*妖と雨の日

 激しい雨の中、はやって来た。

 真っ赤な蛇の目の傘を片手に、カランカランと下駄を鳴らす。


 雨音にかき消されてしまいそうな下駄の音は、私の存在そのものを表しているようだった。


「よっ。久しぶりだな」


 こちらに気付いた男が軽薄に声をかけてきた。以前会った時から何ら変化はない。否、少し大きくなった気がする。ともあれ、相も変わらず湿気で爆発した髪を揺らして、そのくせ纏う和装はきっちりしている。

 妙なのは、親しげに話しかけてきたという一点のみ。


「おまえ、まだこの街に居たんだなあ。他の奴らはどうした。棲家すみかを追われて別の街へでも行ったか? ったく最近の奴はすぐ逃げるからいけねえや」

 男はカカカと笑った。

「その点、おまえはいつ見ても太々しいな。ずっと一人でここに居るんだろ? 根性あるなあ」


 男の声は非常に落ち着いていた。落ち着きすぎて、かえって不気味なほどであった。淡々と紡がれる言葉の端々に、裏の顔を探ってしまう。


 雨脚が強くなった。


「な、おまえさん、家が欲しくないか」


 いらないと切り捨てるように手を振ったが、男は気付かず話を続けた。


「こんな雨の中で、ずぶ濡れになるよかマシだろ。ここは冷たいし、ジメジメと薄暗いし、仲間もいない。さみしいだろ」


 もう一度否定の意を込めて手を振ってみたが、やはり男は気付かない。それどころか、すっかり濡れ鼠になってしまった私を傘に入れる始末。自分の半身を雨に晒すとは、なんて愚かな男。慈悲でもかけたつもりか。


 要らぬ世話だと腕を振り上げると、うっかり男の皮膚を引っ掻いてしまった。居た堪れなくなって俯く。


「気にするな、

 男がうっすらと笑む。


 いつの間にか、雨雲が勢いを失くして彷徨っている。


 ——莫迦ばかめ。

 呟く代わりに、一声鳴いた。


「そうかそうか、俺の家に来てくれるか」


 ——猫と間違えて化け猫に話しかけるとは、よもや耄碌したか人の子よ。以前は泣いて逃げ帰ったくせに、全く人間とはなんと奇怪な生き物か。


「よろしくな、相棒」


 ——猫の振りも面倒だが致し方ない。暇つぶしにはなるだろう。


「ニャアン」——よろしく、はしない。


 私を抱えて、男はまたカランカランと下駄を鳴らした。真っ赤な蛇の目の傘が、男の腕に必死に掴まっている。



 雨はもう止んでいる。

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