第漆話



 女の子が触手のようなものを、もう一人の女の子の首筋に突き立てている。人質にしたということだろうな。血のような赤い色のカーペットの上で、触手で締め上げられている女の子は苦悶の表情を浮かべている。


「魔剣」

『なんだ』

「確認なんだが、もう一人は」

『人間だ』


 いい知らせと悪い知らせだなそれは。いい知らせとしては、両方斬る必要はないということだ。敵が二倍というのはさすがに脅威だ。悪い知らせというのは、何とか人質を助けなければならないということである。


 切っ先を、触手のようなものをふるう女の子に向ける。

 ……どこから出ているんだろうか、あの触手は。


「そんなことしてどうするんだ」


 相変わらずしゃべらない。いや、しゃべれないってところか。それにしてもこの部屋広いな。これなら刃物を振り回すのに問題はない。


「人質離してあきらめて捕まれ」


 触手のようなものが三本ほど向かってくるが、一刀のもとに切り伏せる。


「お前、さっきの奴よりも弱いんじゃないか?」


 女の子はそれには答えず、もう一人の女の子を締め上げる力を強くし始めた。


「……」

「そういうつもりか」

「……ちゃん……やめ……」


 もう一人の女の子が触手の子に語り掛けているが、聞く耳を持たないようだ。


「おい!待ってろ、今からそいつを!」

「……そう……もう、綾ちゃん、そこにいないのね……」

「えっ?」


 どういうことだ?女の子が続けて俺にこう言ってきた。


「おねがいします。おまわりさん!綾ちゃんを……楽にしてあげて……ぐうぅ……」

『まずい!このままでは!』

「だが、あいつだけを斬る必要があるだろうが!」

『あの技を使え!』


 俺はうなづき、目を閉じ調息する。

 魔剣は鞘に戻し、抜刀のための構えをする。腰は、低く下げる。


『剣禅一如っ!』


 目を開く。早く……早く来い!


 針のようにとがった触手が俺の目を狙おうとしている。それを後ろ跳びで躱す。次から次から目や急所を針のようなものが狙ってくる。躱し続けるしかない!


 ……遅い!早く来い剣技っ!!


「星辰一刀流っ!!」


 息が苦しい。加速する時間の中で、俺だけがここにいる。

 ……神速を超え、加速した時空の中で、剣を振るえ!


「幽世っ!!」


 居合から放たれる斬撃の軌道に沿って、空間が、斬れる。

 女の子を締め上げていた触手から、力が抜けてゆくのが分かる。あの触手の根元だけを斬りはらったのだから、そうもなるだろう。


「……綾ちゃん!」


 身体の触手が力をなくすと同時に、綾と呼ばれた女の子が、崩れ落ちていく。そのまま倒れた女の子に、俺は慎重に近づいていく。手を取る。

 ……もう、冷たかった。脈も、なかった。瞼をそっと手で閉じる。


「綾ちゃんは……」


 俺は、力なく首を左右に振るしかなかった。倒れた女の子の背中からだろうか、

 出ている触手も、もはやぴくりとも動かない。


「……ありがとうございました」

「すまない」


 何もできなかった。

 ……もう、俺が見つけた時にはこうなっていた。俺が何かできたかといわれると、何もできない。


「……ところで、君は」

「はい。霧島那月と申します。ここの館に囚われていました」

「そうか。霧島さん、ここに他に囚われている女の子とかいるか?」

「はい。由衣ちゃんは奥の部屋にいます」


 奥の部屋からは、確かに何かの気配がする……どちらかというと殺気を感じる。これは罠なんじゃないか?まさかこの目の前の女の子もグルなのか?さすがにそれは考えすぎか?


 右手は柄に手をかけ、左手で扉をたたく。


「もう怪物は始末したぞ。入るぞ」


 返事はない。扉を開いた瞬間。


「綾の!かぁたぁきいいいい!!」


 威勢よく椅子が俺の頭に振り下ろされようとする!あぶんねぇ!危うく抜刀しかけたじゃないか!


「ちょっと待て!綾ってあの触手が生えてた子か!?」

「綾にそんなもの生えてるわけないでしょ、この人ごろしぃ!」


 振り下ろされる椅子を押しとどめる。殴られるのは勘弁だが、かといって刀振るうわけにもいかないだろうが。


「由衣ちゃん!待って!おまわりさんは!」

「那月は黙ってて!人から触手が生えたりするわけないでしょ!」


 俺と霧島さんは、多分心の中で同じことを思ったと思う、いや、生えてたって。

 ……どういう仕組みで触手が生えてきたのかはわからないが。


「いずれにしろ落ち着け。俺が来た時にはもうこうなってた!」

「はん。誰がそんなこと信じられるとでも?」


 信じようと信じまいと触手は生えてたっていいたい。霧島さんが、これ、これと指さしている触手だが、由衣という娘にはまったく目に入っていないようだ。お願いだから気付いてほしい。


 しばらくとっくみあって、なんとか椅子で撲殺されるのだけは押さえ込めた。ていうか、仮に君が俺殺したら公務執行妨害で罪重くなるんだが。


「はぁ……はぁ……」

「……な、わかっただろ。俺はここの館を調べに来たんだ、そうしたら君たちが捕まっていてだな」

「……なんで」

「なんで?」

「……なんでもっと早く来なかったのよぉ!」


 こんどは泣き出された。そういわれてもだな。


「そもそも、この館自体が見つけられにくくなっていたんだ。俺たちが悪い奴を追ってきたら、入り口にも怪物がいて、そしてさっきのありさまだ」

「それで」

「それで、といわれても困る。とりあえず出よう」

「それは困りますね」


 ……いきなり、俺の背後に何者かが現れた。と思った次の瞬間。


 俺の身体は壁にたたきつけられていた。

 ……わからん、何が起きた!?全身に激痛が走る。いてぇってもんじゃねぇ!叩きつけられた壁にもひびが入っている。石膏かなんかか?


『……こいつは……』

「……くっそ……まけ、ん……なんなん……だ?こい……つ」

『人……なのか!?これは?』

「ひとで……も……斬っ……ってい……いぞ……」


 やっとのことで立ち上がる。洋装の男は半笑いでこちらを見ていたが、俺が立ち上がろうとしているのを怪訝な顔で見ている。


「おや。驚きましたね」

「……何がだ……よ……」

「あの一撃で死ななかったことがです。虫けらが」

「そうか……い」


 残った力で魔剣を抜く。魔剣の重さで腕が抜けそうだ。


『おいっ!!』

「魔剣……斬ってい……いぞ」


 思わず倒れこみそうになる。足がいてぇ。立ってられねぇ、くそっ。それでも何とか踏んばることにする。踏ん張らないと、死ぬ。


「全く。使えない家畜でしたね」

「……家畜?」

「えぇ。せっかくの実験が、成功するかと思ったのですが……」

「実験?」


 不穏な単語に、思わず体の痛みが飛んでしまう。

 ……魔剣が俺の身体に何かしているのかもしれないが、気にするのはやめる。


「そうです。我々を更なる高みに引き上げてくださる大いなるお方の種、それをはぐくむ身体を見つけたというのに。番犬の役目も果たせない家畜が」


 こいつ……。


「お前、誰だ」

「お前とは失敬な官憲ですね。ですがいいでしょう、答えてあげましょう」


 俺は奴の正面に魔剣を向ける。いつ動いてもおかしくはないし、こちらもいつ動いても対応できるようにしておきたい。


「私は日比谷恭司。それでは、さようなら」


 男の右腕が、強大な圧とともに振るわれるのを、横っ飛びに躱す。身体のあちこちが痛い!が、動けない程じゃない。


『もって二分だ!』

「もうちょっと持たせろ!」

「今のも躱せるとは、虫けらにしてはやりますね」

「言ってろ!」


 日比谷の拳が、素早い足さばきと圧とともに何発も襲い掛かってくる。何発かは躱せたが、左腕の一撃を一発貰ってしまい、また吹き飛ばされる。


「ちっ……羽虫がちょろちょろと」

「羽虫だったら飛び回るだろ」

「目ざわりです」


 速度が上がった!?見極めきれない!?さらに吹き飛ばされる。

 ……どうやら、俺はここまでなのかもしれない。だがそのまえに、目の前のすかした顔の糞野郎に一撃は入れたい。


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