*不器用なあやかしとおかしな小僧
化け物。あやかし。妖怪。
人がボクらをそう呼んでいることは知っていた。斯く言うボクらも人のことを「人間」と呼んでいる。蔑称には値しないだろう。ただ、人はボクらに対して個を個として認識する必要がなく、まして姿形を視認することさえ不可能なら、なおさら“それ“を指す名のようなものがあれば都合が良かっただけなのだろう。
かつては自然現象もあやかしのせいにされた世界だ。きっと人間があやかしを目にしたら排斥しようと動くだろう。
今も昔も価値観の根底は同じ。物が流動する世界でも、化け物は化け物でしかない。
「ばけものさん、ばけものさん」
呼ばれたと思ってしまう自分も大概だ。ボクは肩をすくめた。
「小僧め。また来たの。もう来るなと言ったのに」
人間の子ども。
黒髪と言うよりは少し茶色がかっている。目はくりくりと丸く、この世の全てを余さず見尽くしてやるといった輝きを秘めているが、表情だけ見れば何ともやる気のない顔をしている。背は
少年、と呼ぶ方が適切だったかもしれないが、初対面が初対面だったのでボクはそれから小僧と呼び続けている。それは小僧も同じだった。ボクを「ばけものさん」と呼ぶのは、初めて会ったときから変わらない。お互い深い意味はないのだ、蔑称にはならないだろう。
「ばけものさん。これ、持ってきた。おいしいんだって。食べる?」
「要らないと言ったらどうするの?」
「うーん。……捨てる?」
心底持て余しているといった風に首を傾げる。
ボクは呆れた。
「阿呆。小僧が食べれば良いでしょ」
ぱちりと丸い目がさらに丸くなって瞬いた。あどけない顔をしてその実、腹黒いのではとボクは睨んでいる。
「だって、まずいんだもの。ぼくは食べたくないんだ」
「不味いものを押し付けるんじゃない。いいかい、ボクは人間の食べ物が苦手なんだ。分かったらお食べ」
不貞腐れたように見えるが、依然として表情は変化しない。
小僧は饅頭の包装紙を無造作に開け、中身を取り出す。しばらくじっと眺めているだけだったけれど、数分が経ってやっとそれに口をつけ始めた。
「おいしくなーい」
まずいまずいと言って食べる。聞いているこちらも辟易してくるほどだ。
食べ切ったと思ったら、今度は手が
手を洗いたいと言ったら、帰れと返してやろうと思っていると、小僧はあろうことかボクの服の袖で汚れを拭った。
「おい、小僧め。ボクは手拭いじゃないんだぞ。いや、ちょっ、やめて! 餡子まみれになるでしょ!」
まったくなんて子だ。
結局、小僧の手が綺麗になるまでボクの服は犠牲になった。
「それで? なんで来たの」
綺麗にしたはずの手で、小僧は落ちていた小枝を拾い、地面に何かを描き始めた。
こちらの話は一応聞いているようだが、それにしてもいい加減な態度だ。呆れて物も言えない。
「ここにいると、ふわふわするんだ」
小僧は、信じられないほど綺麗な円を描きながら言った。
円の中に黒い丸を二つ、白い丸を二つ。そして黒丸から少し離れたところに白丸を描いた。
「ふわふわするからここに来たって?」
「そう。ここ以外はダメだね。ガチャガチャしてるんだ」
「がちゃ……どういう意味?」
「ふわふわと反対の意味」
全然わからない。いや、不可解なことに関して小僧は誰よりも頭ひとつ抜けているだろう。小僧が不可解なことに詳しいという意味ではない。小僧自体が不可解なのだ。少なくとも、ボクは永く生きてきたが、こんな幼子は見たことがない。
不安定なのに軸がしっかりしていて、突けば何かが
「ばけものさんも、ふわふわしてるんだ」
小僧は黒丸二つと白丸二つを囲うように線を引く。残った白丸はぽつんと切り離されたように一つだけ。
「ふわふわ、ねえ。ボクの髪はどちらかと言えばストレートなんだけどね」
「髪の話じゃないよ」
「だろうね」
小僧はぽつねんとした白い丸の横に、三角を描いた。
「ねえ小僧、さっきから一体何を描いているの? 楽しいのかい」
小僧は小枝をそこらに放った。もう要らないらしい。
「ばけものさん、ばけものさん」
「二回呼ばなくても聞こえてるよ」
「ぼくはね、この一つの丸なんだ」
あっそう。
また訳のわからないことを、と思ったが、ボクは小僧の好きなようにさせた。
「それで、この黒い丸と白い丸はぼくの家族だよ」
親や兄弟姉妹ということか。
「黒い丸は父さんと母さん。白い丸は兄ちゃんと姉ちゃん。みんな、仲が良いんだ。ぼくはそれを遠く見てるだけ。この絵はぼくの世界なんだよ」
「世界とは、大きく出たね。何も小僧の周りの人間はそれだけじゃないでしょ」
「まあ。他にも人はいるけど、ぼくを作ってるいるのはだいたいこの人たちだよ」
随分と他人行儀な物言いだ。家族とは、人の子とは、こんなに余所余所しいものだったかな。ボクが知っている人間のコミュニティと、小僧が言う世界は、どうやら
「ばけものさん。ぼくはね、家族の中に入れないんだ。別に、いじめられてるとか、大切にされてないとか、そういうことじゃないんだけど。もちろん、家族の中に入れないことが特別どうってことでもないんだけど」
地面をじっと見つめながら言う。
「それはあれかい。一人のように感じて寂しいとか、疎外感に耐えきれないとか、そういう話?」
「ソガイカン」
「のけもの扱いってことさ」
「なるほど。うん、ちがうな。そういう話じゃない」
小僧は地面から目を離さない。
「ぼくは変わってるんだって。普通じゃないらしい。可愛くないってよく言われるんだけど、まあ、ぼく男の子だし」
「それは意味が違うと思うけどね」
「そうなの? まあいいや。ぼくはさ、おかしいんだろうね。気味が悪いって親戚のおじちゃんも言ってた」
ボクは口を挟むのをやめた。
無表情で話す小僧は、淡々と事実を述べているだけなのだろうが、声は揺れていた。小僧のことだ、悲しいからではないのだろう。
「父さんは気にするなって言ってた。母さんはぼくを愛してるって言った。兄ちゃんはぼくを強い弟だと言った。姉ちゃんは可愛い弟だと言った。だけど、ぼくは」
小僧は一旦、言葉に詰まった。
「ぼくは、なに?」
先を促してやると、素直に続ける。
「ぼくは、何も感じないんだ」
また淡々と話し出す。
「だから思うんだ。ぼくはきっと人間じゃない。ばけものさんと同じなんだ。怒ったり悲しんだり、むずかしくて。他の人みたいにできないんだ。何もないんだ。心と呼べるようなものも、きっとない。ねえばけものさん、この丸い世界で生きてるぼくは、このままでいいのかな」
小僧は顔を上げて、ボクを見た。輝きを秘めた目。口角は上がらず、眉も動かず、頬の筋肉も死んでいる。少年と呼ぶよりも小僧と呼ぶのがお似合いの人の子。
「小僧はどこからどう見ても人間だよ。弱っちくて、小さくて、ボクを化け物と呼ぶ。ほら、人間そのものさ。小僧がおかしいというのはその通りだけど。だって君、ボクのことが見えるんだもの。普通でないのは確定だ。君がここにいること自体、君が変わっていることの証明になるのさ」
小僧が首を捻った。
「つまり、ぼくは人間なの? ばけものじゃないの?」
「そうそう、変な人間だよ」
「そっか。変な人間なのか」
納得したと頷く小僧は、何かを思い出したかのように声を上げた。
「言い忘れてた。これ、ぼくのとなり」
また地面に目を移す。
小さな人差し指が伸びた。
「うん? 三角のことかい」
小僧が頷いた。白い丸の横に描いた三角。
確かに、これが何を表しているのか、言わなかったな。
「三角はばけものさんだよ。ぼくもばけものだと思ってたから、ばけものさんをとなりに描いちゃった。でも、ぼくは変な人間だから、ばけものさんのとなりでもおかしくないよね」
またおかしなことを言う。ボクは理解したつもりはないけど、我が意を得たりとばかりに「なるほどね」と頷いた。
「おかしくないと思うよ。ボクは君の隣にいる。……ん? つまり、ボクは君の世界の住人ということなの?」
小僧は二回、首を縦に振る。
ふと、ボクは空を見上げた。重苦しい灰色の雲が青色を侵食していた。冷たい風が吹き、木の葉がざわざわと騒がしくなる。
あ。
呟いたのはどっちだったかな。
雨雲が一滴、水を
「雨だ」
小僧は頭に両手を置いた。それで庇っているつもりなのだろうか。
「雨だね」
軒ありの縁側に座っていたボクは、今すぐにでも背後の障子を開けて居間に引き篭もろうとした。雨はあまり好かない。脳内で描いた通りの行動を取ろうとして、躊躇ったのは、現実に目を向けてからだった。
小僧はただ突っ立っていた。
こんな化け物の古巣に来るから、雨に打たれて濡れ鼠になるんだ。
「仕方ないな。ほら、おいで」
濡れた状態で部屋に招くのは嫌だなあ、なんて考えていると、小僧は胡座をかくボクの足の上に座り込んだ。
「いや、ちょっ、濡れたままじゃん!」
小僧は無反応だ。
なんて子だ。末恐ろしい小僧め。
「ばけものさんの家があって良かった。こんな雨の中歩きたくないし」
「あっそう。別にここはボクの家じゃないんだけどね。あんまり長居しないでね」
「ここ、ばけものさんの家じゃなかったの?」
「ただの空き家だよ。ボクが勝手に住んでるだけさ」
「じゃあ、ぼくが勝手に来てもばけものさんは文句言えないね」
「小僧だって本当は来ちゃいけないんだよ。もう来るなって言ったでしょ」
「言ってない」
「言った」
「言ってない」
まったく手がかかる子だな。
ボクは動くのも面倒で、小僧を座らせたまま、ちょいちょいと雨に当たらないように後ろへ下がった。ちょっとしか移動できなかった。こんなに小さいのに意外と重い。
「人間の子どもは重いんだな。すぐ体も冷える。寒いかい」
「どうだろう。ばけものさんがあったかいから、よく分からないや」
「ボクはあったかいのか。まあ、風邪を引かないなら何だっていいよ」
小僧はボクの腕を掴んだ。ぎゅっと掴まれた。振り解けばすぐに離れるくらい弱々しい力だ。本当に弱っちい。風邪なんて引けば死んでしまいそうだ。
雨は暫く降り続く。だがにわか雨だろう。夜になる前にやむ。
ボクは特別な術なんて使えない種族だけど、小僧をあたためることは出来る。そう思うと、何だか胸の内側がふわふわした。
小僧が言っていた“ふわふわ“も、こんな感じなのだろうか。
「ばけものさんは本当にあったかいね」
小僧が言う。
「小僧もあったかくなってきたんじゃない? 雨がやんだら帰るんだよ」
「うん。今日はそうする。ばけものさんは、本当に、本当に、あったかいね」
小僧はその後も「あったかい」と繰り返した。寒くてはいけないものな、と思って、ボクは小僧を包み込むように抱えた。腕を掴む小僧の力がほんの少しだけ強くなる。
本当に弱っちくて小さい子だ。
雨がやむまで。
そう思いながらも、小僧のあたたかさは手放しがたい。人間の子どもは、こんなにあたたかいものだったかな。
ボクは口を開いた。
「今日は、じゃないよ。もうここに来ちゃダメだからね。次はないからね。あと饅頭も要らないよ」
小僧は無反応だった。
重いし、口が減らないし、ボクが言うことなんて聞きやしない。なんて子だ。数え知れないほどそう思った。
だけど、少し。
ほんの少しだけ、ふわふわした心地がするのを、悪くないと思うボクがいる。
翌日、性懲りもなく小僧がやって来た。差し出された手には、昨日とは違う饅頭が乗せてある。ボクは呆れて、肩をすくめた。
閉じた障子の向こう。
人間に紛れて買ってきた傘は、多分、今後小僧が使うことはないだろうなと思った。
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