第拾弐話
あれから三日が過ぎた。
全身の骨折もヒビも治ったので、そろそろ病院から出ることにしなければな。うっすい味の昼飯を済ませ、持ってきた服やら何やらをしまっていると星御門の弟と霧島さんがやってきた。
「寺前様……もう大丈夫なのですか」
「病院の医者が頭抱えてる以外は大丈夫だと思う。三か月分の支払い済ませてもらって悪かったな」
「それは別に構いませんが」
「あれ?そういえば霧島さんまでなんで来てるの?」
「はい、神戸の洋菓子の美味しいお店を星御門様が案内してくれるってことなので、寺前さんも来ます?と呼びに来てみました」
美味しい洋菓子……はっきり言ってこの三日、朝食は
「行く!断固として行かせてもらう!!鳥の餌はもう嫌だ!!!」
「ふふっ、そういうと思ってました」
だよな。どこに行くにしろ
「遅い!何してんのよ」
「なんでお前までいるんだ」
「あんたと同じよ」
元町の駅の前で、トーラスと……由衣のやつもせっかくだからと、神戸の洋菓子食いたいとたかりに来たんだな、仕方ねぇな。舶来のものなんてろくなもんじゃないと思ったが、洋菓子は別かもしれない。だが
「そんで、どこに行くんだ」
「そもそも皆様は喫茶店に行かれたことは?」
トーラス以外は全員首を横に振る。そんなもん行ったことねぇよ。
「そうですね……最近神戸にも喫茶店は増えましたが、ここは颯月堂あたりでも行ってみますか。べたかも知れませんが」
「颯月堂って結構老舗じゃない?」
「本店は江戸のころからありますが、神戸の喫茶店としてはそうでもないですよ。できたのはつい最近ですね」
星御門の弟は行ったことあるのか。陰陽方も時代の流れには敏感らしい。そんなわけで、元町の颯月堂に向かうことにした。
颯月堂の建物はずいぶんと洋風である。石造り、といえばいいのだろうか。店内に入ると椅子と机が並べてある。若干部屋の中が暗い気がするが、もちろん邪神の館とは全然違う。なんだろう。落ち着ける空気が、そこにある。明かりの色も暖色で、気持ち暖かい雰囲気がいい。
「それではおかけになってお待ちください」
女中さんにトーラスが何か渡している。あとで聞いてみたら「チップ」ってやつを渡すのが基本だとか。あとになったが俺も渡しておいた。
「さて、何を食べるとしますか」
「飲み物は……ワタシは紅茶にします。あとマロングラッセくだサーイ」
「では私は珈琲を、ぶらっくで」
紅茶?どんなのか気になるな。日本人の星御門が珈琲で、トーラスがお茶なのがちょっと面白い。
「わたしはこのみるくせーきってのにしますね!」
「ミルクってたしか牛乳でしょ?わざわざ牛乳飲むの?」
「お砂糖とかでいろいろ味付けしているんです。あ、ケーキ頼んでいいですか?」
「ふーん、じゃ、私は紅茶にしようかな。それとアイスクリン」
俺もなんか選ばないといけないのか。
「とりあえずカフェオレってやつにするか……あ……」
「かしこまりました」
「あと……あ、行っちゃった」
しまった、選び損ねた。女中さんが奥に引っ込んでる間、なんとなく部屋を見回す。日本じゃねぇなやっぱりこの部屋。最近日本ぽい部屋から離れている気がする。
「神戸のようなところにずっといると、どうも日本っぽいものが懐かしくなるな」
「そうですか?」
「部屋とか全部舶来っぽいだろ?この部屋は落ち着いてるからまだいいけど」
「寺前様、でしたら調査のついでに有馬などいかがでしょうか」
調査のついでっていうのが嫌だが、有馬って温泉か?確かにそれなら日本っぽいものに触れられるな。
「温泉だっけ?それは悪くないが、調査とは?」
「はい。有馬に行くまでの山の中に、どうも不審な存在がいるとの情報がありまして。邪神とは関係ないかもしれないのですが」
「それは人間に危害でも加えてるのか?」
「そこも調査したいと思っております。道の普請をしているところですのですが、場合によっては迂回もやむなしかと」
なるほどな。確かに、邪神に関係がなく、危害を加えるようなものでなければ放置しておいてもいいだろう。環境保全っていうんだったか?
「体本調子じゃないから、最悪逃げるぞ」
「それも仕方ありません。ですがこちらも人手が……」
「調査だけなら引き受ける、ということでいいか」
「助かります」
「こんな時まで仕事の話……はぁ、男って」
そんな風に言われてもだな由衣。仕事といえば仕事だが、軽く復帰準備と鍛錬のためだからな。
「温泉ですか……いいですねー……」
「霧島さん、一応仕事だから」
「むー」
こっちもこっちでなんだかな。そんな感じで雑談していると、いろいろと飲み物と洋菓子がやってきた。見たこともないものだらけだが、まず、鼻腔をくすぐる匂いが心地よい。嗅いだこともない柔らかなにおい。
「これ、何の匂いだろ」
「いい匂いです」
「ヴァニラのニオいですね。いいニオいでしょ?」
トーラスの言う通り、洋菓子からヴァニラのにおいが広がってくる。何故、俺は菓子を頼まなかったのか。この後で絶対頼むぞ。由衣が頼んだアイスクリンというのは白い長方形の塊のようだが、わずかに湯気のように見えるものが出ている。
「湯気か?」
「寺前様、これは湯気というより冷気ですね」
「どういうことだ?」
「いっただきまーす!うわっ!冷たっ!!」
早速由衣が匙を口に運んでいる。白い塊は存外柔らかいようで、ニコニコしながら由衣がどんどん運んでいく。わずかに白い塊が溶けている。
「あとで俺も頼もうかな、支払いくらいはするから」
「それは構いませんよ、こちらで持ちますので」
由衣の表情見る限りまずいとは絶対思えないもんな。こんなもん頼むしかないだろ。霧島さんの方はというと、こちらには白くて、ふわっとしたものがカステラのようなものの上に載っているものを突き匙で切り取って口に運んでいる。霧島さんの方も、いい笑顔で食べている。
「これ、美味しいのか」
「寺前さんも食べます?」
そういうと霧島さんがケーキを少し突き匙で切って、俺の口の前に持ってくる。思わず口にしてしまった。
「あ、こら!何やってるの那月!」
由衣が怒鳴ってるが、俺の口の中はそれどころではない。ふわっとしたものが甘味と乳の旨味と混ざり合って消えるように溶けてゆく。なんだよこれ!?こんなものを当たり前に食っているのかこの街の人間!?地上のものかこれ???
「う……お……おお……」
「って、寺前さん!?」
「おお……お……おいしすぎる……」
「そんな大げさな……」
大げさじゃねぇよ由衣、お前らもうちょっと感動して食えよ。周囲の人間が失笑しているけど、俺がこの世に生まれてきてから一番うまい菓子に遭ってしまったんだぞ!?俺が感動していると、急に霧島さんが突き匙を止めた。
「……綾にも……食べさせてあげたかったね……」
「那月……」
「申し訳ありません……私たちの力不足で……」
「そうね。寺前さん」
「急になんだよ」
「私は、あなたを許さない。一生」
……そういわれても仕方がないな。助けられなかったのは事実だから。
「助けてもらったことは感謝しているわ。でも、綾を助けられなかったことは、忘れて欲しくない。だから、あなたを許さない」
「……優しいんだな」
「そ、そんなんじゃないわよ!わかった!?許さないだけだからね!?」
めんどくさい奴だな……でも、俺も、星御門やトーラスも、助けられなかった綾という少女のことは忘れてはいけないと思う。これは、一生心に残り続ける、棘だ。棘でなければならない。
「わかった。許さないでくれ」
「そうね。許さない」
「……わたしは……」
「那月はいいの」
腑に落ちない顔の霧島さんを横に、俺はアイスクリンを注文しようと思い注文票を見ると、ごーふれっとなる文字列を見つけてしまった。
「あの、このごーふれっとってやつは……」
「いまアメリカのお菓子に匹敵するものができそうなので、いろいろ試しているんですよ。よければ試してみます?」
そういわれると試したくなるのが人情だ。もってこられたごーふれっとからもバニラの香りがする。せんべいみたいだな、と思って一口口に運ぶ。パリッと軽快な音を立て砕けたせんべいの間からやわらかいものとともに甘みが口に広がる。
「うおっ!?なんぞこれ!?うまっ!」
「何よそれ」
「いいからみんな食ってみろ」
俺はみんなにごーふれっとを食わせる。結構びっくりした反応が見られて面白かった。トーラスまで同じ反応するのを見て、後ろで店の人が喜んでいるのが印象的だった。
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