第15話 教会篇:聖堂図書館 フェルミ女史

次の日の朝、中央修道院に付属している聖堂図書館へ連れてもらう。

重厚な石造りの広い廊下の中をカツカツとあゆむフィオレンツィ師の後をちょっと気後れしながらついていった。何人かのすれ違う人と軽く黙礼を交わしあいがら進んでいくと、廊下の突き当りには、目的の部屋の入口:大きなアーチ型の木の扉が目いっぱいに開いていて訪問者を招いている。

中を覗き込んで、広い吹き抜けの部屋の中を見渡すと、たくさんの書架が立ち並んでいて、その隙間に並ぶ机には、多くの学生(がくしょう)たちが黙々と書の中に没頭していた。


フィオレンツィ師の後ろに着いていって、入口のすぐに右へ壁沿いに進むと小部屋の扉がある。コツコツと小さくノックするとギィと扉が開き、隙間から小ぶりの手の平がおいでおいでと誘うので、中に入って、音を立てぬようそっと扉を閉める。

中には中年後半か?年齢の迷うような小柄なシスターがいた。この人がフェルミ女史であるらしい。短かく切りそろえられたグレーの髪を後ろに振りかざして、”何用か”とキョトンとしたまなざしをこちらに向けている。

フィオレンツィ師が「この前お話ししたエリーセさんです」と、手短に紹介してくれると、大きく頭を振りかぶり、「まずはお座り」と質素な木の長椅子に席を勧めてくれる。そして奥に引っ込み、粗茶とビスケットを数枚を用意してふるまってくれた。以前は王宮で高価な茶を入れて貴族らにお出ししていたのだから、目の前の粗茶が質素なものだとはわかっている。しかし、ついこの間までは奴隷で、もてなしを受ける側になったのは初めての事であり、まして、拒絶されるかもしれないと心配していた相手なのだ。嬉しさに胸が詰まるような思いがこみ上げ、対面に腰かけたシスターを上目使いで見つめてしまった。


「ええ、ええ、存じていますよ、あなたのことは。お聞きしていますよ。ひどい目に合われましたね。ほんとにひどい目に。それにも関わらず、知を求め、ここにいらっしゃるとは。つらい運命を試練をよく耐えぬき、ここへ来られるとは。ほんとうに素晴らしい事です。ほんとう、神様のお導きに違いありません。私はあなたのお役にたてることが幸せですよ。聖堂図書館の司書をしていて、これほどの喜びはありません。この聖堂図書館は知を求める人達すべてに開かれているのです。あなたはここから、自由な知の世界へと翔びたつのです。さあ、あなたに今一番必要なご本を用意しましょう。」

善意を一方的にまくしたてたあと、すっくと立ち上がったので、こちらの希望も何も聞かずに、図書館の書架に自分のお勧めの書物を取りに行くのかと思うと、そうでもないらしい。すぐ目の前にある彼女の机から真新しい一冊を手に取って渡してくれた。

「このご本があなたとって今一番お役に立ちます。すべての知の始まりはここにあるのです。この一冊からあなたの世界が始まるのです。」と。

渡された一冊を手に取り、表紙にある表題を眺めると、”聖なる言葉”とある。誓書(地球では聖書に当たる)である。内心で、”えっ、これどこにでもあるやつじゃん。わざわざ、図書館にきてみるようなもんじゃないじゃん。” 

軽い驚きと失望、顔に出さないように気を付けながら、無言で抗議のまなざしをフェルミ女史に向けた。しかし、こちらの気配を全く意に介せず、満面の善意とやさしさをたたえた表情でもって、抗議の視線をはじき返す。鉄壁の笑顔に不満を完全に封じられてしまい、ただ従順に誓書を受け取り、今日はこの退屈な書物(前世の聖書はそうであった)を読むことなったのだと悟った。どうやら聖堂図書館の利用規約の第一条は、誓書をまず紐解くことであるらしい。


日当たりのいい席に陣取って渡された誓書をひも解く。

この世界でも、あちらこちらに誓書を見かけるが、大体は信心を証明するための飾りとして置かれたものである。教会に保護されてからは、説教を聞いたり讃美歌をうたう際に誓書を開くことはよくある。

しかし、自分から読もうと開げるのは初めてである。内容は前世の聖書とどうせ同じようなものなんだ、前半は古代より伝わる書であり、後半は教祖である聖人様;聖ネンジャ・プの言動がもったいぶって書かれてある。よく似た宗教であるから、聖書とよく似たものになるのはいたしかたないところということか。


前から、読み飛ばしていく、古代の歴史が書かれてある、この辺はだいぶ違うな。歴史そのものが違うのだから当然か。


”・・・こうして、神は初めに言われた、

宇宙(そら)よあれ、と。

宇宙(そら)が広がった。

次に言われた、時よ流れよ、と。

時が流れた。

宇宙(そら)と時が交わり、波が生まれた。こうして一切の力の源が生じたのである。

また宇宙(そら)と時が交わり、質量が生まれた。こうして存在する一切のものの源が生まれたのである。

そしてこれらは互いに、変異し、転移し、引き合い、燃え輝いた。このようにして4大要素から光が生まれ、4元素が生まれ、世界が始まったのである。

しかし、神はこれに満足なさらなかった。

次に言われた、我が意志よあれ、と。

するとマナが生じた。

また、言われた。我が愛よあれ、と。

すると命が生じた。

こうして世界に生きとし生けるもの一切が生じたのである。

やがて、魂が生じ、世界を味わうことのできる者、すなわち人が生れた。

神は喜び、人よ人よ!世界を味わい、世界を輪廻するがいい。この世界こそお前らの輪廻する楽園であると。

こうして人が生まれ、神の祝福を受けたのである・・・・・・”


創世記も少し違う。時という概念が最初にでてくるとは。この世界では現状よりはるかに進んだ古代魔法文明があったとの事なので、その時の宇宙観が反映しているのかな?


”・・・やがて人は殖えて、彼らは神に願う。

我らに王を授けたまえ。王国を建て、われらのいやさかならんために。

いかなる王をねがうや?

人の繁栄を導く知恵を持ち、人の安寧をもたらす愛を持ち、人に秩序をもたらす公正な心をもつ王を与えたまえ。

神は願いを聞き届け、知恵にあふれ、慈愛にあふれ、公正なこころを持つ天使アドモを作り、人に王としてあたえる。

アドモは人に告ぐ、

人よ神に忠実にて、公平無私にて、そして栄えよ!と。

このようにして、人の文化は高まり、大いに栄えた。・・・

・・・・・・。

・・・・魔術の探求進みて、コンロー山の頂に大いなる探求の宮殿を建てるに至りて、暴虐の王はこう告げる。

今や正義の力・栄光の光・智慧の蔵・憧憬のまなざし・富貴の井戸・探求の意志・慈愛の心、この7つの社あり。諸人たちよ、我に従え、そして祈りを捧げにここに集うがよい。人々の繁栄はここに約束されているのである、と。

神は激怒して叫ばれた、

憤怒はここに極まり大罪に至る、傲慢はここに極まり大罪に至る、怠惰はここに極まり大罪に至る、嫉妬はここに極まり大罪に至る、貪食はここに極まり大罪に至る、強欲はここに極まり大罪に至る、色欲はここに極まり大罪に至る、と。

この大罪人を打ち滅ぼすべし、彼に伴するものは必ず我が滅ぼさん、と。

かくして、コンロー山のふもとに繁栄せる国々は相争い荒れ果て滅び去る。街々は相争い荒れ果て滅び去る。村々は相争い荒れ果て滅び去る。・・・・”


このようにして古代王国は”暴虐の王”が神の怒りを被って滅亡した。古誓書はここで終わって、続いて新誓書にうつり、救世主のスーパースター;聖ネンジャ・プが登場する。

時間的には、古代王国の滅亡よりも少し遡る(さかのぼる)。彼は仲間と共に、この古代魔法文明の旧王国で”暴虐の王”から迫害を受けていた人々を引き連れ、ヌカイ河を渡って北岸の地;ヘルザの地(希望・新生の地)に逃れて来るのである。この時、ヌカイ河の空中に見えない橋を渡すなどと言う奇跡も起こしている。

聖ネンジャ・プ達が渡ってきたヌカイ河北岸の地;ヘルザの地というのは、ちょうどテルミス王国と重なる領域で、今は王国の下で開発が進んで繁栄しているが、当時は辺境で様々な邪神や魔物の蔓延る地であったらしい。

しかし、聖ネンジャ・プは、


”邪神?猛獣?そのようなものをなぜ恐れるのか?みだりに力をふるうばかりではないか。

真に恐れなければならないのは、いたずらに力を手にしてしまったが故(ゆえ)に魂が堕落することである。

そして堕落して腐敗しきった王国である。

そのような、堕落・腐敗の中に陥り、神の怒りを被る事である。

憤怒・傲慢・怠惰・嫉妬・貪食・強欲・色欲、その中に身をどっぷりとつけて、真実を求めようともしない。そのような者こそ神に愛されることを拒絶しているのである。これこそが最も恐るべきことなのである。

さあ、ここ、ヘルザ(希望・新生)の地に新たな国を創ろう。神が示された人としての営みを守り、人々の幸福を求める、新しい国を創ろう。・・・”


こう言って当時の人々を励まし、まとめて一応の国を創り上げた。

ところがこの聖ネンジャ・プの国は、じきに揺らぐこととなる。”暴虐の王”が干渉してきたせいだ。ヘルザ世界にいくつもの社(やしろ)を立て、そこで古代魔法王国;暴虐の王の国の文化や富を分け与えることにより、ヘルザの人々を堕落させ混乱させたのだ。

こうして、聖ネンジャ・プは”暴虐の王”と争う事となる。この争いで、聖ネンジャ・プはミュルツの社と町を破壊したり、いささか破壊的でDQN行動も見せている。彼の国は大いに揺らいだようだ。

暴虐の王国の攻撃はそれだけではなかった。6邪神を放ってきたのだ。

悪知恵が働き、魔物を次々と生み出し、そして強力な魔法を扱う、そんな奴で、神と言うよりも魔王と言う方が良く似合う。

子分の魔物を次々と生み出し、かなりの広さの領域を占領してしまった。こんなのが6体、つまり邪神の占領地帯が6ケ所もできてしまったのだ。これによってヘルザにできつつあった聖ネンジャ・プの国がバラバラになってしまった。結局のところ聖ネンジャ・プはこの邪神達を討伐できなかったのだ。


そしてついに、聖ネンジャ・プはベルッカの地で、神の生贄として自分自身を生きたまま焼いて聖天してしまうというとんでもない所業、つまり焼身自殺してしまった。

誓書の中では、”暴虐の王”の振りまいた”欲望に人々が堕落してしまった罪”を償(あがな)って浄める(きよめる)ために、自分自身を生贄にしたという事である。

彼自身も嫌気がさしていたのかもしれない。

全くもって自殺としか思えないような所業であるが、結果としてはこれにより、神の怒りが降り注ぎ、古代王国は古誓書の最後に書かれていた様に滅びてしまう。

結局のところ、古代王国は戦乱で荒れ果てて、完全に滅び、その地は魔の森となってしまった。そこに住んでいた古代王国の民は全て死に絶えるか、ヌカイ河を渡って北岸のヘルザの地に逃げてきた人々だけが生き残った。


これが新誓書に書かれたヘルザの歴史である。

ちなみにその6邪神を討伐したのは、勇者イヤースだ。かれは邪神討伐の後、バラバラになったヘルザの地をもう一度まとめて新王国を建てている。この王国がテルミス王国なのだ。勇者イヤースこそが、テルミス王国の建国王であり、穴兄弟の長男イエナー陛下のご先祖ということになる。


テルミス王国の前史・教会の歴史はさておいて。

・・・しかしである、旧誓書に諸悪の根源として書かれてあった”憤怒・傲慢・怠惰・嫉妬・貪食・強欲・色欲”、てっぺん禿げ白髪の爺神が話していた私の中に埋め込まれた7つの能力の名前そのものでないか!

やはり7つの魔器・能力の存在はかなりヤバいものらしい。これは気を付けないといけない、持っていると疑われたら、まずい・・・ヤバい・・・背筋が凍りつく、冷や汗が流れるとはまさしくこれである・・・。


この時、後ろから肩をポンとたたかれ、心臓が口から飛び出しそうになる。

振り返ると件のシスター;フェルミ女史が笑顔でうしろに立っている。耳元に小声で、

「お昼ご飯に行きましょう、」と。

時間になったので、親切にも誘いに来てくれたらしい。


修道院の食堂に行き、一緒に昼食をとる。ここの食事は贅沢とは言えないが、結構おいしい。図書館の静寂からの解放感もあり、気持ちは弾んでいる。

「誓書を熱心にお読みでしたね。」

「いえ、自分から誓書を開くのは初めてなんです、いや、本を読むこと自体が初めてなんです。」

「へえ~~、そんな風に見えなかったです、だって、文字をちゃんと読んでるし。」

文盲が多いこの世界では、確かにそうかもしれない。そもそも、私はなんでこの世界の字を識っているんだ。

「きっと記憶を失う前は、結構な読書家だったんですよ、きっと。そんな顔してますよ。うん。

それはそうと、あの誓書;特に前半部分の古誓書は、もともとは古代神聖語で残されていた古文書を編纂したものなのですよ。教会で翻訳を統一して、ああして誓書の中においているわけなんですが・・・。古代神聖語というのがなかなか曲者で、解釈が・・・改版ごとに結構内容が変わっているの御存知でした?

えっ、古代神聖語ってご存知ない?

ほら、グリモワールに書かかれている言葉ですよ。

魔術師の皆さんは魔道語などと言っていますが、決して魔法の呪文ための言葉なんかじゃないんです。そう、祈りのための言葉といってもいい、同時に学問・政(まつりごと)のための言葉だった。そんな文書がたくさん残っているんです。グリモワールとはそういう文書なんです。

どう、興味あるでしょ。

習得が難しいんじゃないかって?

古代神聖語はとっても難しい言語ですよ、でも習得は簡単。

そう、グリモワールです。

これを読むのは2通りの方法があるんです。

一つは、神聖文字を一つ一つ読むこと、これは大変。

もう一つは、手をかざすこと、ええ、それだけです、本当にそれだけなんです。

ただし、条件があります、グリモワールに認められること。つまり、書かれてある内容を理解できる能力があると認められることです。魔法を使う能力に関係している、これははっきりしていますね。ですから、魔道語なんても呼ばれるんですけどね。

とりあえず、やさしいグリモワールから読んでいけばいい、そうすると、魔法の能力も上がるんですよ~、いろんな魔法も覚えますけどね。そしたら、より難しいグリモワールが読めるようになる。こうして、次々と読んでいけばいいんです。古代神聖語は、この過程でかなり習得出来ます。

でも限界が来る、能力の限界がきて、もうこれ以上読ませてくれない。

そこからは大変です。

修行して魔力を上げたり、ほらやってるでしょ。

もう一つの方法は、神聖文字を一つ一つ読むことです。

よく理解できないまま、途中まで一生懸命に読んでいると、急に、パッと読めるようになることもある。苦労しますが、こうしてグリモワールを読むと、魔力もまた上がります。

限界突破した喜びは、それは大きいのですよ~。

皆さん、傷や病気を治したり、幽霊を昇天させたり、魔法を使っているでしょう。こうして魔力を習得してるんですよ。

どうです、あなた、あなたもやってみます?

あなた、ハイエルフとか、初めての種族とか言われてるじゃないですか~、魔法の才能も凄いって聞いてますよ。

ぜひやってみるべき、でしょう。

ここの図書館にもたくさん置いてますよ、グリモワール。

よその国の教会にも多々あります。でも、この王国が一番多いかな。だって、遺跡自体が多いし、採掘調査も熱心ですから。でも、魔術師の連中は感心しません、自分だけで独占しようと隠匿するんですよ、すぐに。あなたをひどい目に合わせたあの3人組もそうでしょう?。

あと、古くから続いている神社にもありますが、これは発掘されたのではなく、なんと、伝承されたものだそうです。いや、もともと祈りのための言葉なんだからそうなんですけどね。でも、あれは大変。読める人なんて、めったにいません。神官さん達だって、自分で読んだ人なんていないとおもいますよ。書き込まれている内容は、伝承されていて知っているだけです。神官さんたちが魔法を使うのも自分じゃなく、神様が使っているんだといいますからね。でも、それだからめったに使えないんですけどね。

まあ、蘊蓄はここまで、午後はグリモワールのおいているところに案内してあげます。」

咀嚼とおしゃべりの2倍回転の口に圧倒されながらも、どうやら合格したらしいとほっとする。午前中に熱心に聖書を読んでた甲斐があったようだ。

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