9ー2 紫陽花

 次の日の放課後。

 私達は朱音の家にやって来ていた。

 朱音の家はラーメン屋さんだと聞いていたが、商店街の端。人通りは激しい。


 「ここが朱音の家なの」

 「えっ、違うよ」

 「ちがうの!」


 私は隣にいる蒼に声をかける。

 しかし蒼からの返答は私の考えとは違っていた。


 「ラーメン……食べたいたいなー」

 「うーんいい匂い」


 黄色と蒼がそんな反応を示す。

 確かにこの匂いを嗅いでいると食べたくなる。

 今私達がいるのはラーメン屋の目の前。

 そこから香るのは、おいしそうな醤油ラーメンの香りだ。扉を開けて客が入るたびに香る。


 「それにしても朱音遅いね」

 「うん。ラーメンでも食べて待ってよっか……って言ってるそばから」

 「来ましたね」


 蒼が誘い文句を口にしようとした途端、ラーメン屋の扉が開いた。

 そして中から現れたのは朱音だった。急いでいるような顔だ。


 「如何したの朱音」

 「えっとね、今日は本当は手伝いの日だったんだけど、お父さん達に事情を話して休ませてもらったんだー!」

 「昨日言わなかったの?」

 「言ったんだけどね、一つ言い忘れてたことがあって」

 「言い忘れてたこと?」


 黄色が訊ねる。

 しかし秘密とばかりに顔をニカッとさせた。流石に私は相手の考えまでは読めない。メンタリストじゃないから、何を隠しているのかまでは想像できなかった。


 「っと、まあ店の前で話し込んでたら他のお客さんの迷惑だもんね。早く行こ!」


 朱音はそんな風に話を切り終え、私達を連れて家へと向かった。


 ◇◇◇


 朱音の家はラーメン屋から徒歩十分圏内にあった。

 住宅街の端。そこそこ大きな家とそれに見合う程の庭。これはあれだ。あのラーメン屋が繁盛している証だ。

 呆気にとられている私をよそに、朱音の後を蒼と黄色が続く。二人は何度も来たことがあるのか、スッと状況を飲み干して進んでいく。

 私も二人に倣って、進む。この時には既に理解はできていた。


 「お邪魔します」

 「はーい、入って入って」


 私は履いていた靴を揃えると朱音の家にお邪魔した。

 朱音の家は完全に洋風だった。洋風と言ってもうちのように古ぼけた感じではない。新しいものだった。


 「良い家だね」

 「そんな、普通だよ普通。私はルーナんの方が面白いと思うけどねー」

 「ありがと」


 何故か互いの家を褒めあった。

 しかしそんな茶番が何とも和む。非日常しか生きてこなかった自分に与えられたほんの微かな日常の兆し。それが心から嬉しくてたのしかった。

 しかしこれも私が“非日常”だからこそ巡り合えた“日常”。まさに奇跡と言っても過言ではない。私はそんな出会いの巡り合わせに感謝をした。


 「ところで朱音ちゃん。その苗ってどれ」

 「それなら庭らあるよ」


 蒼の質問に対し、さらりと答える朱音。

 スタスタと庭に続く大窓を開ける。

 そこから見えるのは芝の庭だった。


 「おお」

 「昨日のうちに預かってきたんだー。苗は庭の端っこに置いてあるから、取ってくるよ」


 と朱音は意気揚々と苗を取りに行く。

 その間、私達は朱音が戻ってくるのを待った。そして朱音が戻ってきた。

 その両手には茶色の鉢植えがもたれ、そこには確かに緑色をした何かが植え込まれている。


 「よいしょ」


 ドスン!と音を立てて置いたのは植木鉢だった。

 そこまで大きくない茶色の植木鉢。

 その中には一輪の花の苗が植えられていた。しかし、聞いていた話ではと思っていたが、実際に見てみると


 「紫陽花あじさい?」

 「うん。でも、変なんだー。昨日持って帰ってきたときは蕾なんて出てなかったのに……」

 「蕾の大きさと葉の育ち方を見る限り、そんなに変ではないけど」

 「うん。でもなーんか、変だよね」

 「変って?」


 蒼がそんな風に答える。

 それに対して朱音がピクリとする。

 確かに妙だ。一夜にして成長する。そんな花はあまり馴染みがない。

 月下美人やサガリバナ。そんな風に一日だけ咲く花は聞き覚えがないわけではないが、今までピクリともしなかった花が急にその芽を開花させるのか。少し咲く時期が遅かっただけ?それにしては妙だ。

 黄色の見立てでは、成長に変化はないとのこと。単なる偶然?私は紫陽花の花に触れようとした。

 その時だ。


 体を電流のような何かが駆け抜ける。

 嫌な予感がした。しかしこれに対して私が思うのは不快感と警戒。


 「朱音、これは何処で買ってきたのか聞いてる?」

 「えっ?!ううん。知らないけど……何かあるの?」

 「いや、あんまり気にしちゃ駄目なのかなって」


 自分の特異性を過信してはいけない。

 それは昔から言い聞かされ、自分でも思ってきたことだ。しかし何とも拭いきれないこの嫌な予感。

 私は気にしないようにと首を横に振る。


 「とりあえず、黄色ちゃん。その植物成長何とか薬?」

 「植物成長調整薬だよ、蒼」

 「あっそっか!」


 私は訂正する。

 すると蒼は頭を掻いた。

 その隣では、黄色が「いよいよだね!」と楽しそうにしている。その手にはペットボトルが一つ握られていた。

 透明なペットボトルの中には同じく透明な液体。

 

 「それが」

 「うん。これが私の作った植物成長調整薬。ううん、植物成長促進薬。名前はマンドラゴラVer.1.0だよ!」


 ん?


 私は何かに引っ掛かった。

 今彼女は、黄色は何って言った。

 マンドラゴラはいいとして、Ver.1.0とか言ったよな。

 えっ?!ちょっと待ってくれ。ってことは、まさか黄色の奴……


 「じゃあかけるよー!」

 「ちょっと」

 「待った!」


 私と朱音が止めに入る。

 朱音も気づいたのだ。あの薬が危険だと言うことに。

 黄色は確かに賢い。それは天才と言ってもいい程にだ。しかしそれ故に危うい。それは自分だけでなく他人をも巻き込みかねない代物だからだ。

 しかし遅かった。


 ポタポタポタポターー


 透明な液体が植木鉢の中に注がれる。

 遅かった。止められなかった。

 黄色は不敵に笑みを浮かべ、その透明な眼鏡のレンズは妖しく反射する。


 「き、黄色」

 「はあ、遅かったか」


 黄色は手に持っていたペットボトルないの透明な液体を全て注ぎ込んでいた。

 ポタポタと一、二滴垂れているだけで、それ以降の効果は見受けられない。

 しかしだ。黄色はにやけた笑顔をしている。不安だ。不安で仕方がない。


 「き、黄色。大丈夫なんだよね?」

 「安心してよ、ルーナちゃん!失敗は成功の何たらって言うでしょ!」

 「失敗を前提にするなよ!」


 私は怒鳴った。

 ついきつく戦闘時の時のような雰囲気で話してしまう。

 私と朱音は液肥えきひで一杯になった植木鉢を見た。

 乾いた土は湿りきっていて、先程でのパサパサ感は何処らやら、灰色を混ぜたような土の色味は濃くて暗い土色になる。


 「大丈夫なのかな、本当に」


 今更ながらに蒼が唱える。

 しかし如何なるかはもはや分からない。

 神様達ならこの先を見えるのか否か、果たして真相は如何いかに……


 「と、とにかく。黄色、どれくらいで効果は出るんだ」

 「うーんとね、明日には変化出てると思うよ!」

 「明日!」


 朱音の問いに黄色は頬に指を当てて答えた。

 流石に効果の即効性は折り紙付き。

 しかしやはり不安だ。私は不安を多少抱きながら、“非日常”の降臨を待つしかなかった。

 


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