8ー2 信じられない自分

 その後も私は彼女、ルーナ・アレキサンドライトに看病された。

 看病と言ってもほとんど彼女が私に施してくれた治療で事足りていた。

 だから結局は話し相手程度にしかならなかったのだ。


 「あのルーナさん」

 「なに」

 「あの先程言っていた神狼フェンリルとは何ですか?」


 カップを持った手の指をもじもじとさせて訊ねる。

 本当に自分が何者であるはわからないのだろう。

 因みに私が彼女が神狼であると気づいたのは正味単純な話だ。


 「うん、いいよ。フェンリルっていうのは北欧神話に登場する巨大な狼の怪物のことだよ」

 「怪物……」

 「悲嘆しないで。ロキっていう同じく北欧神話に登場する悪戯の神がアングルボザとの間にもうけたとされる三兄弟の一人で長子らしい。一説には心臓を食べて生まれたとも言われているよ」


 難しい話をしていた。

 しかし言葉は次々に溢れる。


 「二人目はヨルムンガント。三人目はヘル。いずれも毒蛇と死者の国を支配する女神らしい。凄く強い力を持っていてラグナロクの際には最高神オーディンをも飲み込んだとされているよ」

 「私がそんな力を」

 「でも君は伝承から生まれた存在のはずだから安心して。本物はオーディンの息子にヴィーザルに殺されてるはずだから」

 「悪者ってことですね」

 「そんなふうに考えないで。ごめんね、あくまでも伝承の産物だからさ」


 私は何とか弁明しようとした。

 すると今度は私に訊ねた。


 「何故私がその神狼だと?」

 「もっともな質問だね。別にたいしたことじゃないよ。君から伝わってきているエネルギーが、陰と陽とで混ざってたからかな」

 「混じる?」

 「陰の流れは妖気を表しているけどその実全体の二割ほど。二割でも凄いけど分類的に残りの八割が陽の流れ、神気だったからかな」

 「どうして」

 「どうしてって言われても理由まではわからないよ。ただ君を構築した何らかの要因に北欧神話の伝承が混じってしまって生まれたんじゃないかな。フェンリルは氷狼とも称されることもあるけど私は神狼って呼んでる。それは普通とは異なる力だからね」

 「ならどうして貴女にはそれがわかるんですか」

 「私はそう言っただけだよ。生まれつきね」


 唖然とする狼少女。

 その目の色は酷く沈み込み今にも砕け散ってしまいそうに脆かった。

 私は自分の言葉の重みを重々承知の上で話していたつもりだが、やはり目の前で打ちひしがれるのを見るのはどうにも心が痛い。

 だからせめて気休めにも。

 私は私の考えを言葉として伝える。


 「でもね、私はそれでもいいと思うんだ」

 「えっ?!」

 「その、別に送り狼だろうが神狼なのかなんて結局関係ないんだよ。もしそのことに誇りを持ってて傷つけちゃったんなら謝るよ。でも私は自分が吸血鬼だってことに誇りってほどのものはないけど別に普通じゃないってだけでそれが悪いことじゃないと思ってるんだ。だからね、そんなに落ち込まなくてもいいと思う。自分が見失ってしまわなければ信じられることが一つでもあればいいんだからさ」


 私はそう答えた。

 そして私は立ち上がり、「何か作ろうか」と言って席を離れた。

 こうして取り残された力無き狼少女は自分を信じられなくなっていた。


 ◇◇◇


 私は皆んなとは違う。

 そう真正面に言われ私は私を信じられなくなっていた。

 昔から気づいていた。

 私は皆んなのように力を行使する際不自然な因果が発生した。

 闇であるのに光である。そんな不思議な自分がどうしても自分でないようだった。


 そんな私に彼女は「自分が見失わなければいい」と「信じられるものが一つでもあればいい」他励ましの言葉をかけた。

 しかし私にはその重圧が重くのしかかる。

 私の信じていた世界はちっぽけで、そしてそれが全てだった。大切なものを失ってしまった自分に居場所なんてない。

 必要とされる価値はない。

 彼女ならどうするだろうか。自分に誇りを持ってはいないがそれを悲嘆せずに受け入れる。そんな不思議と落ち着きのある少女なら私を導いてくれるのではないかと、居場所を生きる意味を与えてくれるのではないかと思ってしまう自分が情けないとともにそれを懇願していた。役立たずの私が『役』を得る事への高々な望みを抱いて。


 

 私はふと自分の中にある力に声をかけた。

 そして呼び覚まそうと目覚めようと心がけた時、不意に私は何を感じ取った。

 それはとても不快で怒りを剥き出しにしてしまう程に憎しみを抱く敵意だ。

 憤怒に支配されそうになる心。

 それを一口の紅茶が救い平然を繕う。

 そして私は彼女、ルーナ・アレキサンドライトなる人物に気づかれぬよう家を飛び出していた。

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