10ー5 毒

 そこに現れたのは巨大な蜘蛛。

 名前は土蜘蛛。それは大昔よりこの地、日本にて暴れ回る怪物。つまりは妖怪だった。

 妖怪の中でも特に凶悪と言われているものの一種。

 十四世紀頃、土蜘蛛草紙と呼ばれる絵巻にも描かれ、源瀬光みなもとのよりみつが対抗したとされることで有名となった。

 それ故に土蜘蛛という妖怪の凶悪さや纏う陰の気はとんでもない程だった。

 私がこれまでに相手にした中で、二番目に危険な存在。もちろん人は除いている。


 昔お母さんに聞いたことがある。

 こいつは……


 「シューーーーーーウ!」


 土蜘蛛は口から糸を吐いた。

 こいつは口から糸を吐く。高い粘着性を誇り捕らえた相手を逃がさない。

 糸で絡め捕られると、身動きは取れず体の自由を奪われ捕食される。

 惨い。しかし本当に恐ろしいのは、そんなことをしなくてもこいつは人を食べられる。そうこいつは雑食だ。

 見た目は蜘蛛とは似つかわしくもない猫のような顔つき。しかし猫は猫でも猛獣に区分される。そのうえ、巨体。背中には黄色の線が張られ黒をより危険視させる。長く伸びた八本の足。発達した肉体と四つのひし形の黄色い目が雁首がんくび揃えて私達を注意深く……捕食対象として睨みつけた。


 「おいおい。こりゃまずいな」


 凪さんの素っ頓狂な声。

 土蜘蛛は上向きに糸を吐いた。

 それはつまりーー


 「逃げられない。奴のテリトリー内ってことですかね」


 私は答えた。

 こうなられたらまずい。殺されるのは私達だ。

 いったん体勢を立て直して様子を……そう思った矢先だ。


 「シュウーーーーーージュ!」


 土蜘蛛は私達へ紫色の液体を吐き出した。

 液が触れた地面がクチョグチョになる。溶けた。それが明確な言葉だ。

 これが土蜘蛛の持つ最強かつ最悪の能力ちから、毒だ。


 この毒は人体にも影響をもたらす。

 おおよそ二十四時間もすれば全身に毒が回り死に至る。そしてこの毒は私にも効く。お母さんはそう言っていた。こいつの毒をまともに食らえば流石の不死性も今の私なら効能を失いかねないとまで評された。かつてない恐怖。それが目の前にあった。


 「蒼、銀。絶対にその毒に触れないで!」

 「う。うん。流石に私でもわかるよ!」

 「私もです」


 蒼はいつの間にか変身しており、銀も頷いてかなりの間合いと吐いた直後の隙をついてその場から逃げ出す。

 凪さんはその間視線を飛ばし、常に脱出ルートを見定める。流石に無策で飛び込めば幾ら凪さんとて私達を含めて守り切れない。


 「ルーナ、ここから逃げるぞ!」


 そう耳打ちされた。

 見ればだんだんと大きな半球状に広がりつつある糸の中でまだ糸が行き届いていないエリアがちらほらあった。どうやらむらがあるらしい。今なら脱出できる。


 「蒼、銀こっち!」


 私は叫んだ。

 しかし簡単に見逃してくれるほど土蜘蛛は生易しいものではなかった。

 土蜘蛛は私や凪さんには目もくれず動き回る銀と蒼に狙いを絞る。

 銀は吐きだされた糸を絡め捕られる前に本能的に爪でひっかき切り裂いた。一方で蒼は防御しようと腕を前に出すがその右腕を絡め捕られた。


 「きゃあーーー!」

 「蒼!まずい」


 私は飛び出した。

 蒼は腕を吊るされ防御が取れないままで木に叩きつけられた。唯一の救いは蒼が変身していたことだった。そのおかげでダメージはほぼない。しかし土蜘蛛は狡猾なまでに醜悪だ。身動きの取れない相手に毒を吐く。そうしてジワジワと苦しめるのだ。

 その毒は相手が死ぬか、自分が死に絶えるかまで続く。酷すぎる性格だ。

 つまり奴が何をするのかぐらい容易に見当がついた。


 「シュウーーーーーージュ!」

 「う、ウォータープロテクト。キャ!うっ、うわぁぁぁぁぉぁぁ!」


 蒼は必死に空いた左腕で防御をしようとした。

 しかし僅かな隙間を縫って、毒が蒼の右半身に直撃する。幸いか否か水の魔法のおかげで毒が緩和されてはいるが、あのままはまずい。


 (早く下さないと)


 焦る気持ち。

 私は木々の間を縫って蒼を絡めとる糸を断ち切るべくダークソードで切り裂いた。


 「よっと」


 私は蒼を抱き抱えるとその場を退避。

 しかしそれを執拗に遅いから土蜘蛛。私にも糸を吐く。

 右腕で蒼を抱き抱えているため残って左腕でシールドを張る。

 シールドの魔法は光系統に付随する防御魔法。私は回避や受けることを前提にしているのであまりシールド系の防御魔法を駆使しない。だからこそか防御魔法の持つ最大の弱点、魔力消費を計算していなかった。

 

 「くっ!」


 私は右に寄った重心を戻すようにシールドを張り続ける。

 しかし局所的に守っていただけでは意味がない。

 土蜘蛛は毒をまるで雨のように降らせる。

 それを見た直後シールドを丈夫に張りまくるが、その間を通って私の左腕を侵食して焼いた。


 「くっ、あっ!」


 痛みはさほどない。

 ただし何かが蠢き悶えるようだ。

 感覚が次第になくなり始めるが、それをものともせずに私は合流。この場を撤退した。


 ◇◇◇


 「はあ、はあ、はあ、はあ」


 私達は土蜘蛛から逃げ延びた。

 何とか撤退できたことが奇跡のようにさえ思える。しかし奇跡ではない。その爪痕はしっかりと残されていた。


 「あっそうだ、蒼!」


 私は抱えてきていた蒼を地面に横たわらせる。

 見ると表情は酷い。

 息を荒げて、目を閉じている。

 そして何と言っても彼女の右半身。顔から腕にかけてが紫色に変色して腫れている。

 痣のようになっていて目を晒したくなった。


 「早く治療しないと」


 私は魔法を行使する。

 光の魔法ヒール。癒しを与え、傷を治す魔法だ。

 それに加えてディスペルの魔法。二つの魔法を同時に行使することで蒼の傷を少しでも良くする。

 白い光の粒が溢れ出して泡のようになる。

 蒼の体を地面に密着させるのは、毒性を土が吸収してくれるからだ。それにより徐々にだが蒼の表情はおとなしくなる。

 だがそれでも毒が抜け切る事はなく、残ったのは少しだけ良くなった蒼と魔力を大幅に消費した私だった。


 「ふう。何とかなった」

 「ありがとね、ルーナ、ちゃん」

 「蒼。ごめん、今はこれぐらいしかしてあげられなくて」

 「ううん。私が、もっと強かったら、皆んなに迷惑かけなかった、のに……」

 「後悔後に立たずって言うでしょ。そんな事よりも、今はゆっくり休んでて。後は私達に任せてさ」

 「ご、ごめんね……」


 蒼は眠ってしまった。

 小さく寝息を立てている。


 「さてと、やる事は決まったね」


 私は立ち上がる。

 理由は簡単。あいつを倒すのだ。あいつを倒せば蒼は元に戻る。


 「待てよ、ルーナ」


 立ち上がった私はくるっと振り向いた。

 そして歩き出そうとする私の左腕を掴んだのは他でもない、凪さんだった。

 その目はそう、やはりと言うべきか如何やら気付いているようだった。

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