*妖と春 2(終)
待ちに待った春が来た。春告げ鳥が霞空に向かって鳴く。薄紅色の花びらが舞う。
桜の木ははりきって「彼」を起こした。花弁が地面に降りしきる。
——僕は目を覚ました。
瞬きを何度か繰り返す。視界が明るい。心地よい陽気が空気いっぱいに満ちている。
おはよう。挨拶を交わした後、ふと、桜の木がいつになくはしゃいでいることに気付いた。
僕は不思議に思って尋ねた。
「どうしたんだい。きみがこんなに花びらを落とすなんて。何か嬉しいことが?」
そうなんだ。聞いておくれよ。桜の木がはにかむ。そして一人の少女のことを語った。
あらましを聞き終えた僕は驚いた。人でない僕は、人間にとって未知で恐怖の対象になりやすい。それなのに、三度、僕の元へ足を運ぶとは。いや、一度目は偶然だから、数に入らないか。とはいえ、そんな人間がいるなんて、一体誰が思うだろうか。
「きみはそれを嬉しいと感じたんだな」
しかも、桜の木が好意的だ。なればこそ、少女は悪人ではないのだろう。友が言うのなら、疑う余地は一寸たりともない。
花びらがまた落ちてきた。それは僕の頬を撫でて、地面に少しずつ彩りを与える。
「落としすぎじゃないかい」
嬉しいのは良いことだ。だけど、心配になる。僕は桜の木の幹に触れた。
友は僕の心配に気付く筈もなく、無邪気にまた語り始める。今度は少女の話ではない。
例えば、夏はこう、秋はこう、冬はこう、といった季節の話とか。
例えば、『そういえば小鳥が言ってたんだけどね』から始まる噂話とか。
例えば、世間話をしに人里へおりてくる小妖怪たちの話とか。
そんな他愛のない、本当にとりとめもない話をした。朝を迎えては夜が更けて、それでもまだ話し足りず、時間をたくさんかけた。
そうこうしている内に、再び夏が駆けてくる。もう良いだろう、十分だろう。そう言って春を終わらせようとしてくる。
桜の木は少女が来ないことを残念がった。余程僕と対面させたかったのか、駄々を捏ねるみたいに、からだを揺すった。わずかとなった花びらは辛うじて落ちず。それを確認してから、僕は友に寄りかかった。
僕はその少女を見たことがない。だから、物珍しさはあれど、情までは抱かない。桜の木も分かってはいるのだろう。
「友よ」
僕はゆっくりと瞬きをする。
「次の春も、傍に居てくれよ」
人でないもの。その中でも、僕は一人で移動することが出来ない、ちっぽけな存在。因果も宿縁もなく、たまたま此処に命の根をはっただけの存在。
そんな僕を初めて友と呼んだのは、桜の木だった。
「おやすみ」
話し足りないのは毎度のことだ。欲を言えば、僕だってもっと話がしたい。だけど、やはり春は終わってしまう。
僕が眠ってしまうから、桜の木も次第に口数が少なくなっていった。
瞼を下ろす。視界の明るさがくすみ、黒く染まりゆく。僕が眠る直前、一つの足音が聞こえた。
「また眠ってるのね」
声。
誰の?
分からないまま、僕は意識を手放した。
刹那、桜の花びらが空高く舞う。
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