第47話『挟撃』

 激しい剣戟と地を蹴る音が《願いの坩堝》に鳴り響く。

 残念なことに正気を失ってしまってもクロさんの実力はいかんなく発揮されていた。


 鋭く猛る彼女の太刀筋をなんとか捌きながら、精霊知覚によって背後から容赦なく襲う邪精霊の黒い群れ。

 それを、身体を捻り、剣を弾いたときの反動を利用して切り落としながら、わずかに生じる間隙を縫うようにして躱し続ける。


 どうにかして彼女に、この邪精霊に傷を負わせることができる白金の剣を触れさせたいのだが、思うようにいかない。

 その原因はクロさん本人にあった。


 ——想像以上に強くなってる。

 ファフニルとの戦いで《竜の加護》を得てからも時々あいつと手合わせをしているのは知っていたけど……。


 剣術の腕はどうしたってクロさんの方が俺よりも上だ。

 彼女の攻撃を防ぐには剣を使うしかない。さらにこの邪精霊の攻撃……。


「——!」


 真上から降り注ぐ黒い雨を後ろに跳躍して避ける。

 着地したとき、左足がずぶりと沈み込む感覚とともに、くるぶしの上の辺りまでが冷たさに包まれた。


 振り返ればそこには、俺たちが通ってきた水中洞窟へと続く水面が。

 しまった。いつのまにか水際まで追い込まれて——、水?


 ——次の邪精霊の攻撃がくるまでの勝負だ。


 こちらに疾駆し、瞬く間に距離詰めてきたクロさんと再び切り結ぶ。

 そして機は訪れた。——ここだっ!


 正面。斜め上段からの斬り下ろし。

 彼女の打ち込みと剣同士がぶつかり合う瞬間、剣を握る力を緩め大地を強く踏んだ。


 身体を極限まで前のめりに倒した俺の頭上を疾風が薙いでいく。

 そして、空中に置かれた白金色の剣が、この斬り合いが始まって以来ひときわ軽い音をたて弾き飛ばされ、狙い通り背後の暗い水面の中へと落ちる音を聞きながら。


「——起きても顔の鷲づかみは勘弁してくれ、よっ」


 彼女の引き締まった細い腰に抱きついた俺は、ぶんと強烈に腕と身体を振り、彼女を水面へと投げ入れた。

 巨大な水しぶきが上がったと同時に、邪精霊が攻撃を放ったのを感じ取り、それに追いつかれないぎりぎりのところで自身も水中へと飛び込む。


 ——あった。

 水面に落ちたときの音の距離で、おおよその位置を予測していたその場所に、剣は沈んでいた。


 それをすぐにつかみ、クロさんの姿を探す。

 彼女の銀糸は暗い水中でもわずかな光をきらきらと反射しており、すぐに見つけられた。


 思った通り、水が苦手な彼女は慌てたように藻掻いている。

 がむしゃらに剣を振るう手に注意しながら、願いを込めて彼女の身体にエル・スルトを押し付けた。


 彼女を包む闇のころもが溶けていくのを心底ほっとしながら見つめていると、頭上の水面からなにかが飛び込んできたような振動が走った。

 見上げれば、大量の気泡の中からひときわ太い黒の管が現れ、突進してくる。


 すでにクロさんの闇ははらった。

 迎え撃とうと剣を構える。

 が、その軌道は大きく外れており、避ける必要さえなかった。

 水中にいるからか、俺たちの位置がつかめていなかったのかもしれない。


「ぷはっ」


 急ぎ水中から飛び出し、意識のないクロさんを岩陰に隠して邪精霊の前へと立つ。

 さて、邪精霊への攻守の手段を得て、操られていたクロさんも元に戻すことができた。

 問題はこの剣で邪精霊本体を斬ったときにどうなるか、だな。

 その姿は《精霊の王》に戻るのだろうか。それとも……。

 

 そのとき、ふと気がつく。

 あれだけ執拗に追い回してきた邪精霊の猛攻がすっかり止んでいることに。

 脇を見やると、先ほど水中に向けて放った黒い管も、引き戻すことはせずそのままだ。


 訝しみながら邪精霊の方へ視線を向けた瞬間、その両手が勢いよく身体の中に引っ込み——ぎゅぼんっ。

 それは人が水を嚥下したときの音を、何十倍にも大きくしたような。

 それに伴い、地を這い水中へと伸びる管が大きく跳ねる。


 説明などされなくとも、すぐに何が起きているのかを知ることになった。

 音を皮切りに何度も跳ね上がる管。

 水のしぶいた音に思わず振り返れば、その一部分だけ妙に膨れ上がっていて。


 ——何かを吸い込んでいる。

 そう思った刹那、身体は剣を振りかぶり駆け出していた。

 しかし、歯噛みする俺の目の前をそれは猛烈な勢いで横切り、邪精霊の影響下から解放することはかなわない。


 そして、塊をその小さな身体に取り込んだ黒い影は、急速に形を変え、兄シックスの姿となった。

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