第10話『《宝竜》対クロ』
「これが《
俺たちは竜の棲むとされる《宝餌の蔵》へ到着した。
曇天の空だというのに、眼下に広がる光景は俺の眼を眩ませた。
辿り着いた谷の底には光り輝くさまざまな財宝が隙間なく敷き詰められていたからだ。
「……」
ふと隣のクロさんを横目に見ると谷を静かに見下ろしている。
彼女は今、どんな表情をしているのだろうか。
その兜の奥から覗く両目は、余人であればこの『餌の宝』に目を輝かせるであろう、この光放つ大地をどんな思いで見つめているのだろうか。
さすがにそんなことを問うほど愚かではない。
俺は再び視線を戻し、宝の海の中に、見たこともない伝説の魔族の姿を探す。
「——いないな」
ここが終点のはずだが、《宝竜》と呼ばれるその姿は見当たらない。
どこかへ行ってしまっているのだろうか。
「よっ、と」
俺は見落とした道がないかを確認しようと、財宝の山の一つへ飛び降りた。
がちゃり、と金属同士が擦れる音が谷に響く。
がちゃ、がちゃ。
俺は谷に降りてから一歩も動いていない。
だというのに、音が止まない。
まるで呼応するかのように財宝の山から連鎖的に音が響き続ける。
がちゃ……がちゃがちゃがちゃ!
「なんだ?」
円形の谷に音が反響し、どこから音が発せられているのか判然としない。
「セブン様! 左奥の財宝が隆起しはじめています!」
谷の上からある一点を指差し、クロさんが声を上げた。
そこには一際大きな財宝の山があり、その形を崩し始めていた。
がちゃがちゃがちゃ!
いつまでも鳴りやまない金属音。
その音の長さはそのままその存在の巨大さを示していた。
がちゃがちゃ……がちゃ、がちゃ、からん……。
金属の狂騒音が止む。
小さな山のような巨躯を揺さぶり宝を振るい落しながら、『お伽噺』は俺たちの前に姿を現した。
まるで夜の湖畔を纏ったかのような、艶のある黒い鱗。
開かれた鋭い二つの瞼の中にある瞳は、夜空に浮かんだ満月のように丸く、黄色い。
「——ああ、人間の来訪者など何百年ぶりだ?」
——これが、
唸り声ともつかない人語で話しながら、四つ足で立ち上がり、
財宝の下で凝り固まった身体をほぐすかのように、巨大な両翼をゆっくりと広げた。
「っ!」
それだけで烈風が生まれ、俺の身体は吹き飛ばされそうになる。
長い首に、伸び出た顎。
口を開くたび、黄金さえも噛み裂けそうな鋭い牙が覗く。
これが——『竜』か。
太古から語り継がれる伝説の魔族。
「会えて嬉しいぞ人間。いつぞや奪われた宝を取り戻しに来たか?」
「いや、俺は——」
「セブン様、お下がりください!」
クロさんが言葉を遮って俺と竜との間に飛び降りてきた。
剣を握り、すでに臨戦態勢のその背から刺すような鋭い気配が伝わってくる。
「おや」
短く声を発した竜の口調は、まるで旧知の友にするような気やすさで、
「お前はいつぞやの小娘じゃないか。なにやら珍妙な面をしているが、わかるぞ。我は一度戦った相手は忘れん。大きくなったな。再び会いに来てくれたのか? それとも今度は二人で——」
「黙れっ!」
クロさんが激昂した。
そんな彼女から放たれる怒りの気迫をそよ風のように受け流し、竜は話し続ける。
「そう怒るな。我も久々の客人に少々舞い上がっておる。死合いなら後でいくらでも応じよう。だからまずは話でも——」
——飛び降りてきたクロさんは震えていた。
竜が一音紡ぐごとにその震えは大きくなり、その剣を握る手に力がこもり、
そして——弾けた。
「その口開くなぁっ!」
叫び、目にも止まらぬ速さで飛び出すクロさん。
その強烈な踏み込みで足元の金貨たちが撒き散らされ——俺の全身に浴びせられる。
「いだだだだっ!」
あの人、恨んでないって言わなかったか?
怒りに満ち溢れているんだが。
たしかにあの竜の無神経さと口数の多さにも原因はありそうだけど……。
瞬く間に竜のもとへ辿り着いたクロさんが斬りかかる。
だが、
「ふん」
「——! がっ!」
剣を振り上げるクロさんへ、音もなく走る死神の鎌——竜の尾の存在に気がついた彼女はどうにかそれを剣で受けた。
だが、衝撃に吹き飛ばされ、その身体は谷を囲む壁に激突する。
「ほお。今のを受けたか。腕を上げたな。前回はこれで二人は両断できたんだが」
感嘆の声を上げる黒い竜。
追撃をしてくる様子はなく、俺は竜を尻目にクロさんのもとへ駆け寄る。
崩れた岩壁と砂煙の中で倒れる彼女に近づき——、
「クロさん!」
——! ……やっぱりな。
「申し訳、ありません……セブン様」
しかし、彼女は意識が朦朧としているのか、気がついていないようだ。
——顔を覆っていた兜が壊れていることに。
「なにやってるの。恨んでないとか言いながら、怒りに我を忘れてさ」
「……申し訳、あ」
「ま、ちょうど良かった。クロさんが動けなくなったおかげで心置きなく戦えるよ」
「……え?」
「クロさん、竜が怖いって話、嘘だよね」
「——!」
「本当は《宝竜》と戦って、また自分だけ生き残るのが怖かったんだろ。
だから、俺を庇って死ぬ気だった。違うか?」
普段よりも語気を強めて俺は言い放つ。
「そ、それは」
動揺しているのか、彼女の目が泳ぐ。
あんなに悔しそうに生き残ったことを後悔するような口ぶりのクロさんが、竜に怯えるなんて変だ。
あんな風に、彼女が自分の弱みを吐露するなんて変だ。
とても長い付き合いなんて言えないけれど、そんな気がした。
「さっきだってあんなに無謀に襲い掛かるし……。言ったよね、命を粗末にするヤツは許さないって。——帰ったらお仕置きだから」
最後のは冗談だが、俺はわざと昏い笑みを浮かべ、手をうねらせさせながら彼女へすごむ。
「お、おしおき……」
ぽっ。
……えっ? なんでそこで頬を染めてらっしゃるの目を逸らすの?
この人、まだ兜してると思って油断してるんじゃ?
——とりあえず、見なかったことにしよう。
「よっと」
俺は横たわる彼女の身体を抱え上げ、谷の上へ跳躍した。
「ひゃあ!」
驚いたのか、クロさんが短く悲鳴を上げる。
ひゃあ……。
この短い間に俺の中のクロさん像がどんどん崩れつつあった。
「危ないからここから動かないでね」
俺はそっと彼女を地面に降ろすと、そのまま竜のもとへ向かう。
「セブン様、どうか……」
「ああ」
途切れた言葉の先を、俺はきっと正しく理解できている。
だから、力強く返事をして——再び竜の待ち構える谷底へ跳躍した。
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