第弐拾捌話



 猟犬を召喚しようとした犬神だったが、俺のせいで犬が召喚口に頭をぶつけてしまったらしい。何だか悪いことをした気がする。


「……小馬鹿にされて黙っているわけにはいきませんね」


 小馬鹿にした覚えは断じてないのだが、犬神は勝手に怒り心頭に達しているときていて、どうしたものかと思案している。


「そこまでいうなら犬神。呼べよ。何もしないから」

「……本当に何もしないんですか?」

「こっちとしても、そんな理由で怒られるのには納得がいかないからな」

『お、おい、それは逆に馬鹿にしているのではないか?』


 魔剣の奴は不服そうだが、逆上されて何されるかわからないというのは非常に困る。霧島さんや車塚を巻き込むわけにはいかない。五條は自力で何とか出来るだろうから守る必要はないと思うが。


「だ、大丈夫ですか寺前様!?」

「霧島さん、どっちにしても大丈夫とは言えないから、できるだけここから離れてくれ」

「!……私のことは気にしないでください!!」

「いいから!こいつは付け焼き刃の鍛錬でどうこうなる相手じゃない!」


 霧島さんが不承不承離れようとしている。よし。


「おや、ゼントルマンなんですね」

「なんだよそれは」

「紳士といったところですか」

「紳士だか何だか知らないが、女の子を危ない目に遭わせるのは嫌だとは思わないか?」

「それをゼントルマンというんですよ!来ますよ!」


 ついに猟犬がその姿を現す。……だが、なんだか足元がおぼつかない。何度も頭をぶつけてふらふらになっているかのようである。……頭をぶつけて……あー身に覚えはないがそうなるんだ……。


「りょ、猟犬!?」

「……くぅん……」


 頭の角があるようだけど、その角にもひびが入っている。かわいそうなことをした。猟犬はすっかりおびえている。これではただの犬だ。


「動物虐待は良くないぞ、犬神」

「……あなたがやったんでしょうが……」


 そういうものかもしれないが、さすがにこうなるとは思わなかった。不慮の事故だ、勘弁してくれ猟犬。


「ほ、ほら猟犬!あいつを始末しなさい!」

「きゃうん……」


 そんなに精神的苦痛トラウマだったのか、空間にぶつかったの……。ほら、襲って来いよ猟犬、刀で斬る準備はできてるから。しばらくおびえていた猟犬だが、突然、俺じゃないほうに走り出した。


「ど、どこに行くのですか!?」

「え?ちょ、ちょっと!?この犬はティンダロス!?」


 何故か猟犬は突然バスの椅子に縛り付けている八木のところに走っていく。そして。


「わん!」


 すごくうれしそうに尻尾を振って喜んでいる。そうして八木の顔をちょっと舐めると、八木の膝の上に頭を置いた。


「ティンダロスの猟犬がなんで……?これじゃただのわんこでしょ……」


 八木のぼやきももっともである。でもなんだって八木のところに行ったんだよ猟犬。


「シュブ=ニグラスの仔ともいわれていますからね、ティンダロスの猟犬は。おそらくそちらの方から漂うシュブ=ニグラスの気配で再会を喜んでいるのではないでしょうか」


 そうなのか星御門?これで、ただのわんこと化した猟犬は無力化できたし、犬神を捕まえることも容易そうだな。


「く……くくく……どこまでも俺をおちょくりやがって……許さんぞ貴様ぁ!簡単に死ねると思うなぁ!」


 せっかく怒られないようにわざわざ呼ばせてあげたのに、なんで怒られなきゃいけないんだよ。寺のじじぃのために部屋の片づけをしたら、卑猥な本が出てきてそれを並べてたら激怒されたのを思い出した。坊主のくせに女犯の罪犯すなよ。そんなんだと、きっと地獄に落ちてるだろうなぁ。


「でもどうやって簡単に死ねなくするんだよ。猟犬は八木の膝枕で転寝うたたねしてるぞ」

「……これをつかわせてもらう!人間ごときに負けるわけにはいかないのだ!」


 そういうと犬神が持っていた邪神の遺物とやらが、体に溶け込んでいく。少しまずい気がする。


「前から言いたいんだが信奉者おまえらだって人間だろうが」

「貴様ら下賤の連中と!我らを一緒にするなぁっ!!」

「気をつけてください!どういうことかわかりませんが、遺物を取り込むなど尋常ではありえません!どこから出てくるかわからないですが、かどに気をつけてください!」

「わかった星御門!」


 にしたって下賤の連中て。そこまで言われなきゃいけない筋合いはねぇよ。


「おおおおおおおおおおおおおお……オオオオオオオォォォォ!!!」

『姿が、変わって行くだと!?』

「まるで猟犬……こいつ!自分が猟犬になりやがったのか!」


 なんということだ。本気にさせるべきではなかったか。このまま放置しておくわけにはいかないか。奥義を叩き込むしかあるまい。


「剣禅一如……星辰一刀流……無神喪閃っ!ってなん……だと……」


 ……あたかも虚空を斬ったかのようだ。その一方で、空間から爪撃のようなものが俺に向かって放たれる。服斬れたぞ……どこからくるんだよおい!


『これは……厄介だぞ。位相がずれている』

「位相がずれる?どういうことだ?」

「この世界と同一ではない世界からの干渉です、信じがたいのですが今見ているものが事実です!」

「星御門!なんとかできないか!?」

「私は無理ですが、方法はあります!」

「どういうことだ!?」


 また爪の攻撃かよ!今度は皮膚まで切れた。このままだと追いつめられる一方だ。姿も見えないが、こうなったらやたらめったらやるしかあるまい。


「……星辰一刀流……あらため。虚空五月雨斬りぃ!」

『あいかわらず技名が格好悪くはないか』


 うるせぇ魔剣!当たればいいが、当たる気配も全くない。もっとも、やたらめったら振り回すことで、奴の側もこちらを攻撃できなくなった。


「星御門、どうすればいいんだ!」

「霧島様の目をお借りします!彼女は、目覚めつつあります。千里眼に!」

「千里眼!?」


 場所が分かれば攻撃も当たる。それならこの状況を打破できる。だが……


「それって霧島さんに危険はないのか!?」

「どのみち信奉者に狙われてます!こうなったらそちらに行きます!」


 結局女の子に助けられては世話はない。そうはいっても背に腹は代えられぬ。


「わかった!霧島さん助けてくれ!……虚空五月雨斬りぃいい!!」

「はいっ!」


 刀を振り回しながら攻撃をかわす。霧島さんがきょろきょろと周りを見ながら移動する。空間から爪跡が壁に現れる!だが、彼女はそれを気にすることなく躱してゆく。


「本当に見えるのか!」

「なんとかですが!魔剣さんと力を合わせれば、きっとやれます!」

「そっちに行く!」

「はいっ!今ならっ!」


 俺は転がり込むように霧島さんのそばにたどり着く。すっと立ち上がり、剣を握る。霧島さんを後ろから抱くような形になるのがちょっと恥ずかしい。だが。


「……見えた!」

「まだです!もっと近づけてください!」

「わかった!」


 うっすらとではあるが、奴の姿が見える。……奴はもう、正気を失っているかのようである。やたらめったら爪をふりまわしているだけだったのか……


『行けるか!?剣禅一如……』

「……これは!?わたしにも!?星辰一刀流……」

「「『……虚空』」」


 俺と霧島さんは、二人で魔剣を横薙ぎに振りぬいた。それと同時に、何かが倒れたような音がする。


 ……空間から、血が滴り落ちた。

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