第38話『彼女の果て』
——自らの命は《精霊》から生まれ、《精霊》によって生かされ、最後には《精霊》へと還る。
《精霊信仰》をしていた森族は、古くより《精霊の王》との親交があった。
その居場所は秘匿されていたが、森族の王は唯一その場所を伝承することを許されており、エルファンの女王であったケリュネアも当然知っていた。
彼女はスルトと別れてから数日をかけ、
ある目的のために。
「やっぱり、今の私には荷が重かったかな……」
そして今、彼女は《精霊の王》に
ケリュネアは両腕で自らの身体を抱き、足を引きずるようにして歩く。
彼女の後ろには赤黒い線が延々と軌跡を描いていた。
全身の至るところに裂傷を負った肌に、白かったころの面影はもはやない。
それは外部から裂かれたのではなく、内側から『弾けた』と表現した方が的確かもしれない。
「なんとか《精霊の加護》を授けてもらうことはできたのに、これじゃあ……うっ!」
満身創痍の身体を樹にもたれさせ、息も絶え絶えに彼女は周囲の気配をうかがう。
しかし、森を発ったときと変わった様子はない。
転がる彼らの死体もそのままだった。
城で体感したスルトの脅威や、森から戻らない討伐隊のせいで尻込みしているのかもしれない。
だが、それも時間の問題だろう。
もう始まっているであろうスルトの《核》に宿る《加護》の力の解放。
あれはただの石でさえ『神鉄』の模造品へと変える代わりに、《精霊》を喰らう禁忌の力。
いずれ、この森の数多の命を奪うだろう。
それを防ぐための《精霊の加護》だったのだが……。
——傷つき、手に余る力をその身に宿した彼女の身体はもう限界だった。
「せめて、私を加護の《
スルト、ごめんなさい。
でも、いつか、きっと、あなたの前に『その人』は現れるから。それまで——
そこでケリュネアの意識は途切れた。
その身体を次第に光が包んでいく。
まるで彼女を守るかのように、薄光の玉が群がり、植物たちが囲い、形を成した。
《核》の周囲にいた《精霊》たちは、喰われることなく『力』をもらい、地に返し、その『力』は森と繋がる《核》へと還った。——『力』は、巡りゆく。
——それから、いくらかの時が過ぎた。
人族は機を窺い、その領土を奪うため、再びエルファンの森へと足を踏み入れる。
そこに森族の女王の姿や、巨人の姿はなく、あるのは屍のみだった。
安堵した彼らは、我が物顔で悠々と森を闊歩する。
そんな彼らはほどなくして、『それ』を見つけた。
「な、なんだ……これは」
それは植物でできた巨大な繭。
ほとんどの人族が知覚できない《精霊》の姿が見えるほどに集まる光る聖域。
知る由もなく、傲慢な彼らは彼女が自らの命を対価に生み出した、その光すらも自分のモノだと喜び勇み、中へと踏み入ろうとしたときだった。
——『彼女』が生まれたのは。
『ああああああああああっ!!!!』
この森にいたすべての兵士たちは同時に、頭の中に直接響く声のような音を聞いた。
きんっ、きんっ、と頭を内側からつんざかんばかりの音に皆が呻き、地を転がる。
次の瞬間、木の繭の正面にいた兵士を見下ろす巨大な女鹿の姿がそこにあった。
『ひと? もり? ここは……?』
「ひっ!? ば、ばけものぉ!」
「ここは我らの森だぞ! みな、この化け物を滅するのだ!」
一人の気丈な兵士は音が止んだのを好機とばかりに『彼女』を剣で斬りようとする。
だが——、
ヒュパンッ!
鞭がしなるような音がしたかと思えば、ずるりと兵士の腕が意思に反して地に落ちた。
「——あ? あああっ! 俺のうで、腕がぁっ!?」
剣を握りしめたまま眼下に転がる両手を見て、男は絶叫する。
『ひとぞくの、もの? ……森が、人族のモノ? ちがう、違うっ! ここは私たち森族の居場所!
どこへでも瞬時に現れ、どこへ隠れようとも見つかり——彼らは一方的に殺された。
自分のモノではない記憶に混乱し、怒り、我を忘れた『彼女』は森にいた人族を殺し尽くしてもなお暴れ続ける。
森の至る場所で暴威をふるい、樹をなぎ倒し、地面を力任せに抉った結果、それは地形を変えて窪地として爪痕を残すことになる。
それから人族は、その巨鹿が追ってくることができない範囲を見出し、国を興した。
しかし、なぜか巨鹿の守る森だけが残り、それ以外は時間とともに枯れ、消えてゆき、やがて荒れ地となり果てた。
……間もなく巨鹿の守る森は《拓かずの森》と呼ばれることになる。
長い間、『彼女』の記憶をどこか遠くから眺めてきた。
そのたびに去来し、胸を締めつける『思い』がある。
しかし、《核》である『彼女』の記憶を引き継いで生まれたケリュネアは別の存在だ。
それが、自分自身の『思い』ではないという自覚が、はっきりとケリュネアにはあった。
『彼女』の記憶は所持していても、その『意志』までは持ち合わせていない、と。
それでも巨鹿は、いつかのように流れ着いた魔族を『森族』として受け入れ、この森を襲いくる人族から森を守り、いつしか《森の王》などと呼ばれるようになっていた。
これが自分自身の意思なのか、彼女にはわからない。
されど永い時のなかで、心のどこかでは『誰か』を焦がれ、待ち続けていた。
『彼女』と同じ『意志』を抱く、その存在を。
——それだけはきっと、自分の『意志』なのだとケリュネアは思った。
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