の抵抗する術じゃったんじゃ。
まあ、かなり高度な魔法じゃから、これを覚えられるのは、普人族では稀であったろうがな。」
イヤに丁寧に解説してくれるって・・・、なんだか途中でごまかされてしまったような気もするが、話が進んでしまったので、今更巻き戻すわけにもいかない。
「で、その”アイツ”と言うのは、どなたなんです?」
「それは秘密じゃ、言えんな。まあ、ネンジャ・プの敵と理解しておいたらいい。」
ネンジャの敵、誓書では”暴虐の王”と記されている。
しかし、文化を流布させるためにわざわざ神社を建てるとは・・・、”暴虐の王”としては気前が良すぎはしないか。
そんな事を考えていると、いきなり目の奥が熱くなってきた。
”憧憬する心が全ての始まりなり。”
そんな声が頭の奥で聞こえる。
いきなりの事で、わけもわからず目を押さえていると、
「ふむ、”嫉妬”が覚醒しよったか。
わかるか?”7つの力”の内の2つ目の”嫉妬の魔眼”が覚醒したのじゃ。」
「・・・・・・。」
俯いて目を押さえながら、何が起こったのか考えている。
「”嫉妬”が覚醒すると”心眼”の能力が発動するはずじゃ。」
「心眼?、魔眼ではないのですか?」
「魔眼と言うのは目で見える視野の拡張であろう。
そうではない、もはや視野などと言うものではない。3次元的に直観できるであろう?周囲の様子が。」
今、目を瞑り(つむり)うつむいているが、辺りの木々や岩、そして地面の配置が手に取るようにわかる。
そして、地面の下で蠢いている虫も、埋まった石ころも把握できる。
そのまま感覚を研ぎ澄ましていくと、小さなキノコや苔までも弁別して把握できた。
頭の上から木の葉がひらひらと落ちてきた、これもわかるのだ。
すべては眼と言う感覚器官をパスして、直観的に周囲の様子を把握できるのだ。
「ふむ、理解できた様じゃな。
眼を瞑った(つむった)ままでも、質量・熱・力・生命力・魔力・心・性状・音、そう言ったものが直接把握できる能力じゃ。
目の視野とは違って、間にあるものが重なったり遮ったりすることがないので、隠し通されることなくすべてがわかるはずじゃ。
虚像にごまかされることもない。
今はごく周辺のことしかわからんじゃろうが、磨き上げるとその範囲は広がる。やがて、何キロにも渡る範囲で把握できるようになることじゃろう。もっともそうなると情報量が多くなりすぎて貧弱な脳ミソの方がおいつくかのぅ。
先に伝えた”略奪の手”も含めて、まっ、せいぜい精進する事じゃ。」
それだけ言うと、もう爺神は消えていた。
そして私は、森の静寂の中で一人たたずみながら呆然としていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます