*あやかしの後悔 1


 春。聴色ゆるしいろの花弁が空を揺蕩たゆたい、鶯の鳴き声が空気を透き通らせる。

 ほおっと息を吐くと、その吐息さえも凍ってしまいそうなほど、朝方の大気は冷たく、清らかだ。心が澄みゆくとは、このことを言うのだろうな。良い気分だ。

 だが、俺は社の中からを見つけ、顔をしかめた。またかと思った。



 社の外で、一人の少女が手を合わせ、こうべを垂れている。

 「神さま、神さま。どうか村をお救いください。どうか……お願いします」



 沈んだ声の彼女のせいで、せっかくの春の陽気さが台無しだ。

 気分が悪くなる。





 華やかさなどはとうの昔に置いてきた、廃れた村。作物は育たず、食料が賄えずに、いつしか餓死する人間が増えた。村を捨てて遠くに旅立った者もいたが、それでも半分の人間が故郷を捨てきれず、村に残った。栄えることもない村は、年月を経るごとに荒地と化していく。結果としては、誰もが救われないまま死んでゆくことになるだろう。

 そんな村と隣接するこの山には、一つだけ社がある。俺が今いるところがそうだ。

 ここは、俺たちあやかしの間では「神さまが去った」と噂されているくらい、何の気配もしない領域だ。だから俺は、「居座るには都合がいい」とここ百十年ほど、この社に棲みついているのだが……。



 とある日の朝のことだ。小柄な少女が山に踏み入り、社の前で膝をついた。『神さま』に対して、祈りを始めたのだ。

 社の中で過ごす俺は、その日から彼女の祈りを毎日、同じ時間に聞く羽目となった。

 今日もまた、彼女は同じ祈りを繰り返す。

 「村をお救いください。お願い……神さま」

 弱々しい声に揺れ動かされる心は、生憎と持ち合わせていなかった。そもそも、俺は神さまじゃない。あやかしだ。人間が最も嫌うモノだ。

 少女を気の毒に思うこともなく、俺は伸びをして、寝転んだ。社の外でまだ声は続く。



 馬鹿みたいだ。どれだけ祈り、願っても、神さまは戻ってこないのにな。

 社の扉の木目を見つめ、数え始める。


 嗚呼、退屈だ。

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