*大雨本屋

 その日、本屋は閉まっていた。

 closedと看板にあったのを見つけたときの私の落胆は、きっと計り知れないものだったに違いない。


 連日の大雨でどこの店も客足が遠のいている。店の前に大勢いるのを見かけて、混んでいるかと思いきやただの雨宿りだと知ったときは、なんとも寂しい気持ちになったものだ。


 大きな雨粒が傘を打ち付けるたび、私の心は相反して、期待で胸を膨らませていくばかりであった。

 待ちに待った新刊だ。お気に入りのミステリー作家の小説は、発売日に必ず買うようにしている。だから今日もまた、天気が悪くとも、私は本屋へ足を伸ばしたのだ。幸い、私の傘は大きい。大の男が雨に濡れて風邪を引くことにはならないはずだ。


 だと言うのに、なんという仕打ちであろうか。大雨により臨時休業とは、神様も人が悪い。もはや一縷の望みもないが、ここですごすごと帰るには決まりが悪いと思い、ひょいと首を伸ばして店内を覗いてみた。


 すると、何とも妙な光景が広がっているではないか!


 本屋の中は、私が常日頃から見知っているものと違っていた。まず目を引いたのは時計だった。大きな掛け時計、いやむしろ浮き時計だ。高い天井をも圧迫しそうな巨大な時計は、床から一メートルほど浮いているのである。次に、書棚の間をすり抜けるなにかだ。それがなんなのか、最初は分からなかった。薄暗い店内でぼんやりと光っているのである。その微かな光を目で追うと、やがてその正体が分かった。


 その者は私と同じ人間に見えた。

 けれど、その背には白い翼がふわりと動いているのだから、やはり人ではない。

 そう、比喩でもなんでもなく、まさしく天使のような少女だった。


 他にも、店頭に並べてあった本が何冊も浮いていたり、一角をもつ白馬が優雅に床で寝そべっていたり、小さい蛍のような光があちらこちらで漂っていたりと、まったく何から何まで異様な光景だった。


 ある種の恐怖で固まった私は、暫く茫然としていた。すると今度は鈴の音が聞こえはじめた。私はますます混乱した。傘が手から滑り落ちる。

 だが、ふと我に返った。私が鈴の音だと思ったものは違うものだった。少女が一冊の本を片手になにやら口を動かしている。

 鈴の音が少女の声だと気づいたとき、私は先とは違う意味で茫然とした。


 清らかな声が紡ぐのは、昔ながらの和歌だった。和歌を詠む洋風の少女に思わず見惚れ、戸惑い、堪らなく後退した。


 そして私は大雨の中、すごすごと来た道を引き返していったのだ。





 翌日、傘を放置してきたことに気づいた。慌てて取りに行こうとしたが、少し考えて、傘を迎えに本屋へ行くのはあとにしようと決めた。くしゅん、と鼻を啜る。





 それ以降、私は大雨のときに本屋を訪れることはなくなった。

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