第14話 教会篇:魔法の修行をしてみた
髪の毛が2~3分刈りくらいになってきたころ、病院を退院となった。皮膚の刺青の紋様もほぼ消えてしまった。背中の蜘蛛の瘢痕や額の肉の芽は自分ではよくわからないが、看護師の言うには、白いあざのようになっているけどもう目立たないらしい。
さて退院になったが、カバン一つ分ほどの持ち物しかなく、身内もいないし、当然ながら住処もない。身一つの気軽な、あるいはさみしい身上なのだ。他に行くあてもないし、病院からテルミス中央修道院に直接行くより他ない。
この修道院は王都の一区画を占めている非常に大きく立派な施設だ。教会というよりも大学のような施設らしい。
壮麗な石造りの正門から入ったものの、どこに行ったらよいのやら戸惑ってしまう。入ったところに小さな窓口があり、この奥は事務室になっている様子。覗き込んで、案内を頼むことにしよう。
「すいません、ここの修道院にお世話になることになっている、エリーセと申します。導師となる修道士フィオレンツィ様を訪ねてまいったのですが。」
「ああ、そうですか。じゃあ、ここの廊下を右にずっと行って、突き当りを左に曲がると、その先に回廊があります、そこをまっすぐ行って、それから・・・右に入り・・・、そしたら南僧房があるから、そこでもう一度聞いてみてください。」
と、言われて広い廊下を奥に入っていく。
やがて石造りの回廊に出てくると、横には広場が広がっている。そこには修道服を着た人々がそこかしこにたたずんでいて、議論を交わしている一団もあれば、一人考え込んでいる者もあり、様々である。
が、王宮の中の様に仰々しい礼をとっている者は一人としておらず、各々好き好きであり、自由な雰囲気と言えなくもない。
修道服には灰色と紺色の2通りがあるが、紺色が正規の聖職者の修道士で、灰色が外から来て学問や信仰のために修行している学生(がくしょう)たちだ。
道に迷っては、道を尋ねながらも、南僧房に何とかたどり着いた。
ここには受付などと言うようなものはなく、どうしようかと前をうろうろしていると、
「おや、お困りの様ですが?」
と紺色の修道服を羽織った人物が声をかけてくれる。
「エリーセと申します。修道士フィオレンツィ様を訪ねてまいりました。」
「ああ、フィオレンツィ殿ね、少しお待ちなさい。」
そう言って、先程の庭の方に行く。しばらく待つと2人して、こちらに戻ってきた。連れてこられた人物がフィオレンツィ師なのであろう。
「おお、エリーセ殿ですね、お話はよく聞いていますよ。さあこちらに。」
面会室に入り、中で修道院内の生活についての案内を聞かしてくれる。
外から一時的に入ってきたものは、学生(がくしょう)と呼ばれ、院内では灰色の修道服を着て過ごす。私は女子房に部屋がとってあるので、あとで案内してくれる、と。食事は、合同の食堂があるのでそこでとる様に。毎日、夜のお祈りの時間には祈祷室に出るように。他には拘束事項は特にないが、院内では静かに過ごし、男女の事は当然禁止。外出は自由であり、院外での行動は拘束しないが、服装を着替え、外出届をして出るように。学習・修行を希望するのであるならば、自分に相談するように、とのことである。
それでは早速お願いする。
「魔術師のところである程度魔法を学びましたが、治癒魔法・聖魔法・精神魔法は何も習得していません。グリモワールや古代文書の勉強もしたいのです。」
「ほう~、学業熱心な方は歓迎しますよ。とりあえず、魔力の修行を経験なさい。その進み具合に合わせて魔法修得を学習するのがお決まりのやり方です。
様子を見て、どなたかに紹介してあげましょう。明朝、修行場へ案内しますから朝食後訪ねてきてください。」
そして女子房に案内され、自分にあてがわれた部屋に入る。
6畳ほどの広さの部屋でベットとクローゼットが一つ。窓際には小さな机が置いてある。壁には、小さな聖なるシンボルが飾ってあるだけである。
早速、修道服に着替え、女子房の管理者となっている修道女のイ・トーミ女史の話を聞く。話は2~3分刈りに生えてきた髪の毛の事から始まった。
「その頭ひどいことになってますね、気になる様なら、スカーフか何かなにかかぶってもいいですよ。」
「いえ、このままで結構です。もう少し伸びてきたら、ちゃんと整えますから。今は、なんかそんな気持ちに成れないのです。」
「そうですか・・・。ゆっくりと静養なさい、話したいことがあったらいつでも聞いてあげますから。」
こんな風に優しい言葉をかけられると、少し胸が詰まり、目が潤んでくる。
こうして、女子房内の細々とした規則の説明を聞いて、
「さあ、お昼になりましたよ、食事に行きましょう。」
と誘ってくれる。
食事に誘ってくれたといっても、奢ってくれるわけではない。修道院の食堂にそこで提供される昼食に一緒に行くだけのことである。
カウンターでセルフサービスの列に並び、食べるだけの分量のパンと野菜・肉のスープともう一皿。時間が早めで間に合ったので、一皿の料理にありつける。
施設の性格上、残飯が出るのはとても嫌がる。パンやスープは残れば次に使いまわせるが料理は余ると困ってしまう。そこで確実に消費する以上の料理は作らない、あぶれると干し肉である。
食事前のお祈りが唯一のマナーであり、手の込んだ贅沢な料理ではないが、栄養は十分で味も結構おいしい。
昼からは洗濯や部屋の掃除など身の回りのことで案内をしてくれる。
その後は、大聖堂に行って、ちょっと掃除などのお手伝い。奉仕の時間だ。
後は、夕食まで自由に過ごし、夕食後はお祈りがあって就眠。
次の日の朝、朝食をすましたあと導師のフィオレンツィ修道士を訪ねて南僧房へ赴く。
魔法の修行の案内をしてもらうためだ。
「じゃあ、参りましょうか。多分、戸惑う事が多いと思いますが・・・、昼過ぎまであなたについていてあげますから、何でもお聞きなさい。」
修行場は石畳の中庭として造りつけられていた。修行場の左端には水の入った小さなプールがあり、右端には薪を積み上げ燃えあがる焚火に焙られる小道が作られている。
そして、修行場のまんなかには、既に10人ほどの修道者が集まって円座を組んで座っていた。肌着のような薄っぺらい修行着に急いで着替え、私も一団に混じって座る。
円座の真ん中に指導者が座り込み、周囲に10人の修行者が座る、私も当然この中に混じっている。
すると指導者が何か唱え始めだし、そばにいると頭の中が、グルグルと落ち着かなくなってくる。
混乱の精神魔法をかけられているのだ。
周囲の修行者達たちはこれに負けじと、精神集中をするために各々呪文やら祈りやら、口の中でもごもごと唱えている。
やがて、精神集中が達成したのか、一人の修行者が意を決したように立ち上がって外周のプールの方に行き、水の中に”ザブン”と身を沈めた。
よほど冷たいはずなのだが、水の中で一際大きな声をあげて、なにか呪文の様なものを唱え、精神集中を図っている。そして、プールの中をザブザブと進みんで、一旦石畳の上に上がると、今度は火のついた薪(たきぎ)の小道に入り、両側で盛んに燃え上がっている炎にも怯まずこの中を進む、そこを出ると自戒の鞭を背中に当てながらまた、プールの方に行き、また”ザブン”と水の中に・・・。
このループを繰り返すらしい。
やがて他のメンバーも次々に立ち上がり、この先発者に次々と続いていく。
最後に残った私はどうしたらいいの?
迷ったあげく、同じように立ち上がり他の修行者について廻ろうとすると、見守っていたフィオレンツィ師が、私の肩を押しとどめて、首を横に振りながら、
「慌て無くていいのです、まず精神集中なさい。」
と小声でささやいてくれるので、様子見のままである。
結局午前中は座っているだけだった。
その後の昼食はみんなと一緒に食堂でとる。
「まあ、最初はそんなものです。大事なのは精神集中なんで、水や火に飛び込んだりするのはおまけみたいなものですよ。」
大きなパンを頬張りながら、そういって慰めてくれたのだが釈然としない。
「しばらく通うといいですよ。ここにいるのは聖職者だけではありません、ほら、この人は第一騎士団の方です。」
やあと片手を少し上げて、笑みを返してくれる。もしかしたら王宮で自由恋愛につるんだことがあったのかもしれない。
騎士であっても、ヒールや着火などたとえ初歩的な魔法でも使えるのと使えないのは大違いで、ここへ修行に来る人は多いんだそうだ。
「自分はもう一週間頑張ってるんだが、もぅ一つなんだよね。まあ、石に齧りついても初級は頑張るつもりだがね。」
初級をこなすとヒールが2~3回使えるようになるらしい。MPにして10~15というところか。
フィオレンツィ師は私と騎士達と前にして、機嫌よさそうに話し始める。
「皆さん、あの魔法の修行ですが、どんな理(ことわり)で修行になっているか、ご存知ですか?」
私の方を見つめてきたので、解かったことを答えておく。
「真ん中の指導者が混乱魔法をかけているのだと思います。」
「ほっ、流石ですね。すぐにわかりましたか。他の方は既にご存知ですね。
では本題に参りましょう。
なぜ混乱魔法の中で精神集中を図ると魔法の修行になるのでしょうか!」
誰も返答できない。しばらく待っても答える者が居ないので、
「う~ん、ご存じありませんでしたか。では、質問を変えましょう。人の心は2つの要素に支配されています。さて、何と何でしょう?」
ひとりの騎士が答える。
「善と悪!」
「いや、それは人の行いの解釈であって、心の要素とは言いかねるとおもいますよ。正直申しまして、私の心の中では善と悪は2つの要素と言うよりも裏表の様にも思えるのですよ。」
「では欲と・・・、愛!」
「う~ん、欲張りであることに正直な方ですね。欲と愛は、重なるところが大きい。2つに分けるよりもそれで一つと考えたいですね。
では、私なりの考えを申しましょう。肉体と魂です!」
フィオレンツィ師は、こう言って周りを見回す。
「たとえ心とはいえ、肉体の支配を受けています。
皆さんおなかが空いたらイライラするでしょう。そして、おいしい食べ物をおなか一杯食べたら心も満たされてしあわせになる。
これは、肉体が心に影響しているからです。
でも、それだけではない。こうして苦しい思いをしてまで魔法の修行をしようという気持ちもある。これは肉体の影響ではない。ではなにか、魂がそれを望んでいるからなのです。
解りますか?
そして、あの混乱魔法というのは、心を乱すわけですが、精神魔法が関与するのはあくまでも肉体の要素に対してだけです。食欲・色欲・妬み・怠惰・貪欲・憤怒・傲慢、これら肉体が生み出す本能というものに働きかける魔法なんです。
つまり、混乱魔法により、心の中の肉体の要素を意識させ、魂の要素を意図的に強く働かせる。これを目的としているわけなのです。
魔法は、神様からの恩寵です。ですから魂の要素を鍛える、こうすることにより魔力が強化される、こういう理(ことわり)で修行が成り立っているのですよ。」
地球の現代に生きていた私にとって、人の心がこんな単純な構造だと説明されても納得はできない。
しかし、周囲で話を聞いている騎士達は、大いに感動して頷いている。
この世界は中世から近世を覗いている、そんな時代なんだ。違うと否定しても、受け入れられることはあるまい。
ただ、マナを扱う精神的な力は本能とせめぎ合っているという事については納得できる。ここは黙って感心しておこう。
そんなことを考えていて、気がついたらフィオレンツィ師は私を見つめている。目を合わせると、
「エリーセさん、何か疑問がありますか?」
そう尋ねられたので、つい口走ってしまう。
「私は、魂と肉体の2つの要素を、まだ心の中で分けて実感できていません。」
少し反抗しているように聞こえたのであろう、周囲の騎士達の眼差しと表情に非難の色が浮かぶ。
でも、当のフィオレンツィ師は逆に喜色満面の表情で、
「そう!それでいいのです。
言葉だけで納得してしまっては修行にならない。
いいですか、皆さん。
みなさんは修行を通じて、この2つの要素を確かめるのです。
それがこの修行の目的です。
そうすれば、その結果として魔力はおのずと上がります。」
声を張り上げてそう言うと、みんなを見回す。騎士達は呆気にとられた表情になっている。でも、すぐに納得して、また感心している。
そして、その様子を見て満足したらしくフィオレンツィ師は席を立ちあがり、自分の仕事に戻るために去って行った。
昼食の席は元のリラックスした雰囲気に戻り、
「まあ、あの導師の混乱魔法よりもあんたの下着襦袢姿の方が効いたがね。」
一緒にいた修道士が、プッとふいてしまったが、注意するでもない。ちょっと不謹慎な発言もでるが、それが許される場であるらしい。
「じゃあ、晩御飯奢ってくださる?それなら、お付き合いしてもいいわよ。」
別の騎士が”ヒュ~”といい、修道士は目を宙に踊らしていたが、それでも注意はしてこない。まあ、外のことでなら大人のお付き合いはご自由にというわけらしい。
修道院の中の雰囲気は、やはり気が重い。外で息抜きしたいというのが俗人たちのいつわざる気持ちであるし、それを禁止するほど野暮は言わないらしい。
午後は奉仕ということで、堂内の掃除やらなにやらの雑用をもらって過ごし、夕方になって、いよいよ待ち合わせに出かける。
王宮に勤めていた時にあつらえた外出着、目立たないやつではあるが平民の中ではあつらえた服を持っているということ自体が珍しいので、これで十分。いそいそと出てゆく。夜は余り遅くならない様にと言われただけである。まあ、2~3分刈りの丸坊主のこの頭なので、ロマンチックな夜にはならないと思うけど。
翌日になって、また修行である。
今度は要領もわかっているし、早々に精神集中できる。
プールにざぶんと入って、襦袢が肌に張りついている。周囲を見回しても、みなそれぞれに必死で、こちらの事を気にしている者はいない。
もっとも私としてはすでに余裕綽々なのである。まあ、すでにMPは万を超えているのであり、火・水・土・風の4元素魔法もレベルはまだ低いとは言え、それなりに使えるし、Int.もPie.も結構高いのだから当然といえば当然。魔術師のところではひどい目にもあったが、あの3人のおかげで魔力の強化はかなり進んでいるのだ。もっとも、レベルや数値ばかり高くて、まったく実践が伴っていないんだけどね。
指導者をしている修道士からは、すでに初級を超えているのを見ててわかるらしく、次の日は中級に行くよう言ってくれた。
昼食時には、昨日の騎士が、中級に行くと聞いて驚いた顔をしている。
中級になって違いは何かというと、指導者が唱える混乱魔法の強度がかなり強くなるのだ。ここを達成すると、ハイヒールを覚えて、使えるようになるという。2回ぐらい使えるようになるらしい。MPで20をこえて40ぐらいになり、4元素魔法では”初心者”を越えて”並み”ぐらいということになる。
さすがに中級の修行に騎士が来ることはあまりないらしい。中級をこなすには1年かかることもざらでなく、いや、それでも達成できるのは2人に1人ということで、治療や浄化などの魔法を専属に志す人以外はもう来ないのだそうだ。
魔術師は別に独自の修行をしており、それ以外で魔法をとなると必然的に聖職者ということになる。もうここには、祓魔師や治癒師を目指す聖職者以外はいないのだ。さすがに雰囲気は一変し、少し窮屈な雰囲気が支配している。
しかし、ここでも数日で達成してしまう。目を丸くして、上級へどうぞと。しかし、上級の修行が行われるのは週に一日だけで木曜の午前中だけしているとのこと。
と言うことで、週の他の日をどう過ごすのか、導師のフィオレンツィ師に相談したところ、
「では、図書館に案内しましょう、あそこの司書のシスター、フェルミ女史はなかなかの学者なんですよ。いわゆる学究の徒というやつです。魔法の素質のある人を紹介してくれと言ってましたから。
いや心配しないでもいい、あの魔術師らとは全く別の人種です。信仰のしっかりとした人で、あんな変なことは決してしません。真逆の人ですから。」
私に気を使ってくれていることは身に染みるようにわかる。しかし、逆の意味で心配がある。この王国は普人族の国であり、やはり異種族に対して差別感というか違和感があるのだ。王宮ではそれを実感せざる得なかった。ましてや元性奴隷である。”信仰のしっかりした学究の徒”が私を受け入れてくれるか、若干の不安が残る。
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