第9話何かに怯える敗者

 俺とクロさんは《宝竜》が棲むという谷、《宝餌の蔵ほうえのくら》へ向かっている。

 

 すでに《拓かずの森》は遠く、緑はどこにもない。

 

 西へ向かうほど道は険しくなり、もはや地続きの道はなく、小さな谷を飛び越えたりほとんど垂直の壁をよじ登ったりしながら進んでいる。


「今からでも引き返しましょう、セブン様」

「だめだって」


 焦ったような声で引き留めるクロさんの呼びかけを意に介さず、凹凸の激しい岩場を俺は走り続ける。


 この問答は一体何度目になるだろうか。


 木の繭から出てきた俺は《森の王》との話の内容をクロさんへ説明した。


 『竜』なんて突然出てきた突拍子もない存在の話なんて、


『何を言ってるんですか?』


 って感じに冷たくあしらわれると思っていたけど、彼女はすぐに受け入れてくれた。


 それどころか血相を変えて《宝餌の蔵》へ行くことを止めはじめたのだ。


 ちなみに、ツルキィは竜の話をしただけで卒倒してしまった。


「クロさんは《宝竜》について何か知ってるの?」


 彼女のその行動が気になった俺は足を止め、クロさんに質問した。


 いくらお伽噺などで竜の強さを語られていようと、所詮はただの言葉。


 誰も『国を滅ぼせる力』なんて言われても、それがどれほどのモノなのか想像しかできない。

 

 それを理解できるのは、同じように国を滅ぼしうる力を持つ者。


 そして、その力と対峙したことがある者だ。


「それは……」


 俺の質問に彼女は言いよどむ。


「言いたくなければ無理には聞かないよ」

「……」


 長考の末、クロさんはぽつりと話し始めた。


「セブン様は私が先王様に半死半生だった命を救われたことをきっかけに、お仕えすることになったことはご存知ですか?」


 俺は彼女の問いかけに首を横に振る。


「初耳だ」


 彼女ほどの人間がこの《終わりの国》に仕えている理由は気になっていたが、そんな経緯だったのか。


「なぜ私がそんな状態だったのか。もうお察しだとは思いますが、私は《宝竜》に一度戦いを挑み、敗れています。……そしてただ一人生き残ってしまった」


 最後のその一言を俯きながら絞り出す。


 その声音は一瞬、泣いてるかと思ったほどだった。


 《宝竜》の強さを知ってるかもと思ったけど、まさか直接戦っていたとは。


 ……ただ一人?


「ほかにも仲間がいたの?」


 俯いたまま彼女はうなずく。


「私……いえ、我々は五人で挑みました。一番若く最も弱かったのが私です」


 何年前かは知らないけど、クロさんが一番弱いだって?


 あとの四人はどれほど強かったんだ……。


 俺の驚いた気配を感じ取ったのか、顔を上げた彼女は兜の中でふっと息を漏らす。


 クロさんは今、兜の中で苦笑している、そんな気がした。


「四人はいずれも凄まじい使い手。——そのうちの一人は私の父でした。

 我々の一族で最強と呼ばれていた……今でも私の誇りです」

 

 語る彼女の声音はたしかにとても誇らし気で、力強かった。


 しかし、次の瞬間にはその声は元の暗いものへと戻ってしまった。


「ですがヤツは……《宝竜》は強過ぎました。

 戦いが始まって程なくして私は大怪我を負い意識を失いました。

 最後に見たのは、あれほど強かった仲間たちがヤツの攻撃に千切れ飛ぶ姿……!

 ——再び意識を取り戻したときには、なぜか私は谷を出て先王様に助けられていました」


 彼女のきつく握られた拳から赤い血がぽたり、ぱたりと垂れはじめる。


「クロさんは《宝竜》を恨んでるの?」


 間髪入れずに彼女は首を横に振った。


「我々は一族の誇りのもとに戦いました。我らの力が及ばなかったことに悔しさはあれど、恨みなどありません。——ただ」


「……ただ?」


「——私は奴を恐れてしまった。……見てください、情けないことに《宝餌の蔵》へ近づこうとするだけで身体の震えが止まりません」


 そう言うと、クロさんは俺に小刻みに震える手を差し出す。


 彼女と出会って間もないが、常に毅然とした彼女の姿を俺は見てきた。


 そんな彼女が弱音を吐くなんて、よほどのことだったのだろう。


「クロさん」

「……はい」


「俺は死ぬつもりなんてないから、心配しなくていいよ。

 ——それと、自分の命を粗末に扱うヤツは許さないからね」

「!?」


 びくりと身を固くするクロさん。


 それは俺の放つ気迫のせいか、言葉が核心に触れていたからか。


 俺は彼女の反応を見て、軽率な行動を取らないでほしいと、願わずにはいられなかった。

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