母親

 ♪ドー、レー、ドー。ドー、シー、ラー。ド、ソ、ラ、シ、ラ、ド、ミ。


 音のする方向では薄いシルクの羽衣を着た女が笛を吹いている。顔も羽衣と同じ素材の布で覆われている。


 女が笛を吹くたびに、女を中心にした金色の五芒星が地面にくっきりと浮かび上がる。


「これはなんなんですか?」

 蕨は八橋に聞く。

「知らねえよ。とりあえず、向かうぞ」


 2人で笛を吹いている女のところへ向かう。女は演奏を終えたらしく、笛を吹くのを止めた。そして、顔を覆っていた布を外す。


「母・・・さん?」


 蕨は驚嘆して言った。


 目の前には青く長い髪を持つ、蕨の母親がいたのだ。蕨は驚嘆した。なぜなら、蕨の母親である蕨舞雪わらびまいは蕨が中学に入るのと同時に父親と同時に蒸発していたのだ。


「母さん。翠玉海はどう言う組織なんだ?」

「翠玉海はあなたを守るための組織よ」

「守るって?」

「蕨大河。貴方は奇跡の子なの。だから、世界の悪い人に狙われたり、世界で一番悪い人を倒す駒に使われようとしたりしている。私が龍呼びの笛で悪い人たち全部倒すの」

「じゃあ、俺の前からいなくなったのは?」

「大河を安全にするためよ」

「母さんもしかして今川蓮のこと知ってる?」

「知ってるわ。あの子は私たちがあなたの前からいなくなった間、あなたの身代わりとなって育てられ、最後には死んだわ」

「そうだったのか」


 ◆◆◆


 中学生になった頃、両親が突如居なくなった。そして、俺は喧嘩に明け暮れた。何故喧嘩に明け暮れたのか?そこに明確な理由があったのか?と聞かれてみれば分からない。でもきっと単純な事なんだ。自分を取り巻く環境に、自分の中に渦巻く感情が追いつかなかったんだ。あの時は自分と言う存在の価値を喧嘩にしか投影できなかった。


 自分が喧嘩で死んでしまってもいいと思ってた。だから、怪我をするのは怖くなかった。怪我を恐れないのは喧嘩で役に立つ。どんなに傷ついても戦えるからだ。どんなに傷ついても最後まで立っていられるからだ。そんな俺は喧嘩で負けたことがなかった。


 負けないから負けるまで喧嘩を続けようと思った。でも、相手がどんなに大人数でも、大人数の敵が武器を持って襲い掛かってきても、最後にはボロボロになりながら勝っていた。喧嘩を重ねて行くうちに強くなり、負けがさらに遠のいた。


 孤独に戦う俺にはと言う異名が付き、いつしか、喧嘩をすることがなくなった。町の荒くれどもも、遠方からのならず者も、悪魔には喧嘩売るなという共通の言い伝えがあったらしい。


 喧嘩に明け暮れていた俺は暫く平穏な日々を過ごした。


 そんな時とある男が現れた。俺と同じ青髪の、同じ小学校の1個上の友達だ。何かと気にかけてくれていたし、同級生じゃないながらもかなりの時間遊んだのを覚えてる。そのうえ、蓮は小学校の時、俺が生まれつき青い髪なことで浮いていた時に、髪を青く染めた。それ以来、俺は髪の毛のことで何かを言われることがなくなった。そんな連は小学校6年生になったとき引っ越した。会うのはそれきりだった。

「覚えてるか?今川蓮だ」

「覚えてるけどなんか用か?」

「喧嘩しようぜ。強いんだろ」


 蓮は俺より背が低かった。俺より体が何回りも小さかった。俺は負けるはずがないと思ったし、蓮が自身が負けるはずがないと思っているような言いぐさに少し腹が立った。


「受けて立つ」


 久しぶりの喧嘩にアドレナリンが出た。互いに向き合い、同時に拳を構えた。どちらもノーガードで、拳を相手の顔に放った。


 バコッ


 その喧嘩の決着は恐ろしく早く着いた。曇天の空を俺は見ていた。河川敷の草の上に倒れたのは俺だった。俺は初めて喧嘩で負けた。


「じゃあ親友になってくれ」

「なんでそうなるんだよ」

「勝ったから」

 蓮はそう言った。俺等は親友になった。


「大河、親友になったついでに頼んでもいいか?俺の為に戦ってくれ」

 

 サッ


 突如十数人ほどの大の大人たちが俺らの事を囲ったのだ。


「大河、俺の背中は任せたぜ」

 立ち上がった俺の背中越しに蓮は言った。

「分かってるよ、蓮」


 俺と蓮は戦って、大人たちを何人も倒した。喧嘩では、素手では俺らは負けなかった。だが俺の前にいた一人の敵が俺の頭にトカレフを突き付けたのだ。


 何も失う物がないと思っていた。負けた時、俺は命を蓮に預けたような物だと思っていた。足がすくんで何もできなくなったのだ。


「大河、付き合わせて悪かった。今日は楽しかったぜ」

「蓮、何言ってんだ‼︎」

「俺が蕨蓮だ。狙ってんのは俺の命だろ」


 そう言うと残党の5人の男は蓮の周りを囲んだ。俺にトカレフを突きつけていた男は、今度は蓮の頭にその銃口を突きつけた。


「遺言はあるか。若者」

「蕨大河。お前には正義が似合う。貫け‼︎お前の拳で。貫け‼︎俺の分まで」


 蓮の遺言はそれだった。蓮の頭からは血が流れ出ていた。俺の目からは涙が流れていた。止まるはずがなかった。


「うわぁぁぁぁぁぁ」


 ただ一度拳を交えただけなのに。ただ一度共闘しただけなのに。それだけなのに。掛け替えのない存在になった。そして、あの日蓮は死んだ。


 ◆◆◆


(俺の身代わり。俺がいなけりゃ蓮は生きてた。やっぱり俺が死ぬべきだったんだ。いや、そんなことより気付くべきだったんだ。蓮が何故、蕨という苗字を名乗っていたか。考えるべきだった。なんなら頭では分かってたんじゃないか。親が小学校卒業と共に姿を眩まし、自分と同じ苗字を語った。何かしら、自分に関係があると感づいていて、そのことから目を背けてた。)


「悪い奴らはなぜ俺の命を狙ってるんだ」

 蕨は蓮への感情を押し殺して、何とか声を振り絞る。

「大河と私、生まれつき青い髪を持つ人には特別な力があるの。触れ合った人のルクスを吸収できる。これは悪い人にとって恐怖なの。だから、狙われる。本当は大河も翠玉海の一因となって戦ってほしかったけど。もう、そうはいかないわね。これからどうなるかわからないけど母さん頑張るから見ててね」


 そう涙ながらに言い残すと蕨の母親の後ろに突如、巨大なウミヘビのような白い竜が現れた。その竜は蕨舞雪を喰らい、金色に光る。


「うわぁぁぁぁ」

 蕨は叫んだ。泣いた。ぐちゃぐちゃな感情は叫びで紛らわせるしかなかった。


 光から現れ出た竜は少し召喚された時とは携帯を変えていた。無数の金の鱗を持ち、ところどころに黒い血管が見える。高さは5メートル弱あり、その体を約三メートルの巨大で透明な羽のような翼で少しだけ浮かせている。尾は日本刀のように鋭かった。その物体におまけのような小さい手が生えていた。


 要約すると呼び出された竜は巨大な金のウミヘビに無色透明な羽が生えていて、黒い血脈がある。尾は鋭く、その巨体には似ても似つかない小さな手が生えていた。


「あれは?」

 たどり着いたういろうが八橋に聞いた。

「蕨の母親で今は竜だ」

「連は何で死んだ?何と俺は戦ってんだ?何で母さんはあの竜に食われたんだ?前に居るのはなんなんだ?俺は一体何なんだよ?答えろよ」


 蕨はどうしようもない胸に残った感情を竜に言葉でぶつけた。その竜は何も答えることはなかった。その竜は人の言葉を聞き取れないのだ。それに加えてひとの言葉を話すこともできないのだ。


 竜は無慈悲にも蕨の目の前を鋭い尾で攻撃した。

「なんだよこれ」

 蕨の心はさらにぐちゃぐちゃになった。

「私のルクスはもう残ってないので蕨君と下がります。八橋先輩、竜の討伐任せました」

 影で蕨の体を包みういろうは竜から遠ざかった。


 遠ざかった蕨はうちほほをかんでいた。泣きながら。そこに自分の全感情をぶつけていたのだ。


「貴方はよく私に似ていますね。ストレスが溜まるとうちほほをかむ癖がある。なんでもかんでも抱えこむのは良くないですよ」

 ういろうは優しく蕨を諭すように言った。

「そんなこと言われたって、久々に母さんと会えたと思えたのに。自分の敵で、訳の分からないことを言われて、竜を呼んで、目の前で死なれて。俺はどうすれば良いんだよ」


 蕨の目からは涙が溢れ落ちていた。ある種当然と言えば当然である。彼は知りたくないことを知ってしまったのだ。不可避的な状況下で。そんな蕨を見てういろうは声をかける。彼女もその言葉が正しかったかは分かっていなかったが彼女はその言葉を放った。


三銃士トリニティのみんなに私は生きていて欲しい。お願いです。あなたとあなたの神器の力、使う時が来たら、素直に貸してください。


 ういろうは蕨の手を力強く握ってそう言った。蕨はそのぬくもりがかつて母の持っていたものに似ていると感じ、ういろうの小さくも頼りがいのある手を一瞬だけ強く握り返した。


 ◆◆◆


 時を同じくして八橋は叫ぶ。

金炎フラムドール

 八橋の周囲をとても眩しい金の炎が包む‼︎


 金炎フラムドールとは神器のアポロンハットと呼応した時に出せるより強い炎である。


(竜をも打つ聖の炎。この光竜を討つのにこれで足りるかは分からねぇ。だかやるしかねぇな)


 八橋の能力は身体の周囲を炎で包み、それを利用するパイロキネシスである。


「行きやがれ。炎よ」

 八橋は竜の巨大に向けて金の炎の塊を放つ。


 バァン


 八橋の金の炎な竜の体の鱗に触れた。ただし、傷は一つも付いていなかった。


 (こりゃ俺の能力だけじゃ無理かもしれねぇ。でも取り敢えず1人でできる最大限はやらねぇと。)


「おい、クソ竜かかってきやがれ」


 八橋は指を小指から親指に向かって順番に折って竜を挑発する。


「キャオオーーン」


 竜の方向が公園中に響き渡り、鋭利な尻尾が八橋の方に向けられる。


 パシッ、パシッ。バン


 竜の鋭利な尻尾が三度八橋に向けて放たれた。八橋がその攻撃を全てよけると竜は地面に尻尾で大穴を3つ開けた。


 (この竜の攻撃方法は尻尾か。当たったらひとたまりもなさそうだぜ。このままじゃ、能力の機動力を活かして避けるのが限界。何か機転をきかせねぇとな。一番弱いところは目だろうな。)


 バーン、バーン、バーン


 八橋は竜の目に向けて金の炎を何回も放つ。


「キャオオーーン」

 無論その炎を竜は身体の鱗を盾にして無効化する。全ての炎を清算した後で竜は八橋の方に大口を開けた。


「待ってたぜ。くらいやがれ、金炎突進ファイヤーラッシュ。お前の目を焼き尽くしやがるぜ。」

 竜の顔が近づくと、八橋はその竜の右目に突っ込む。


 ジュー


 八橋の能力はいわゆるパイロキネシスとは性質が違う。身体に自身の能力で作った炎を纏わせると言う段階を踏まなければならない。即ち、通常のパイロキネシスよりも炎を放つ場合は効率がとても悪い。


 自身の炎を最大限に活かす方法は自分自身が相手に突っ込む事なのだ。八橋はこの竜のうろこが炎に対し耐性があると分かった上でこの選択をしたのだ。


 竜の右目は完全に燃え尽きた。


「キャオオーーン、キャオオーーン」

 右目を失った竜は泣き叫び、尻尾を振り回して暴れ回る。

 

 ドン、ドン、ドン


 竜をは地面に穴を開けて行くが一切八橋に照準は合わない。


金炎突進ファイヤーラッシュ

 八橋は左目にも突っ込んだ。

 

 ジュー


 左目も金の炎で燃えた。


「キャオオーーン」

 さらに竜は暴れ回る。だが両目の働きを失った竜の攻撃は当たらない。当たる余地がない。


「燃え尽きやがれ。全身の炎よ。竜を包み込め」

 八橋は竜に触れ、竜を金の炎で包み込んだ。


 バシューーン


 八橋を中心として金の炎の海が拡大し、八橋は竜に向かった。竜の羽は焼けただれ、もう殆ど動けなかった。


「おい、蕨、コイツはテメェの神器でしかおそらくとどめはさせねえ。俺はもう限界だ。力を貸してくれ」

 八橋は後ろに下がっている蕨に大声で言う。八橋の能力は完全に解除されていた。


「分かってる、分かってる、分かってる。だけど、これを殺すってことは」

 蕨は動揺して言う。


「私のお願いです」

 ういろうは蕨の手を握り懇願する。


「分かったよ。やりゃいいんだろ」


 八橋とういろうが見たのはダガーのエクスカリバーではなく、金の長剣に変わったエクスカリバーだった。その長剣の刀身は優に蕨の身長を超えていた。そしてその長剣を蕨は右手だけで持っていた。


「これが本当の力なの?」

 ういろうはその姿に少し恐怖した。


「眠れ」

「キャオオーーン、キャオオーーン、キャオオーーン」


 蕨は倒れている竜を長剣で尻尾、手、首を順番に切り捨てた。大量の血の雨が蕨の頭に降りかかった。


「ありがとな、蕨」

「母さんは死んだの?」


 蕨は聞いた。けれど、蕨本人も竜を倒せば母親が行き帰るんと考えていた訳では無かった。考えていなかった。だが、それでも聞いた。ういろうが静かに横に首を振った。


「クソっ。何でだよ。何も得られなかった。母さんは何だったんだよ。俺を守りたいってなんなんだ。クソっ」

「わら」

 絶望の深淵にいる蕨に八橋は声をかけようとした。

「シー。今は何も言わないであげて」

 その行動をういろうは静止した。


 竜の死体から竜呼びの笛を回収し、三人はポセアリウスへ帰った。

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