第弐拾弐話
汽車の中で、神戸の本屋で買った小説を無言で読んでいる。もう邪神とかどうでもいいからとにかく現実逃避したい。五條が興味深そうに俺の読んでいる本を見ている。
「寺前様、何を読んでるんですか?」
「小説」
「小説っていうと……夏◯漱石とか、森〇外とか……?」
「森鷗〇か……その森〇外の作品で『舞姫』ってあるよな?」
「はい。ありますね」
「あの主人公、どう思う?」
「どうって……」
俺は五條の方をちらっと見る。隣の席で怪訝な顔をしている五條に、ぼやくようにいう。
「控えめに言って駄目人間だな」
「駄目人間」
「おうさ、しかもあれだ、あれ、実話混じってるらしいぞ」
「え、ええっ!?」
五條が驚きを隠さないのが若干面白くなってきた。明治の小説、結構個人の体験も混ぜてるからなぁ。夏目漱石とかもそうらしいし。
「じゃあ
「……さすがにそこまではしてなさそうだが」
「うっわ……」
「それはそうと、五條さんもそう思うわけだ」
「それ聞いてしまうと、そう思いますね」
「そこでだ」
俺は小説の題名を見せる。『蛮カラ奇旅行』とでかでかと書いてある。明治の奇書のひとつである。奇跡的に見つけられてよかった。
「なんですかこの小説」
「舞姫の主人公を、蛮族主人公が拳で殴り倒す話」
「……そこまで憎まなくても……」
「拳で殴られるくらいで済んで安いもんだ、だいたい日清日露の陸さんの犠牲者の何割かも〇外のせいじゃないか」
「それ、どういうことですか?」
「麦飯男爵の話知ってるか?」
五條は首をひねる。そんなに有名じゃなかったか?
「高◯男爵だよ。あの海軍に麦飯を導入した」
「あの?でもあれ評判悪かったみたいですけれど」
「白米で軍が機能しなくなるなら本末転倒じゃないか。カレーとかも導入したからだいぶましだろうが」
「カレー……おいしいんですけどお高いですよね」
確かにな。カレー一杯七銭(註:2020年の1400円程度)というのは安いもんでもない。
「話がそれたな。とにかく、後付けといえば後付けだが、必要な栄養取らせず兵隊ヘロヘロにして殺しといて英霊なんてあったもんじゃない。そんな奴の書いてる小説の主人公をぶん殴る小説読むってのも、すっきりするじゃないか」
「わからないでもないですが、趣味が悪いというか陰湿というか」
陰湿で悪かったな。実際に殴ったら犯罪だからな。小説で殴るだけで済んでいいんじゃないのか?
「にしても、栄養不足を菌が原因だとか言い張って間違った政策やらせるとか、困った医者もいるもんだ」
「でもそんなのわからないじゃないですか?」
「栄養不足だという◯木男爵の主張無視され続けたんだろ?日本が文明国になれるかどうかは、そういう視点をきちんと政策に反映できるかだと思うぞ」
五條は黙って外を眺め始めてしまった。俺もそのまま番カラ小説を読みはじめることにした。日本が変われるかどうかはそういうあたりな気がするが、百年後くらいでも似たようなことで揉めてそうな気もする。勘だけど。
横濱に近づいたあたりで、車掌が車内を回り始めた。なんでも、品川と横濱の間で線路に問題が起きてしまったらしい。
「大変申し訳ございません。何箇所かの線路上に、動物の死骸のようなものが散乱しておりまして……」
ええーという不満の声が車内にこだまする。なんだってそんなことになったんだ?東京に帰れないではないか。動物の死骸とはまた不気味な……まさかあいつらとは関係ないよな。ないと思いたい。
ひとまず仕方がないので横濱で降車し、星御門の家に電話をかける。到着が遅れるとの旨を伝えて、さてどうしたものかと思案していると……別の交通手段を見つけた。バスだ。
「五條さん、バスだ。バス乗り継ぎで東京いこう」
「バスですか」
「しばらく列車が動かないっていうからな……」
駅前で、東京方面に向かうバスを探す。路線図を見る限りなんとか行けそうな気がしてきた。遠回りではあるが。バスに乗り込もうとすると。車掌さんに切符を買うように言われる。今は女の子が車掌さんやるんだな……。
バスから途中の道を見ていると、たしかに線路上に何かの巨大な死骸のようなものが転がっている。水棲生物のように見えるが、なんだってこんなもんが転がってるんだ?
……急に、バスが止まった。
「おい、いきなり止まってどうなってんだ?」
客から不満の声が上がる。運転手が窓を開けて怒鳴る。
「お客さんすいません!道の前に変な奴が立ってるんですよ!おい、なにやってんだ!」
「まさか……魔剣」
『まずいな。剣禅一如……』
俺と五條は窓を開ける。
突然、道に立っている男から何かが飛び出し運転手を襲おうとした……が、その何かを俺たちは両断した。
「星辰一刀流」
「……羅刹!」
両断したのは何かの触手のようにも見えるが、やがて燃え上がり、消滅する。可燃物とかバスが近いんだからやめてほしい。危なかった、主に運転手さんが。
「なんだこれは……」
「運転手さん!ここは私たちが防ぎます!お客様を避難させてください!」
「わ、わかった!」
「お前らかぁ?俺の仲間をやってくれたのは?いや、仲間ってのは違うか」
道で立ち塞がっていた男が俺を睨みながら言い放つ。は?俺たちのことを知ってるようだなこいつは。
「何者だ?」
「俺は工藤ってんだ。よろしくな。そして……死ねぇ!」
工藤の身体から、炎のようにも触手のように見える何かが広がって俺たちに襲いかかる。それを俺と五條は次々と切り払う。
「ちっ……
そういうと、工藤が触手にへばりついた黒い物体を弾き飛ばす。そのやまそとかいう塊が周囲に広がっていく。塊が周囲を汚染し、穴のようなものが開く。危険物を撒き散らすんじゃない。おまけになんだか異臭までする。思わず鼻をおさえる。五條も鼻をおさえながら言う。
「早く対処しないと、これはよくないですね……」
「全くだな。おい工藤とやら!殺されるつもりはないが一つ聞きたい」
「なんだぁ?」
工藤という男は柄の悪そうな男である。書生を小汚くしたような格好をしているが、もうちょっとこう小綺麗にはできないのか。
「お前番カラみたいな
「そうに決まってんだろそれ以外に何があるってんだよ!さぁ!やろうぜ!」
なんなのこの戦闘民族。番カラ小説の主人公かなんかかこいつ?……今俺は無性に、舞姫の主人公を殴りたかった。そしてどちらかというとこいつとはやり合いたくない。めんどくさそうだから。俺はため息をついてから、魔剣の刃を工藤に向けた。
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