第20話『いびつな襲撃者たち』

 かちゃちゃんっ、かちゃちゃんっ。


 カラザムに着いたときよりも、幾分か静かになってしまった荷車を牽いて、俺はクロさんと夜の街道を歩く。


 すでにカラザムから離れ、俺たちは帰途についていた。

 アンヘルとの商談を終え、屋敷で荷台一杯に袋詰めされた金銭を積んでから換金屋に寄り、街で少しだけ買い物をしてから街を出た。


 換金屋に戻ったときの、どこか安堵していたような店主の表情。

 なぜかそれを見た瞬間に、脳裏にあのメイドの姿がよぎり、俺はずっと後ろ髪を引かれる思いでいた。


「やはりあの男が気になりますか? 我が君」


 俺がうわの空なのを感じとったのか、斜め前を歩くクロさんがこちらも見ずに聞いてくる。


「……うん。それもある」

 

 結局、あの奇妙な感覚はなんだったのか。

 「やはり」ということは、クロさんも同じようなものを感じたのか?


 先導する彼女が夜道を照らすために掲げた灯り。

 さげたランプが歩くたび揺れ、ちらちらとその横顔を照らす。

 その柳眉は心なしか斜めに下がっているように見える。


 ——ふと、そんな彼女がこぼす。


「あの者が我が君を見る眼はどこか、言い表せられない怪しい光を放っているように見えました」


「俺を?」


 それは俺の想像した言葉と違い、つい訊ねてしまう。

 クロさんには俺に見えなかったものを感じ取っていたのか?

 どこか真剣味のある彼女の言葉の続きを待ち——、


「ええ——我が君をまるで値踏みし、嘗め回すように見るあの眼。なんど剣を抜こうかと——」

 

 すっ、と俺は話への興味が消えたのを自覚する。

 たぶん違うな、うん。——だけど。


「怪しい光、か」


 俺は口の中で呟く。

 妙にその言葉がしっくりとする気がする。

 同じような感覚を俺はどこかで感じなかっただろうか?

 それも、この国に来てから——、


 ——ヒンッ。


 夜闇のいずこからか鋭い風切り音がした。

 そう思った瞬間には、クロさんが左手に持ったランプがけたたましい音をたて、砕け散った。


 不幸なことに今夜は月が雲に隠れてしまい、その姿を消している。

 唯一の光源が消え、俺の視界の一切は闇となった。


 たった今まで明かりを見ていた。

 目が夜闇に慣れるには少しばかり時間がいる。


「——!」


「俺の心配はしなくていい! クロさんは自分の相手に集中して」


 こちらへ来ようとするクロさんの気配に、俺は先んじて指示を出した。

 彼女たち獣人グランディアは夜目が利くから心配はないだろう。

 万が一彼女が俺を庇って怪我をするのはご免だった。


「……きたか」


 わざわざ夜に仕掛けてきたのだ、俺たちの目が慣れるのを待つはずもない。

 複数の足音が風のように迫りくる気配がする。

 足音から居場所を悟らせないように多方向から移動してきているのか、音だけではその位置は把握できない。


 魔法は使えない。

 相手はあの竜ではない。打てば確実に殺してしまう。


 足音が減った。

 跳躍したか。


 そして、その位置が知れたときには、いよいよ足音は至近に迫り——風を薙ぐ音がした。


「——なつかしいな」 


 同時に鳴り響く金属音と鈍い打撃音の応酬。

 ——だが、


「なぜ当たらない!? まだ夜目は利かぬはず!」

「こいつ、目を閉ざしているぞ!?」

「け、剣が……」

 

 すべての攻撃を躱された刺客の声が一歩半ほど遠ざかる。

 警戒し、俺から距離を取った刺客たちが狼狽したような声を上げた。


 クロさんの方はもう片付いたようだ。

 彼女の近くに三人倒れているのが

 ——よかった、殺してないみたいだ。


「暗闇には慣れてる。悪いな」


 ぽいと捨てた剣の刀身が地面に落ちて、からりと鳴る。

 ——目隠しをされ、手足は縛られ、罰と称して様々な加虐を受けてきた。

 相手兄上たちの眼から大まかな感情を読み取る技術と同様、自慢できない特技の一つ。

 敵の身を包む魔力を輪郭として知覚し、目が見えずとも対処する術理。

 もっと言えば、兄上たちの刃がいつどこに刻み込まれるか知るために覚えた、

 意識できるのと出来ないのとでは感じる痛みも違うしな。


 だから俺には彼らの動きがすべて見えていた。

 人の形を成したぼんやりと光る魔力を知覚できるのであれば、避けるのもたやすい。

 そして、剣などの自らの意志を介在させる道具にも、魔力は微量だが伝導する。

 よく、達人は得物に左右されないなんて聞くけど、己と道具を一つにするように淀みなく魔力を通しているからじゃないだろうか?

 強い人ほど、道具に流れる魔力は多い。


「残念だけど、お前たちじゃにはできないぞ。まだやるか?」

 

 俺の言葉にごくりと息を呑むような音がする。

 しかし応えは返ってこない。


 ——致命傷を狙わないその様子からそうだと判断した。

 足の腱への斬りつけや後頭部へ放った蹴りの威力、両目への刺突。

 加えて殺気もない。そのかわり、走り気味の身体の動きから焦りのようなものを感じたが。

 そして、クロさんの戸惑ったような声が膠着したこの状況を動かす。


「お前たち、なぜ……」


 声のした方へ顔を向ける。


「クロさん、知り合い——」

「……まさかその声、ナザか!?」


 問いかけようとした声を遮ったのは全く知らない男の声。

 俺を囲んでいる刺客の一人が驚いたように叫ぶ。

 

 ……ナザ。

 クロさんの名だ。

 それを知っているということは——。


「お前、ナベルか?」


 俺の正面にいる刺客はナベルという名前らしい。

 この六人の中で一番強い魔力を感じる者。


 ——クロさんの名前が出た瞬間に一気に周囲の緊張が解けた。

 倒れていた輪郭も立ち上がり、一斉に彼女の名を呼びながら群がる。

 そろそろかと瞼を開き、闇に慣れた俺は彼らを見やる。

 しかし、すぐに違和感を覚えた。なんだ?


「ナザ、生きていたのか。もう死んだものかと……他の四人も無事なのか?」


「……」


 ナベルと呼ばれた男が安堵と不安の入り混じった声で問う。

 その問いに、彼女は無言でもって返答した。


「……そうか。でも、お前だけでも生きていてくれて良かった」


「ああ。だがお前たちがどうして……ッ!?」


 そこで、彼女は何かに気づいて息を呑むのが見えた。

 だが、慣れてきたとは言っても俺は彼女たち獣人ほど目が利かない。

 クロさんが驚いた理由が俺には分からなかった。

 ——次の彼女の言葉ですぐにその答えを知ることになる。


「ナベル、お前……その耳はどうした?」


「……」


 今度はナベルたちが黙ってしまった。

 他の獣人たちからも、重い雰囲気が漂い始める。

 俺はその言葉にクロさんと話す男の頭を注視した。


「——」


 ない。

 耳が、ない。

 はっきりと視認はできないが、その頭部の輪郭はまるで人間のように丸みを帯びている。

 ざあ、と吹いた風によりその輪郭を変える様から、クロさんのように覆っているわけでもなさそうだった。


「……ッ! ナザ、助けてくれっ!」


 がばっ、とナベルは膝から崩れ落ち、地面に両手をついた。

 悲痛そうな声を出し、彼は絞るように声を出す


「おい——」


「襲ってしまった事は済まないと思ってる。だが俺たちは仲間を人質にされて……っ!」


 そこで彼はハッとして俺の方を見た。

 その反応だけで、どんな存在に脅されているのかが分かった。

 だから、俺はゆっくりと話しかける。


「俺は人間だが、お前たちの敵じゃない。だから安心して——」


「貴様ら人間など信用できるかっ!」


 獣人の男の一人が敵意をむき出しにして吼える。

 ……そうだよな。人間の『安心しろ』なんて言葉、信用できるわけがない。

 彼らはこうしている今もなお傷つけられているのに。


「お前たち、大丈夫だ。私は今、この方にお仕えしている」


 そんな彼らにクロさんがその事実を告げる。


「!? お前まさか——」


 ナベルが信じられないと言いたげな声音でクロさんを見上げた。


「ああ。このお方は私を獣人と知ってなお、受け入れて下さった。

 ——そして私はこのお方に真名も明かしている」


 ……真名? 本名のことか?


 俺には理解できず、首を傾げるが、彼らは違うらしい。


「「「「「「!!!!」」」」」」


「……まさか、お前はこの人間が『そう』だというのか……? 人間だぞっ!!!」


 なんだ? ますます話が見えなくなってきたぞ。


「あの、ナベル君?」


 俺は最初の話に戻すため、彼らの輪に近づき口を挟もうとするが、


「黙れにん——!?」


 とっさに振り返り、俺を殴ろうと振りかぶった彼の腕を、クロさんがつかむ。


「——おい。やむない理由があったと言うから、先の件は不問にしよう。

 だが、それ以上、我が君に敵意を向けるなら——覚悟してもらうぞ?」


 クロさんが放つ怒気にナベルが凍りつく。

 その言葉は、たとえ同族であっても容赦をしないという意思を、ひしひしと感じさせた。

 いくらナベルがこの六人の中で一番強いとはいえ、彼女には遠く及ばない。

 

「わ、わかった。すまない。あの、」


 俺に向き直り、ちらちらとクロさんを窺いながら言葉を探している彼に、助け船を出す。

 ここで『貴様』など言おうものなら間違いなく彼女からの制裁が下る。

 ——俺には分かる!


「気にしなくていい。俺はセブンだ。なにがあったか聞かせてくれ」

「すまない、セブン」

「……セブン?」

「!? セブンさんっ!」

「ははっ」


 ——このとき俺は予感していた。

 彼らの話を最後まで聞き終えたとき、きっと俺は正気ではいられないだろう、と。

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